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2008年02月29日

ノートPCをメンテナンス

以前は、ノートパソコンは、商売道具であることもあり、少しでも性能がいいものを求めて1年に1回は買い替えをしていた。
今使っているThinkPad X41は、2年前に買ったものだけど、特に性能に不満はないので、そのまま使い続けている。CPUのクロックが上がると消費電力も増えるし、OSはWindowsXPのままがいいので、本体を買い替える必要を感じていない。

しかしそれでも、劣化してくるのはバッテリーだ。新品の時の3割ぐらいの時間しか、外出先でバッテリーがもたなくなってきた。
バッテリーだけを新品にしようと、レノボのオンラインショップに行き、注文をしようとする。が、表示は「在庫なし(入荷時期未定)」。

Lenovo X40シリーズ大容量Li-Ionバッテリー・パック(8セル) [92P1119] Lenovo X40シリーズ 拡張Li-Ionバッテリー・パック [92P1006]
amazonで検索すると、一軒だけ、ThinkPadのバッテリーを売っている店があった。大容量バッテリーと、拡張バッテリーをつけることで、通常の3倍のバッテリー容量になる。特別に、thinkPad X41Sと名づけたいぐらいだ。
今月は、OSのクリアインストールもしたので、新品に近い状態に戻って、さっぱりした。

2008年02月28日

3月のライオン

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3月のライオン(羽海野チカ/白泉社)

※2008年2月現在、1巻のみ発売中

羽海野チカが、少年誌(ヤングアニマル)に舞台を移して新連載中の作品。
「ハチミツとクローバー」も、独特な、幸福感に包まれた空気が流れていて、それがとても読んでいて心地が良かったけれど、この「3月のライオン」はそれが更に色濃くなっている。
重いストーリーが下地にありながら、それを完全に覆いつくすぐらいの明るさと、全面的にファンタジーな絵柄。羽海野チカのマンガは、ネコやイヌのような、動物が特にいい。それぞれの動物の特徴をよく捉えていて、その愛らしさを最大限に表現するような描き方をする。
将棋のプロ棋士が主人公ということや、東京の下町が舞台ということは意外だったけれど、今回の物語は、「ハチミツとクローバー」以上に、この先が楽しみだ。

2008年02月27日

六角家

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久しぶりに、東横線の東白楽駅から歩いたところにある、六角家に行った。

今でこそ、神奈川県や都内各地のあちこちで「○○家」という、家系ラーメンは目につくようになったけれど、自分が最初に知ったのは、この、六角橋にある「六角家」だったと思う。

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それまでに知っていた、どのラーメンカテゴリーにも当てはまらない、独特な味で、大学生だった当時、よく学校の帰りに、吸い込まれるようにこの六角家に立ち寄った。
いつ行っても、店の外まであふれるくらいに行列が続いていた。今は、どうなんだろう?昼間に行ったからわからなかったけど、今でも夜には行列が出来ているんだろうか。

【家系ラーメンの食べ方(我流)】
麺は、固め。
テーブルの上に置いてある豆板醤とおろしにんにくを、スープには入れずに、海苔の上にのせる。
麺を食べた直後に、追い討ちをかけるように、豆板醤とおろしにんにくを、直接食べる。
家系ラーメンには、この、豆板醤とおろしにんにくが抜群に合う。
その味を薄めないためには、スープに溶かさずに、直接食べるのがベスト(私見です)。

■六角家(六角橋本店)
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http://www.rokkakuya.com/
横浜市神奈川区西神奈川3-1-5
電話:045-413-0356
営業時間:11時~23時
定休日:無休(年末年始を除く)

2008年02月26日

三人姉妹

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■時間堂「三人姉妹」
http://www.seriseri.com/jikando/
期間:2008年3月13日(木)~23日(日)
会場:王子小劇場

時間堂で「三人姉妹」の公演をやるというので、その予習として、チェーホフの原作を読んでみた。

・・が、話しがよくわからない。
いったいこの話しは、何を言わんとしているのか?
ロシア文学で出てくる登場人物は、なんというか、突然陽気になったり憂鬱になったり、感情が安定していなくて、キャラクターが理解しにくい。
それと、本名と呼び名が違うのが普通なのか、同じ人物のことを色々な名前で呼ぶものだから、いったいどれが誰のことだかわからなくなってくる。
いつ山場が来るんだ、、と思いながら読んでいたら、話しが終わってしまった。

これはもう、舞台に期待をすることにする。
上演時間は3時間というから、今までの時間堂で一番の大作だ。
もともと、戯曲として書かれた作品なのだから、舞台になったほうがわかりやすいだろう、きっと。この作品が、どういう形で表現されるのだろう。


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三人姉妹(チェーホフ/湯浅芳子訳/岩波文庫)
※現在は絶版

この作品で、「パナマ事件」という、パナマ運河開発会社の疑獄事件があったことを知った。

【名言】
あなたはおっしゃる、生活は素晴らしいと。そうね、だけどただそう思えるだけだとしたら!あたしたち姉妹三人の生活は素晴らしくなんかなかったのです。生活はあたしたちを阻みました、雑草がはびこるように。働くことが必要よ、働くことが。あたしたちは勤労を知らないから、それだから陽気でないし、こんなに陰気に生活をながめているのよ。あたしたちは勤労を蔑んだ人々から生まれました・・。(p.31)

2008年02月25日

不思議な少年

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不思議な少年 6 (6) (モーニングKC)
不思議な少年(山下和美/講談社)

※2008年2月現在、6巻まで発売中

「不思議な少年」の6巻が出た。
この物語は、スケールがでかい。そのスケールの大きさは「火の鳥」に匹敵するほどで、これだけの話しを描くとなると、並大抵の世界観では、どこかで破綻して失速してしまうものだと思うのだけれど、この作品の出来は素晴らしい。
話しの舞台や年代は多岐にわたっていて、それぞれが1話か2話程度で完結する、短編集のような形になっている。
永遠の命を持つところや、どの時代のどの場所にも自由に現れるところも、火の鳥に似ているけれど、人間の少年の姿をしているために、神のような雰囲気はない。
不思議な力をいくつか持ってはいても、基本的には傍観者としてのスタンスを貫いていて、人間の歴史に不必要に干渉することもない。
その点、主人公であるこの少年はとてもさっぱりとしているのだけれど、そのために余計に、人の宿命や業が、客観的な視点で描かれていて、その一歩ひいたクールさがこの作品の大きな特徴になっている。
隔月刊の別冊モーニングに連載されているので、刊行ペースは1年に1冊ほど。もっと早く続きが読みたいと思ってしまうけれど、週刊連載ペースでこれだけのクオリティを保つことは難しいだろうから、拙速で内容が粗くなってしまうよりも、今のペースでも、じっくりと長く続けていってほしいと思う作品だ。

