» 2007 » 11月のブログ記事

個性を捨てろ!型にはまれ!
個性を捨てろ!型にはまれ!(三田紀房/大和書房)

個性を尊重しましょう、という今の教育トレンドに真っ向からの反論を展開した本。著者は「ドラゴン桜」の作者でもある三田紀房さんで、「ドラゴン桜」と同様の強いメッセージがこの本にも込められている。
「本当の自分なんて、ありもしないものを見つけようとするから、わけがわからないことになる。」「ひとむかし前まで日本がやってきた、個性を捨てて、型にはめる教育・組織こそが日本人にとって一番合ったやり方なんだ」という、かなり強烈な主張だ。
人によっては、「時代錯誤だ」「ナショナリズムだ」と強いアレルギーを示すかもしれない。しかしこの価値観は、自分にとってはとても共感出来る部分が多かった。
1997年に神戸の児童連続殺害事件が起こったときにも、中学生が「どうして人を殺しちゃいけないの?」と質問して、大人たちが誰も答えられなかったという出来事があった。そんなもの理由なんかないのだ。「理屈じゃないんだ。ダメだからダメなんだよ」どうしてそう言えないのだろうか。(p.147)』
これと同じことは、藤原正彦さんの「国家の品格」でも強く主張されていた。
水戸藩の教育では、守るべき十箇条の規範の最後に「ならぬことはならぬものです」と書いてあったという。
子供の教育として、幼いうちから「ダメなものはダメなんだ」ということをきっちりと叩き込むということはとても重要なことだ。
子供に媚びて、ものわかりがよい親であろうとしたりすると、少しでも理不尽と思うことは通せなくなってしまう。
しかし、本当に大事なことは理屈ではないし、その大事なことをきっちりと体に染みこませることが教育なのだと思う。
「日本の常識は世界の非常識というが、それの何が悪い?」という開き直りも好きだ。日本の良い部分は、他の国にない日本独自の文化の中にこそある。それを、グローバルスタンダードの波にしたがって無くしてしまうのは、競争力を高めるどころか、長期的に見れば日本の競争力を壊滅的なまでに失わせてしまうことにになってしまうだろうと思う。

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今週、続々とドコモの905iシリーズの新製品が発売されている。
携帯は今、N904iを使っている。その前に使っていたN901iCはとても気に入っていたのだけれど、首の部分が壊れて使えなくなってしまったので、やむなく機種変更したものだ。このN904iは、あまり気に入ってない。
n904i.jpg
一番気に入らないところは、背面の小さいウィンドウに有機ELディスプレイを使っていることで、これは、ディスプレイが薄く作れる代わりに、消費電力がとても高いものらしい。だから、常時点灯させておくことが出来ない。
自分は、携帯を時計代わりに頻繁に使っているので、これはかなり致命的だ。それぐらいなら、常時表示が出来る普通の液晶のほうが余程いい。
で、新しい905iシリーズはどうなのかと確認してみると、F905i以外はすべて有機EL。F905iはSTN液晶だけれど、バックライトがつかないと見えないので、結局常時表示は出来ない。
薄くなったり高性能になるのはいいけれど、こういう根本的なところが退化していることにがっかりする。

夜回り先生

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夜回り先生1~6巻(土田世紀,水谷修/小学館)

とても感動した。「夜回り先生」の話しは、土田世紀の絵にとてもよくマッチしている。「夜回り先生」をマンガにするには、土田世紀以外の筆者はあり得ないと思うぐらいのハマり方だ。小説も良かったけれど、この作品は、マンガ化して更に素晴らしくなったと思う。
この、夜回り先生こと水谷さんの活動がスゴいと思うのは、自分の活動を組織化することをせず、決して群れることをせずに、1対1で向き合うことだ。それは、大人が二人以上集まると、それだけで子供にとっては圧力になり、心を開くことがなくなるからだという。
サイトを見ていて知ったのだけれど、水谷さんは「リンパ腫」という病気にかかっていて、あまり長くない体であるらしい。
http://books.yahoo.co.jp/interview/detail/31438164/01.html
それでありながら、今も変わらず、毎日夜回りやメールの対応や講演活動を、ほとんど睡眠をとらずに続けているという。
実在の人物の活動をマンガや物語にするにあたっては、構成の都合などで、多少の脚色が入ることもあるだろうし、どこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションなのかは、わからない。
だけれど、そういう細かい部分はどうでもよく、ただ、一人の信念を持った人が、自分の体と時間を極限まで酷使して、多くの子供に向き合い続けているということは事実で、その気迫と覚悟がこの作品からも伝わってくる。

