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2007年10月31日
人間自身考えることに終わりなく
池田晶子さんは、今年の2月に急逝した。
そのあまりに早い死に、愕然として訃報を聞いた。
いつか、一度は話しをしてみたいと思う人だった。
つい近年、「14歳の哲学」という本が売れたことで名が知れるようになったけれど、それ以前は、ひたすら自分の思索を追及して、流行にのるようなことをせず、したがってまったく無名であり続けた人だった。
彼女のことを知ったのは、大学時代、石井が「帰ってきたソクラテス」という本を貸してくれたことが始まりだった。そこには、それまでに触れたことがない、まったく新しい思想とロジックが満ちていた。
「考える」とはどういうことなのか、「生きる」意味とは何なのか、そういった本質的な事柄を根本から見直すきっかけを与えてくれた本だった。もし、大学時代に彼女の言葉に出会っていなかったら、その後の自分の人生も、少なからず変わっていたに違いないと思う。
この「人間自身考えることに終わりなく」という本は、池田さんが死の直前まで連載をしていた文章を集めた、遺作ということになる。相変わらず、言っていることは昔とまったく変わっていない。ただ一つのことを、彼女は言葉を変えながら、ひたすら言い続けていたのだ。
もう新刊が読めないのは寂しいことだけれども、彼女の思想の形は、自分の中にインストールされて、いつでも取り出せるところに入っている。これからも自分はずっと、その言葉を折にふれ思い出しながら、生きていくのだろうと思う。
【名言】
生命は素晴らしい、生きていることは奇跡的だと礼賛するなら、死ぬことだって、同じく奇跡的なことのはずである。どうして生きていることばかりを奇跡と言って、死ぬことのほうを軌跡だとは言わないのか。
「生命の神秘」と、口では言うが、本当の神秘を感じているのではないからである。そういう場合の生命礼賛の本意は、たんに、生きていればいいことがある。いろいろ楽しいことができるからといった類のものである。だから、楽しいことができなくなると、「生きていてもしょうがない」と、こう簡単に裏返る。それでどうして生命の神秘なのだろうか。
以前、子供が事故か殺人かで亡くなった小学校の先生が、「生きていればいいことがあったのに」と、子供たちに話していた。こういう教育はよくない。生きていれば悪いこともあるじゃないかと反論されたら、どう答えるつもりだろう。
子供にいきなり生命は尊いと教えるのは無理である。「なぜ」それが尊いのかを実感していないからである。尊いと実感できるのは、それが神秘なものだと気がつくことによってでしかない。これは自分の力を超えている、自分にはこれは理解できない。こう気づくことによって、人は初めてそれを敬うという気持ちになるのである。
大人が忘れているのだから仕方ない。「生命」と言えば、生の側、そのあれこれのことしか思わない。権利意識としての生命尊重である。そうでなければ、科学主義が喧伝する仕方での「生命の神秘」である。精子と卵子が結合する確率は何十億分の一である。それは奇跡的な確率である。私の存在は奇跡的である。あなたも私もかけがえのない存在であるという、あのノリである。
しかし、いかに奇跡的な確率であれ、確率であるということは、可能であるということだ。可能なことは、可能なのだから、奇跡的なことではない。確率は奇跡ではあり得ないのだ。
本当の奇跡は、自分というものは、確率によって存在したのではないというところにある。なるほどある精子と卵子の結合により、ある生命体は誕生した。しかし、なぜその生命体がこの自分なのか。その生命体であるところの自分は、どのようにして存在したのか。
これはどう考えても理解できない。なぜこんなものが存在しているのかわからない。だから、奇跡なのだ。なぜ存在するのかわからないものが存在するから奇跡なのだ。何故存在しているかわかるのなら、どうしてそれが奇跡であり得よう。存在するというこのこと自体は、人間の理解を超えている。
だからこそ、存在する生命は奇跡であり神秘であると、正当に言うことができるのだ。生きることが奇跡なら、死ぬことだって奇跡である。花が散るのが無常なら、花が咲くのも無常である。無常だ、はかないという嘆きではない。何が起こっているのかという驚きである。なぜ存在するのかわからない宇宙が、なぜか自分として存在し、それが生きたり死んだりしているのを見ているというのは、いったいどういうことなのか。生きたり死んだりしているとは、(何が)何をしていることなのか。
とまあこんなふうに、「奇跡」の意味を正確に追ってゆくと、とんでもないところに出られる。いやでも出てしまうのである。人生というものを、生まれてから死ぬまでの一定の期間と限定し、しかもそれを自分の権利だと他者に主張するようなのが現代の人生観である。これはあまりに貧しい。自分の人生だと思うから、不自由になるのである。しかし人生は自分のものではない。生きるも死ぬも、これは全て他力によるものである。(p.28)
2007年10月30日
別れはいつも突然に
ブックオフ自由が丘店のカフェでは本を持ち込み放題、という話を前に書いたけれども、11月1日から、コミックの持込が禁止されることになってしまった。
これからも、コミック以外であれば、店内の本を自由に持ち込めるようだ。しかし、それだと公共図書館とあまり変わらない。
コミックが読み放題だからこそ素晴らしかったブックオフカフェなので、今回のルール変更はとても悲しい。
2007年10月29日
混ざり合う流れ
コーヒーに牛乳を入れると、かき混ぜなくても、それは徐々に混ざり合っていき、ある程度の時間が経過した後は均一な色になる。全体的には、分離した状態→混ざった状態、という流れではあるけれど、それは完全な一方通行というわけではない。
逆に、混ざった状態→分離した状態、という動きになっている部分も、中にはある。ただ、分離に進む確率よりも、混合に進む確率のほうが高いので、全体としては、ほぼ確実な割合で、混ざり合う方向に状態は移行する。
こういう現象は、世の多くのことに当てはまるのだと思う。人種や国籍も、ほぼ確実な割合で、混ざり合ってゆく。短期的に、東西問題や、宗教問題のような対立が発生するとしても、それは、コーヒーと牛乳が少しずつ混ざり合う時のような、過渡期の状態なのだと思う。対立軸というのは、長期的には必ず減っていくということだ。
物理学において、現在の大きなテーマは、重力、電磁気力など4つの「力」の統合で、これはまだ達成されていないけれども、将来必ず解決されるテーマだと思う。
人の関係という点でも、長い時間が過ぎれば、確実に統合に進むはずだ。それは、自分が生きているうちには到底到達出来ない、はるか先の時間においての出来事ではあるけれど、その大きな流れの中には、今の自分もいるのだろうと思っている。
2007年10月28日
9日間断食不眠の難行
比叡山で、天台宗の荒行「千日回峰行」に挑んでいた星野圓道さんが、満行して堂を出たというニュースを読んだ。
9日間食事や水を断ち、不眠不休で不動真言を10万回唱え続ける難行であるという。
■「千日回峰行」とは?
