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2007年09月30日
TSUTAYAで最も借りるべきアルバム
最近は、気に入った曲はアルバムではなく、1曲単位でApple Music Storeからダウンロードして買うことが多くなったので、CDを買うことはもちろん、TSUTAYAでCDを借りることもあまりなくなった。
1曲単位で買えるというのはオンライン購入の大きな強みだけれど、TSUTAYAで借りたほうが圧倒的にお得なものがある。「ベスト盤」のように、複数のCDがセットになっている商品だ。TSUTAYAは、CD何枚組みだろうと一つのアルバムとして扱うので、レンタルの値段は変わらない。
中でも、クラシックは著作権が切れているので作りやすいためか、多くの種類のベスト盤が発売されている。これはTSUTAYAを利用しない手はない。
この「クラシック ベスト103 オン・ムービー」は、7枚組のCDに、数々の名作映画で使われていたクラシック音楽103曲が、映画の解説つきで一つのパッケージに凝縮されている。
これで1週間レンタル300円というコストパフォーマンスにはびっくりする。
2007年09月29日
世界一の一覧
ウィキペディアに「世界一の一覧」という項目がある。
眺めているだけで、かなり面白い。
特にびっくりしたベスト3。
・世界一不規則動詞が多い言語は「英語」で283個。
・世界一激しい悪臭を発する物質「エタンチオールおよびn-ブチルセレノメルカプタン」。腐敗した野菜、焦げたトースト、下水道を混合したような悪臭を発する。
・1文字の画数が世界一多い文字は「
」で84画。「たいと」「おとど」と読む。日本の苗字として使われる字であるらしい。拡大すると

かっこいい・・。
趙雲子龍っぽいところもいい。
2007年09月28日
等価交換の法則
「鋼の錬金術師」では、錬金術の最も基本的な法則は「等価交換の法則」であると言っていて、それが作品の最重要テーマにもなっている。
何かを得ようとするならば、それと等価の何かを捨てなければならない、ということだ。
このことは、現実世界においても同じことなのだろうと思っている。
何かが上手くいっている人は、それと丁度釣り合う分だけ、何かについては上手くいっていない。逆に、何かがダメな時は、それと同じ分、他の何かは順調にいっている。
そのバランスは、目に見えるものだけでなく、たとえば身体や精神の健康のような、目には見えないものも含まれているから、とても気づきにくいのだと思う。
もし、すべてが上手くいっているように見えるとしたら、それは危険な兆候かもしれず、他ならぬ「命」を削っているということかもしれない。
だから、「自分が欲しいもの」を知るだけでなく、「自分が捨ててもいいもの」を知っておくことは、とても大事なことなのだ。
荷物を積みすぎた船は、沈む。
バランスを取るためには、何かを得ようとする前に、先回りをして、みずから何かを捨てていかなければならない。過積載になった時に、積荷を捨てることを惜しむと、船そのものが沈んで、積荷も人命もすべてが失われてしまう。
すべてを上手くいかせようとすることは、結局のところ、一番の下策なのだろうと思う。
2007年09月27日
今日の街角ボイス
自由が丘の「月の雫」から、飲み会が終わった後の大学生がぞろぞろと出てきて、店の前でたむろし、後輩らしき男が幹事をしていた。
後輩「じゃあ、ここでいったん締めます。こういう時はやっぱり、三本締めっスかね?」
先輩「いや、お前のオリジナルを見せてみろよ」
後輩「・・・じゃあ、二本締めで」
先輩「それ、ちょっとやり方レクチャーしてみて」
後輩(腰を軽くひねって、パンパンッと手を叩く)
周り「クッ・・(苦笑)」
2007年09月26日
全自動マリオ
スーパーファミコンのマリオで、ステージを好きなようにエディット出来るツールがある。
作り方によって、すごく長いステージや、超難度のステージを作ることも出来るが、工夫次第でさらなる楽しみ方も出来る。
その一つが「全自動マリオ」。
ステージがはじまった後、一切のコントローラ操作なしで、敵を巧みにかわしながらステージをクリアするまでの動作が自動でおこなわれる。
緻密な計算に基づいた設計と配置は、まさに芸術。
2007年09月25日
秋が好き
四季でどの季節が一番好きかを尋ねると、秋と答える人はあまりいない気がする。
