» 2007 » 10月のブログ記事

人間自身考えることに終わりなく
人間自身考えることに終わりなく(池田晶子/新潮社)

池田晶子さんは、今年の2月に急逝した。
そのあまりに早い死に、愕然として訃報を聞いた。
いつか、一度は話しをしてみたいと思う人だった。
つい近年、「14歳の哲学」という本が売れたことで名が知れるようになったけれど、それ以前は、ひたすら自分の思索を追及して、流行にのるようなことをせず、したがってまったく無名であり続けた人だった。
彼女のことを知ったのは、大学時代、石井が「帰ってきたソクラテス」という本を貸してくれたことが始まりだった。そこには、それまでに触れたことがない、まったく新しい思想とロジックが満ちていた。
「考える」とはどういうことなのか、「生きる」意味とは何なのか、そういった本質的な事柄を根本から見直すきっかけを与えてくれた本だった。もし、大学時代に彼女の言葉に出会っていなかったら、その後の自分の人生も、少なからず変わっていたに違いないと思う。
この「人間自身考えることに終わりなく」という本は、池田さんが死の直前まで連載をしていた文章を集めた、遺作ということになる。相変わらず、言っていることは昔とまったく変わっていない。ただ一つのことを、彼女は言葉を変えながら、ひたすら言い続けていたのだ。
もう新刊が読めないのは寂しいことだけれども、彼女の思想の形は、自分の中にインストールされて、いつでも取り出せるところに入っている。これからも自分はずっと、その言葉を折にふれ思い出しながら、生きていくのだろうと思う。

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ブックオフ自由が丘店のカフェでは本を持ち込み放題、という話を前に書いたけれども、11月1日から、コミックの持込が禁止されることになってしまった。
これからも、コミック以外であれば、店内の本を自由に持ち込めるようだ。しかし、それだと公共図書館とあまり変わらない。
コミックが読み放題だからこそ素晴らしかったブックオフカフェなので、今回のルール変更はとても悲しい。

コーヒーに牛乳を入れると、かき混ぜなくても、それは徐々に混ざり合っていき、ある程度の時間が経過した後は均一な色になる。全体的には、分離した状態→混ざった状態、という流れではあるけれど、それは完全な一方通行というわけではない。
逆に、混ざった状態→分離した状態、という動きになっている部分も、中にはある。ただ、分離に進む確率よりも、混合に進む確率のほうが高いので、全体としては、ほぼ確実な割合で、混ざり合う方向に状態は移行する。
こういう現象は、世の多くのことに当てはまるのだと思う。人種や国籍も、ほぼ確実な割合で、混ざり合ってゆく。短期的に、東西問題や、宗教問題のような対立が発生するとしても、それは、コーヒーと牛乳が少しずつ混ざり合う時のような、過渡期の状態なのだと思う。対立軸というのは、長期的には必ず減っていくということだ。
物理学において、現在の大きなテーマは、重力、電磁気力など4つの「力」の統合で、これはまだ達成されていないけれども、将来必ず解決されるテーマだと思う。
人の関係という点でも、長い時間が過ぎれば、確実に統合に進むはずだ。それは、自分が生きているうちには到底到達出来ない、はるか先の時間においての出来事ではあるけれど、その大きな流れの中には、今の自分もいるのだろうと思っている。

比叡山で、天台宗の荒行「千日回峰行」に挑んでいた星野圓道さんが、満行して堂を出たというニュースを読んだ。
9日間食事や水を断ち、不眠不休で不動真言を10万回唱え続ける難行であるという。
■「千日回峰行」とは?
・千日回峰行は、十二年籠山行を終え、百日回峰行を終えた者の中から選ばれたものだけに許される行である。
・行者は途中で行を続けられなくなったときは自害する決まりで、そのために首をつるための紐と短刀を常時携行する。
・頭にはまだ開いていない蓮の華をかたどった笠をかぶり、白装束をまとい、草鞋ばきといういでたちである。回峰行は七年間にわたる行である。
・無動寺谷で勤行のあと、深夜二時に出発。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と二百六十箇所で礼拝しながら、約30キロを平均6時間で巡拝する。
・700日目の回峰を終えた日から堂入りが行なわれる。無動寺谷明王堂で足かけ九日間(丸七日半ほど)にわたる断食断水断眠の行に入る。
・入堂前に行者は生き葬式を行ない、不動明王の真言を唱え続ける。
・出堂すると、行者は生身の不動明王ともいわれる大阿闍梨(だいあじゃり)となり、信者達の合掌で迎えられる。
、、すさまじい行だ。
星野さんが千日回峰行に入ったのは4年前、28歳の時。これほどの行を、その歳にしておこなおうとするまでの人生には、いったい何があったのだろう。
医学的には、堂入りの5日目にして生命の危機が訪れるという。しかし、いずれにしろ、途中で行を中断した場合には自殺するべしという掟がある。こういった修行が現代までなお続けられていることが驚きだし、それに挑む人がいるということも驚きだ。