日曜洋画劇場 40周年記念 淀川長治の名画解説
日曜洋画劇場40周年記念 淀川長治の名画解説

子供の頃の記憶ながら、今でも強烈に印象に残っている、「日曜洋画劇場」の淀川長治さんの解説だけを50本もまとめたDVD。
こうしてあらためて見直すと、淀川さんの解説というのは名人芸だ。どんな映画であっても、必ず「観たい」と思わせるような話し方をする。実際に観てみると、期待したほど面白くなかったりすることもあるのだけれど、そういう映画でも、作品のポイントを説明してもらうと、そんなものかと納得してしまうところがある。
このDVDに収録されている映画は、いずれも80年代を中心とした有名な作品ばかり。DVDの特典として、「現存する最も古い解説映像」と、「最後の解説映像」の2種類の映像が収められている。淀川さんは、この「最後の解説映像」収録の数日後に亡くなったという。ガラガラ声で、まさに最後の力を振り絞って伝えようとしている解説だ。
後世になっても名解説を再び聞くことが出来る、こういうDVDを発売してくれたことは本当にありがたい。

週末に、NHKの深夜番組の「世界面白スポーツ」という番組で、ヒューマンキャッスルというスポーツ(?)を紹介していた。スペインのカタルーニャ地方の伝統行事で、運動会でやる人間ピラミッドを巨大なスケールにしたようなものを作る。
ほとんど知られていないマイナーなスポーツとは思うのだけれど、これがとにかくスゴい。
人の肩の上に人が乗って、それを8段も9段も積み上げていって城を作る。
番組の解説によると、作るのももちろん難しいけれど、キャッスルが出来上がった後に降りる時のほうがずっと、バランスを取るのが難しいらしい。
YouTubeに画像があったので、見てもらえれば、どんなものかよくわかると思う。

これは、技術と勇気と信頼が高度なレベルで必要になる。実に、手に汗にぎるスポーツだ。

先日発売されたミシュラン東京版に「にしたに」が三つ星の店として掲載されていた。
ミシュランで星のついた店には今、予約が殺到していて、再来年の分まで埋まってしまっている店もあるという。
にしたにの「まぐろづくし」が今後、気軽に食べられなくなってしまうとしたら、とても悲しい。
雑誌やテレビの取材を頑なに断り続けるレストランの話しも聞くけれど、確かに、メディアで評価されるというのも良しあしで、有名になればそれだけ、色々な人が来るようになる代わりに、昔からの馴染みの人の割合は減ってしまう。
今回、ミシュラン東京版の出版にあたって、なんと三つ星の評価を断った店があるらしい。
三つ星の栄誉を受ける資格がある店というだけでもスゴいけれど、ポリシーを持ってその星を断るというこだわりを貫くのは、更に素晴らしいことだと思う。

自殺論

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自殺論 (中公文庫)
自殺論(デュルケーム/中央公論社)

この「自殺論」は、フランス人のデュルケームによって19世紀の終わりに書かれたもので、内容はけっこう古い。
社会学というのは、物理や生物のような自然科学とは別のもので、実験によるデータの採取が難しい学問ではあるけれども、統計情報の数字を素材にすることで、自然科学と同じように理論的な分析をしていくことが可能なのだということが、デュルケームの緻密で隙のない論理の展開を見るとよくわかる。
自殺率の数字は、離婚率や、信仰している宗教や、住んでいる地域とどの程度の関連があるのか。その一つ一つを、主観的な思い込みを一切排除して、淡々とシステマチックに解析していく。その結果浮かび上がるのが、その個人が属している社会への関わり度合いと、自殺率との深い相関関係だ。
生物を細かく分けていくと、細胞の集まりということになるけれども、細胞一つだけをとってみると、それは生物とは言えない、別のものになる。それと同じことが、社会と個人との関係においても言える。
自殺というのは、極めて個人的な行為に見えながら、しかし、それを発生させている根本的かつ最大の要因として、個人の意思を超えた「社会」という存在があることを、デュルケームは論証によって浮かび上がらせた。
文章自体も、訳文にありがちな意味不明なところがなく、日本語として自然できれいな文章で、とても読みやすかった。前半はほとんどデータの提示に費やされていて、退屈なのだけれど、後半はそこから導きだされる意味の考察になり、一気に面白くなってくる。
一つ一つ仮説を立ててはそれらに対して、客観的に丁寧に考察を繰り返していきながら、反論の余地のない結論を導きだすという、見事な構成だった。説得力のある文章というのは、こういうものなのだと思った。人文科学分野での論文を書くときの、とても良い参考になると思う。
家庭や宗教といった社会組織は、自殺を抑止する効果が確かにあるが、そのつながりが弱くなっている状態では、それに代わる組織として、職業集団が有効であるという提言がされている。
戦後日本の、会社を中心とした社会はまさにそれを体現していたけれど、ここで言われている自殺抑止効果のあるような、安定した価値観を個人に与える組織には育たなかった。今のこの状況をデュルケームが見たらいったいどんな感想を持つのか、興味があるところだ。