自分は、秋が一番好きだ。
正確にいうと、秋の後半から冬のはじめ頃が一番好きだ。
・暑くも寒くもない
・夜が長い
・虫が出ない
・祝日が多い
・食べ物がおいしい
いい季節になった。
2007年09月24日
フューチャリスト宣言
梅田望夫・茂木健一郎という組み合わせがまず良い。どちらも、独自の視点と思想を持って、それを言葉で表現するのが上手い人なので、その二人の対談となると、相乗効果で、更に面白い話しになってくる。これは組み合わせの妙であると思う。
大筋のテーマはありながら、その場その場で、思わぬ方向に話しが飛んだり、まったく新しい視点からコメントがあったりして、読んでいてとても臨場感があった。一人の人が論文調に書く話しは、まとまっていてわかりやすいという利点はあるけれども、対談形式にもまた、意外な展開に進んでいくライブ感を味わえる利点があるのだと思った。
【名言】
インターネットは、かつてない自由な可能性を秘めた学びの場である。ネットは、たとえ入試に落ちても、学校という「クラブ」に属さなくても、カントの古典的な著作をドイツ語で読んだり、出版されたばかりの宇宙論の論文を読む機会を与えてくれる、古典的な成果から最先端の知見まで、様々なことを検索し、多くの場合、無料で学ぶことができる場がインターネット上に出現している。いまや、世界の最高学府は「東京大学」でも「ハーバード大学」でもない。それは、ネット上に存在するのである。(茂木)(p.14)
ITの世界には昔からずっと、こういう何かの芽は大きな筋として正しければかならず育つんだという確信がある。日本には存在しない感覚であり、それが良き大人の態度なんです。筋が良いけれどまだ小さい芽に対して、欠点をあげつらって近視眼的に叩くようなことを言えば、言っているとき少し利口に見えます。でもいずれ必ずしっぺ返しを喰う。(梅田)(p.48)
僕は、インターネット時代には、逆説的ですが、古典的な教養というものが、復活するんじゃないかという気がしています。総合的な視座が求められる世になるから、かえって、それこそ孔子だとかゲーテだとか、総合的な知を実現した人たちに関心が再び向かうだろうというのが僕の直感です。(茂木)(p.148)
私たちはいま、時代の大きな変わり目を生きている。それは、同時代の権威に認められるからという理由だけで何かをしても、未来から見て全くナンセンスなことに時間を費やし一生を終えるリスクを負っている、ということだ。(梅田)(p.207)
2007年09月23日
google AdSenseの広告が英語で表示されてしまう時の対策
google AdSenseの広告を表示する時、管理画面上のウィザードで生成されたJavaScriptコードをそのままページに貼り付けると、常に英語の広告のみが表示されてしまう。日本語の広告が表示されるようにするには、生成されたコードに言語指定を手動で追加する必要がある。
具体的には、スクリプトの先頭の
<script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-0123456789012345";
の部分に、
<script type="text/javascript"><!--
google_language = "ja";
google_ad_client = "pub-0123456789012345";
の一行を追加する。
管理画面のウィザードの中に「言語指定」のオプションがあっても良さそうなものなのに、何故かそれがないというのは面倒な話しだ。
2007年09月22日
葉桜の季節に君を想うということ
ジャンルとしては「本格ミステリ」ということになるらしい。ミステリの定義はよくわからないけれど、読み進むにつれて読者に真相が明らかになっていく構造になっている小説、ということになるのだろうか。
読み終わってから振り返ってみた感想として、とても面白く、よく出来た話しだったと思う。ミステリというジャンルだったからといって、その謎解きに意外性があるというだけでは、個人的にはあまり評価の対象にはならない。
この作品は、それだけではなく、希望を与えるテーマを持っていた。タイトルのつけ方もセンスがいい。「このミステリーがすごい」などの各セレクションや、各賞で好評を得た作品らしいけれども、ミステリという枠でのみ評価されるにはもったいない、挑戦的な小説だと思った。
【名言】