・千日回峰行は、十二年籠山行を終え、百日回峰行を終えた者の中から選ばれたものだけに許される行である。
・行者は途中で行を続けられなくなったときは自害する決まりで、そのために首をつるための紐と短刀を常時携行する。
・頭にはまだ開いていない蓮の華をかたどった笠をかぶり、白装束をまとい、草鞋ばきといういでたちである。回峰行は七年間にわたる行である。
・無動寺谷で勤行のあと、深夜二時に出発。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と二百六十箇所で礼拝しながら、約30キロを平均6時間で巡拝する。
・700日目の回峰を終えた日から堂入りが行なわれる。無動寺谷明王堂で足かけ九日間(丸七日半ほど)にわたる断食断水断眠の行に入る。
・入堂前に行者は生き葬式を行ない、不動明王の真言を唱え続ける。
・出堂すると、行者は生身の不動明王ともいわれる大阿闍梨(だいあじゃり)となり、信者達の合掌で迎えられる。
、、すさまじい行だ。
星野さんが千日回峰行に入ったのは4年前、28歳の時。これほどの行を、その歳にしておこなおうとするまでの人生には、いったい何があったのだろう。
医学的には、堂入りの5日目にして生命の危機が訪れるという。しかし、いずれにしろ、途中で行を中断した場合には自殺するべしという掟がある。こういった修行が現代までなお続けられていることが驚きだし、それに挑む人がいるということも驚きだ。
2007年10月27日
裸でも生きる
バングラデシュ産のジュート(麻)を使ったバッグを日本に輸入する、マザーハウスという会社を立ち上げた女性の自叙伝。まだ作ったばかりの会社で、著者の山口絵理子さん自身も25歳なので、小学校時代の話しから、会社を立ち上げるところまでの物語だ。
発展途上国の支援団体で働いていた著者は、「アジア、最貧国」というキーワードから、バングラデシュという国に興味を持ち、その現場を実際に確かめようとして単身バングラデシュに渡った。そこで国の経済状態の実態を知り、ビジネスを通じて支援をしようと、特産品のジュートを使ったバッグの生産を思いつく。
その大部分は、サクセスストーリーの物語ではなく、とんでもない苦難の連続だったことがわかる。ここまでの逆境があったら普通だったらとっくにあきらめている、というような場面が何度もあったけれども、それを乗り越えて、実際にバングラデシュ産のバッグを日本で売るところまで実行したというのは、すごいことだ。
ビジネスを立ち上げるということの、華やかな部分ではなく、とても地味で根気が必要な部分の苦労がよく伝わってくる本だった。
2007年10月26日
phpでバッファリングを制御する時の注意点
phpで、データベースに対して大量のデータの検索をおこなって一覧表示をするような時、進行状況の経過を表示したいケースがよくある。
それは、主に次の2点の理由からで、
1)結果が長い時間返らずにブラウザの表示が変わらないままだと、処理が動いているのかどうかわからず、ユーザーが不安になる。
2)長い時間ブラウザにデータが渡されない状態が続くと、ブラウザが勝手にタイムアウトして、表示を中断してしまう。
特に2)は深刻で、ブラウザのタイムアウト時間より長い時間がかかる処理の場合、ブラウザから実行不可能ということになってしまう。Internet Explorerのタイムアウト時間を延ばすにはレジストリを変更しなくてはならず、簡単ではないので、ブラウザ側のタイムアウト時間を延ばすというのは現実的ではない。
通常は、ページのHTML作成が完了してから、ブラウザにその内容がまとめて渡されるので、phpで処理が完了するまでは、ブラウザに途中の内容は表示されない。
処理完了前に経過を表示させるには、出力データのバッファリングとフラッシュをおこなう必要がある。
phpには、バッファリングをおこなう関数「ob_****()」とフラッシュをおこなう関数「flush()」があるが、使い方がわかりにくいので、使用上の注意点をまとめておく。
【注意点1】
mb_output_handlerが設定されている場合、flush()だけ呼び出しても出力されない。また、ob_flush()だけ呼び出しても出力されない。flush()とob_flush()の両方を呼び出す必要がある。
【注意点2】
flush()を実行するには、出力バッファが無いことが条件になる。
注意点1、2から、この順番で実行をする必要がある。
--------------------
ob_flush();
flush();
--------------------
【注意点3】
<TABLE>タグの内側の記述は、</TABLE>タグによって閉じられるまでの間、出力されない。
そのため、<TABLE>の内側を出力している最中は、バッファリングをおこなってもブラウザ上の見た目は変化しない。
ブラウザによって、タグが閉じられる前から出力をおこなうブラウザもあるが、<TABLE>タグが閉じられてから、セル幅などを調整して出力をすることが標準動作のようなので、出力したいメッセージは<TABLE>タグの外側に記述をするようにする。これを忘れると、バッファリングを指定しているはずなのに、何故かブラウザに何も表示されない、という事態になる。
※<TABLE>タグの内側でも<SCRIPT>タグは動作するので、JavaScriptを利用して<TABLE>タグ外の位置にテキストを出力することは出来る。
2007年10月25日
フィンランドカフェ
自由が丘に、フィンランドカフェというカフェが、11/3(土)までの期間限定でオープンしていて、フィンランドの物産をそろえた土産物屋も併設されている。
今年で6年目の催しのようで、最近は「かもめ食堂」の影響で国がメジャー化したためか、人の入りは盛況だった。
そこで配られているフリーペーパーで知ったのだけれど、フィンランドにはサルミアッキという、形容しがたいほどに不味いお菓子があるらしい。通称、「フィンランドの深い闇」。
確かに、ネットでサルミアッキを調べてみても、冗談のネタにしかならないくらい、ありえない味であるらしいので、そこまで言われるとちょっと気になる。

