誰も知らない世界と日本のまちがい


誰も知らない世界と日本のまちがい(松岡正剛/春秋社)

勉強というのは、クロスワードパズルと似ていて、最初は空白のところから始まる。全体像を知る手がかりが初めはほとんどないので、一つ一つ、単純にマスを埋めていくことが最初になる。
面白くなってくるのは、ある程度のマスが埋まってきてからだ。ある時点から先は、既に埋まっているマスとの関連を確認しながら、今までわからなかった部分も、ちらばったキーワードで補完することによって二次元的な縦横のつながりが生まれて、全体像がわかるようになってくる。
学生時代の勉強というのは、白紙のパズルから始めてキーワードを書き込んでいくような作業だった。
それに対して、社会人になってからの勉強は、既にあるキーワードを元にして、縦横のつながりを作っていく作業だ。面白さという点では、格段にこちらのほうが面白い。
この、「誰も知らない世界と日本のまちがい」という本は、歴史を地域別の単純な時系列であらわした教科書的な説明とは違い、歴史という立体的なものをさまざまな角度から組み合わせて、切り取って、見せてくれている。
歴史というのはこれほど面白いものなのかと思わせる、新しい気づきに満ちた表現の仕方になっている。これだけの編集作業というのは、著者の松岡さんぐらい博覧強記な人にしてはじめて可能なことなのだと思う。
この本は「17歳のための世界と日本の見方」という本の続編にあたり、前著が古代から中世の歴史をメインに扱っているのに対して、本著では近現代史を中心のテーマにしている。近現代の歴史は、様々な国や文化が複雑に絡みあっているので、この本でおこなわれている、時代ごとに横断的に歴史を見るというやり方は、特に効果的な方法だと思った。


【名言】
フランスが太陽の国だったら、イギリスは星の国です。実際にもルイ14世は「太陽王」を名のり、エリザベス女王は「星界の女王(アストレア)」を自称した。(p.57)
自然淘汰という原理をもちこんだことで、科学としては、ダーウィンの一人勝ちでした。その後も、遺伝子生物学が加速している今日にいたるまで、ダーウィニズムはつねに進化の原理を提供するものとして、一人勝ちを続行しています。ことに集団遺伝学で、繁殖する生物種集団のなかでの遺伝子頻度の変化をもって進化の定義とする見方には、ゆるぎないものがあります。(p.280)
仏教というのは、「縁起」と「空」とを前提にした人間観や社会観をもったものです。ブッダはその前提に「一切皆苦」という認識をおきました。このような仏教思想からは、必ずしも未来志向型の進歩主義一辺倒という展望や構想は出てきません。世間に対しても人生に対しても、どちらかといえば、深く醒めてみるという姿勢が尊重されます。ここから「無常」という感覚も出てきました。ここには「変化」を認めるものはありますが、その変化を必ずしも「進化」とはとらえていません。仏教に象徴される社会観や人間観は、私はこれからいっそう大事になっていくだろうと見ています。(p.291)
社会はつねに変化するものであって、そこには「道理」があると思うしかないということです。道理はロジックではありません。何がおころうとも、それが道理だと思う心が、道理なんです。(p.450)