そうなんだよな、みんな、桜が紅葉すると知らないんだよ。赤もあれば黄色もある。楓や銀杏ほど鮮やかではなく、沈んだような色をしている。だから目に映えず、みんな見逃しているのかもしれないが、しかし花見の頃を思い出してみろ。日本に桜の木がどれほどある。どれだけ見て、どれだけ誉め称えた。なにに花が散ったら完全に無視だ。色が汚いとけなすならまだしも、紅葉している事実すら知らない。(p.466)
2007年09月21日
オモロ検索エンジン
どこいらへんが「オモロ」なのかよくわからないけれども、一つ、面白いと思ったのは、「今検索されているキーワード」がリアルタイムで常に表示されているということ。

今のトレンドの単語から、まったく意味がわからない単語まで、ひたすら表示され続けるさまは、なかなかシュール。
ページ右上のアイコンをクリックすると、パックマンみたいなものが画面の真ん中に表示される。なんだかよくわからないセンスだ。
2007年09月20日
私家版・ユダヤ文化論
ユダヤ人というのは、つくづく不思議な民族だと思う。
何故ユダヤ人は繰り返し迫害されてきたのか、という問いに対して、一番政治学的にもっともらしい答えは、「社会的弱者を用意することで、下層市民の不満を緩和するため」、という答えだ。自分も、それが妥当な理由なのだろうとこれまで思っていたのだけれど、ユダヤ人というのは、それだけでは説明がつかない、更に考察が必要なシチュエーションにあるらしい。
ユダヤ人は、たびたび迫害の対象にありながら、経済・文化の要の位置にはかならずといっていいほどユダヤ人の存在があり、きわめて多くのノーベル賞学者を輩出している。その割合の多さは、他民族と比べて突出して多く、もはや偶然では片付けられない数字になっている。
筆者は、「これまでに明確な回答といえるユダヤ人論はなかったし、自分自身も明確な回答を述べられるつもりはない」としながらも、丹念にユダヤ人の特性について一つ一つ検証を進めていく。そこから導き出される結論はとてもシンプルで、そこに至るロジックも筋が通っていて、とても腑に落ちる総括の仕方だった。(ただ、「私家版」という修飾をタイトルにわざわざ加えたのは無用のことで、そんな看板はつけないほうがよかったと思う。)
読みながら思ったのは、諸行無常の思想を、常に身をもってシビアに実感しているのがユダヤ人という民族なのだということだ。
普通の市民であれば、ごく自然にどこかの国民として生活をし、無意識的にアイデンティティーを得ているところを、そもそものアイデンティティーを獲得するところから自分自身で始めなければならない。
このことの最も大きなアドバンテージは、考えるという行為をとことんまで追求するのに適した環境を生来的に持っているということだろう。
ユダヤ人ならざる身では、本当のところは理解出来ないのかも知れないけれども、その独特な成り立ちについてかなり詳しく説明されている本だった。
【名言】
その問いは「人間が底知れず愚鈍で邪悪になることがある」のはどういう場合か、という問いにも書き換えることができる。経験的に言って、人間はまったく無動機的に愚鈍になったり邪悪になったりすることはない。私たちはそうあることを熟慮の末に選んでいるのである。(p.7)
「ユダヤ人」ということばについて私たちがまず踏まえておくべきことは、それを中立的・指示的な意味で用いることがほとんど不可能だということである。私たちは「ユダヤ人」という社会的集団名称を辞書的意味に限定して用いることができない。私たちはつねに何らかの価値判断込みでしかこの語を用いることができない。(p.20)
人々の怨嗟や憎悪を一身に集めてしまう被差別集団はあらゆる社会に存在する。ユダヤ人もまたそのような集団の一つである。ユダヤ人が存在しない集団では、別の任意の小集団が(例えば黒人が、例えばツチ族が、例えばセルビア人が・・)「供犠」対象に選ばれる。その集団が社会の悪のすべてを集約的に表現しており、その集団さえ根絶すれば社会は再び原初の清浄と活力を回復する、そういう種類の「物語」は世界中どこにでもあったし、今もある。それがある社会の構造的な矛盾を隠蔽して、国民統合を成就することのできる「ソリューション」である限り、シニックな政治家たちはこれからも政治的選択肢の一つとして人種差別を繰り返し政治的に活用するだろう、というのが科学的なタイプの供犠論である。(p.165)