2008年02月24日

星の王子さま

「星の王子さま」を原作にしたミュージカル、「リトルプリンス」を観た。
一昨年の11月に上演された時も、相当なクオリティーの高さと思ったけれど、今回はキャストが一新されて、より一層、素晴らしい出来になっていた。

「星の王子さま」の物語の中にある、たくさんの名場面の中で、とりわけ好きなのは、王子とキツネとの交流のシーンだ。初めはまったくの他人同士で、何の関わりもなかった二人が、徐々に距離を縮めていって、お互いがお互いを唯一無二の存在として認めるようになる。
この舞台では、そのシーンが特に良く出来ている。だんだんとお互いの存在が近くなって、息が合ってきて、動きや感情までもがシンクロしていく感じ。この空気は、舞台以外では伝わらない感覚だと思う。

「星の王子さま」の原作は、意外に淡々としていて、そっけない。わくわくしたり、楽しんで読むような種類の物語ではなく、サンテグジュペリのほのぼのした挿絵にひかれて読むと、予想していた感じと違った、ということになる。
この、ミュージカルの舞台では、原作のメッセージはそのまま残しつつ、エンターテイメントの要素がかなり豊富に加えられているので、小説よりもはるかに面白く、印象に深く残る形になっている。

東京公演は2月24日(日)で終わってしまうので、それ以降の公演は、全国公演になる。(東京近郊では、5月31日(土)と6月1日(日)に相模大野での公演あり)
もし、自宅の近くで公演があるようだったら、ぜひ一生に一度は、この作品を観てみてほしいと思う。

「リトルプリンス」作品紹介ページ

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もう一つ、特に好きなシーンを、小説の中から。
星の王子さま
星の王子さま(サンテグジュペリ/池澤夏樹訳/集英社)

王子さまはもういちど庭園のバラを見に行った。
「きみたちはぼくのバラとはぜんぜん似てないよ。きみたちはまだ何でもない」と王子さまは言った。
「誰もきみたちを飼い慣らしていないし、きみたちだって誰も飼い慣らしていないからね。きみたちは以前のキツネに似ている。前は10万匹のキツネたちのどれとも違わないただのキツネだった。でもぼくたちは友だちになったし、今では彼は世界でただ1匹のキツネだ」
バラたちはみな当惑していた。
「きみたちはきれいさ。でも空っぽだよ」と彼は続けた。「誰もきみたちのためには死ねない。もちろん、通りすがちの人はぼくのあのバラを見て、きみたちと同じだと考えるだろう。でも、あれはきみたちをぜんぶ合わせたよりもっと大事だ。なぜって、ぼくが水をやったのは他ならぬあの花だから。ぼくがガラスの鉢をかぶせてやったのはあの花だから。ついたてを立ててやったのはあの花だから。毛虫を退治してやったのはあの花だから。愚痴を言ったり、自慢したり、黙っちゃったりするのを聞いてやったのは、あの花だから。なぜって、あれがぼくの花だから。」(p.102)

2008年02月23日

代表的日本人

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代表的日本人(内村鑑三/岩波文庫)

西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の5人について、内村鑑三が書いた伝記的読み物。この本は、新渡戸稲造の「武士道」と同じように、英文で書かれたもので、それが和訳されて逆輸入されたような形になる。
この本が出版されたのは、今からちょうど100年前の1908年。こういう、日本のことを世界に伝える本の需要があったのは、日清戦争、日露戦争が終わった直後で、世界の注目が日本に集まっていた時期だったからだろうと思う。
もし、自分が100年前に生きていて、外国人から「日本というのはどういう国なんだ?」と尋ねられたら、この本をプレゼントしていたかもしれない。

内村鑑三は、「私の貴ぶものは二つのJであります。其一はJesusであります、其他のものはJapanであります。」と語っている。
こういう、西洋と日本、両方の事情に通じ、ナショナリズムとグローバリズムを共に持つ著者でなければ、日本人以外に理解出来る言葉で、日本の文化を正しく説明することは難しかっただろう。
紹介されている5人はいずれも、思想によって世を治めたり、世に影響を与えた人々で、この面々は、キリスト教の信奉者である、内村鑑三らしいセレクションだと思う。いずれも、単なる伝記である以上に、それぞれの人物への著者の愛着が伝わってくる文章であるのがいい。

西郷隆盛については、司馬遼太郎の著書によって、より詳しい人物像が出来上がっていたけれども、それ以外の人々の生い立ちや実績については、この本を読んで初めて知ったことが多かった。
著者は、西洋に劣らぬ偉大な思想家や政治家が日本にもいたということ、文化的な歴史において日本が西洋に引けをとらないということを、繰り返し主張している。読んでいる自分自身が、とても励まされる気分だ。この本を知って、ますます日本という国が好きになった。


【名言】
太閤の偉大さは、思うにナポレオンに似ていました。太閤には、ヨーロッパの太閤に顕著なほら吹きの面が、その小型ながら、かなりあったのです。太閤の偉大さは、天才的な、生まれつきの精神によるもので、偉大をのぞまなくても偉大でありました。しかし、西郷は、そうではありません。西郷の偉大さはクロムウェルに似ていて、ただピューリタニズムがないためにピューリタンといえないにすぎないと思われます。西郷には、純粋の意志力との関係が深く、道徳的な偉大さがあります。それは最高の偉大さであります。(西郷隆盛p.49)

あらゆる人々のなかで、鷹山ほど、欠点も弱点も数え上げることの難しい人物はありません。鷹山自身が、どの鷹山伝の作者にもまして、自分の欠点と弱点とを知っていたからであります。(上杉鷹山p.73)

「キュウリを植えればキュウリとは別のものが収穫できると思うな。人は自分の植えたものを収穫するのである。」(二宮尊徳p.100)

「道と法とは別である。一方を他方とみなすことが多いが、それは誤っている。法は、時により、中国の聖賢によっても変わる。わが国に移されればなおさらである。しかし道は、永遠の始めから生じたものである。徳の名に先立って、道は知られていた。」(中江藤樹p.134)

わが仏僧の場合、なにが権威ある聖典であるかの問題は、キリスト教のルターのように単純ではありません。ドイツ人の方は、ただ一冊の聖書のみに頼ればよかったのでありました。これに対して日本人の方は、ときには矛盾しあう何十もの経典があり、そのなかから、最高の権威ある経典を自分で選ばなければなりません。(日蓮上人p.152)

