» 2008 » 2月のブログ記事

以前は、ノートパソコンは、商売道具であることもあり、少しでも性能がいいものを求めて1年に1回は買い替えをしていた。
今使っているThinkPad X41は、2年前に買ったものだけど、特に性能に不満はないので、そのまま使い続けている。CPUのクロックが上がると消費電力も増えるし、OSはWindowsXPのままがいいので、本体を買い替える必要を感じていない。
しかしそれでも、劣化してくるのはバッテリーだ。新品の時の3割ぐらいの時間しか、外出先でバッテリーがもたなくなってきた。
バッテリーだけを新品にしようと、レノボのオンラインショップに行き、注文をしようとする。が、表示は「在庫なし(入荷時期未定)」。
Lenovo X40シリーズ大容量Li-Ionバッテリー・パック(8セル) [92P1119] Lenovo X40シリーズ 拡張Li-Ionバッテリー・パック [92P1006]
amazonで検索すると、一軒だけ、ThinkPadのバッテリーを売っている店があった。大容量バッテリーと、拡張バッテリーをつけることで、通常の3倍のバッテリー容量になる。特別に、thinkPad X41Sと名づけたいぐらいだ。
今月は、OSのクリアインストールもしたので、新品に近い状態に戻って、さっぱりした。

3月のライオン

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3月のライオン(羽海野チカ/白泉社)

※2008年2月現在、1巻のみ発売中
羽海野チカが、少年誌(ヤングアニマル)に舞台を移して新連載中の作品。
「ハチミツとクローバー」も、独特な、幸福感に包まれた空気が流れていて、それがとても読んでいて心地が良かったけれど、この「3月のライオン」はそれが更に色濃くなっている。
重いストーリーが下地にありながら、それを完全に覆いつくすぐらいの明るさと、全面的にファンタジーな絵柄。羽海野チカのマンガは、ネコやイヌのような、動物が特にいい。それぞれの動物の特徴をよく捉えていて、その愛らしさを最大限に表現するような描き方をする。
将棋のプロ棋士が主人公ということや、東京の下町が舞台ということは意外だったけれど、今回の物語は、「ハチミツとクローバー」以上に、この先が楽しみだ。

六角家

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久しぶりに、東横線の東白楽駅から歩いたところにある、六角家に行った。
今でこそ、神奈川県や都内各地のあちこちで「○○家」という、家系ラーメンは目につくようになったけれど、自分が最初に知ったのは、この、六角橋にある「六角家」だったと思う。
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それまでに知っていた、どのラーメンカテゴリーにも当てはまらない、独特な味で、大学生だった当時、よく学校の帰りに、吸い込まれるようにこの六角家に立ち寄った。
いつ行っても、店の外まであふれるくらいに行列が続いていた。今は、どうなんだろう?昼間に行ったからわからなかったけど、今でも夜には行列が出来ているんだろうか。
【家系ラーメンの食べ方(我流)】
麺は、固め。
テーブルの上に置いてある豆板醤とおろしにんにくを、スープには入れずに、海苔の上にのせる。
麺を食べた直後に、追い討ちをかけるように、豆板醤とおろしにんにくを、直接食べる。
家系ラーメンには、この、豆板醤とおろしにんにくが抜群に合う。
その味を薄めないためには、スープに溶かさずに、直接食べるのがベスト(私見です)。
■六角家(六角橋本店)
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http://www.rokkakuya.com/
横浜市神奈川区西神奈川3-1-5
電話:045-413-0356
営業時間:11時~23時
定休日:無休(年末年始を除く)