万博のパビリオンか、文化祭のテナントのような感じの仮作りの店舗で、ちょっとチープ感は否めないが、擬似的にフィンランドに行ったような気分に少しなれる。
環八沿いで、駅からはちょっと遠いので、車で近くを通る用事がある時に立ち寄るのもよい。
FINLANDCAFE.COM
世田谷区玉川田園調布2-7-5
【営業時間】
11:00~21:00/火・水・木
11:00~23:00/金・土・日・祝
月曜定休(10/1. 10/8はのぞく)
2007年10月24日
孤独のグルメ
ただのグルメマンガではない。まず、ストーリーといえるほどのものが、何もない。ただひたすら、一人の男が、あちこちの町の食堂でメシを食べるだけという、ある意味グルメマンガの究極とも言える作品だ。
マンガ版「食いしん坊万歳」のようなものかもしれない。ただ、テレビ番組と違って、主人公の井之頭五郎は、味をほめることもしないし、大げさに喜ぶようなこともない。ただ一人、頭の中で「ん・・うまい・・」と独白するだけだ。
主人公は、食にこだわりがあるが、かといって食のプロではない素人グルメの中年男。そのくせ酒はまったく飲めない、というちょっと変わった設定。職業や来歴などがよくわからないのも、いい雰囲気を出している。商社を一人で経営しているらしいことや、昔、何かのスポーツをやっていた、程度のことは察しがつくのだけれど、それ以外はまったくの謎だ。
「美味しんぼ」のような派手さはないけれど、その分、主人公の感覚に共感が持てる部分が多い。かなり独特な路線をつきすすんでいる作品であることは間違いない。常に独りで、店の人と会話をするようなこともまったくない主人公だが、作品中で一回だけ、店員に対して自分の意見を主張するところがあって、そこが見所。
2007年10月23日
加速力で成功をつかめ!
本を読む時には、その人の感覚が、自分自身と似ているかどうかということは、とても重要な要素だと思う。感覚や価値観が違う人の本を読むことも勉強になることはあるけれども、読んでいてどうも腑に落ちない話しというのは、読み進もうというモチベーション自体があまり上がらない。誰がぴったりハマるかというのは、人によって異なるので、それが、人に本を薦める時の難しさでもある。
自分にとっては、齋藤孝さんは、かなり感覚がぴったりとハマる人だ。
どの著作を読んでも、「なるほど!」と感心することばかりで、自分が普段ぼんやりと考えていることを、明確に言語化してくれているようなスッキリ感がある。
多作の人でもあるので、毎月のように新刊が出て、それを読むのがとても楽しみだ。最近出たこの本も、新しい気づきに満ちていた。この世にはまだまだ、出あっていない、自分にぴったりとハマる感覚を持った人がいるはずだけれども、少なくとも、齋藤孝さんという人の著書に巡りあえたことは、大きな幸運だ。
【名言】
じつは私も、かつては量をこなすと質が落ちるという考えにとらわれていた時期がある。だがあるときから、こうした考え方を捨てた。私が尊敬する思想家が、軒並み異常な量の仕事をこなしていることに気づいたからだ。(p.70)
依頼された仕事はけっして断らない。これは若いころの私のモットーだったが、もう一つ、実践していたことがある。納期を通常の三分の一以下にするということだ。簡単にいえば、前倒しで仕事を終わらせていたのである。「三分の一」という数字自体にはさして意味があるわけではない。しかし、たとえば五分の四ぐらいの納期では誰も驚いてくれない。その点、半分以下なら間違いなく目立つ。納期一ヶ月のところを三週間程度で納めても、「ああ、早いね」ぐらいで終わるだろう。しかし二週間以下で納めれば驚かれるはずだ。たんにがんばっているという思わせるだけでは足りない。加速を印象づけるには、相手を驚かせなければならないのである。こういう加速は、目に見えやすい分、他の人にも伝わりやすい。この人は加速しているなと思えば、一緒についていきたいとか、バックアップしたいと思う人も現れるものである。(p.98)
「通る企画書」にするためには、タイトルや概要だけでなく、細かいところまで書くことだ。具体的な内容まで書いてあると、「この企画はもう動き出している」という印象を読む者に与える。そうなればしめたもので、実際に動くようになる。不十分なところは、動きながら加えたり修正していけばいい。逆にいえば、タイトルだけだったり、2~3個のアイデアが書いてあるだけでは、企画倒れになりやすいということだ。建築でいえば基礎や鉄骨まで建ててしまう。場合によっては畳まで持ってきている、といった勢いで書くのがポイントだ。書き出す小項目は、一日で一気に書いたほうがいい。思い付きを文章化するぐらいの気持ちで、スピード感を大事にする。外で飲んでいる時に思いついたら、家に帰ったらその日のうちに書き上げる。そのときは気持ちが盛り上がっているから、いくらでも出てくる。「止めたくても止まらない」状態に入りやすいのだ。(p.141)
何かを始めるとき、できると確信を持って臨むのと、できるか否か不安を抱いて臨むのとでは、結果がまるで違ってくるということだ。とりわけリーダーと呼ばれる立場の人間にとって、この差は重要だ。リーダーの資質とは、突き詰めれば「なんとしてでもやる」という覚悟を見せることだけだ。細かいプラン等はメンバーが考えればいい。絶対に成功する、やり遂げるまでは終わらせないという自信と決意の発露がプロジェクトを引っ張っていく。その覚悟がなければ、プロジェクトは成功しないのである。(p.152)
2007年10月22日
多数派の是非
人は、夜に寝て、昼に活動するのに適した仕組みになっているらしい。
それはホルモンの分泌とかの理由によるものらしいのだけど、要するに、同じ8時間寝たとしても、昼に寝るというのは、夜に寝るのと比べて、休息の効率が悪い。夜型の生活をしている人は、「同じ時間寝てるんだから、一緒だろう」と思うかもしれないけれど、そういうものでもないらしい。
体質のことを除いたとしても、やはりデメリットはある。世の中のたいていの店は、朝開いて、夜閉まる。それと逆の生活をすると、自分の活動時間と、世間一般の活動時間が重なる部分が少なくなって、単純に、不利益なことが多い。