日蓮の教えの多くは、今日の批評によく堪えるものではないことを認めます。日蓮の論法は粗雑であり、語調全体も異様です。日蓮はたしかに、一方にのみかたよって突出した、バランスを欠く人物でした。だが、もし日蓮から、その誤った知識、生来の気質、時代と環境とがもたらした多くのものを取り去ったとしましょう。そこに残るのは、しんそこ誠実な人間、もっとも正直な人間、日本人のなかで、このうえなく勇敢な人間であります。偽善者なら25年以上も偽善をつづけることはできません。また、そんな偽善者のために生命を投げ出す何千人もの信徒をもつことはできません。(日蓮上人p.174)

ソーシャルブックシェルフ「リーブル」での登録

2008年02月22日

頭でなく体でわかること

食べるものというのは、別にそれほど体に大きな影響を与えるものではないだろうと思っていた。
よほど偏った食事や、暴飲暴食をするのでない限りは、何を食べていてもあまりたいした違いはないだろうという気がしていた。

学生時代からずっとバスケットなどのスポーツをやってきた、ゆきちゃんと話しをしていたとき、「本当に毎日、体を限界まで使っている時は、ちゃんとした食事をしないとやってられなくなる」と話すのを聞いた。
それで気づいたのは、自分は、そこまでシビアに体のコンディションを管理する必要に迫られることが今までなかったから、食べるものについて無自覚でもやり過ごせただけだったのだ、ということだった。

そう思い当たったのは、睡眠とよく似ていると思ったからだ。
睡眠時間も、あまり忙しくない時は、適当な時間に好きなように寝ていても大した影響はない。寝たい時に寝るのが一番だろう、という気さえしてしまう。
しかし、仕事の納期直前などでギリギリのスケジュールでやっているような時には、規則正しくきちんと寝て、効率良く睡眠をとらないと、とても乗り切れないような状態になる。

食事も、同じことなのだろう。
そういうことは、理屈ではなく、体で感じないとわからない。

2008年02月21日

生きるということ

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生きるということ(エーリッヒ・フロム/紀伊國屋書店)

原題は「To have or to be?」で、こちらのタイトルではストレートに表現されているように、「持つ」ことと「ある」ことの違いを、日常生活のあらゆる場面を取り上げて、詳しく説明した本。
この本での分析はとても細かく、日常生活のあらゆる場面について言及されていて、それは車や家のような、目に見える物や金のこともあれば、信頼や知識のような、目に見えないものにも及んでいる。
この、「持つか、あるか」という観点で見ると、今、世の中に出ている価値観のほとんどは「持つ」ことが善という暗黙の了解を大前提にして成り立っていることばかりだ。しかし著者は、理想的な生き方とは、「持つ」ことを重視する生活ではなく、「ある」ことと重視する生活にあると主張している。

最近読んだ本で、圧倒的な感銘を受けた本はどれも、「持つ」ことではなく、「ある」ことの重要さを示唆しているような気がする。
そういう気がするのは、今、自分の中のアンテナがそっちの方向を向いていて、それに関係したものを拾いやすくなっているからなのかも知れない。

現代社会の「持つ」ことへの偏重に対して、後半でフロム氏が示している解決策は、理想主義すぎて、現実の見込みはほとんどなさそうに思える。筆者自身もそれは認識していて、この解決は非常に難しく、達成の見込みはほとんどないと述べながらも、「しかし、不可能ではない」と締めくくっている。
社会全体としての変革は、確かに難しいことと思うけれど、この本に書かれていることは、個人として物事を考えるにあたって、非常に役立つ知恵だと思う。


【名言】
私たちが行っているのは今までになされた最大の社会的実験であって、それは快楽が人間存在の問題に対する満足すべき解答となりうるか、という問いに答えるための実験なのである。歴史上初めて、快楽動因の満足が少数者の特権にとどまらず、人口の半分以上にとって可能となっているのだ。この実験はすでにその問いに対して否定的に答えている。(p.21)

クリュソストモス(四世紀)の警告「私は私のものを使うと言ってはならない。あなたはあなたと無縁のものを使うのだ。気ままで利己的な使用は、あなたのものをあなたと無縁の何ものかにしてしまう。それゆえにこそ私はそれを無縁のものと呼ぶのだ。」(p.89)

死ぬことの恐れを真に克服するには、ただ一つの方法しかなく、その方法は、生命に執着しないこと、生命を所有として経験しないこと、によるものである。死ぬことの恐れは、生きることをやめることの恐れのように見えるが、実はそうではない。死は私たちにかかわりはない、とエピクロスは言った。「なぜなら、私たちがいる間は死はまだ来ていないし、死が来た時には私たちはいないのだから」。(中略)いかに死ぬべきかの教えは、実際いかに生きるべきかの教えと同じである。あらゆる形の所有への渇望、とくに自我の束縛を捨てれば捨てるほど、死ぬことの恐れは強さを減じる。失うものは何もないからである。(p.174)

機械を通じて、時は私たちの支配者となった。自由時間にのみ、或る選択ができるように見える。しかし、私たちはたいてい、仕事を組織化するように、余暇をも組織化する。あるいは、完全になまけることによって、時の専制君主に反抗する。(p.178)

エンゲルスがマルクスの死後に述べることとなったように、彼らはまったく間違っていた。彼らは資本主義の発達の絶頂において彼らの新しい教えを宣言したのであって、資本主義の衰退と究極的な危機が始まるためには、さらに百年を要することを予知しなかった。歴史的必然としては、資本主義の最盛期に広められた反資本主義思想が成功を収めるためには、それは資本主義精神へ完全に変貌しなければならなかった。そしてこれが実際に起こったことであった。(p.212)

2008年02月20日

東京麺通団

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新宿にある「東京麺通団」は、基本は讃岐うどんの店なのだけれど、うどん屋という枠を大きく超越している。
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うどんの種類は、基本的なものから、明太子や玉子を入れたものなど、十数種類。店の入口で、うどんを注文した後に、カフェテリア形式で、うどんの上にのせる揚げ物などを自由に取る。
うどんにのせる具だけでなく、おでんや角煮や豆腐など、各種の惣菜も非常にバラエティー豊かに取り揃えられている。この、惣菜がとても魅力的なラインナップなのだ。こういう、自分の好きなものだけを自由に組み合わせて取れる仕組みはとてもいい。欲しいものを必要なだけ選べるというのは、経済的だ。

うどんはもちろんのこと、どの惣菜もシンプルに旨い。
ナゾにつつまれているのが、カルピスサワーで、いったいどの点が他のカルピスサワーと違うのかわからないのだけれど、やたらと旨い。そして、これを飲むと必ず1杯だけで、ちょうど良い感じに酔ってしまう。
しかし、もしかすると、実は何の変哲もないサワーで、単に自分が、この店と相性がいいというだけなのかもしれない。

