アレクサンドロス


アレクサンドロス(安彦良和/日本放送出版協会)

安彦良和の絵には、他のどの画家にもない気品がある。安彦良和は、ジャンヌ・ダルクやネロをテーマにした作品も描いているけれど、この画風が、特に古代や中世の歴史物語の世界観にとてもよく馴染んでいて、歴史物のマンガを描くのに、これ以上にふさわしい人はいないんじゃないかと思う。
アレクサンドロスの幼なじみの一人である、リュシマコスを語り手として、その回想録のような形で物語を進めることで、アレクサンドロスが達成した偉業を描くだけでなく、ごく近い場所にいた側近の視点から、その強さも弱さも描いている。
それによって、アレクサンドロスの、勇敢で、疑り深く、わがままで、好奇心に満ちたキャラクターをここまで表現しているというのは、見事な構成だと思う。
アレクサンドロスの全生涯にわたる物語ともなれば、冗長な作りだと少なくとも数冊組の作品になるようなところが、一冊の中に上手くまとまっている。
アレクサンドロスは、豊穣なヨーロッパ大陸をまるっきり無視して、エジプトを攻略した後、ひたすら東へと遠征した。それは何でだったのかと不思議に思っていたけれど、アレクサンドロスにとっては、異文化や未知なる世界こそが憧れの対象だったのだということが、この本からよく伝わってきた。
人名も地名も聞きなれないものばかりで、とにかくややこしいので、これをもし小説で読んだら、かなり意味がわかりにくかっただろうし、きっと途中で飽きてしまっただろう。
インド遠征のシーンで、アレクサンドロスと釈迦が出会っていたらどうなっていたか、という問答があるのだけれど、それは面白い場面だった。生まれた時代は100年ほどズレているので、直接出会う機会はなかったにしても、もしインドの統治が実現していれば、その思想に触れる機会はあったかもしれない。
安彦良和が、もっと多くの歴史マンガを描いてくれれば、きっと、それをきっかけに歴史に興味を持つ子供が増えるに違いないと思う。
【名言】
アレクサンドロスの雄弁は見事だった。それはしばしば大きな困難をのりこえ、障害をとり除いた。この時もそうだった。
だがそれは、詩人や政治家の雄弁ではない。共に行動する者の、率先する者の、そうする者にしかない力強い雄弁だ。戦場でアレクサンドロスはいつも先頭に立って戦い、しばしば自らも傷ついた。だからこそ、兵達はあの人の語るのを聞き、あの人の後についていった。(p.161)
「あの人」は遠い所を見ていたのだ。来し方を、ではなく、未来を。未だ見ぬ世界を・・。だが、我々はそうではなかった。我々はやはりギリシャ人であり、帰る所を持ったマケドニア人だった。(p.207)
アレクサンドロス・・思っていたよりも不可解な男だったが、所詮人間だ。あれも、いずれ死ぬ。だが、歴史をつくった。それは、間違いない。(p.213)
以前、東の国に、釈迦というバラモンの導師がいた。釈迦は、苦も楽も共に空しくする修行を己に課していた。ボロを身にまとい岩の穴に住んだ。その元の身分は一国の王子だったのだが、釈迦は全てを捨て去られた・・。
マガダ国の王も隣国コーサラの王も、臣下の礼をとって釈迦の教えを聞いた。それが、インドの習いだ・・。会わせてみたかった。お前達の王、あのアレクサンドロスという男を、一度、釈迦に。(p.232)
あの人が残した広大な王国はバラバラになった。こんなざまをあの人が見たら何と言うだろう。悲しむか、怒りに狂って我々を刺し殺すか、いずれでも仕方あるまい。我々はあの人とは違う。あのとてつもない人、マケドニア人でもギリシア人でもない、東方も西方もない巨きな夢に身を委ねて生き切った人、そんな人の偉業を、いったい誰が受け継げるというのか。(p.261)