しかし、いつでも多数派に合わせてればいいというものでもない。
通勤電車の混雑で不快な思いをするというのは、多数派の動きに合わせた結果だ。そういう場合は、世間一般の動きと逆に張れば、同じ運賃と通勤時間のコストで、快適さというメリットを得ることが出来る。
多数派に合わせるのがいいかどうかというのは、かなりケースバイケースだ。睡眠時間や、通勤電車のように、どちらに合わせるのがいいかわかりやすいものもあるけれど、たいがいの場合は、どちらがいいのかよくわからない、グレーゾーンにある。
常に多数派を選べばいいというものでも、常にその逆をいけばいいというものでもない。自分に合ったスタイルを最初から必ず引き当てることは出来ないけれど、その確率を上げるのは、ひとえに経験の力なのだと思う。だから、一つでも多くの決断の経験を積むことが、結果的に、直感的な判断の確かさにつながっていくのだと思う。
2007年10月21日
VAIOとThinkPad
VAIO秋モデルの最新ラインナップでは、ついにハードディスクの代わりにフラッシュメモリが64GBまで選べるようになっている。
最軽量モバイルPCであるTypeGでも、今まで32GBが最大だったのが、64GBまで選択出来る。ここまでくれば、いよいよフラッシュメモリも実用的なレベルといえるのではないかと思う。
これまでずっと、ノートPCはVAIOかThinkpadの二者択一で、今はThinkPadを使っているが、再びVAIOが優勢になってきたかもしれない。
VAIOとThinkPadの比較
●VAIO
【良いところ】
・ものすごく軽い。
・バッテリーが、小さい割りに長持ちする。
・ディスプレイを開け閉めした時に、ディスプレイのライトを消す以外に余計な動作をしない。
・周辺機器が多い上に、メーカーページでも積極的にサポートがおこなわれているので、情報が多くて安心。
【ダメなところ】
・キータッチがペラペラで打ちにくい。
・外出先でマウス無しで使う時のタッチパッドが、本体の手前にあるので操作しにくい。
・他社のパソコンに比べて、割高。
●ThinkPad
【良いところ】
・キータッチの感触が抜群にいい。
・バッテリーが、標準→大型バッテリーに変更出来ることに加えて、更に拡張バッテリーを付けられるので、標準の三倍くらいに拡張出来る。
・とにかく頑丈。かなり荒っぽく使っているので、他のPCだったらとっくに壊れているかもしれない。
【ダメなところ】
・本体のフタを閉じると、「ディスプレイを閉じた時何もしない」と設定していても、BIOSレベルで勝手に処理が走るので、フタを開け閉めするだけで処理待ちのラグが発生する。しかも時々、開け閉めをした後、画面が表示されなくなるなどの不具合が起こる。
・IBMからレノボになって以降、新製品の発表がほとんどなく、ThinkPadの周辺機器のレパートリーもだいぶ少なくなった。メーカーとして積極的なやる気が見られず、今後のサポートが不安。
・キーボードにウィンドウズキーがない(X41以前)。
どちらも一長一短だ。
2007年10月20日
ブックオフ&カフェという最強タッグ
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ブックオフ自由が丘店では、ありえないサービスが提供されている。
店内にカフェが併設されていて、そこには、店内の本を持ち込むことが出来る。
そして、15時までの間は、ホットコーヒーがおかわり自由になっている。
つまり・・超便利で快適なマンガ喫茶みたいなことになっている。
未購入の本をカフェに持ち込んでいいのかどうかは、実はよくわからないのだけれど、みんなそうしているので、なんとなく黙認されているのだと思う。330円のホットコーヒーを一杯注文すれば、朝から晩まで店内の本が読み放題という、「これでいいのか?」と思ってしまうような、天国のような場所だ。
ブックオフの人がこのブログを読んで「やりすぎだったか!」と思っても、どうかこの素晴らしいサービスは停止しないでほしい。
2007年10月19日
ロッククライミング
富士の裾野に広がる、西湖の近くの山で、ロッククライミングを経験した。行く前は、ロッククライミングがどういうものかよく知らなかったので、手軽なレジャー的スポーツかと思っていたのだけれど、実際には、想像を大きく裏切るシビアなものだった。
ロッククライミングは、命綱一本だけを腰にひっかけて、あとは自分の手足のみで岩壁を登っていく。岩を登っている時の気持ちというのは、とても心もとない。
壁面にほんの少しある、窪みやでっぱりに、手と足をかけて、必死に体を支える。そういう中で、上に登ろうと手足の位置を変えるときは、体を支える箇所がますます少なくなるわけだから、先に進もうという気持ちを奮いたたせるのが、まず難しい。
途中からは、下を見る余裕など、まったくない。命綱があるとはいえ、自分のはるか下には堅い地面があって、もし落下してしまったらと思うと、恐怖と緊張で、体がまったく動かせなくなってしまう。
岩の途中で固まったまま、どうしていいかわからない状態が続いたけれど、それでも先に進めたのは、下にいる経験者の友達が、「行けるよ」と声をかけてくれていたからだった。その言葉を信じて、あきらめずに進むことにした。ほんのつま先だけが岩にひっかかっているだけのような状態でも、思い切って体を上に持ち上げると、思いのほか、少しずつ上に進んだ。
「もうこれ以上進めない」と思えば進めないし、「まだ進める」と思えば進める。そこに根拠はなく、ただそう信じるしかない。これは、技術的な問題ではなく、極めて精神的な問題なのだと思った。
無我夢中で上まで登り切ったのも束の間、今度は壁面を降りなければならない。両手を離して、消防隊員がビルの壁沿いに降りる時のように、綱にぶらさがって壁面を蹴りながら、体を壁と垂直に立てて、壁の上を後ろ向きに歩くような姿勢で降りる。これも、ものすごく怖い。
