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2006年06月30日

言葉が伝わる時

忠言耳に痛しとは言うけれど、言葉の場合、苦いからといって良薬であるとは限らない。
忠告の言葉が相手の心に響くかどうかは、その言葉が甘いか厳しいかによって決まるのではなく、そこに愛があるかどうかで決まるのだ。
どれだけ理屈が正しかったとしても、正論であったとしても、それを受け容れる側が、相手に一片でも親愛以外の要素を感じれば、無意識に心を閉ざしてしまう。
それほどに微妙な機微が必要になるわけだから、文章では尚のこと、厳しい言葉を使って相手の心に本当に届くことは、お互いの間によほどの信頼関係が築かれていない限りは、まず無い。
だから、書き言葉には特に慎重にならなければいけない。その細心の配慮が出来ないうちは、言葉で人に忠告をしようなどということを考えてはいけないのだと思う。

2006年06月28日

いつでも微笑みを

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いつでも機嫌がいい状態でいたい。
ずっとハイっていうんじゃなく、中間よりもちょっと上機嫌ぐらいがニュートラルのポジションで、たまに気分が落ち込んでも、すぐにそのニュートラルに戻るような感じ。

誰かといる時に機嫌が悪いというのは、一緒にいる相手に失礼なことだ。
だから、一人でない時には機嫌の悪さを外に出さない努力をするべきだと思うし、それが出来ないような時には、一人でいたほうがいいのだと思う。

2006年06月25日

音楽座ミュージカル

「音楽座ミュージカル」という劇団の舞台を観てきました。
私がミュージカルを観るようになったのは、去年からのことです。
ミュージカルは、歌うようにセリフを話したり突然踊り出したりで、演劇や映画とは違うところがあるので、初めて観た時はかなり違和感がありましたが、その後、観劇を重ねて、自分自身がミュージカルの表現手法に慣れてきたということもあり、だんだんとその違和感を超えて、内容を純粋に理解出来るようになってきました。
ミュージカルは、言葉だけではなく、歌や踊りにも一つ一つ意味を込めるので表現にかなりの幅を持たせることが可能で、舞台全体でメッセージを発信することが出来るメディアです。

今回の作品「泣かないで」は今まで観た中で最も世界観が細部まで作り込まれた作品でした。脚本の元となっているのは、遠藤周作著の「わたしが・棄てた・女」という小説です。原作は全編が重苦しい雰囲気に包まれているのですが、音楽座ミュージカルの作品は、独自のアレンジで明るいシーンがたくさん盛り込まれているので、それと対照的に、テーマの部分がより鮮明に浮き上がるようになっています。

音楽座ミュージカルという劇団は、舞台作りと演出が素晴らしく上手い劇団です。最低限の舞台装置を使って何度も形を変えて、頻繁に緻密に場面転換を繰り返します。そのテンポの良さがあるので、単調な時間がなく、飽きることがありません。
そして、ハンパなくダンスが上手いです。舞台の前のオーケストラピットではバンドが生で演奏をしているので、壮大なフェスティバルのような迫力があり、それだけでも一見の価値はあります。

ミュージカルでは、観ていて素晴らしい!と思ったシーンでは観客は自発的に拍手をするという文化があるようで、今回の公演でも何箇所か大きな拍手が起こったシーンがあり、そこは本当に圧巻でした。
とにかく、勢いがあるので、2時間半の公演の間に舞台から受けるエネルギーの密度には、誰もが圧倒されること間違いなしだと思います。

