変身


変身(カフカ/岩波書店)

ある朝、気づいたら「虫」になっていた、というのは、なんだか江戸川乱歩の怪奇小説のような始まりかただ。
しかし、この作品はエンターテイメントではないから、なにか奇妙だ。エンターテイメントとして読んでみると、「いったい、何が言いたいんだこれは?」という謎だけが残って終わってしまう。
なぜカフカは、グレゴールを、毒虫にする必要があったのか?
たとえば、グレゴールは突然病気になって動けなくなってしまいました、という場合でもやはり家族一同で困惑するには違いないだろうけれど、それと、「毒虫になる」場合では何が違うのだろうか。
家族にとっての違いは、世間体、ということなのだろうと思う。
病気や事故で身動きが出来なくなりました、ということであれば世間に対して説明をすることが出来るけれど、汚い毒虫になってしまっては、自分達の体面も悪いし、同情を受けることもない。
誰からも疎んじられる毒虫が家に居るということは、ザムザ一家にとっては、何よりも忌まわしい出来事なのだろう。
それにしても、家族の、グレゴールに対する冷たい仕打ちは、かなりひどい。
それまでグレゴールが一人で働いて家計を支えてきたというのに、彼が姿を変えた途端に、一室に閉じ込めて出られないようにして、食べ残しだけを与えて気にすることがない。
現代でも、引きこもりの子供がいることが知られると世間体が悪いからという理由で、家に閉じ込めたままにしたり、監禁をして食べ物だけを与えているというニュースを聞くことがあるけれど、その状況は、この「変身」によく似ている。
不思議なのは、物語の終わりで、グレゴールの悲惨な最期とは対照的に、グレゴール以外の家族は以前よりも幸福そうな姿になっていることだ。意味不明な毒虫がいなくなったという安堵感もあるだろうけれど、それ以上に、グレゴールに頼りきりだった収入がなくなったことによって、結果的には、家族全員がそれぞれ自立をすることになったからなのだろう。
この本は、読み終わった後に、烈と恭ちゃんとで、お互いの感想を話し合った。
その中でなるほど、と思った意見は、これは「精神至上的な考え方へのアンチテーゼ」の作品なのだという解釈だった。
グレゴールの精神は変身前と後でまったく変わらない状態であるにもかかわらず、肉体の変化のみによって、周りの反応は大きく変わる。グレゴールは、自分が虫になってもなお、普通通りに仕事に出かけようとするのだけれど、いかに自分の精神が望んだとしても、身体がそれをジャマをする。
精神以前に身体というものがあり、自分の活動というのは結局、自分の意思ではどうにもならないものによって制限されてしまう、という解釈は、とても納得がいった。
【名言】
この引越を妨げているのは、ただ彼を慮ってばかりのことではなかった。この一家に転居を思いとどまらせていたのは、有り体に言えば、どうしようもない絶望感からであり、親戚や知人たちの誰にも見られぬ不幸に自分たちがとりつかれてしまっている、という想いからにほかならなかった。(p.78)
夜も昼も、グレゴールはほとんど一睡もせずにすごした。ときどき彼は、今度ドアが開いたら、昔と同じように、家族の問題や用事をまたみんな一手にひきうけてやろう、と考えた。(p.79)
グレゴールはさらに少し前に這いでて、できることなら妹と視線を合わせたいものと、床すれすれまで頭を低く下げた。こんなにも音楽に感動させられているからには、ぼくは獣なのだろうか。(p.89)

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