裸でも生きる

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裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記
裸でも生きる(山口絵理子/講談社)

バングラデシュ産のジュート(麻)を使ったバッグを日本に輸入する、マザーハウスという会社を立ち上げた女性の自叙伝。まだ作ったばかりの会社で、著者の山口絵理子さん自身も25歳なので、小学校時代の話しから、会社を立ち上げるところまでの物語だ。
発展途上国の支援団体で働いていた著者は、「アジア、最貧国」というキーワードから、バングラデシュという国に興味を持ち、その現場を実際に確かめようとして単身バングラデシュに渡った。そこで国の経済状態の実態を知り、ビジネスを通じて支援をしようと、特産品のジュートを使ったバッグの生産を思いつく。
その大部分は、サクセスストーリーの物語ではなく、とんでもない苦難の連続だったことがわかる。ここまでの逆境があったら普通だったらとっくにあきらめている、というような場面が何度もあったけれども、それを乗り越えて、実際にバングラデシュ産のバッグを日本で売るところまで実行したというのは、すごいことだ。
ビジネスを立ち上げるということの、華やかな部分ではなく、とても地味で根気が必要な部分の苦労がよく伝わってくる本だった。

phpで、データベースに対して大量のデータの検索をおこなって一覧表示をするような時、進行状況の経過を表示したいケースがよくある。
それは、主に次の2点の理由からで、
1)結果が長い時間返らずにブラウザの表示が変わらないままだと、処理が動いているのかどうかわからず、ユーザーが不安になる。
2)長い時間ブラウザにデータが渡されない状態が続くと、ブラウザが勝手にタイムアウトして、表示を中断してしまう。
特に2)は深刻で、ブラウザのタイムアウト時間より長い時間がかかる処理の場合、ブラウザから実行不可能ということになってしまう。Internet Explorerのタイムアウト時間を延ばすにはレジストリを変更しなくてはならず、簡単ではないので、ブラウザ側のタイムアウト時間を延ばすというのは現実的ではない。
通常は、ページのHTML作成が完了してから、ブラウザにその内容がまとめて渡されるので、phpで処理が完了するまでは、ブラウザに途中の内容は表示されない。
処理完了前に経過を表示させるには、出力データのバッファリングとフラッシュをおこなう必要がある。
phpには、バッファリングをおこなう関数「ob_****()」とフラッシュをおこなう関数「flush()」があるが、使い方がわかりにくいので、使用上の注意点をまとめておく。
【注意点1】
mb_output_handlerが設定されている場合、flush()だけ呼び出しても出力されない。また、ob_flush()だけ呼び出しても出力されない。flush()とob_flush()の両方を呼び出す必要がある。
【注意点2】
flush()を実行するには、出力バッファが無いことが条件になる。
注意点1、2から、この順番で実行をする必要がある。
——————–
ob_flush();
flush();
——————–
【注意点3】
<TABLE>タグの内側の記述は、</TABLE>タグによって閉じられるまでの間、出力されない。
そのため、<TABLE>の内側を出力している最中は、バッファリングをおこなってもブラウザ上の見た目は変化しない。
ブラウザによって、タグが閉じられる前から出力をおこなうブラウザもあるが、<TABLE>タグが閉じられてから、セル幅などを調整して出力をすることが標準動作のようなので、出力したいメッセージは<TABLE>タグの外側に記述をするようにする。これを忘れると、バッファリングを指定しているはずなのに、何故かブラウザに何も表示されない、という事態になる。
※<TABLE>タグの内側でも<SCRIPT>タグは動作するので、JavaScriptを利用して<TABLE>タグ外の位置にテキストを出力することは出来る。

自由が丘に、フィンランドカフェというカフェが、11/3(土)までの期間限定でオープンしていて、フィンランドの物産をそろえた土産物屋も併設されている。
今年で6年目の催しのようで、最近は「かもめ食堂」の影響で国がメジャー化したためか、人の入りは盛況だった。
そこで配られているフリーペーパーで知ったのだけれど、フィンランドにはサルミアッキという、形容しがたいほどに不味いお菓子があるらしい。通称、「フィンランドの深い闇」。
確かに、ネットでサルミアッキを調べてみても、冗談のネタにしかならないくらい、ありえない味であるらしいので、そこまで言われるとちょっと気になる。
salmiakki3.jpg salmiakki2.jpg
万博のパビリオンか、文化祭のテナントのような感じの仮作りの店舗で、ちょっとチープ感は否めないが、擬似的にフィンランドに行ったような気分に少しなれる。
環八沿いで、駅からはちょっと遠いので、車で近くを通る用事がある時に立ち寄るのもよい。
FINLANDCAFE.COM
世田谷区玉川田園調布2-7-5
【営業時間】
11:00~21:00/火・水・木
11:00~23:00/金・土・日・祝
月曜定休(10/1. 10/8はのぞく)