三人姉妹

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■時間堂「三人姉妹」
http://www.seriseri.com/jikando/
期間:2008年3月13日(木)~23日(日)
会場:王子小劇場
時間堂で「三人姉妹」の公演をやるというので、その予習として、チェーホフの原作を読んでみた。
・・が、話しがよくわからない。
いったいこの話しは、何を言わんとしているのか?
ロシア文学で出てくる登場人物は、なんというか、突然陽気になったり憂鬱になったり、感情が安定していなくて、キャラクターが理解しにくい。
それと、本名と呼び名が違うのが普通なのか、同じ人物のことを色々な名前で呼ぶものだから、いったいどれが誰のことだかわからなくなってくる。
いつ山場が来るんだ、、と思いながら読んでいたら、話しが終わってしまった。
これはもう、舞台に期待をすることにする。
上演時間は3時間というから、今までの時間堂で一番の大作だ。
もともと、戯曲として書かれた作品なのだから、舞台になったほうがわかりやすいだろう、きっと。この作品が、どういう形で表現されるのだろう。
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三人姉妹(チェーホフ/湯浅芳子訳/岩波文庫)
※現在は絶版
この作品で、「パナマ事件」という、パナマ運河開発会社の疑獄事件があったことを知った。
【名言】
あなたはおっしゃる、生活は素晴らしいと。そうね、だけどただそう思えるだけだとしたら!あたしたち姉妹三人の生活は素晴らしくなんかなかったのです。生活はあたしたちを阻みました、雑草がはびこるように。働くことが必要よ、働くことが。あたしたちは勤労を知らないから、それだから陽気でないし、こんなに陰気に生活をながめているのよ。あたしたちは勤労を蔑んだ人々から生まれました・・。(p.31)

不思議な少年

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不思議な少年 6 (6) (モーニングKC)
不思議な少年(山下和美/講談社)

※2008年2月現在、6巻まで発売中
「不思議な少年」の6巻が出た。
この物語は、スケールがでかい。そのスケールの大きさは「火の鳥」に匹敵するほどで、これだけの話しを描くとなると、並大抵の世界観では、どこかで破綻して失速してしまうものだと思うのだけれど、この作品の出来は素晴らしい。
話しの舞台や年代は多岐にわたっていて、それぞれが1話か2話程度で完結する、短編集のような形になっている。
永遠の命を持つところや、どの時代のどの場所にも自由に現れるところも、火の鳥に似ているけれど、人間の少年の姿をしているために、神のような雰囲気はない。
不思議な力をいくつか持ってはいても、基本的には傍観者としてのスタンスを貫いていて、人間の歴史に不必要に干渉することもない。
その点、主人公であるこの少年はとてもさっぱりとしているのだけれど、そのために余計に、人の宿命や業が、客観的な視点で描かれていて、その一歩ひいたクールさがこの作品の大きな特徴になっている。
隔月刊の別冊モーニングに連載されているので、刊行ペースは1年に1冊ほど。もっと早く続きが読みたいと思ってしまうけれど、週刊連載ペースでこれだけのクオリティを保つことは難しいだろうから、拙速で内容が粗くなってしまうよりも、今のペースでも、じっくりと長く続けていってほしいと思う作品だ。

「星の王子さま」を原作にしたミュージカル、「リトルプリンス」を観た。
一昨年の11月に上演された時も、相当なクオリティーの高さと思ったけれど、今回はキャストが一新されて、より一層、素晴らしい出来になっていた。
「星の王子さま」の物語の中にある、たくさんの名場面の中で、とりわけ好きなのは、王子とキツネとの交流のシーンだ。初めはまったくの他人同士で、何の関わりもなかった二人が、徐々に距離を縮めていって、お互いがお互いを唯一無二の存在として認めるようになる。
この舞台では、そのシーンが特に良く出来ている。だんだんとお互いの存在が近くなって、息が合ってきて、動きや感情までもがシンクロしていく感じ。この空気は、舞台以外では伝わらない感覚だと思う。
「星の王子さま」の原作は、意外に淡々としていて、そっけない。わくわくしたり、楽しんで読むような種類の物語ではなく、サンテグジュペリのほのぼのした挿絵にひかれて読むと、予想していた感じと違った、ということになる。
この、ミュージカルの舞台では、原作のメッセージはそのまま残しつつ、エンターテイメントの要素がかなり豊富に加えられているので、小説よりもはるかに面白く、印象に深く残る形になっている。
東京公演は2月24日(日)で終わってしまうので、それ以降の公演は、全国公演になる。(東京近郊では、5月31日(土)と6月1日(日)に相模大野での公演あり)
もし、自宅の近くで公演があるようだったら、ぜひ一生に一度は、この作品を観てみてほしいと思う。
「リトルプリンス」作品紹介ページ
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もう一つ、特に好きなシーンを、小説の中から。
星の王子さま
星の王子さま(サンテグジュペリ/池澤夏樹訳/集英社)