さしあたりこのようなリストから導き出せるのは、かなりシンプルな言明である。それは「ユダヤ人たちは多くの領域でイノベーションを担ってきた」ということである。私たちが問題にしているのは、あくまで「程度の差」なのであるが、「程度の差」と言って済ませるには、ユダヤ人がかかわってきた文化的領域はあまりに広大であり、彼らがなしとげてきたイノベーションはあまりに多種多様なのである。(p.177)
ユダヤ人たちが民族的な規模で開発することに成功したのは、「自分が現在用いている判断枠組みそのものを懐疑する力と、『私はついに私でしかない』という自己緊縛性を不快に感じる感受性」である。(p.178)
個別的・歴史的なエスニシティやナショナリティを脱ぎ捨てて、「端的に人間的であることを目指すのは、諸国民のうちただユダヤ人だけである。だから、ユダヤ人は「端的に人間的であろうとする」まさにそのみぶりによって、彼だけがユダヤ人であることを満天下に明らかにしてしまうのである。(p.197)
私たちがユダヤ人について語る言葉から学ぶのは、語り手がどこで絶句し、どこで理路が破綻し、どこで彼がユダヤ人についてそれ以上語るのを断念するか、ほとんどそれだけなのである。(p.233)
2007年09月19日
海外で日本の仕事をするとしたら
日本以外にいながら、日本にいるのと同じように仕事をする、という生活がどこまで現実的か、シミュレーションしてみる。
携帯がそのまま海外で使えて、インターネットに接続出来る場所にいれば、メールと電話での連絡は普段と同じように出来るので、その点での不都合はなくなる。
大きいのは、時差の問題だ。アメリカとヨーロッパで考えると、
アメリカ西海岸との時差は、日本時間から+8時間。
フランスとの時差は、日本時間から-8時間。
仮に、9時から17時を仕事時間のコアタイムとして、日本時間に合わせて仕事をすることを考えると、アメリカでは17時~25時、ヨーロッパでは深夜1時~9時に仕事をすることになる。

仕事をしつつ、現地で生活をするということを考えると、深夜の時間に起きて仕事をするというのは、ちょっと厳しい。夜中に起きているということは、その分昼間に寝なくてはいけないということで、いろいろと不便がありそうだ。
だから、寝る時間は、きちんと現地時間にあわせて眠れるようにしたい。そう考えると、海外に場所を移して日本の仕事をするという前提なら、やりやすいのはヨーロッパよりもアメリカなのだろうと思う。
2007年09月18日
CRISIS CORE -FINAL FANTASY VII-

CRISIS CORE -FINAL FANTASY VII-(SQUARE ENIX/PSP)
これはもはや、ゲームというよりも、映画を観ている合間に、そのおまけとしてミニゲームがはさまれているもの、という感じだった。
そのミニゲームというのは、大半がバトルモードなのだけれど、これが、ほとんどボタンを押しているだけでいいような単調な内容で、ないほうがマシなくらいのものだった。
序盤でいきなりバハムートが出てきて、しかも、自キャラクターが初期レベルにもかかわらずメガフレアをくらっても死なず、あっけなく勝ててしまうという、むちゃくちゃなバランス。
ただ、映画として観ると、その映像のクオリティーはハンパなく高い。PSPというポータブル機でここまでの表現が出来るということが、ただただ驚きだ。
そして、画面のインターフェイスや細かいパーツも、とても洗練されていて、たとえばホームページをデザインする時にも応用出来そうな、参考になる部分が多かった。このあたりは、さすがのノウハウを感じさせる。
魔晄炉や神羅カンパニーといった、FF VII独特の世界観はハイクオリテォーになって完璧に再現されていて、それを眺めるだけでも、価値がある作品だと思う。
2007年09月17日
人ごととして考える
誰かの悩み事に対して意見をしたような時、「人ごとだと思って(適当なこと言って)!」と、本人からしかられてしまうような場面がある。
そういう時はたしかに、無責任に、思いついたことを言っただけということがほとんどと思うのだけれど、それだけに、客観的な立場からの視点として、意外と的を射た意見であることが多いのではないかと思う。
それからすると、自分自身の悩み事も、いったん「人ごとだと思って」考えることにすると、割と冷静に状況が見えて、解決策が浮かんでくるものかも知れない。
2007年09月16日
ママは働いたらもっとスゴイぞ!
