

海辺のカフカ (上)(下)村上 春樹 新潮社
【コメント】
世界のほうぼうを旅することだけが冒険ではなく、一つの町や建物の中に留まっていたとしても人の心はどこまでも果てしなく遠くまで行くことが出来るのだと思った。
見た目や世間的な常識とは関係なく、あるべきところにあるのが物の正しいありかたで、するべきことをするのが人の正しい生き方なのだ。
自分はこの本を読んでそんなことを思ったけれども、それがこの本のテーマというわけではまったくないだろう。テーマはとらえどころがなく、おそらく正解もない。
他の人がはたしてどういう感想をもったのか、とても聞きたいと思う作品だ。
【名言】
僕らの人生にはもう後戻りができないというポイントがある。それからケースとしてはずっと少ないけれど、もうこれから先には進めないというポイントがある。そういうポイントが来たら、良いことであれ悪いことであれ、僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかない。僕らはそんなふうに生きているんだ。(上巻p.343)
ナカタさんの人生がいったい何だったのか、そこにどんな意味があったのか、それはわからない。でもそんなことを言い出せば、誰の人生にだってそんなにはっきりとした意味があるわけじゃないだろう。人間にとって本当に大事なのは、ほんとうに重みを持つのは、きっと死に方のほうなんだな、と青年は考えた。死に方に比べたら、生き方なんてのはたいしたことじゃないのかもしれない。とはいえやはり、人の死に方を決めるのは人の生き方であるはずだ。ナカタさんの死に顔を見ながら、青年はそんなことを考えるともなく考えた。(下巻 p.399)
» 2005 » 4月のブログ記事
奥山さんが亡くなった。
奥山さんがブログに書く日記を、オレはずっと読んでいた。
最後に書きこまれたメッセージは「死にたくないな」という、短いメッセージだった。
自分にとっては1週間前の一日と、今日の一日にほとんど違いはないが、奥山さんにとってはそこに大きな差がある。
奥山さんが生きられなかった今日を、自分は生きている。
この今、起きている出来事を奥山さんはどんなにか自分の目で見たかったことだろうと思う。
もし自分が明日死ぬとわかっていたら、
きっと世界中のあらゆる人を羨ましいと思うだろう。
その人がどんなにどん底で苦しんでいたとしても、
それをすら羨ましいと思うかもしれない。
本当の本当に必死に頑張れば、人は24時間のうちにかなりスゴいことが出来る。
そこまでの必死さを出すことはなかなか難しい。
それを持続させようとしたら、ますます難しいことだ。
その必死さを出すには、時間を意識するしかない。
砂時計の砂が流れ落ちている音を、常に意識するしかない。
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横浜の、実家のすぐ近くにオープンしたスーパー銭湯に、近所に住む物部夫妻と合流して行ってきた。
物部夫妻は、昨日八景島のスパに行ったばかりだというが、それでも今日も行きたいというぐらいの銭湯好き。
自分は長風呂が好きではないので、いまいち温泉の楽しみがわからないのだけれど、ここは広くて風呂の種類が豊富なので長時間いても飽きない。
特に良かったのは、上の写真の寝ころび湯と、不感温度風呂。不感温度風呂は33~36度の、人の体温に近い温度で、熱くも冷たくも感じないという湯。これならいくらでも入っていられる。
大人数で行って遊ぶのも面白そうだ。高校時代にもし、この銭湯があったら、学校の帰りとかにみんなで寄ったりして超楽しかったに違いない。

茗荷谷の体育館でフットサルをやった。
大人数でスポーツをやることは、学生時代以来かなり久しぶりで、すごく楽しかった。
今回の主催者のむっちょりは、
「初めて会っていきなり飲みとか食事に行っても楽しいわけがない。
最初に、何かの活動を一緒にやったっていう共有体験があるから、食事に行って仲良くなれる。」と言っていた。
本当にその通りだと思う。
学生の時というのは、大人数で活動をする機会や環境が自然に与えられていたけれど、今でもそういう場を自分で作れないことはないし、意識的に作っていくべきなんだと思った。
ついに、記念すべき100巻目に到達。最初は100巻で完結される予定の話しだったけれども、内容的にはまだまだこれから先が長そうで、どこまで続くのか想像もつかない。
17年前から読み始めて、本屋で新刊を見つけるたびにまっさきに買って、読み終わっては次巻が早く出ないかと首を長くして待ち続けて、、を繰り返してきた。
巻によって内容の濃さにムラはあるけれど、100巻にわたってこれほどのクオリティーを保って小説を書き続けるというのはすごい偉業だと思う。