孤独のグルメ

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孤独のグルメ (扶桑社文庫)
孤独のグルメ (谷口ジロー/扶桑社)

ただのグルメマンガではない。まず、ストーリーといえるほどのものが、何もない。ただひたすら、一人の男が、あちこちの町の食堂でメシを食べるだけという、ある意味グルメマンガの究極とも言える作品だ。
マンガ版「食いしん坊万歳」のようなものかもしれない。ただ、テレビ番組と違って、主人公の井之頭五郎は、味をほめることもしないし、大げさに喜ぶようなこともない。ただ一人、頭の中で「ん・・うまい・・」と独白するだけだ。
主人公は、食にこだわりがあるが、かといって食のプロではない素人グルメの中年男。そのくせ酒はまったく飲めない、というちょっと変わった設定。職業や来歴などがよくわからないのも、いい雰囲気を出している。商社を一人で経営しているらしいことや、昔、何かのスポーツをやっていた、程度のことは察しがつくのだけれど、それ以外はまったくの謎だ。
「美味しんぼ」のような派手さはないけれど、その分、主人公の感覚に共感が持てる部分が多い。かなり独特な路線をつきすすんでいる作品であることは間違いない。常に独りで、店の人と会話をするようなこともまったくない主人公だが、作品中で一回だけ、店員に対して自分の意見を主張するところがあって、そこが見所。

「加速力」で成功をつかめ!
「加速力」で成功をつかめ!(齋藤孝/草思社)

本を読む時には、その人の感覚が、自分自身と似ているかどうかということは、とても重要な要素だと思う。感覚や価値観が違う人の本を読むことも勉強になることはあるけれども、読んでいてどうも腑に落ちない話しというのは、読み進もうというモチベーション自体があまり上がらない。誰がぴったりハマるかというのは、人によって異なるので、それが、人に本を薦める時の難しさでもある。
自分にとっては、齋藤孝さんは、かなり感覚がぴったりとハマる人だ。
どの著作を読んでも、「なるほど!」と感心することばかりで、自分が普段ぼんやりと考えていることを、明確に言語化してくれているようなスッキリ感がある。
多作の人でもあるので、毎月のように新刊が出て、それを読むのがとても楽しみだ。最近出たこの本も、新しい気づきに満ちていた。この世にはまだまだ、出あっていない、自分にぴったりとハマる感覚を持った人がいるはずだけれども、少なくとも、齋藤孝さんという人の著書に巡りあえたことは、大きな幸運だ。

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人は、夜に寝て、昼に活動するのに適した仕組みになっているらしい。
それはホルモンの分泌とかの理由によるものらしいのだけど、要するに、同じ8時間寝たとしても、昼に寝るというのは、夜に寝るのと比べて、休息の効率が悪い。夜型の生活をしている人は、「同じ時間寝てるんだから、一緒だろう」と思うかもしれないけれど、そういうものでもないらしい。
体質のことを除いたとしても、やはりデメリットはある。世の中のたいていの店は、朝開いて、夜閉まる。それと逆の生活をすると、自分の活動時間と、世間一般の活動時間が重なる部分が少なくなって、単純に、不利益なことが多い。
しかし、いつでも多数派に合わせてればいいというものでもない。
通勤電車の混雑で不快な思いをするというのは、多数派の動きに合わせた結果だ。そういう場合は、世間一般の動きと逆に張れば、同じ運賃と通勤時間のコストで、快適さというメリットを得ることが出来る。
多数派に合わせるのがいいかどうかというのは、かなりケースバイケースだ。睡眠時間や、通勤電車のように、どちらに合わせるのがいいかわかりやすいものもあるけれど、たいがいの場合は、どちらがいいのかよくわからない、グレーゾーンにある。
常に多数派を選べばいいというものでも、常にその逆をいけばいいというものでもない。自分に合ったスタイルを最初から必ず引き当てることは出来ないけれど、その確率を上げるのは、ひとえに経験の力なのだと思う。だから、一つでも多くの決断の経験を積むことが、結果的に、直感的な判断の確かさにつながっていくのだと思う。

水晶堂について