■東京麺通団
http://www.mentsu-dan.com/shop/menu_tokyo.html
営業時間:朝10時~深夜2時まで
営業日:年中無休
東京都新宿区西新宿7-9-15 1F
03-5389-1077
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2008年02月19日

かもめのジョナサン

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かもめのジョナサン(リチャード・バック/新潮社)

「重要なことは、食べることではなくて、飛ぶことだ」という、ジョナサンの信念はそのまま、「食べること」「生きること」のどちらがより重要なのか、というテーマにつながっている。
群れの習慣から離れて、日々のルーチンからも離れて、精神性を追求するジョナサンには、始めの頃こそ迷いがあったけれども、そのうちに完全に自我を超越して、ついには皆を導く象徴のような存在になってしまう。
心の中の葛藤を描くところにさほどの重点を置いていないこの作品は、その意味で、文学ではなく啓蒙書なのだと思う。

この本は、70年代に大きな波紋を呼んで、話題になったと聞くけれど、それは、その時代性も、理由として多分にあるのだろうと思う。
精神性を至上の価値とするこの本のテーマは、当時はぴったりとハマったのかもしれないが、どことなく今、自分が読んだ感じでは、使い古されて、聞き飽きたテーマのように思えてしまう。
ただ、この本が、ある時代には大きな影響力を持つだろう感じはわかるし、どの時代であったとしても、一定数の人には凄まじいまでの大きな啓示を与えるだろう。読む人によって非常に受けとめ方が変わる、試験紙のような面白さを持った本だと思った。


【名言】
もしお前がなにがなんでも研究せにゃならんというんなら、それは食い物のことや、それを手に入れるやり方だ。もちろん、お前のその、飛行術とかいうやつも大いに結構だとも。しかしだな、わかっとるだろうが、空中滑走は腹の足しにはならん。そうだろ、え?わたしらが飛ぶのは、食うためだ。ひとつ、そこんところを忘れんようにな。(p.11)

彼はごく単純なことを話した。つまりカモメにとって飛ぶのは正当なことであり、自由はカモメの本性そのものであり、そしてその自由を邪魔するものは、儀式であれ、迷信であれ、またいかなる形の制約であれ、捨て去るべきである、と。
「捨て去っていいのですか」と、群集の中からひとつの声があがった。
「それがたとえ群れの掟であっても?」
「正しい掟というのは、自由へ導いてくれるものだけなのだ」ジョナサンは言った。(p.113)

2008年02月18日

ホリー・ガーデン

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ホリー・ガーデン(江國香織/新潮社)

特に大きな事件が起こるわけでもなく、何事もない日常の中に、些細な諍いやすれ違いや共感がいくつも生まれていて、そのことを自然にさらりと描いているような本。
実際、大事なものの多くは、そういう日常の些細な部分に含まれているもので、その大切さに気づかされるような場面がいくつもある。それは、この作品では、ディテールの部分がとても丁寧に、繊細すぎるほどに細かく書きこまれているからだろうと思う。
最初から最後まで、独特の雰囲気と世界観に包まれていて、読んでいるうちに完全にその空気に浸かっていってしまうような小説だった。


【名言】
ホープレスにあの人が好きなのよ。私の知らない土地に生まれて、私の知らない人たちと生きて、私の知らない人たちを愛している芹沢さんが好きなの。いまのあの人じゃないあの人なんて想像できないし、いまの私たちじゃない私たちなんて考えられない。恋愛っていうのは、なんていうか唯一無二の、天文学的偶然によってできているものだと思うのね。だから、何か一つずれてしまったら--もっと早く出会うとか、芹沢さんが独身だとか--、すべてがちがっちゃうはずでしょう?(p.243)

2008年02月17日

納豆「丹精」

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「好きな食べ物」が何かを考えると、いろいろあるけれど、「毎日食べても飽きない」ということを含めると、これはダントツで納豆だと思う。

数々ある納豆ラインナップの中でも、特に絶品と思うのは「丹精」という水戸納豆。
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普通、納豆にはタレとカラシがついているが、「丹精」にはさらに「ゴマ、乾燥ネギ、刻み海苔」をセットにした薬味もついている。この薬味が、良く出来ている。

「丹精」作法
1)カラシを入れる
2)右に20回、左に20回かき混ぜる
3)薬味を入れて、タレをかける
4)さらにかき混ぜる

納豆が好きな人には、ぜひ一度賞味してみていただきたい。

■「丹精」
発売元:くめ納豆
http://www.kume-natto.com/showcase/tansei.htm

2008年02月16日

今日のつぶやき

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今日のつぶやき(リリー・フランキー/宝島社)

リリー・フランキーのホームページで集められた「つぶやき」をまとめた一冊。くだらないけれど、かなり笑えるものが多い。

「つぶやき」の定義はよくわからないけれど、考えた末にではなく、思わず口に出てしまう言葉ということなんだろうと思う。だから、この本に集められているのは、建前が一切排除され、本音のみが凝縮された短いセンテンスばかりだ。読みやすいので、気晴らしに良い。

巻末(というか、裏表紙)の目立たない場所に、本の中には採用されなかったつぶやきを集めた「つぶやきの墓場」というコーナーがあるのだけど、ここの言葉が結構面白い。この部分を見逃さなければ、1冊で2倍楽しめる。


【名言】
ジャネット・ジャクソンが木の実ナナに見えてしょうがない。(p.28)
「BOOK OFF」で百円の啓蒙本を買う癖が治らない。(p.32)
ねずみ講の勧誘をしてくる奴と、スロットの話をしている奴の表情が似ている。(p.71)
フッた男が上司に。(p.126)
俺はバイクに乗るとき、いつも最悪の事故をイメージしながら運転している。(p.127)
ネガティブでもいいやん!というポジティブ・シンキング。毎晩。(p.137)
健康診断の結果を見たら、「やや胴長」と書いてあった。(p.194)

2008年02月15日

ルーブル美術館展

東京都美術館で開催中の「ルーブル美術館展」には、フランス宮廷の中で実際に使われていたインテリアや小物が数多く展示されている。

装飾的に作られた実用品というのは、実際にそれを使うというところに目的があるので、見栄えの他に機能的な美しさがある。作り手にとっても、いかに見た目を良くしつつ、使い勝手も良くするかということを考えるのは楽しい作業だったに違いない。
とにかく、ムダなまでに豪華な物ばかりが勢ぞろいしていて、そのスケールに圧倒される。
実用品とはいえ、たとえば「ボンボン(お菓子)入れ」を一つとっても、そこには気が遠くなるほど膨大な手間がかかっていて、この壮大なムダがどれだけ出来るかということが余裕の証しだったのだろうと思う。