初めての子供を育てるときは、あらゆることが、初めてのことばかりだ。
でも、その中の多くのことは、自分にとっては初めてでも、既に子供を育てたことがある人には、当たり前のようになってしまっていることなのだろうと思う。
初めての子育ての時、実際に子育ての経験がある人の話しというのは、とても役に立つ手引きとなるだろう。そういう知恵をまとめたものが、この本だ。
仕事をしながら2人の子供を育てた著者が、実体験から得た気づきを「時間術」「家族」「バランス」などのテーマごとにまとめている。1つの項目につき2ページずつの小さな話しに収められていて、短い時間の合間にも読みやすい。
特に良かったのは「幸福感」をテーマにした章だ。専業主婦をしていて子育てだけをしていたり、社会との接点を持つ時間が少なくなってしまうと、「どうして自分だけが」という気持ちになりやすいのだろうと思う。そういう時、どこに幸せを見出すか、どのようにして気持ちを変えていくかについて、著者自身の経験を元に、自分はどう考えて、どう変わってきたかが書かれている。今子育てをしている人はもちろん、まだ子供がいない人にとっても、気づきがたくさんある本だと思う。
【名言】
保育園に子供を預けて働く場合、働いた給料の多くは保育園代に消えます。でも「どうせなくなるのだったら、ムダだからやめよう」というのは、もったいないことです。たとえ、給料の大半が保育園代に流れたとしても、いったんは自分に入ってくるのです。自分でお金を稼ぐと、自信が出てきます。(p.94)
私の現在の家庭は、「理想の家庭」とは違います。漫画の「サザエさん」みたいに食卓を囲んでわいわい話しながら食べる夕食が私の理想なのに、なぜか夫は忙しいビジネスマンだったからです。結婚当初は「こんなの理想と違う」がケンカのはじまりでした。でも、2人目の子供ができたあとくらいに、「幸せだなあ」と心底思ったときがありました。理想どおりじゃないのに、幸せなのです。このとき、私は「理想=幸せ」と思い込んでいたことに気づいたのです。理想は理想、幸せは幸せ。幸せは、理想と違う今を否定しなくなったとき、感じられます。今あるこの状況でいかに幸せを感じられるかが、大事なんですね。(p.115)
2007年09月15日
NANA 18巻
ここしばらくの巻、巻末に、サブキャラクターを主人公にした話しが外伝として載せられている。本編よりもむしろ、この外伝のほうが格段に面白い。18巻の外伝の主役は、タクミ。
物語には当然、中心となる主人公がいて、それを取り巻く様々な登場人物がいるのだけれど、その一人一人をあまり大きくクローズアップしてしまうと、焦点がボケてわかりにくくなってしまうので、普通は、主人公の視点を追う形で物語は進められる。だからといって、サブキャラクターをないがしろにすると、話しの奥行きはとてもに薄っぺらいものになってしまう。
外伝が作れるということは、サブキャラクターに至るまでキャラクターがきちんと作りこまれているということだ。その点、このNANAという作品は、ストーリー自体は、先に進むにつれどんどん意味がわからなくなってきているものの、キャラクターの作りこみは細かく練られている。
もし将来、自分が物語を書くことがあるとしたら、その本編から、たくさんの外伝が生まれるような物語を作ってみたいと思う。
2007年09月14日
りんどくん
りんどくんは、今、一緒に仕事をしているパートナーだ。
仕事の能力というのは、今、どれだけの知識とスキルがあるか、ということも大事だけれど、それよりももっと大事なのは、この先どれだけ伸びる可能性を持っているのか、ということだと思う。
そして、どれだけ伸びるかは、どれだけ素直であるかということにかかっている。
りんどくんの特筆すべき長所は、なによりも、素直なことだ。
彼からは、「それをやることに何の意味があるんですか?」というような言葉を聞いたことがない。
常に、自分がやっていることの意義を納得するまで行動を起こさないということも一つのスタンスではあると思うけれども、それは、他人が自分を納得させない限りは動かないという、傲慢な考えでもあると思う。
人の意見を素直に容れる人は、人から教わる機会も多くなるので、そこには知恵が集まる。素直であるというのは、大きな才能だ。
2007年09月13日
ストックしないことが重要
本は、買ったその日のうちに読み終えて、感想を書くところまで終わらせる、というのがベストだ。
買った直後が、一番その本を読みたいというモチベーションが高い時だし、読み終わった直後が、一番その内容が鮮明に頭の中に残っているからだ。
本屋に行くと、買いたい本がたくさん目について、まとめ買いをしたくなる時がある。
ここで、選択は2通りに分かれる。
1)その日のうちに読みきることはあきらめて、買いたい本をすべて買う
2)すべての本を買うことはあきらめて、その日のうちに読みきれる分だけを買う
今まで、「買いたいと思った本が、次に来た時になくなってしまっている」というリスクを回避するために、1)の方法を採用して、買いたいと思った本はすべて買うことにしていた。