王子さまはもういちど庭園のバラを見に行った。
「きみたちはぼくのバラとはぜんぜん似てないよ。きみたちはまだ何でもない」と王子さまは言った。
「誰もきみたちを飼い慣らしていないし、きみたちだって誰も飼い慣らしていないからね。きみたちは以前のキツネに似ている。前は10万匹のキツネたちのどれとも違わないただのキツネだった。でもぼくたちは友だちになったし、今では彼は世界でただ1匹のキツネだ」
バラたちはみな当惑していた。
「きみたちはきれいさ。でも空っぽだよ」と彼は続けた。「誰もきみたちのためには死ねない。もちろん、通りすがちの人はぼくのあのバラを見て、きみたちと同じだと考えるだろう。でも、あれはきみたちをぜんぶ合わせたよりもっと大事だ。なぜって、ぼくが水をやったのは他ならぬあの花だから。ぼくがガラスの鉢をかぶせてやったのはあの花だから。ついたてを立ててやったのはあの花だから。毛虫を退治してやったのはあの花だから。愚痴を言ったり、自慢したり、黙っちゃったりするのを聞いてやったのは、あの花だから。なぜって、あれがぼくの花だから。」(p.102)

代表的日本人

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代表的日本人(内村鑑三/岩波文庫)

西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の5人について、内村鑑三が書いた伝記的読み物。この本は、新渡戸稲造の「武士道」と同じように、英文で書かれたもので、それが和訳されて逆輸入されたような形になる。
この本が出版されたのは、今からちょうど100年前の1908年。こういう、日本のことを世界に伝える本の需要があったのは、日清戦争、日露戦争が終わった直後で、世界の注目が日本に集まっていた時期だったからだろうと思う。
もし、自分が100年前に生きていて、外国人から「日本というのはどういう国なんだ?」と尋ねられたら、この本をプレゼントしていたかもしれない。
内村鑑三は、「私の貴ぶものは二つのJであります。其一はJesusであります、其他のものはJapanであります。」と語っている。
こういう、西洋と日本、両方の事情に通じ、ナショナリズムとグローバリズムを共に持つ著者でなければ、日本人以外に理解出来る言葉で、日本の文化を正しく説明することは難しかっただろう。
紹介されている5人はいずれも、思想によって世を治めたり、世に影響を与えた人々で、この面々は、キリスト教の信奉者である、内村鑑三らしいセレクションだと思う。いずれも、単なる伝記である以上に、それぞれの人物への著者の愛着が伝わってくる文章であるのがいい。
西郷隆盛については、司馬遼太郎の著書によって、より詳しい人物像が出来上がっていたけれども、それ以外の人々の生い立ちや実績については、この本を読んで初めて知ったことが多かった。
著者は、西洋に劣らぬ偉大な思想家や政治家が日本にもいたということ、文化的な歴史において日本が西洋に引けをとらないということを、繰り返し主張している。読んでいる自分自身が、とても励まされる気分だ。この本を知って、ますます日本という国が好きになった。
【名言】
太閤の偉大さは、思うにナポレオンに似ていました。太閤には、ヨーロッパの太閤に顕著なほら吹きの面が、その小型ながら、かなりあったのです。太閤の偉大さは、天才的な、生まれつきの精神によるもので、偉大をのぞまなくても偉大でありました。しかし、西郷は、そうではありません。西郷の偉大さはクロムウェルに似ていて、ただピューリタニズムがないためにピューリタンといえないにすぎないと思われます。西郷には、純粋の意志力との関係が深く、道徳的な偉大さがあります。それは最高の偉大さであります。(西郷隆盛p.49)