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台北

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台北の街を歩いていると、昔どこかで同じ風景を見たことがあるような既視感を感じる。
日本の中のまだ行ったことのない、たとえば北九州の都市に来たような、親近感がある。
日本にいるのと大きく異なるのは、看板で使われている文字が読めないということで、ただ、それも、まったくわからないわけでなく、漢字の雰囲気からなんとなくわかるという微妙な按配で、それがこのちょっと懐かしいような感覚の原因なのだろうと思う。
「スワロウテイル」のような、普段知っている世界とはちょっとズレた軸にある、パラレルワールドにいるような気分になる。
村上龍の「五分後の世界」では、もし日本が第二次世界大戦後、他国に分割統治されていたら、という架空の世界が描かれていたけれど、もし九州が中国によって統治されたとしたら、この台湾のような光景が生まれていたのではないかと想像してしまう。
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台北は、たいがいのところに歩いても行けてしまうぐらい、街が小さい。それでいて、地下鉄やバスが充分に発達していて、コンビニエンスストアのような店もたくさんあり、便利さが生活の中に行き渡っている。
しかし、それは、いかにも「都会」というようなエッジのきいた洗練ではなく、どことなく慎ましやかな、あると便利なものを必要なだけ、生活の中に摂取したような発展の仕方をしている街だと思った。
驚くのは、日本から携帯電話を持っていくと、そのまま、日本にいるのと同じように通話やメールが普通に出来てしまうことだ。日本から台北まで3時間程度の飛行時間で着いてしまうこともあり、海外とは思えないくらい、とても身近に感じられる。

人間の証明

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人間の証明 (角川文庫)
人間の証明(森村誠一/角川書店)

西条八十の「麦わら帽子の詩」を下地に、東京で殺された黒人の犯人を追う、社会派の推理小説。登場人物の過去と人間関係が、物語が進むごとに明らかになっていく過程が、一番の醍醐味ではあるけれど、それがあまりにキレイに繋がりすぎていて、小説とはいえ、ちょっと現実味に欠ける気がした。
ニューヨークのハーレムの描写は、とても良かった。東京とニューヨークという、二つの大きな都市の、乾いた雰囲気はよく伝わってくる。それに合わせるように登場する、棟居というドライな刑事の存在もいい。ただ、この作品では棟居刑事はあまり直接的に登場人物に絡んでくることがなく、そのキャラクターが活きていなかった気がする。
最後の、事件解決のくだりも、あまりしっくり来なかった。色々な事件やいきさつがあった後で、むりやりヒューマンドラマに持って行くという、あざとさが見えて、素直に感心することが出来ない。当時、この小説を原作としたドラマが流行して、その後もドラマ化が繰り返されているけれど、確かに、TVドラマ向きの構成を最初から意識したような感じがある作品だと思った。

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天(福本伸行/竹書房)

このマンガは麻雀を題材とはしているけれど、麻雀マンガというよりは、それを超えた人生論を主要テーマとしたマンガといっていい。
主人公は一応、「天」ということになっているが、影の主役は、圧倒的な存在感を持っているサブキャラクターである「赤木」という構造になっている。「スラムダンク」でいう、桜木と流川のポジションに近い。
赤木は、物語が進むにつれ、どんどん重要性を増していき、最後には完全に主役といっていい立場になる。途中から、もはや麻雀はまったく物語と関係なくなり、形而上的な対話へとステージが変化する。ここからが、この作品はものすごく面白い。
のちに、赤木を名実共に主人公とした「アカギ」という別作品が生まれたが、これほど特異で、魅力的なキャラクターもそうそうないだろうと思う。

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水晶堂について