日本奥地紀行


日本奥地紀行(イザベラ・バード/平凡社)

1880年当時の日本を、スコットランド人女性の著者が、東京から北海道まで旅行した時の紀行文。これは、人に読まれることを前提としているよりも、まず自分自身の日記という意味あいのほうが強いので、言葉を飾ることなく、かなり素の感想が書かれていて、それが面白い。
著者のイザベラ・バードという人は、とても客観的な人で、日本のようにまだヨーロッパにとっては珍しい異国の紀行文を書くにはぴったりの性格だったと思う。あまりに率直すぎるのと、日本に対して後進国として蔑視しているような空気がいたるところに流れているので、毒舌すぎるところもある。
しかし、その目はどこまでも公平で、日本の良いところは素直に褒めていて、たとえば花の扱いについては、英国の花束は野蛮で、それよりも日本の生け花の洗練を高く評価していたり、婦人が一人で旅行をするのにこれほど安心な国はないというようなことも言っている。
略歴を見ると、日本を訪れた前後にも、世界のあらゆる場所に出かけてその記録を出版していて、この時代にこれほど多くの国を旅行した人はきっと稀だったにちがいない。日本では、蚤や蚊や、不潔さにだいぶ悩まされたという記述がやたらとあって、たしかに、この時代、外国人が快適に旅を出来るような状態ではなかったんだろう思う。
当時の日本の雰囲気というのは、まだ江戸独特の庶民の文化が残っているのが伝わってきて、宿屋や城下町などは、かなり猥雑な賑わいがあるのがよくわかるのだけれど、そういうところはイギリスの文化とあまりに違っているために、その当惑振りが日記から感じられる。
この本が紀行文として価値があると思うのは、当時、イギリスと日本の文明の発達度を較べれば、やはり一歩も二歩もイギリスのほうが先を進んでいたところがあり、日本という国の姿を、まったく別の、一つ高い視野をもって眺めているというところだ。
これは、同時代の日本人にとっては、いくら幅広い知識があったとしても日本の客観的な姿を描くには限界があっただろうところで、その点、この著者ほどに適役で好奇心旺盛な人物が日本にいたということは、すごく幸運なことだったのだと思う。
【名言】
私は、障子と呼ばれる半透明の紙の窓を閉めてベッドに入った。しかし、プライバシーの欠如は恐ろしいほどで、私は、今もって、錠や壁やドアがなくても気持ちよく休めるほど他人を信用することができない。隣人たちの眼は、絶えず私の部屋の側面につけてあった。(p.47)
私は奥地や北海道を1200マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行ができる国はないと私は信じている。(p.48)
群集は言いようもないほど不潔でむさくるしかった。ここに群がる子どもたちは、きびしい労働の運命をうけついで世に生まれ、親たちと同じように、虫に喰われ、税金のために貧窮の生活を送るであろう。(p.106)