あらゆる人々のなかで、鷹山ほど、欠点も弱点も数え上げることの難しい人物はありません。鷹山自身が、どの鷹山伝の作者にもまして、自分の欠点と弱点とを知っていたからであります。(上杉鷹山p.73)
「キュウリを植えればキュウリとは別のものが収穫できると思うな。人は自分の植えたものを収穫するのである。」(二宮尊徳p.100)
「道と法とは別である。一方を他方とみなすことが多いが、それは誤っている。法は、時により、中国の聖賢によっても変わる。わが国に移されればなおさらである。しかし道は、永遠の始めから生じたものである。徳の名に先立って、道は知られていた。」(中江藤樹p.134)
わが仏僧の場合、なにが権威ある聖典であるかの問題は、キリスト教のルターのように単純ではありません。ドイツ人の方は、ただ一冊の聖書のみに頼ればよかったのでありました。これに対して日本人の方は、ときには矛盾しあう何十もの経典があり、そのなかから、最高の権威ある経典を自分で選ばなければなりません。(日蓮上人p.152)
日蓮の教えの多くは、今日の批評によく堪えるものではないことを認めます。日蓮の論法は粗雑であり、語調全体も異様です。日蓮はたしかに、一方にのみかたよって突出した、バランスを欠く人物でした。だが、もし日蓮から、その誤った知識、生来の気質、時代と環境とがもたらした多くのものを取り去ったとしましょう。そこに残るのは、しんそこ誠実な人間、もっとも正直な人間、日本人のなかで、このうえなく勇敢な人間であります。偽善者なら25年以上も偽善をつづけることはできません。また、そんな偽善者のために生命を投げ出す何千人もの信徒をもつことはできません。(日蓮上人p.174)
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食べるものというのは、別にそれほど体に大きな影響を与えるものではないだろうと思っていた。
よほど偏った食事や、暴飲暴食をするのでない限りは、何を食べていてもあまりたいした違いはないだろうという気がしていた。
学生時代からずっとバスケットなどのスポーツをやってきた、ゆきちゃんと話しをしていたとき、「本当に毎日、体を限界まで使っている時は、ちゃんとした食事をしないとやってられなくなる」と話すのを聞いた。
それで気づいたのは、自分は、そこまでシビアに体のコンディションを管理する必要に迫られることが今までなかったから、食べるものについて無自覚でもやり過ごせただけだったのだ、ということだった。
そう思い当たったのは、睡眠とよく似ていると思ったからだ。
睡眠時間も、あまり忙しくない時は、適当な時間に好きなように寝ていても大した影響はない。寝たい時に寝るのが一番だろう、という気さえしてしまう。
しかし、仕事の納期直前などでギリギリのスケジュールでやっているような時には、規則正しくきちんと寝て、効率良く睡眠をとらないと、とても乗り切れないような状態になる。
食事も、同じことなのだろう。
そういうことは、理屈ではなく、体で感じないとわからない。

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生きるということ(エーリッヒ・フロム/紀伊國屋書店)