でも、本を買った後に放置をして、読むまでに時間が空いてしまうと、買った直後と比べてモチベーションは格段に下がってしまう。
だから今は、その日に読みきれない量を買うことは抑えて、2)の方法をとって、一番読みたいと思う本から順に、読みきれる分だけを買う、ということにしている。
なんでこう思うようになったかというと、あらゆることは、ストックの状態ではなく、フローの状態にしておくことが理想だと思ったからだ。
水は、貯めておくと腐る。でも、少しずつでも流れ続けている水は腐ることがない。常に循環させることが重要なのだ。
その日にインプットしたものは、その日のうちにアウトプットまで完結させる。そして、それを毎日積み重ねる、というのがいい。
2007年09月12日
大きな平面を表示するインターフェイス
googleマップのインターフェイスを使って、ファイナルファンタジーの地図を閲覧出来るページ。
![]()
http://maps.smartnetwork.co.jp/view?m=1
これは使いやすい・・。
googleマップのインターフェイスは、地図はもちろん、たとえばマインドマップのような、一続きの大きな平面を使う内容の表示にも活用出来そうだ。
2007年09月11日
さよならだけが人生か
誰が勝ち組で、誰が負け組か。
何を為した人生が成功で、為さなかった人生が失敗か。
基準はいろいろとあるに違いないけれど、
やがては誰もが死にゆく定めであるという観点からすれば、
あまねくすべての人生は失敗であるという見方も出来る。
それでも一筋の光明があるとするならば、すべての人のすべての失敗は、何らかの形で、この先、自分がいなくなった後にもずっと続いていく未来の糧となる失敗であるということだ。
そういう観点からすれば、
あまねくすべての人生は成功であるという見方も出来る。
2007年09月10日
さくらインターネットでのmySQLデータ自動バックアップ
さくらインターネットのレンタルサーバは、共用サーバながら、データベースとしてmySQLを使用することが出来る(ライトプランを除く)。
専用サーバを用意しなくても、安価に手軽に、データベースを使ったwebサービスを構築出来るという点で、とても便利なレンタルサーバプランだ。
本格的にwebサービスを運用しようとする場合には、データの保全のために、データのバックアップは毎日とっておきたい。
そこで、さくらの共用サーバでの、mySQLデータの自動バックアップの設定方法を説明する。
mySQLのバックアップは、mysqldumpコマンドを実行することで行う。
さくらインターネットの共用サーバは、webサーバとDBサーバが別のマシンになっているので、実行の際のオプションとして、ホスト名の指定も必要になる。
mysqldumpコマンドの書式は下記の通り。
mysqldump データベース名 -uユーザ名 -pパスワード -hホスト名 > ダンプファイル名
それぞれの項目を、自分の利用するサーバの設定に合わせて変更する。
例)mysqldump database -usuisho -pABCD1234 -hmysql25.db.sakura.ne.jp > /home/suisho/sqlbackup.txt
このコマンドが定期的に実行されるように設定をする。
さくらインターネットはcronの使用が可能なので、コントロールパネルにログインして、「CRON設定ファイルの編集」メニューを選択する。
ここで一つ問題があり、コントロールパネルからcronに登録出来るコマンドの文字数の上限が50文字となっているため、上記のコマンドをそのまま登録することが出来ない。
そこで、別途、バックアップコマンドを実行するためのシェルスクリプトを作成しておき、そのスクリプトをcronから実行させる形にする。
ここでは、「backup.sh」というシェルスクリプトを作成し、下記のフォーマットで内容を記述する。(1行目に「#!/bin/sh」と書き、2行目にmysqldumpコマンドを書く)
#!/bin/sh
PATH=/bin:/usr/bin:/sbin:/usr/sbin:/usr/local/bin
mysqldump database -usuisho -pABCD1234 -hmysql25.db.sakura.ne.jp > /home/suisho/sqlbackup.txt
この「backup.sh」を、サーバ上にアップロードするが、その際、wwwフォルダ以下は、web経由でアクセスが可能になってしまうため、wwwよりも上位のディレクトリに設置するのが望ましい。ファイルのアップロード後、cronからコマンド実行が可能なよう、パーミッションを777に変更する。
例として、/home/suishoディレクトリに「backup.sh」を置いた場合は、コントロールパネル上で、
/home/suisho/backup.sh
をcronに実行コマンドとして設定する。
これで、指定した日時にmysqlデータの自動バックアップを実行することが可能になる。
2007年09月09日
マスコミがてのひらを返す前に
