ロング・グッドバイ


ロング・グッドバイ(レイモンド・チャンドラー/村上春樹訳/早川書房)

コメント

文章がものすごく面白い。
地の文章の語り方や比喩は、なんて上手い表現をするんだろうと思うものばかりだし、会話の部分になると、気の利いたセリフの応酬になって、そのテンポのいい言葉のやりとりにしびれる。
ハードボイルドの定義が何なのかはわからないけれど、男の価値が「タフ」か「やわ」かというシンプルな尺度で判断されるような世界観なんだろうと思った。その意味でいうと、フィリップ・マーロウは、たしかにものすごくタフなやつだ。
なにもわざわざ事を荒立てなくていいのに、と思う場面で、さらに追い打ちをかけるように、相手を煽ったり、自分をみずから窮地に立たせるような言動を繰り返したりする。
この危なっかしさと、自分自身のポリシーへの頑固さなまでの純粋さ。しかし、意外なところに弱さがあったりして、そこもまたかっこいい。
物語の展開も、後味も、あちこちの出来事がきっちりと一本の線でつながったようなカタルシスがあって、文句のつけようがないぐらいに良かった。
あとがきに、村上春樹氏の解説が入っているのだけれど、これが結構長くて、本格的な文芸評論になっている。アメリカ文学というものと、その中におけるレイモンド・チャンドラーの位置づけ、について詳しく語られていて、とても内容が充実している。ここまでじっくり読ませるあとがきというのも珍しい。

名言

事件のことも僕のことも忘れてしまってほしい。ただその前に<ヴィクターズ>に行ってギムレットを一杯注文してくれ。そして次にコーヒーをつくるときに僕のぶんを一杯カップに注いで、バーボンを少し加えてくれ。煙草に火をつけ、そのカップの隣に置いてほしい。そのあとで何もかもを忘れてもらいたい。テリー・レノックスはこれにて退場だ。さよなら。(p.119)

「一本電話をかければ、君の私立探偵免許を取り消すことができるんだよ、ミスタ・マーロウ。私に口答えをしない方がいい。そういうことに我慢できないのだ」
「二本電話をかけたら、私は後頭部をへこまされてどぶに横たわっているというわけですか?」(p.327)

彼はグラスにウィスキーのお代わりを注ぎ、明かりにかざした。「なんでもそのままってわけじゃない。ウィスキーの色はきれいだよな。黄金色の洪水に溺れるのも悪くはない。『真夜中に苦痛もなく人生を終え』。その続きは何だったかな?おっと、そんなこと君に聞いたところで無駄だ。こいつは文学的に過ぎる。君はたしか探偵か何かだったな。どうしてそんなものがここにいるんだろう、ひとつ説明していただけるかな」(p.344)

「あんたは救いがたい馬鹿だと言ったら、気を悪くするかな?」
「いや、賛同票を投じたいね」
「今ならまだ思い直せるぞ」
「いや、けっこうだ。市のバスチーユ監獄から私を家まで送り届けてくれたときのことを覚えているか?私にはさよならを言うべき友だちがいたと君は言った。しかしまだ本当のさよならを言ってはいない。その写真複写が紙面に載ったら、それが彼に対するさよならになるだろう。ここにたどり着くまでに時間がかかった。長い、長い時間が」(p.464)

さよならを言った。タクシーが去っていくのを私は見まもっていた。階段を上がって家に戻り、ベッドルームに行ってシーツをそっくりはがし、セットしなおした。枕のひとつに長い黒髪が一本残っていた。みぞおちに鉛のかたまりのようなものがあった。
フランス人はこんな場にふさわしいひとことを持っている。フランス人というのはいかなるときも場にふさわしいひとことを持っており、どれもがうまくつぼにはまる。
さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。(p.512)

「だって君は最初から部屋の中にいたじゃないか。そこで手紙を書いていたんだろう」
彼は手を伸ばして、サングラスを外した。瞳の色を変えることまではできない。
「ギムレットを飲むには少し早すぎるね」と彼は言った。(p.526)

「僕の中の何かを君が気に入ってくれているようで、それは救いだ。僕は窮地に立たされていた。そしてそのような窮地から僕を救い出すことのできる種類の人々を、たまたま知っていた。ずっと前に戦地でおこったことで僕に恩義を感じている人々だ。それはこれまでの人生で僕がやってのけた、唯一の正しきことだった。ハツカネズミのように敏速にそれをやってのけたんだ。僕が彼らを必要としたとき、彼らはすぐに駆けつけてくれた。まったくの無償で。この世の中で値札がついていない人間は君ひとりだけじゃないんだよ、マーロウ。」(p.531)

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