特に良かったのは、中国の磁器や、日本の陶器に、金細工をほどこした壷。東洋と西洋が見事に合わさって、その両方の特徴が活かされている、不思議な壷だった。
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それと、嗅ぎ煙草入れ。小型のオルゴールぐらいの大きさの箱に、絵を描いたり、宝石をちりばめたり、箱によってまったく違う、個性的な装飾がほどこされている。おそらく、こういう特注の「自分用嗅ぎ煙草入れ」を持つことがステータスになっていて、今でいうと、携帯電話にキラキラしたシールを貼ったりしてオリジナルの携帯にするような感覚なのかもしれない。

展示品中、最も好きだったのは、マリー・アントワネットが使っていた、携帯用旅行カバンだった。
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マリー・アントワネットという人は、絵よりもインテリアや装飾に興味があった人のようで、身の回りの物にはすべてイニシャルの「M・A」の文字を入れて特注するぐらい、こだわりのある人だったらしい。
その彼女が旅行に出かける時に必要な道具一式をそろえたカバンなので、これはスゴい。すべて、どこに何を入れる、という定位置がカバンの中で決まっていて、当然、全アイテムに「M・A」の文字が刻印されている。歴史上の数々の王妃の中で、マリー・アントワネットが人々の記憶に強く残っているのは、悲劇的な最期のほかにも、こういう、優雅なセンスをもった人という印象があったからだろうと思う。

■ルーブル美術館展
http://www.tobikan.jp/museum/louvre.html
場所:東京都美術館(上野公園内)
期間:2008年4月6日(日)まで
休室日:毎週月曜日
開室時間:午前9時から午後5時まで(入場は午後4時30分まで)

2008年02月14日

虫眼とアニ眼

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虫眼とアニ眼(宮崎駿,養老孟司/新潮社)

宮崎駿と、養老孟司という、ちょっと変わった取り合わせの対談録。
バックグラウンドがまったくかけ離れているということもあってか、二人の会話は、実際にはそれほど噛み合っていない。お互いがそれぞれ好きなことを言い合っている感じだ。でも、おそらく二人の間には言葉にする必要のないぐらい強く共有された価値観がベースにあるようで、会話の流れなどとは関係なく、面白い話しがどんどんと出てくる。
養老孟司も、本の中で言っていることだけれど、宮崎駿という人は、自分についても自分の作品についても常に客観的で、控えめな視点を持っているところがいい。何かに偏ったり、何かを過信したりしていない。だから、世の中のことを眺める時にも、とてもバランス良く、自分の頭で考えることが出来るのだと思う。

巻頭に、宮崎駿が書き下ろした、「理想の街・理想の幼稚園」の、イラスト付解説があるのだけれど、この内容がとても素晴らしい。見ているだけで、棲み心地がいい街だということが伝わってきて、しかもそれが、理想論だけで終わっているのではなく、非常に現実的な視点が含まれている。
たとえば、「街から車をなくす」という提言にしても、単に車を追い出すだけでなく、街から出した車の駐車場はどの場所に、どんな形で作るべきか、その屋根はどんな材質にするべきか、というところまで細かくイメージされている。
この理想の街デザインは、「この街は、必然的に高齢の人が多くなるでしょう。結構高額になるはずですが、ツイの棲み家と考えれば安いともいえます。」というコメントで締めくくられている。どこまでも現実的に、具体的な部分まで考えている人だと思った。


【名言】

街には、中心になる空地がいります。盆おどりだの、青空マーケットといった目的だけでなく、なんとなく空いている空地が、おヘソとして必要なんです。いじりすぎるとつまらなくなります。空けておくんです。(巻頭)

都市という場所は、寸分の狂いもなく、垂直線と水平線しかないでしょう。また、いまの職人が、なだらかなカーブなんか作らずに、まっすぐなビルをバンバン建てるから、街の顔つきがつまらなくなってしまった。だから、物心ついた時期に出会う幼稚園は、とにかくデコボコだらけにしたい(笑)。(p.63)

アメリカの経営者に会うと、みんな揃いも揃って絵に描いたようですよ。毎日ジョギングを欠かさなくて、歯並びがよくて笑顔が絶えなくて、初対面の人にがーって握手して、こいつらなにやってるんだろうと思いますよ(笑)。ところが取り巻きの連中がいなくなって二人きりで雑談してたら、突然子どもの教育の悩みを打ち明けはじめて、これが「息子がやる気がない」とか、われわれの悩みとまったく一緒。けれど、仕事仲間とはこういう話しはできない。弱みを見せられないと言う。上のクラスはみんなそうです。ぼくらはアメリカ人というと、つい仕事と家庭生活を両立させて、ジョギングしてからだ絞ってって想像するけれど、あれは全部ウソです。仕事やってる連中は、日本人以上に寝ないで仕事やってます。ぼくらはそのカッコいいところだけ寄せ集めて勝手なアメリカ人像を作り上げて、それに劣等感を持ってる。滑稽ですよ。全然うらやましくないですね、アメリカの社会なんて。(p.88)

先はどうなるかわからない。それこそが生きているってことですね。まあ、人生そうたいしたことは起こらないって決めて生きれば、ずいぶん気がラクですよ。それでも生きるに値することってあるんです。(p.91)

イデオロギーが崩壊したでしょう。だけど、歴史的に何度もあることなんですね。南北朝時代というのはまさにそうでね。天皇親政だったはずなんだけど、途中でイデオロギーがなくなって、なんで南朝で、なんで北朝なのか、理由が何なのか全然わからなくなった。イデオロギーがない時代は日本も経験しているんですよね。(p.107)

2008年02月13日

江ノ電の時刻表

鎌倉~藤沢間を走る、江ノ電の時刻表は結構スゴい。
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始発と終電の周辺を除いた、6時から22時頃の間は必ず1時間に5本、電車が来る。
それもきっちりと、12分に1本の間隔で電車が来る。
ラッシュ時だろうが昼間だろうが、平日だろうが休日だろうがまったくお構いなしで、同じ間隔でダイヤが組まれているのだ。

銀座線や小田急線のような、超過密スケジュールのダイヤもかなり高度なシステムだと思うけれど、それと対極をいった、別のアプローチで出した結論が江ノ電のダイヤだといえる。