■音楽座ミュージカル ホームページ
http://www.ongakuza-musical.com/

■内容(パンフレットより抜粋)
昭和38年に書かれた遠藤周作著『わたしが・棄てた・女』。
行き場のない焦燥感を抱える大学生と、他人の感情に
すぐに同化してしまう無垢な工員との出会いとその後を、
当時不治の病だった(現在は完治が可能)ハンセン病の
病院を絡ませて描く。
人間なら誰でも感じる普遍的な感情を、淡々と、時に鋭く
浮き彫りにした同書は、いまだ若い読者に多く読み継がれ
ている。ちなみに『泣かないで』というタイトルは、
ナチスのユダヤ収容所に入れられていた少女が、ガス室に
連れて行かれる直前に、母親を勇気づけるため壁に書いた
言葉。死を前にしてなお、他人を思いやれるか。
没後10年を迎えた遠藤周作の、それは私達への問いかけでもある。

■東京公演スケジュール
2006年7月1日(土) 東京芸術劇場 中ホール 東京 18:00
2006年7月2日(日) 東京芸術劇場 中ホール 東京 13:00
2006年7月3日(月) 東京芸術劇場 中ホール 東京 19:00
2006年7月4日(火) 東京芸術劇場 中ホール 東京 19:00
2006年7月5日(水) 東京芸術劇場 中ホール 東京 14:00
2006年7月6日(木) 東京芸術劇場 中ホール 東京 19:00
2006年7月7日(金) 東京芸術劇場 中ホール 東京 13:00/19:00
2006年7月8日(土) 東京芸術劇場 中ホール 東京 13:00/18:00
2006年7月9日(日) 東京芸術劇場 中ホール 東京 13:00
2006年7月12日(水) 東京芸術劇場 中ホール 東京 19:00
2006年7月13日(木) 東京芸術劇場 中ホール 東京 19:00
2006年7月14日(金) 東京芸術劇場 中ホール 東京 19:00
2006年7月15日(土) 東京芸術劇場 中ホール 東京 13:00/18:00
2006年7月16日(日) 東京芸術劇場 中ホール 東京 13:00

■料金
S席 9,450円
A席 7,350円
B席 5,250円

■場所
東京芸術劇場(東京都豊島区西池袋1丁目8番1号)

2006年06月23日

間違えないよう宜しく

父は定年退職した後、ヒマになった時間を使って、近所のパソコン教室に通ってパソコンを勉強している。

最初はかなりビクビクしながら操作していたけれど、ようやく使い方がわかってきたらしく、メールを普通に送れるレベルになってきて、時々近況報告が届く。

「今日はとうとう、プリンターのドライバをインストールして印刷出来るようになりました。
しかもなんと、宜晶を辞書登録したので、変換一発で出てきます。」

漢字を間違えてますから。。。

画面が見づらくて見間違えたのかなー、と最初思ったのだけれど、「いや、辞書登録の手順を考えると、明らかに違う漢字で覚えてるだろう!」と気づいた。

時々、あまり知らない人から届く年賀状で間違えて書かれることはあるけれど、親に間違えられているとは思わなかった。

2006年06月16日

日本一の人の苦楽

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まぐまぐで日本一の発行部数を誇るメルマガ「平成進化論」を発行している鮒谷さんの話しを聞いた。
「私のメルマガは日記形式ですから、毎日その場で書かないといけないので、記事をストックしておけないんです。
だから、私が倒れたら終わりなんで、ものすごい健康に気をつけて節制してますよ。疲れたらムリしないで長めに寝るようにしてますし、交通事故とかにも遭わないように気をつけてます。
周りの人からは、それって社長のやる仕事じゃないよね、なんだか効率悪い肉体労働だよね、と言われます。
でも、私はそんなことまったく気にしてないんです。私は、メルマガを発行し続けることで、数え切れないほどの恩恵を受けてますから」

自分も、ほんの半年ほどの間だったけれど、毎日メルマガを出すと決めて発信していたことがあったから、鮒谷さんの思いはよくわかる。
文章を書くというのは、一見、効率の悪い、労働集約的な作業なのだけれど、それを継続して習慣化した場合には、それを補ってあまりあるメリットがある。
色々な物事への関心が深くなるし、考えを先まで進めることに慣れることで、同じことからでも吸収出来る量が格段に多くなってくる。