その瞬間は、完全に命綱のみに体を預けている状態で、万が一命綱を持っている人が手を離してしまえば、まっ逆さまに下に落ちてしまう。だから、完全に、綱を持っている人を信じるしかないのだ。信じなければ、両手を離して身をまかせることは出来ないし、そうしない限り、下に降りることは出来ない。
ロッククライミングは、人生観を変えるぐらいに、気づきの多い体験だった。それは、生き死にが直接関わっているということと、人の応援や、助けがあってはじめて登りきることが出来たという実感があったからだと思う。
素晴らしい機会を与えてくれた岩藤、多岩、地上から声をかけてくれた幸岩、岩子、かじ岩、岩登、理岩、鑑真、真岩、豊岩、ありがとう。一人だったら、とても最後まで登ることは出来なかった。
2007年10月18日
一瞬の分かれ目
たとえば、列に途中から割り込んで入ってきた人がいた時や、電車の中で誰かに席を譲ろうと思った時。そういう時、声をかけるきっかけというのは、最初の一瞬を逃すと、その後はとてもタイミングが取りづらい。ベストタイミングは、最初のほんの一瞬にしか訪れない。
結局、声をかけられるかどうかの分かれ目は、最初のたった一瞬、ためらいがあったかどうかの違いだ。だから、「そういう時には、何も考えずに、思った瞬間にとにかく声をかける」と、普段から決めておく。
その心構えを常に持っていれば、最初の一瞬はスッと踏み出せるものなのだと思う。
2007年10月17日
IE7の強制終了が頻発する場合の対策
IE(Internet Explorer)のバージョンを7にアップデートして以降、IEが突然強制終了することが頻繁に起きるようになった。
バージョン6以前のアドオンとの相性の問題だと思うのだけれど、Flash Playerなど最低限必要と思うアドオン以外をすべて無効しても、日に何度も強制終了してしまう。
強制終了が発生するのは、必ず、別ウィンドウとしてポップアップで表示されたIEのウィンドウを閉じた時だったので、別ウィンドウが立ち上がらないように、新しいタブを追加して開かれるように変更をしたところ、安定するようになった。
設定の方法は、[ツール]→[インターネットオプション]で、[全般]の中の「タブ」の「設定」ボタンを押し、「ポップアップの発生時」を「常に新しいタブでポップアップを開く」に指定。変更後、IEを再起動すると設定が有効になる。
2007年10月16日
生物と無生物のあいだ
生物学というのは、とても面白い学問だと思うけれども、それがいまいち一般に伝わりにくいのは、生物学者の中で、それを面白く伝える文章を書ける人の人口が少ないからなのだと思う。この本は、詩的な表現が多く、それがちょっと過剰な部分もあるけれども、生物学の面白い部分をとても上手く抽出して表現している。
生命は、人智の予測を超えるほどの精巧な仕掛けを用意していることが多い。人は、その仕掛けを発明するわけではなく、ただ発見するだけなのだ。その点、エンジニアよりもクリエイティブさにおいては劣るけれども、その代わりに、神の業としかいいようがない、見事な生命の構造を発見するという大きな喜びがある。この本を読んで、その一端を知るだけでも、生物学というのはなんと驚きに満ちた世界なんだろうと思いしらされる。
こういう、一般に知られていない分野を照らして世間に広めるノンフィクションというのは、閉じた世界に光を与える、大きな役割を果たしていると思う。
【名言】
人は瞬時に、生物と無生物を見分けるけれど、それは生物の何を見ているのでしょうか?そもそも、生命とは何か、皆さんは定義できますか?(p.3)
すべての秩序ある現象は、膨大な数の原子が一緒になって行動する場合にはじめて、その「平均」的なふるまいとして顕在化する。原子の「平均」的なふるまいは、統計学的な法則にしたがう。そしてその法則の精度は、関係する原子の数が増せば増すほど増大する。ランダムの中から秩序が立ち上がるというのは、実にこのようにして、集団の中である一定の傾向を示す原子の平均的な頻度として起こることなのである。(p.141)
ある場所とあるタイミングで作り出されるはずのピースが一種類、出現しなければどのような事態が起こるだろうか。動的な平衡状態は、その欠落をできるだけ埋めるようにその平衡点を移動し、調整をおこなおうとするだろう。その緩衝能が、動的平衡というシステムの本質だからである。(p.263)
生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。(p.271)
2007年10月15日
楽をするべきでない部分
道具や機械を使って効率化が出来る部分は、どんどん楽をすればいいし、人に任せられることは、どんどん手放していけばいい。
ただ、考えるということをサボってはいけない。
考えることを他人にゆだねるというのは、自分の精神を他人に渡してしまっていることに等しい。そこだけは、楽をしようとするべきではないのだと思う。
2007年10月14日
知識産業の時代
システム制作業というのは、ある程度成熟した業種ではあるけれども、まだこの先、多くの将来性がある業種なのだと思う。
産業革命が始まって以降の近代産業というのは、人がいればいるほど、それに応じてたくさんのものが作れる仕組みだった。従業員の数が多くなるほど有利になる、「規模の経済」が働く産業では、小さい企業が利益を上げていくには、人を増やすしか方法がなかった。
今は、規模ではなく、知識の蓄積が利益を生む時代だ。特定の分野に特化した知識が増えれば増えるほど、その価値は累積して大きくなっていく。システム制作では、いったん開発したプログラムはその場限りで役目が終わるわけではない。開発の時に蓄積された経験やノウハウは、継続して活用出来る資産になる。
知識が価値を生み出すということは、会社の規模を大きくすることなく売上げを伸ばすことが可能だということだ。数年先の見通しすらたちにくい現代においては、「少ないコストで運用が出来る会社」というのは、「売上も大きいが規模もコストも大きい」という会社よりも、はるかに動きやすい。今は、とてもとても面白い時代だ。
2007年10月13日
分類という悪癖