今、スピリチュアルブームの追い風に乗って、「オーラの泉」がゴールデンタイムに大きく放映されているけれども、状態としてはかなり特異なことなのだろうと思う。
深夜にひっそりと放映されるなら、社会への影響力もまだ小さく済むけれども、ゴールデンタイムに、大衆が同時に見るとなると、影響力はかなりの大きさになる。
スピチュアル・カウンセリングというマニアックな分野をテレビ局が容認して、看板番組にしているというのは尋常ではない事態で、いずれは、その反動が必ず来るのだろうと思う。
マスコミは、いっとき「時の人」として大きく持ち上げては、その直後に、てのひらを返したように一斉にバッシングをするのが常だ。
ホリエモンが、逮捕をきっかけとして、すべてのマスコミから一斉に叩かれるようになったのと同じように、江原さんも、何か一つの出来事をきっかけとして、あっという間に批判の対象となるような気がしてならない。
個人的には、そのようなかわいそうなことになってほしくはないから、一区切りついたところでテレビなどに出るのはやめて、ひっそりと、マスコミから遠く離れたところで静かに暮らしてほしいと思っている。
2007年09月08日
ミッドタウンd-labo
東京ミッドタウンの、ミッドタウンタワー7階に「d-labo」というスペースがある。
スルガ銀行が運営している、利用無料の図書館・ギャラリーで、時々そのスペースを利用して講演会なども開催されている。
図書館スペースには、銀行と関連した「お金」「暮らし」などのテーマ別に、厳選された本が置かれている。この本のセレクションがとても素晴らしく、名書・良書ばかりなので、ここにある本を順に読んでいけば、かなり密度の濃い読書が出来ると思う。
一冊一冊の本には、電子タグが貼り付けられていて、本を書見台に置くと、その本の情報を読み取って、小型ディスプレイに本の解説や、その本に関連した他の本がおススメとして表示されるようになっていて、読書の楽しみがますます広がる仕掛けになっている。
さらにこのd-laboには、バーカウンターがあって、本を読んでいると、スタッフの人がコーヒーなどの飲み物を持ってきてくれる。部屋の中央には、google Earthを表示した103インチのプラズマディスプレイと、それを操作するための特注の地球儀インターフェイスもあり、とにかくセンスがいい。
スルガ銀行が運営してはいるけれども、その営業や勧誘のパンフレットは一切置いていない。運営企業がどこなのかということすら、どこにも書いていないのでわからない。そういうところも洒落ていると思う。
かなり目立たないところにひっそりとあるので、通りすがりの人が入るということはほとんどないと思うのだけれど、こんないい場所を利用しない手はない。
ミッドタウン散策に疲れた時に一休みするのにも丁度いい場所だ。
2007年09月07日
スーパープレイ
YouTubeで「スーパープレイ」というキーワードで検索した結果のうち、心の琴線に触れた動画ベスト3。
1)プロ棋士がNHK杯将棋で二歩
「あー、打っちゃったよ・・」という解説のセリフと、対戦相手の、何ともいえない困惑の表情が最高。
2)マリオの音楽をギターで演奏
コインやジャンプの効果音が激しく似ている。
3)槍使い
一歩間違えば大怪我をしそうな、死と隣り合わせの演武。中国三千年の底力を感じさせる。
2007年09月06日
地球のホメオスタシス
地球の平均気温は、この100年間で3度上昇したという。
気温上昇は人間のせいかも知れないし、あるいは、過去に何度も起こってきた地球の気温変化の範囲内の出来事なのかもしれない。
地球がピンチだ、環境問題をもっと考えよう、という人がいることも正しいと思うし、相変わらず環境問題に何の関心もはらわずに生活し続ける人がいることも正しいと思う。
地球にも人間にも、ホメオスタシス(恒常性)を保つ力がある。
傾いたバランスは、短期的にはどちらかに偏っているように見えるけれども、よほどクリティカルなブレでない限りは、長期的にはきっとバランスを取り戻すのだろうと思っている。
3度の気温の変化を大きいと見るか、小さいと見るか。
それは人によって意見が異なるだろうが、自分は、地球のホメオスタシスは、人のそれとは比べ物にならないくらい底知れぬ力を持っていると信じている。
2007年09月05日
時間関数
あらゆる仕事のプロフェッショナルが共通して持っているものは、「時間関数」なのだと思う。
時間関数というのは、言葉を変えれば、「今のままいくと、数秒後、どうなっているかを予測する力」だ。
人を案内するような時、小さな段差に気づいて、その段差に気をつけるよう、あらかじめ注意するようなことも、時間関数の為せる技。
野球選手が、フライの落ちる場所を予測してそこに走り、後ろを向いたまま補球するようなことも、時間関数の為せる技。
これはもう、センスとしか言いようがない能力と思うのだけれども、きちんと動作する「時間関数」を自分の中に持っていれば、そこに「状況」と「時間」を入力すれば、あらゆる場面で、近い未来の予測が出来ることになる。
そういう時間関数の持ち主は、何の職業に就いても、優れた仕事をするのだろう。