これなら、誰でも最寄りの駅の時刻表を覚えておくことが出来る。
もし自分が電車の運転手をやることになったなら、
断然、小田急線より江ノ電のほうを選びたい。

2008年02月12日

SHUTTERS

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自由が丘南口、マリ・クレール通りにあるスペアリブの店。
もちろんスペアリブも旨いので、それもおススメなのだけれど、
この店で特筆すべきは、何といってもアップルパイアラモードだ。

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いかにも「デザート!」という説得力を持つこのボリューム。
パイ生地はサクサクしていて、熱く焼いたリンゴと冷たいアイスクリームという組み合わせも素晴らしい。
ソースは、ブルーベリーやメイプルなど6種類ぐらいの中から好きなものを選べる。デザートをメインに茶(コーヒー、紅茶)を飲みたい、という時はこの店にかぎる。

ちょっと珍しいメニューとして、ランチタイムには焼きカレーという選択肢も追加される。グラタンのように熱く焼いてあるカレーで、これもおススメ。

【SHUTTERS 自由が丘】
東京都世田谷区奥沢5-27-15 1F
03-3717-0111
営業時間:11:30~23:00(L.O.22:00)
定休日:無休
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2008年02月11日

トニオ・クレエゲル

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トニオ・クレエゲル(トオマス・マン/岩波書店)

とてもしみじみとする、良い本だった。
並外れた芸術家になるような才気を持ち合わせているわけでもなく、かといって平凡で善良な一市民にもなりきれない、中途半端な自分に鬱屈とする、主人公のトニオ。しかも、そのことを自覚して、分析出来てしまうだけの客観性を持ち合わせているというのは、これはツラいことだ。
芸術家を気取っていながら、本当の芸術の中に生きている人からは「あなたは道に迷った俗人です」と言われてしまう、この厳しさ。以前、大槻ケンヂのエッセイを読んだ時にも、同じような空気を感じたのを思い出した。

思春期には特に、誰もが自意識について過剰になり、多かれ少なかれ、主人公のトニオと似たような考えを持つものなんじゃないかと思う。しかし、たいていの場合は、その感覚も大人になるにつれて薄れてきて、多数意見や平均的な生活に解け込むことに何の違和感も感じなくなってしまう。
大人になっても、なおその自意識を敏感に保ち続けた場合、どうなるのか。それを、一人のドイツ人にあてはめて、彼の口から語らせることで考察したのが、この自伝的小説なのだと思った。


【名言】

「君は馬の稽古なんかしてないんだろう。クレエゲル。」とインメルタアルが問うた。彼の眼は二筋の光る裂目にすぎなくなっている。(p.13)

道に迷うこともあったが、それはある人々にとっては、もともと本道というものが存在しないからのことだった。一体何になるつもりかと尋ねる人があると、彼はいつもその度にちがった返答をした。彼は常にこういっていたからである。自分は無数の生活様式に対する可能性と同時に、それが要するにことごとく不可能性だというひそかな自覚をもいだいている・・。(p.27)

僕が働いたのは君たちのためだったのだ。だから喝采の声を聞く度に、僕はいつも君たちもそれに加わっているかと思っては、そっとあたりを見廻したものだ。・・君はもう「ドン・カルロス」を読んだかね、ハンス・ハンゼン、いつか君の家の庭戸のそばで僕に約束した通りに。読むのはやめたまえ。僕はもうそんなことを君には求めないよ。淋しいからといって、泣くような王様が、君に何のかかわりがあろう。君は詩と憂愁を凝視して、その明るい眼を曇らせたり、夢のような霞ませたりしてはいけないのだ。・・君のようになれたら!・・もう一度やり直す?しかしそれはなんにもなるまい。やりなおしたところで、またこうなってしまうだろう。いっさいは、今まで起こって来た通りにまたなってしまうだろう。なぜといって、ある人々は必然的に道に迷うのだ。彼等にとっては、もともと本道というものがないのだから。(p.84)

僕は二つの世界の間に介在して、そのいずれにも安住していません。だからその結果として、多少生活が厄介です。あなたがた芸術家たちは僕を俗人と称えるし、一方俗人たちは僕を逮捕しそうになる。どっちのほうが僕をより烈しく傷つけるか、僕はしらない。(p.92)

2008年02月10日

携帯との対話

今使っている携帯は、文章を入力している途中に、その先を予測して候補をいくつか表示してくれる機能がある。
この予測は結構精度が高くて、
そう!まさにそれを入力したかったんだ。
と思う単語が出てくることがよくあり、入力が楽になるので重宝している。

この機能は、単なる入力補助にとどまらない。
たとえば
「鎌倉まで移動するオレであった」と入力しようとする途中、
移動するオレであ・・
まで入れると、入力候補の中に「であることよ。」というリコメンドがあり、
その意外性にちょっとショックを受ける。

ん?そうきたか、、
たしかに、それもアリだな・・
でも文脈的に、おかしくないか?
いや、、意外に悪くないか
じゃあ、今回はそれを採用してみよう。
という携帯AIとの対話によって、より良いものが出来上がる。

ちょっと役に立つ軍師(程昱か陳宮あたり)
を飼っている気分だ。

2008年02月09日

ミルクホール

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鎌倉の小町通りから一本裏手に入った、ちょっとひっそりした場所にある喫茶店。
大正浪漫の空気をそのままに残している。
ものすごく雰囲気がいい。

古い街や店を見て、
これは100年前にあった景色かもしれない・・と
想像したとしても、
そこにたとえば液晶テレビのようなモノが紛れていると、
気分が現代に引き戻されて、興醒めになってしまう。
この喫茶店の場合、そういう詰めの甘さはない。

暖房は床に置かれた灯油ストーブ。
壁には竹久夢二の絵がかかり、
音楽は、古き良き時代を思わせるジャズ。
レジスターや、砂糖ビンのような細部に至るまで、
タイムスリップを妨げるものは一切無く、
その点は、かなり徹底されている。

当然のように「禁煙」という文化もないので、タバコの煙がダメな人には厳しいけれど、
日常の些事を忘れてのんびりと読書をするにはうってつけの喫茶店。

■ミルクホール
http://www.milkhall.co.jp/
鎌倉市小町2-3-8
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電話番号:0467-22-1179
営業時間:11:00~22:30
店の中にアンティークショップも併設されている。

2008年02月08日

シンクロニシティ

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シンクロニシティ(ジョセフ・ジャウォースキー/英治出版)

筆者自身の自伝的物語という性質を持った本であったために、導入部分からして、とても共感しやすく、面白い話しだった。
アメリカのエグゼクティブを絵に描いたような典型的な成功から、突然の離婚による転落。しかし、そこから人生の使命に目覚めて、目に見えない大きな力(シンクロニシティー)によってつき動かされていくという、まるで一編の映画のようなストーリーだ。
ただ、ちょっと穿った見方をすれば、この自伝の中には、思い出を都合良く美化した部分も大いにあるだろうと思うし、事実の解釈がポジティブに過ぎて中立な視点ではないと思えるところも多々ある。