TSUTAYAに行って映画を探すと、なかなか見つからない。店の中にあるのかも知れないけれど、どこにも見つからないので結局探すのをあきらめる、ということが何度もある。
その原因は、分類が「アクション」や「サスペンス」などのジャンル別になっていることだ。自分が借りようとしている映画がどのジャンルにあてはまるのか、よくわからない。わかっているのはタイトルだけということも少なくないし、内容を知っていてもジャンルが不明なこともよくある。
せめて検索システムが店の中にあれば、それを使って自分で探すけれど、それすらなくて店員に調べてもらわないとわからないとなると、「それなら、もういい」ということになる。
これは、本屋も同じことで、出版社別に棚を分けられると、自分が探している本がどの出版社かがまずわからないことが多いので、結局全部の棚を見て回らなければいけないことになる。
その点、ブックオフの本の並べ方は、出版社やジャンルはまったく無視して、シンプルに著者の50音順に並んでいるので、一般の本屋よりもよほど見つけやすい。
あの、TSUTAYAがやっているような「分類」というのは、その道に詳しい人ほど陥りやすい、悪癖なのだと思う。そういう余計なことをするから、一般の利用者にとっては、かえって使いづらいものになる。
2007年10月12日
アカデミーヒルズ
六本木ヒルズの49階に、アカデミーヒルズという、会員制の図書館&貸スペースがある。ここは、かなりよいサービスが提供されているので、使い方次第でとても便利な場所になる。
【アカデミーヒルズのよいところ】
・無線LANと電源コンセントを使用可能
・スペース内にカフェがあって、飲食も出来る
・ビジネス書を中心に、名著の蔵書が豊富にある
・開館時間は7時~24時までで、入退出自由
・照明付の机と座席があって、好きな席を使える
・49階なので、窓からの見晴らしがいい
・駅から近いので、待ち合わせにいい
・昼間にちょっと時間が空いた時などに立ち寄りやすい

ビジネス書の新刊が常に読めるというのも素晴らしいし、「グレートブックスライブラリー」という部屋には、小説や古典など、あらゆるジャンルの名著が集められている。ここにある本を自由に読めるというだけでも、会費の元を取るに充分なサービスだと思う。
カフェスペースを使って打ち合わせも出来るので、少人数の会社であれば、都心のオフィスを借りるよりも、全社員が会員になって、ここに集まったほうがよほど割安になる。オフィスと違い、日々出会う人が偶発的に変わるという、ダイナミックな感じもいい。
将来的に、毎日決まった時間に自社に通勤するという形態ではなく、こういう、色々な人が集まるオープンスペースに出社して、仕事をするワークスタイルというのは、なかなか理想的だと思う。
【アカデミーヒルズホームページ】
http://www.academyhills.com/
【アカデミーヒルズ会費】
入会金/月会費:10,500円/9,450円
年一括での支払い:105,000円
2007年10月11日
そして誰もいなくなった

そして誰もいなくなった(アガサ・クリスティー/ハヤカワ文庫)
アガサ・クリスティーの小説は、正統な推理小説の理想形を体現している。ストーリーを成立させるために必要十分な情報だけを読者に与えて、余計な描写に字数をとるということがない。
「そして誰もいなくなった」は、特に構成が綿密な作品だ。無人島に招かれた10人の客全員が、過去に犯した殺人について何者かに告発され、1人1人順番に殺されていく。それだけの数の人物同士が関連を持った物語が、一冊の枠の中にきっちりと納まって完結しているのは本当に見事だと思う。
各登場人物のプロフィールや性格もきっちりと設定されていながら、説明をしすぎるということがない。下手な作家だったら間違いなく、10人の物語を書き分けるために、ムダに冗長な長編になってしまっているところだ。
推理小説の第一条件は、プロットや論理に抜けがないことだ。
アガサ・クリスティーの作品はその基本的な部分を最も要視していて、小細工を弄するような真似はしない。推理小説だけが持つ醍醐味が、彼女の作品には存分にあると思う。
2007年10月10日
年齢とは無関係のもの
最近、友人に子供が次々と誕生しているせいか、色々な子供を見る機会がある。
同じ年頃の子供であっても、随分と性格も雰囲気も違う。時々、ものすごく大人びたふうの子供や、ものわかりのいい子供がいる。
知識や経験の面で言えば、子供はもちろん大人にかなわないけれども、それ以外の多くの面においては、子供よりも大人が優れているという決まりはどこにもない。
年齢とはまったく無関係に、ある人にとっては50年かかってもわからないことでも、また別の人にとってはたった一瞬にしてわかってしまうことであったり、そもそもの最初から当たり前のようにわかっていることであったりする。
どれだけ幼くても、自分にないものを持っている子供というのは、尊敬に値する。
2007年10月09日
アーティストの宿命
アーティストの活動は、技術の進歩によって楽にはならない。
映画は、CGの技術が進歩して、昔ではとても作れなかった映像も簡単に作れるようになった。
写真は、デジカメが普及して、フィルムの枚数を気にせずにいくらでも撮れるようになった。
音楽は、シンセサイザーが誰でも使えるぐらいに身近なものになって、一人でも自宅でCDが作れてしまうようになった。
しかし、それらの技術の進歩によって、アーティスト達の活動が楽になったかといえば、まったくそういうことにはなっていない。
今の技術には今の技術での壁があり、それに向かってどこまでクオリティーを高められるかという挑戦をしているという意味では、ギリシア時代やルネサンス時代と、現代はまったく同じ条件だ。技術が向上するということは、またその分だけ、挑戦するべき荒野が新たに生まれるということなのだ。
本当のアーティストは、ぎりぎりまで創造力の限界に挑み続けなければいけない宿命なのだと考えれば、どの時代に生まれようと、どれだけ恵まれた環境にいようと、常に大変だ。
でもそれは、逆に言えば、本当のアーティストは、どんな環境にいても常に新たな楽しみを見出せる人ということなのだと思う。
2007年10月08日