2006年06月10日

チキン

超大爆笑!!!
わかるよ・・オレもプレステのバイオハザード買って、怖くて先に進められず、その日のうちに売ったことあるから・・。
http://www.youtube.com/watch?v=-G7h626wJwM

望月峯太郎の「座敷女」は、読み終わった後部屋に置いておくのがイヤで、捨てようと思って外に出たところ、TSUTAYAで友達のモリレイに出会ったので強引にプレゼントしたことがある。
向こうも拒否してたけど、オレも必死に「いいから」と言って渡した。

2006年06月08日

深夜のファミレスにて

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深夜のデニーズで、隣りに座っていた、40代半ばくらいの2人連れの男達の片方から聞こえてきた話し。
「オレは銀座が大好きだから、よく銀座に行くんだ。
高いからメシは食べないよ。ただ、街をぶらぶらとする。
銀座には毎週でも行きたくなる。銀座は行くたびに違う顔を見せる。
でも自由が丘には毎週行きたいとは思わない。それは自由が丘には文化がないから。
この街には画廊が15軒あるんだけれども、そのことを知っている人はほとんどいない。
それはこの街に責任がある。自分自身の街のことを考えて発信する人がいないから。
だから、一緒にそれをやろう。」

「文化がない」というのは面白い視点だ。勢いがある、とか、トレンディーである、ということとは別の指標として、街には文化というものがある。
ロンドンや新橋やプノンペンは、現代においてトレンドではなくても文化がある。
その一方で、トレンドではあるが文化がない街というのはたくさんあって、しかも毎年新しく作られている。
トレンドな街は簡単に作れるが、文化がある街を作るには時間が必要だ。

2006年06月02日

終戦のローレライ

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終戦のローレライ〈1〉
終戦のローレライ(福井晴敏/講談社)

これは空想の小説というよりも、緻密な調査と整然とした史観に基づいた、壮大な歴史小説であると思った。
第二次世界大戦がどういう戦争だったのか、戦時中の日本人のメンタリティーがどういうものであったのか、この本を読むととてもよくわかる。
第二次世界大戦は、人類に考えるテーマを様々と与えた戦争だった。
ナチスの異民族虐殺と人体実験、南太平洋のミッドウェー海戦での極限の飢餓状態、原子爆弾で一瞬のうちに起こる、街の消滅。戦争でしか起こりえないシチュエーションの中で、自分だったらどう行動するだろうと想像せずにはいられない。
日本にとっての「あるべき終戦」とは何だったのか。1945年8月のはじめ、日本はこの先どういうことになるかまったく想像がつかない分岐点に立たされていた。敗けることは必至ではあっても、本土決戦で1億人が全滅するまで戦うことになるのか、ソ連とアメリカとの分割統治になるのか、3つ目、4つ目の原爆が投下されて人口を調整された後にアメリカの一州となるのか。そのいずれに転んでも、まったく不思議はない状況だった。
筆者は、やたらと難しい言い回しを好んで使うので、あまり読みやすくはないけれども、その分、重厚感がある。ただの空想ではない、十分にあり得た「違った形の終戦」を垣間見れる作品だった。

【名言】
「四方を海に守られ、他国と接する国境線もなく、大規模な侵略を受けた経験もない。”他国””他民族”という言葉が持つ本当の意味から隔離されてきた国民は、人の立ち入らない入り江に棲む魚と同じで、ある日突然、銛に突き刺されて血を流す時まで、他者との間に横たわる断絶の深さ、不可知の恐怖を想像できないのだろう。
国境と民族の軋轢に絶えずさらされた結果、他者はどこまでいっても他者と断定するようになった大陸諸国の感性も、自らの優位性を保障する究極的な手段として、優生学という愚かな学問を利用した国家の思考回路も、日本人は永遠に理解することはない。」(第1巻p.171)