2007年09月04日
寄生獣
この「寄生獣」というマンガは、「やるか、やられるか」というアクションサスペンスが基調になってはいるけれども、それだけで終わる単純な話しではなく、物語のテーマにはとても哲学的な命題が含まれている。
人間は常に、食物連鎖のピラミッドの頂点にいて、他のあらゆる生き物を食べ物としてきた。寄生獣は、そんな人間にとって史上初めて現れた「天敵」である。人間よりも明晰な頭脳を持ち、優れた運動能力と適応能力を備えている。
寄生獣が人間よりも、食物連鎖の構造において上位にいるのであれば、人間を殺して喰らうことに何の問題があるのか。
主人公の新一の右手に寄生をした「ミギー」は、寄生獣ではあるが、中途半端に寄生をしてしまったために、宿主である人間とも共生をしなければならないという事情を抱えている。
半分寄生獣、半分人間という、ニュートラルな立場であるミギーは、冷徹といってもいい、合理的な思考をする。
ミギーと新一とは、助け合って寄生獣の襲撃をかわし続けるのだが、ミギーが新一に協力をするのは友情からではなく、「宿主が死ねば自分も死んでしまうから」という、極めて利己的な理由からだ。
神の目とも言うべき、ミギーの客観的な視点の前では、善悪の区別も明確なものではなくなる。それでも新一は、ヒトという種のために一人、ヒトを捕食しようとする寄生獣と孤独に戦い続ける。とても様々なことを考えさせられる物語だ。
【名言】
「人の命ってのは尊いんだよ!」
「わからん・・尊いのは自分の命だけだ・・。わたしはわたしの命以外を大事に考えたことはない。」(p.88)
「シンイチ・・『悪魔』というのを本で調べたが・・いちばんそれに近い生物はやはり人間だと思うぞ・・。
人間はあらゆる種類の生物を殺し食っているが、わたしの『仲間』たちが食うのはほんの1~2種類だ。質素なものさ。」(p.90)
2007年09月03日
調子がいい時は要注意
調子がいい時、というのは要注意だ。
ヘコんでいる時は、人は繊細になり、客観的になる。
調子がいい時には、その逆の状態になりやすいということだ。
だからよほど気をつけないと、調子に乗っているとき、人は醜くなる。
他人の痛みに気がつきにくい。
余計なことを言い過ぎて、一言多くなる。
実際以上に大きくみせようとしたくなる。
なので、状態としては、
少しヘコんでいるぐらいがちょうどいい。
2007年09月02日
真剣に訊く
「あなたの夢は何ですか?」というのは、聞きやすく、答えにくい質問だ。
同じように、「(この前行ってきた)旅行はどうだった?」「仕事って何だと思う?」「最近どう?」というような、漠然とした質問はすべて、聞き手よりも、答え手に負荷をかける問いだ。
質問がもっと具体的であれば答えやすくなるところを、質問を具体的にするという作業から相手にゆだねてしまっている。
自分が人にものを尋ねるのに、自分が楽をして、相手に負荷をかけるというのはとても失礼な態度だ。抽象的な質問をするからには、少なくとも、聞き手は自分なりの見識なり回答を持っていることが最低条件だ。
聞き手がはっきりとした意見を持ってないことについて人に質問するというのは、自分の頭で考えずに丸投げしてるのと同じで、怠慢な態度だと思う。
真剣に何かを相手に尋ねたいのであれば、自分もそれなりの対価を払う必要がある。それはつまり、相手が考える以上の量を自分も考えた上で問いを発するということだ。
2007年09月01日
終末のフール
いつか来る死を意識するからこそ、人は、残りの人生を有意義に生きようと思うのだろう。でも、みんなが一斉に死を意識してしまったら、社会はなりたたなくなってしまうかも知れない。
みんなが、今日はまだ自分は死なないだろうと思って、きっと明日も死なないだろうと思っているからこそ、将来に向けて勉強をしたり、貯蓄をしたり、就職活動をしたり、いろいろな計画を立てたりして、世の中はまわっている。
重要なのは、あとほんのわずかな余命だとわかってしまった時に、はたしてどう行動するのか、ということだ。
そこにこそ、その人の本当の人生観は現れるのだろうと思う。
それでも、変わらずに今やっていることを続けるだろうと思えるのであれば、それは、今、いい人生を生きているという証なのだという気がする。
「終末のフール」は、もし、地球があと3年で滅亡してしまうとしたら、という古典的テーマにもとづいて構成された8本の短編のオムニバス。それぞれの短編は、ゆるやかに微妙なところでお互いにつながりあっていて、伊坂幸太郎らしいトリックがちりばめられた作りになっている。
地球の滅亡を目前にして、果たしてこういう行動をとるものだろうか?という違和感があって、あまり登場人物に共感出来る話しは多くなかったけれど、そこはフィクションとして考えれば、ほのぼのとした後味の良い内容ばかりだった。
【名言】
どっちも正解。どうしたら子供のためになるのか一生懸命に考えて、決めたなら、それはそれで正しいと思うんだよねえ、わたしは。外から見てる人はいろんなこと言えるけどね、考えて決めた人が一番、偉いんだから。(p.246)