会社の品格
「会社」というもののが一体何なのか、その捉えかたは、人によって違う。会社というのは、法人という呼び方があるように、擬人化された一つの人格なのだという定義から話しは始まる。以前は、会社と従業員との関係というのは対等ではなく、会社が社員を縛り付けて、お互いに身動きがしにくい時代だった。だから、いったん入社したら他の会社と比べる機会もなく、自分の会社がやっていることについて公平に判断をすること自体が難しいことだった。
しかし、終身雇用という制度が事実上なくなり、人材が流動している今では、会社にこそ品格が厳しく問われるようになっている。では果たして、会社の品格というのはどの点で明らかになるのか、というのがこの本のテーマだ。
章ごとに、「組織の品格」「上司の品格」など一つ一つの項目に分けて語られているが、一番面白いと思ったのは「処遇の品格」についてだった。株主に経営情報を公開するように、社員にも情報開示が必要だという。求人活動は、会社にとってとても重要な活動だけれども、それをどのようなポリシーでおこなっているかというのは、確かに、会社の品格が最も問われる部分だと思う。社員のことをどれだけ大切にするかによって、会社はその質を判断される。社員によって選ばれる資格がある会社とはどういう会社なのか、考えるきっかけをたくさん与えてくれた本だった。
【名言】
本来、会社と社員との関係の結び方には2つの方法があります。ひとつは、辞めにくい会社を作って、辞めてほしい人に辞めてもらうことです。そしてもう一つの方法は、辞めやすい会社を作って、辞めてほしくないハイパフォーマンスのリテンション、在職維持に努めることです。相互拘束時代には、多くの会社が前者の考え方を前提に、処遇のルールを作ってきたわけですが、これからの相互選択時代には、後者の考え方を採用する必要があります。そもそも、辞めにくい会社を作って、辞めてもらうというやり方は、莫大なエネルギーを要するものです。(p.166)
アンフェアな採用活動は、もう許されない時代になります。なぜなら、人材獲得競争は、会社にとってひとつの重要な業務だと広く認識され、会社の体質がここで浮き彫りになるからです。今後は、採用シーンにおいて、会社の品格が表に出てきやすくなるでしょう。例えば、学生を拘束するということは、人の自由を束縛してでも自分達の目的を達成するんだ、という価値観を表しているといってもいいでしょう。実際には選考会なのに、そうではないと言って学生を集めるのは、手段を問わずにとにかく結果を出すためにウソをついてもいい、という体質を表しているともいえる。(p.182)
経営者や幹部はときどき、社員の時間は無尽蔵にあるという感覚に陥ることがあります。社員の時間はすべて自分達が預かったものだという考え方をしてしまう。そういう空気が広がっている会社は、品格的に相当な問題があると言わざるをえません。時間は資源である、という意識がないからです。この意識が典型的に表れるのは会議です。実は、「会議を見て、この会社はダメだという結論を下してしまう」という声が驚くほど多いのです。(p.156)
2007年10月07日
Movable Typeのログ・フィードを利用した指定日投稿
Movable Typeには、決まった日時を過ぎたら自動的に記事の投稿がされる「指定日投稿」の機能がある。
この機能を使うためには、指定日投稿の記事があるかどうかをMovable Typeが定期的に確認するよう、cronによって「tools/run-periodic-tasks」が定期的に実行されるように、サーバ上で設定をおこなう必要がある。
レンタルサーバの中には、cronの設定が出来ないサービスも数多くあり、そのような場合、JavaScriptやajaxを利用した特殊な方法を使わないと指定日投稿は実行が出来なかった。
しかし、Movable Type3.3以降は、ログ・フィードを読み込むタイミングでも、指定日投稿のチェックがおこなわれるようになったので、cronを設定しなくとも指定日投稿が出来てしまう。
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ログ・フィードを読み込むには、ログ・フィードリンクのURLをコピーして、Atomフィードに対応したRSSリーダーに登録するだけでいい。
そのRSSリーダー自体が起動していないと自動実行はされないので、完全に自動化されているというわけではないけれども、だいたい常時稼動しているようなパソコンにRSSリーダーを入れて設定してやれば、自動実行に近い形になる。
2007年10月06日
オセロー

「蜷川幸雄シェイクスピア・シリーズ」という連作のうち、この「オセロー」はその18作目になるらしい。
セットや衣装が、中世ヴェネチアの雰囲気をとても上手く表現していて、空間の臨場感は抜群だった。客席からキャストが登場するシーンが何度かあり、それを最初に見た時には、ちょっと変わった演出を加えた作品なのかと思ったけれど、全体的には極めてまっとうで、奇をてらうような演出はほとんどなかった。
「オセロー」というのは、悲劇の構造を極端にシンプルにして、その純粋なエッセンスを取り出したような物語だと思う。
坂口安吾は、「日本文化史観」の中で、「今日の日本人は、あらゆる国民の中で、最も憎悪心が少ない国民の一つだ」と言っていたけれど、確かに、オセローやイアーゴーのような強い感情の発露というのは、激しすぎて、なかなか共感しにくい気がする。
オセローを演じた吉田鋼太郎は、表情や話し方がコミカルな印象で、笑いを誘うようなところがあり、ちょっと違和感があったのだけれど、そういうキャラクターのほうが、観客にとっては感情移入しやすいのかも知れない。
デズデモーナ役の蒼井優は、よく通るいい声をしていて、舞台の上でもとても映える女優だと思った。ダントツで存在感があり、ハマり役だと思ったのは、イアーゴー役の高橋洋という人。
上演時間は全部で3時間50分で、随分と長い。独自のシーンを追加することもカットすることもなく、少しの意訳もすることさえなく、原作そのままの脚本で、その意味ではとてもストイックな作品だった。