しかしそれでも、掛け値なしで素晴らしいと思うのは、筆者ジョセフ・ジャウォースキーの、何かを思い立った時の驚くほどの行動力だ。直感に従って、ひらめいたことを実行に移す鮮やかな動きは、必ずその後に大きな結果へと結びついている。
本の中では、その、人生にふいに訪れるチャンスのことを「一立方センチメートルの好機」と表現しているけれど、その感覚はとてもよくわかる。
村上春樹は、ただこのことだけをひたすらに小説の中で言い続けているように思うし、実際、この「一立方センチメートルの好機」については、自分の人生において、もっと意識的になるべきなんだろうと思う。

この本で繰り返し述べられている、「すべての物事はつながっている」という基本概念は、まだ科学的に何ら実証されたものではないので、最終的には「それを信じるか、信じないか」という、個人の問題に帰結することになる。
しかし、実証はされていないとはいえ、心をオープンにして大きな流れに身をゆだねた時に物事はうまくいきやすい、というのは、直感的にそういうものなのだろうと、自分も思う。
この本に書かれていた多くの事例を記憶の片隅に置いておくだけでも、今後、気持ちのありようは大きく変わっていくような気がしている。


【名言】

そうした出来事は後に、「新しい状況を生み出そうとして手段を講じるとうまくいかない」ことを心に刻むしるしのようなものになった。たしかに、この世を可能性に満ちたものと考え、ものの見方を「あきらめ」から「可能性」へ移すのは重要だ。しかし、宇宙というつながり合う世界に足を踏み入れようと思うなら、私たちは人生を支配しようとするのではなく、むしろ人生の流れに身をまかせなければならない。前にも述べたが、かつての私は正反対のことをしてばかりだった。(p.65)

誰かのためにただそこにいて、その人の話に耳を傾けることは、リーダーが持つべき重要な能力の一つである。それによって、その人は自分の考えを表現できるようになり、自分の中にある最良のものが引き出されることになる。もし誰かがその人が思っていることを話すのを真剣に聞いてくれたら、その人の感情はたしかな形と方向性を与えられ、その人は行動を起こせるようになる。(p.102)

われわれはみな、戦士であろうとなかろうと、一立方センチメートルの好機を待っている。それは、われわれの前にときおり、ふいに現れる好機である。並みの人間と戦士との違いは、戦士はこの好機に気がつくということだ。するべきことの一つとして、戦士は神経を研ぎすませ、細心の注意を払って待っている。そして、自分にとっての一立方センチメートルの好機がふいに現れたとき、必要なだけの速度と決断力をもってそれをつかむのである。-カルロス・カスタネダ(p.130)

私はずっと、私たちは世界を「描写する」ために言葉を使うと思っていたが、どうやらそうではないらしかった。実際は逆で、言葉を使うことによって私たちは世界を「創る」。言葉は私たちが表現するまではこの世に存在しないも同然だからである。言葉を述べると、私たちは区別を生みだし、それが行動を決定する。別の言い方をすれば、私たちは目にする世界を言葉にするのではなく、言葉にする世界を目にするのである。(p.269)


【書評による対話】

『多苗氏との対話』
多苗尚志のヘヴンズドアァァァァッッッより

(彼のコメント)
またなんだか、とんでもない本なのである。
これはスゴイ。
またスゴイ。
問題提起はここだ。
『ナチスドイツによるユダヤ人虐殺、日本軍による南京大虐殺…。かような悲劇はなぜ起きてしまったのか。
第二次大戦にヒモ解くまでもなくそれ以前にもそして今日もまた同じ原理による悲劇は繰り返されている。
あれはどこか遠い国、遠い時代、遠い人々が起こした出来事だろうか。
私たち、まさに私が同じ轍を踏まないという保障はどこにあるのか。』
本書はこの問いに対して明確に解答を導いている。
タイトルはズレている気がする。
確かにシンクロニシティは本書で大きなキーとなっているのだが…。
いや、しかし、シンクロニシティ以外にも多様に絡み合い考察するポイント満載の書。
近いうちに読み返したい。
多苗的評価(★5つが最大)★★★★★

(水晶堂送辞)
タイトルは、確かに、本の内容をズバリ言い表していないというもどかしさがあるね。
ユングの「シンクロニシティ」をイメージしてしまうと、実際にはまったく違うポイント満載なので、このタイトルによって読者を取り逃がして損してるところがあると思う。
オレも、読み始めるまでは、こういう内容だとは全然思わなかった。
結果としては、良い方向に裏切られることになった。

『藤沢氏との対話』
藤沢烈BLOGより

(彼のコメント)
今から12年前、私が19歳だった頃。日本中を全国行脚し、活躍し始めている同世代にインタビューを行いました。行動を共にした渡辺エイジと話していたキーワードが「シンクロニシティ」と「共有体験」。どこに行っても誰と会っても、「似た感覚」「熱い何か」が感じられて、「シンクロした」がキーワードでした。その頃20歳の自分達が社会をすぐに変えると思えず、今のうち「共有体験」を積んでおく。すると将来若いうちに繋がった自分達が、何かコトを起こせる・・。そのように考えていました。
ただ今思うに、共有体験やシンクロニシティを自分達で生み出そうとしたことに、若い傲慢があったのでしょう。いつしか繋がりは消え、シンクロニシティも生まれず、個々人の「仕事」や「キャリア」に埋没するようになります。
『出現する未来』の共著者でもあるジャウォースキー氏がシンクロニシティを体感したのは、ローファームで成功と富を得た後、離婚をきっかけとして自分を見つめ直した頃。30代後半頃でしょうか。私自身は12年を経て、また、あるいはまだ、シンクロニシティを体感しつつあります。

(水晶堂送辞)
烈の、実体験をベースにした共感は説得力あるな。しかも19歳にして!
この「シンクロニシティ」の感覚は、科学的説明をしようがないものなので、実際、体験する以外には理解する手段はないんだろうと思う。オレもこれから、ジャウォースキー氏が言うような感覚を、理屈だけではなく、体感として理解出来ればいいと思ってるよ。

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2008年02月07日

新月

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今使っているカレンダーのおかげで、色々な暦や月齢がわかるのだけれど、今日2月7日は、旧正月である上に、新月の日であるらしい。

新月というのは何か新しいことを始めるのに最適な日だと聞いた覚えがあるので、今日ほど、新しいことを始めるにふさわしい日はなかなか無いのではないだろうか。

と言いながらも、今のところ新しく始めたいことが思い浮かばないので、
何か始めようと思っていたことがあった人は、是非、今日のうちにどうぞ!

