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2006年08月18日

自分がわからないだけ

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勧められた本を読んで、期待していたほどではなかった、ということが時々ある。
自分はたとえば、宮部みゆき氏の作品の面白さがわからない。
「宮部みゆきの小説はつまらない」と言いたくなってしまうところだけれど、それは違う。単純に、「その面白さを自分がわからない」というだけのことだ。
つまらないものが人の噂にのぼったり、ベストセラーになることはない。

世の中には面白いことがいっぱいある。
すべての学問は、それに興味を持つ人がいるから成立しているし、すべての本はそれを面白いと思う人がいるから出版されている。
どんな些細なものやニッチなものにも、それに興味をもつ人はいるもので、そう考えると面白くないものなどほとんどないかもしれない。

毎日がつまらないとしたら、つまらないのは世の中のせいではなく、自分が世の中の面白さを理解できるレベルに達していないだけだ。
感受性と理解力とを身につけている人というのは、多くの知識を持っている人以上に豊かな人なのだと思う。

2006年08月14日

決して消えないもの

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人は、一度受けた屈辱は、とても忘れにくいか、決して忘れられないようになっている。だから、他人の尊厳を傷つける言葉を吐くというのは、そのことでたとえ一瞬スッと気分がよくなったり、場が盛り上がったとしても、その代償はとても高くつく。

親子だろうと、夫婦だろうと、交わされた言葉というのは時間とともに薄れることはあっても、溶けてなくなるものではなく、澱のように沈殿をして死ぬまで消えることはない。

親しい間柄であれば許されるだろうというのは勝手な思い込みで、むしろ、親しい間柄であるほど、その関係を壊すことのないよう、細心の気を配らなければならないのだと思う。

2006年08月13日

何を信じているか

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自分は、占いやスピリチュアルなことへの関心はほとんどないし、普段気にするようなこともない。でも、神様や、あの世の存在は信じている。

存在証明は出来ないけれども、こういう風に考えている。
たとえば自動車というものが生まれるためには、その前提として、車輪や内燃機関の発明など、その前提となる文明の積み重ねがなければ起こりえない。
それと同じように、人間というものが発生するには、人間がまだ知り得ない、高度な概念の存在がその前提として必要になるだろうと思う。
それを神と呼ぶか、霊と呼ぶか、集合的無意識と呼ぶかは様々であっても、そういう高次な存在なくしては、自分自身の存在もあり得なかったと思うのだ。

神様を信じている人とは、オレは気が合うと思う。
自分の力を遥かに超えたものの存在を想像出来る人は、基本的に敬虔だ。
あの世の存在を信じている人も同様で、この世を、それとは別のものと比べて相対的にイメージするということは、今生きている人生を俯瞰して、客観的に見るということなのだと思う。

2006年08月12日

不調メモ

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ここしばらく体調が悪く、寝込んでいた。
熱が出て、頭の中の血のめぐりが止まっているように頭が痛くて、身動きが出来ない。朝目覚めたら、突然虫になっていたというぐらいの身体の変調ぶりだった。

体調が悪くなると、日々の生活のあらゆるものが刺激物として刺さってくる。テレビ番組の音はどれも耳障りに感じる。冷やされた空気は、ほんの少し肌に触れただけでも寒気がする。
すべての音を遮断して、部屋の電気を薄暗くして、ひっそりと眠ることにする。

ほとんどの食べ物を体が受け付けず、何も食べる気がしなかった。
ひたすら水ばかりを飲んで、その水を買いにコンビニに行く時には、照明とBGMと大量のおにぎりとで目眩がした。

病院でもらった薬を飲んで、痛みがおさまった後、ようやく体が食べ物を受け付けるようになった。
魚とご飯と味噌汁とキュウリと冷奴を食べる。
どれも、この上なく美味いというだけでなく、一つ一つが滋養として取り込まれているのがわかる感じがした。
食べられるということは、本当にありがたい。
すべての思考や活動や幸せは、健康の上に成り立っているのだと思った。