会場:彩の国さいたま芸術劇場大ホール
公演期間:2007/10/4(木)~10/21(日)※10/9,15休演
2007年10月05日
自由が丘女神祭り

今週末の10/7(日)、8(月祝)は、自由が丘の街全体で女神祭りがおこなわれる。
自由が丘は、商店街など街総出での催し物が多く、毎月のようにイベントが開催されているが、この女神祭りは、その中でも最大規模のもの。
ライブやオープンカフェなど、秋っぽい出し物が多く、夏祭りとはまた雰囲気が違う、文化祭という感じだ。自由が丘駅の正面口を出て、みずほ銀行の角を右に曲がったところに設置されるオープンカフェと、熊野神社でおこなわれるフリーマーケットは特におすすめ。
2007年10月04日
ローマ人の物語「すべての道はローマに通ず」

ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず(上下巻)(塩野七生/新潮社)
筆者は、「ローマ人の物語」という長いシリーズの中で、道路や上下水道などの「インフラ」についてだけで一つの大きな章をとった。大きな歴史の中でのテーマとしては、もっと書くべきテーマがあるだろうはずなのに、あえて「インフラ」についてここまでのページを割いている点、他の巻と比べてかなり趣向が変わっている。しかし、それだけのことをする意味がある、重要なテーマであると思った。
ローマ帝国のインフラというのは、工夫と技術のかたまりのようなもので、ローマという国の強さと繁栄は、整備されたインフラにこそ、そのベースがあったのだということが、この本を読むとよくわかる。
それは、執拗と言っていいほどのこだわりようで、ローマ人という民族のすごさを最も端的に表しているのは、道路や上下水道という生活・軍事の基盤をがっちりと固めて、決しておろそかにしなかったということだろう。
ローマの歴史の中に見所となる出来事はたくさんあるけれども、その歴史の隠れた立役者である「インフラ」に目を向けて細かく分析をしたこの章は、読み物として面白いだけでなく、現代にもそのまま通用する知恵がたくさん含まれていると思った。
【名言】
常に複数の選択肢を持つべきとするローマ人の考え方は、ごく自然に、街道のネットワーク化に向かったであろう。全線舗装の街道は、ローマ人の発明ではない。しかし、道とはネットワーク化してこそ飛躍的な効果をもたらすことに気づき、それを実現したのはローマ人である。ローマ街道は、街道網として考えないかぎり、その真の偉大さは理解できない。(上巻p.87)
インフラとは、経済力が向上したからやるのではなく、経済力を向上するためにやるものだと、彼らは考えていたのであろうか。(上巻p.109)
「ローマ軍は兵站で勝つ」と言われていた。ローマ軍では、一人一人の兵士の精神力に期待するのは最後にくることで、それ以前に成されていなければならないのは、個々の兵士が精神力を最高に発揮できるための環境の整備、つまり「ロジスティクス」であると考えられていたのである。(上巻p.164)
2007年10月03日
ショパンミルフィーユ
ほうっておくとつい食べ過ぎてしまうので、みずから摂取制限を課さなければいけないぐらい、チョコレートが好きだ。
最近のヒットは、明治のショパンミルフィーユ。


日本は、製造業のクオリティーの高さにおいても世界に誇れるものがあると思うけれども、スーパーで売っている市販のお菓子というジャンルでも、ダントツに世界一の品質だと思う。
日本の菓子に比べると、アメリカやヨーロッパの菓子はとても粗くて雑な感じがする。スイスやベルギーの高級チョコレートになってくるとまた話しは変わってくるけれども、そういう種類のものはどうも口に合わない。
一般にコンビニなどで売られている日本のお菓子は、驚くほど繊細で良く出来ている。しかも、季節ごとに数え切れないほどの新商品が次々と出てくる。日本人でよかったと思えることの一つだ。
2007年10月02日
もがみ&アリー
アリーともがみとは、別々のタイミングで知り合った。
アリーとは以前からの知己だけれども、もがみとよく会ったり話したりするようになったのは、アリーの恋人ということで紹介を受けてからだ。
もがみについては、最初からとても印象がいい。
もちろん、もがみ本人がいいやつだから、ということは大前提としてあるけれど、大きいのは、「アリーが気に入るほどの男だから、スゴい人物に違いない」という先入観が初めからあったことだ。
そして、人にそう思わせるだけの影響力を持つアリーもすごい。
こういう場合の説得力というのは、一朝一夕で出来上がるものではなく、長い時間のその人の言葉と行動と、それによる結果の蓄積から発生する、いわば一つのブランドなのだ。
2007年10月01日
千年、働いてきました
日本は、何百年も続いてきた老舗企業の数が、世界でも特別に多い国のだという。こういう、こだわりを持った企業や職人の話しはとても好きだ。日本の老舗企業には、聞いていて驚くような話しがたくさん転がっている。そのエッセンスを集めてまとめたこの本も、とても面白い。「プロジェクトX」と似たようなテーマだけれども、この本は、老舗企業に主に焦点を絞っているので、より、普段はまったく接点がないような小さい会社が実はスゴいことをやっている、という話しに満ちていて、更に面白い。日本という国は色々な点で、世界に類を見ない特殊性を持っている国だということを再認識した本だった。
【名言】
デジタルの温度計で、千度というのはわかるわけです。でも、同じ千度でも、表面の状態を見たとき、非常に青く澄んでいるとか、ちょっとくすんでいるとか、違いがあるんですよ。それを、温度だけで千度だからと管理していると、やっぱりできてくる粉が違います。温度計だけでは管理しきれないものがあるんです。(p.52)
浅香工業の家訓には、「良品は、声なくして人を呼ぶ」という一節がある。品質第一主義を貫いていれば、ことさら宣伝などしなくても顧客はちゃんとついてくれるという意味だ。地味だが、質の高いものづくりをこつこつと積み重ねてきたのは、老舗の製造業に共通する特長である。(p.159)








