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2005年09月11日

藍染めプロジェクト完結編

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ナオの藍染めプロジェクトもついに完結編。
朝から八王子に集合して、たなけんの畑に移動する。
藍の種から苗を育てて、その小さな苗を畑に植えかえた後、信じられないくらい大きく成長している。それを一本一本刈り取り、葉の部分だけを一枚一枚摘み取っていく。
気の遠くなるような作業に思えたけれども、全員総がかりでやったら予想よりもずっと早く、午前中に摘み取り終わった。

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摘んだ葉を近くに市民センターの調理室に持ち込んで、作業開始。
藍の葉をミキサーですりつぶして薬品を加えると、深緑の染液が出来上がる。
「こんな色から、本当に藍色に染まるの?」と思ってしまうけれど、染めた後に洗い流すと、元の緑の色が落ちて、とてもきれいな藍色になるのだ。

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蝋(ろう)で絵や字を書いておくと、その部分が白抜きになって柄として残るようになる。Tシャツの、脇の下の部分にワンポイントで字を書いてみた。
すごい!染まった後にもちゃんと蝋を塗った部分が字として残っている。

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(場所が調理室だったので、ついでに、カレーとナンも作った。)

2005年09月10日

押しかけ誕生日

9月10日、多苗が誕生日を迎える。
どういうパーティーにしようかと考えていたところ、「自分の企画は自分で立てる」と本人が主張するので、パーティー企画は任せることにした。

だからといって、誕生日の当日に何もしないのは落ち着かないので、アポなしで勝手に永福町の自宅に侵入し、10日の0時になった瞬間に部屋に飛び込むという正攻法(?)でいくことになった。

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当人は、裸で寝ていた。

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1時過ぎくらいに、家主である烈も帰宅して、ゆうすけ君と4人で簡単なお祝いをする。
今年の目標を尋ねるけれども、特にない様子。
でもまあ、何歳になっても、そのまま変わらずにいてくれるほうがオレは嬉しい。

2005年09月04日

座禅

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去年の暮れから、時々、鎌倉の禅寺に座禅に通っている。

座禅では、眼を閉じるでも開くでもなく、その状態でじっと何も考えずに呼吸を整える。
眼も閉じず、何を考えることもしないというのは、意外に難しい。
夏の間は、寺の本堂で外に向かって座るので、耳にはうるさいぐらいのセミの鳴き声が聞こえてくる。それで気がついたのは、セミの声に耳を傾けている時というのは、余計なことを考えずに集中するにはとてもいい状態だということだった。
冬、シーンとしている時というのは、かえって気が散って落ち着くことが出来ない。

毎回、30分間の座禅を2回やる。
その間、「数息観」と言い、自分の呼吸を数え続ける。
30分くらい、テレビを見たりしている時はあっという間だけれども、座禅の間の30分というのは、ものすごく長く思える。

師である若林和尚の話しでは、肝心なことは姿勢と呼吸の2つだけなのだという。
そのどちらもが、意識をすることなく自然に出来上がった時、理想的な心の状態が生まれる。
それがどういう状態なのか、理解するにはまだまだ時間がかかりそうだ。

2005年09月03日

音楽座ミュージカル

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音楽座ミュージカルの「21C:マドモアゼル モーツァルト」を観た。
ミュージカルというと、日本人にとってはまずその独特な様式の壁、そして言葉の壁に阻まれてしまい、体の中にすっと入ってくるということは稀だと思うけれども、音楽座のミュージカルはとてもわかりやすい。
話しの流れも、言葉も明瞭。そして踊りに勢いとテンポがあって、テンションがとても高いので、客席にまでそのエネルギーが伝わってくる。

映画の作品と舞台の作品の大きな違いは、観客へのメッセージの伝わり方だと思う。
舞台では、まったく同じ内容を再現することが出来ないという制約の代わりに、ステージ全体の呼吸が合った時に、大きなエネルギーを生み出すことがある。
音楽座ミュージカルの舞台には、細かい部分の作りこみの積み重ねによって出来た一体感があって、そこから観客に元気を与える力が生まれているのだと思った。

2005年09月02日

思いわずらうことなく愉しく生きよ

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思いわずらうことなく愉しく生きよ
思いわずらうことなく愉しく生きよ
(江國香織/光文社)

【コメント】
それぞれ違った個性を持つ三人姉妹の物語。
まったく異なった性格と価値観を持ちながらも、同じ家庭で育ったという強い共通項で結ばれていて、お互いつかず離れずの関係を保ちながら、それぞれの毎日をおくっている。
誰もが、他の誰かからしたら、どこか変わった部分を持っていて、完全には理解することはどうやっても出来ない。
それはもちろん、姉妹だからといって例外ではないのだけれど、そういうのを理屈抜きで乗り越えて関わることが出来るのが血のつながりというものなのだろうと思った。
割と長めの本だけれども、とても読みやすくきれいな文章なので、まったく長さが気にならない。
話しが終わってしまうのが惜しいような、いつまでも読み続けていたいと思える本だった。

【名言】
「来ちゃった」
わずかに遠慮がちな笑みを浮かべ、育子は言った。
「麻子ちゃん、私を追い返す?」
と。それは、育子にしかできないやり方だった。育子にしかできない、そしてそのせいで麻子には拒めない--。(p.132)

「あたしたちは約束によってつながってるわけじゃないのよ。あたしは熊ちゃんがでていかないことに賭けるしかないわ」
最後にはかなしげに微笑みさえした治子だったが、熊木には、治子がなぜ微笑んでなどみせるのか理解できなかった。(p.276)

結局のところ、すべての物事に段階がある、という岸正彰の考え方が、育子には気に入ったのだった。理由ははっきりしていて、「わかりやすいから」だ。わかりやすさこそが、育子が日々求め、信頼し、愛してやまないものだった。(p.298)