名人

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名人(川端康成/新潮文庫)

昭和13年、本因坊秀哉名人の引退碁となった対局がおこなわれた時、川端康成は観戦記者としてその場に居合わせていた。この「名人」は、その時の様子を描いたドキュメンタリーだ。
名人は、この対局の時、体を病んでおり、そのために試合は度々中断され、たった一局の勝敗がつくまでに、なんと半年もの期間を費やした。一人の持ち時間が40時間というから、これほど気の長い試合も珍しい。現代では、ここまで長時間の対局というのはあり得ないだろうが、当時は、時代的にも今よりのんびりした風があったのだろう。
この作品の中では、碁そのものの内容についてはほとんど触れられておらず、徹底して、対戦中の二人の対局者の心情と、その、半年にも及ぶ長い対戦の舞台裏についての描写に終始している。白(名人)の130手目に、勝敗を分かつ大きな意味を持つ手があり、この一手をめぐる解説では、そこに隠されたドラマが語られていて、真剣勝負の世界のシビアさを伝わってきた。
たった一局の碁を題材にして、一冊の作品が描けるというのもスゴいことだけれど、それだけの壮絶な内容が、この引退碁の一局にはあった。いわば、死を賭して対局に臨むという名人の覚悟が、芸術的な対局を作り出したわけで、そこに、川端康成が居合わせて、一つの作品が生まれたということには、何か運命的なものを感じる。


この写真は非現実的にも見えるが、それは一芸に執して、現実の多くを失った人の、悲劇の果ての顔だからでもあろう。殉難の運命の顔を、私は写真にのこしたのであろう。秀哉名人の芸が引退碁で終わったように、名人の生命も終わったようであった。(p.31)
中国で、仙人の遊びとされ、神気がこもるとされ、三百六十有一路に、天地自然や人生の理法をふくむという、その智慧の奥をひらいたのは、日本であった。外国模倣、輸入を、日本の精神が超えたのは、碁に明らかであった。(p.107)
名人はこの碁を芸術作品として作って来た。その感興が高潮して緊迫している時に、これを絵とするなら、いきなり墨を塗られた。碁も黒白お互いの打ち重ねに、創造の意図や構成もあり、音楽のように心の流れや調べもある。いきなり変てこな音が飛びこんだり、二重奏の相手がいきなりとっぴな節で掻きまわしては、ぶちこわしである。碁は相手の見損じや見落としによっても、各局を作るぞこなうことがある。(p.148)

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