原題は「To have or to be?」で、こちらのタイトルではストレートに表現されているように、「持つ」ことと「ある」ことの違いを、日常生活のあらゆる場面を取り上げて、詳しく説明した本。
この本での分析はとても細かく、日常生活のあらゆる場面について言及されていて、それは車や家のような、目に見える物や金のこともあれば、信頼や知識のような、目に見えないものにも及んでいる。
この、「持つか、あるか」という観点で見ると、今、世の中に出ている価値観のほとんどは「持つ」ことが善という暗黙の了解を大前提にして成り立っていることばかりだ。しかし著者は、理想的な生き方とは、「持つ」ことを重視する生活ではなく、「ある」ことと重視する生活にあると主張している。
最近読んだ本で、圧倒的な感銘を受けた本はどれも、「持つ」ことではなく、「ある」ことの重要さを示唆しているような気がする。
そういう気がするのは、今、自分の中のアンテナがそっちの方向を向いていて、それに関係したものを拾いやすくなっているからなのかも知れない。
現代社会の「持つ」ことへの偏重に対して、後半でフロム氏が示している解決策は、理想主義すぎて、現実の見込みはほとんどなさそうに思える。筆者自身もそれは認識していて、この解決は非常に難しく、達成の見込みはほとんどないと述べながらも、「しかし、不可能ではない」と締めくくっている。
社会全体としての変革は、確かに難しいことと思うけれど、この本に書かれていることは、個人として物事を考えるにあたって、非常に役立つ知恵だと思う。
【名言】
私たちが行っているのは今までになされた最大の社会的実験であって、それは快楽が人間存在の問題に対する満足すべき解答となりうるか、という問いに答えるための実験なのである。歴史上初めて、快楽動因の満足が少数者の特権にとどまらず、人口の半分以上にとって可能となっているのだ。この実験はすでにその問いに対して否定的に答えている。(p.21)
クリュソストモス(四世紀)の警告「私は私のものを使うと言ってはならない。あなたはあなたと無縁のものを使うのだ。気ままで利己的な使用は、あなたのものをあなたと無縁の何ものかにしてしまう。それゆえにこそ私はそれを無縁のものと呼ぶのだ。」(p.89)
死ぬことの恐れを真に克服するには、ただ一つの方法しかなく、その方法は、生命に執着しないこと、生命を所有として経験しないこと、によるものである。死ぬことの恐れは、生きることをやめることの恐れのように見えるが、実はそうではない。死は私たちにかかわりはない、とエピクロスは言った。「なぜなら、私たちがいる間は死はまだ来ていないし、死が来た時には私たちはいないのだから」。(中略)いかに死ぬべきかの教えは、実際いかに生きるべきかの教えと同じである。あらゆる形の所有への渇望、とくに自我の束縛を捨てれば捨てるほど、死ぬことの恐れは強さを減じる。失うものは何もないからである。(p.174)
機械を通じて、時は私たちの支配者となった。自由時間にのみ、或る選択ができるように見える。しかし、私たちはたいてい、仕事を組織化するように、余暇をも組織化する。あるいは、完全になまけることによって、時の専制君主に反抗する。(p.178)
エンゲルスがマルクスの死後に述べることとなったように、彼らはまったく間違っていた。彼らは資本主義の発達の絶頂において彼らの新しい教えを宣言したのであって、資本主義の衰退と究極的な危機が始まるためには、さらに百年を要することを予知しなかった。歴史的必然としては、資本主義の最盛期に広められた反資本主義思想が成功を収めるためには、それは資本主義精神へ完全に変貌しなければならなかった。そしてこれが実際に起こったことであった。(p.212)

東京麺通団

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新宿にある「東京麺通団」は、基本は讃岐うどんの店なのだけれど、うどん屋という枠を大きく超越している。
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うどんの種類は、基本的なものから、明太子や玉子を入れたものなど、十数種類。店の入口で、うどんを注文した後に、カフェテリア形式で、うどんの上にのせる揚げ物などを自由に取る。
うどんにのせる具だけでなく、おでんや角煮や豆腐など、各種の惣菜も非常にバラエティー豊かに取り揃えられている。この、惣菜がとても魅力的なラインナップなのだ。こういう、自分の好きなものだけを自由に組み合わせて取れる仕組みはとてもいい。欲しいものを必要なだけ選べるというのは、経済的だ。
うどんはもちろんのこと、どの惣菜もシンプルに旨い。
ナゾにつつまれているのが、カルピスサワーで、いったいどの点が他のカルピスサワーと違うのかわからないのだけれど、やたらと旨い。そして、これを飲むと必ず1杯だけで、ちょうど良い感じに酔ってしまう。
しかし、もしかすると、実は何の変哲もないサワーで、単に自分が、この店と相性がいいというだけなのかもしれない。
■東京麺通団
http://www.mentsu-dan.com/shop/menu_tokyo.html
営業時間:朝10時~深夜2時まで
営業日:年中無休
東京都新宿区西新宿7-9-15 1F
03-5389-1077
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