2008年02月06日

レイトン教授と悪魔の箱

レイトン教授と悪魔の箱(特典無し)
レイトン教授と悪魔の箱

「レイトン教授」シリーズの2作目。
前作は、わりと話しと関係ないナゾが多く出ていたけれど、今回はきちんとストーリーと連動したナゾが出題されているのがいい。
「ナゾトキ×映画級」というキャッチフレーズどおり、たしかに、今作はとても映画的な構成をしているストーリーだった。
センスという面では、前作を更に上まわる仕上がりになっていると思った。
特に「最後の問題」のナゾのセンスはとても好きだ。

ナゾは、基本問題が138問のほかに、条件を満たすと出現するエキスパート問題がいくつかあり、このエキスパート問題はどれも非常に難易度が高い。
前作は、最終問題のみが飛び抜けて難しかったけれど、今回はそれをも凌ぐ難しさだった。

「レイトン教授」シリーズで特筆すべきは、
本編そのものもかなりの奥行きとボリュームがありながら、おまけ的コンテンツであるミニゲームや外伝まで、一つの作品としてきっちりと作りこんであることだ。
しかも、毎週1問WiFi経由で追加問題がダウンロード出来たりと、とにかくやりこみ要素が強い。
最終章になるという、3作目も楽しみだ。

「レイトン教授と悪魔の箱」
プラットフォーム:NintendoDS
開発:株式会社レベルファイブ

(1作目)レイトン教授と不思議な町

2008年02月05日

今、どうあるべきか

世にあふれている「自己実現」の手引きの多くは、
「何を達成するべきか」ということを明確にさせようとする。
それを決めた後には、
「それはいつまでにやるのか?」
「それを達成するためにこの一ヶ月でやるべきことは何か?」
を決めることになる。

言っていることや、手続きは論理的だし、
この考え方の内にいる間は、目標に向かう張り合いもあることだろう。
その感じはわかるけれども、このやり方は、
ビジネスには適合しても、生き方に適合させるにはムリがある。

一つには、目標を達成したらまた次の目標に向かって走る、という繰り返しを死ぬまで続けるつもりなのか、という疑問があり、
もう一つには、目標が達成される前に死んだら、それは失敗だったのか、という疑問がある。
結局、「これでいい」という状態は永遠に訪れず、最終的な結果はすべて不本意なものに終わることになってしまう。

重要なことは、
「将来、何をするべきか」ではなく、
「今、どうあるべきか」なのだと思う。
どうあるべきか、ということは、今、一瞬の決意によって実現させることが出来る。
その態度こそが、今という時間を生きることなのだ。

2008年02月04日

死と生きる

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死と生きる―獄中哲学対話
死と生きる(池田晶子,陸田真志/新潮社)

池田晶子と、死刑囚である睦田真志の往復書簡による語り合い。池田晶子の言葉は厳しい。厳しいことを言っているというよりも、正しいことを言おうとすると、それは普通の人間にとっては厳しい言葉になってしまうということなのだろう。

池田晶子が、睦田真志とのやりとりを続けるために、裁判の控訴をするよう説く場面がある。睦田真志は控訴を行って延命をすることを潔しとしないのだけれども、それを説得する池田晶子の言葉がすごい。言葉というのは、とてつもない力を持っているのだと思った。

たとえば雑誌に記事を書いて一般大衆に語り掛けるというのは、語りかける対象人数は多かったとしても、一人一人に対して最終的に責任を取るわけではないので、それほど覚悟が必要なことではない。
しかしこの、死刑囚との1対1の対話というのは、並みの覚悟で出来る仕事ではない。無責任な発言は許されないし、本当に自分自身もギリギリのところで考えざるを得ない。だからこそ、この語り合いは、著者のような覚悟を持った人間にしか出来ない、価値のあることなのだと思う。

2008年02月03日

年賀状の当選番号チェッカー

今年の年賀状の当選番号が1月27日に発表された。
以前は、当選番号の発表って1月15日だったような?

番号のチェックをする時に、チェッカーのページを利用した。
http://www.est.co.jp/oatari/200801/
これは便利。
番号の下2桁を入れると、「ハズレ」か「アタリ」か「アタリの可能性あり」の結果が表示される。

簡単なJavaScriptのアプリだけれど、手動で見るよりもずっと早く確実にチェックが出来る。
当たると、ファンファーレ(Windows98の起動音ぽい・・)が鳴るのも良い。

景品を見ると、1等や2等には何の興味もないけれど、年賀オリジナル賞に「年賀オリジナルカラー NintendoDSLite」というモノが!これだけは良い。
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結局、結果は4等が3枚当たっただけだった。

2008年02月02日

自我の終焉

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自我の終焉(J.クリシュナムーティ/篠崎書林)

かなり、衝撃的にとんでもない本だと思う。
著者のクリシュナムーティは、宗教や書物によって出来上がった観念を取り払って、純粋に自分の感覚によって「現在」の自分自身の中にあるものを見つめることによってしか、真理を理解することは出来ないという。
そのことと、著者自身が書物によって、人に考えを伝えようとすることは矛盾しているように思えるけれども、この本の中では回答を教えているのではなく、物事の見方を教えてているのだ。

この本を認めるということは、これまでに蓄積してきた知識や経験に一切を否定するということに等しい。そのことは、過去に多くの知識や経験や実績を積んできた人であるほど、難しい選択であるはずだ。
現在刊行されているビジネス書のほとんどは、まず目的を設定して、その目的を達成する方法について説明をするということが当然の前提になっている。そういう、将来のビジョンと目標達成意識を持つことが絶対的に不可欠なこととされている。
しかし、クリシュナムーティの語っていることは、それとはまったく正反対のベクトルのことを言っているのだ。彼は、知識も努力も、不要なものとして完全に否定している。
この本が真理をついているのだとしたら、そのことに早い段階で気づいて、方向習性をする必要がある。もし、もともとのスタート地点から目指す方向が見当違いのものだったら、先に進むほどに、取り返しのつかないくらい真理からは遠く離れた場所に漂着することになってしまうだろう。

感覚的には、この、クリシュナムーティが伝えようとしていることは正しい気がしている。論理的にも、おそらくそうなのだろうと思う。
人は、本や人から聞いた言葉によって影響されやすい。影響された後は、それが果たして元々自分の中にあった考えかどうか、区別することも出来なくなってしまう。人生の答えは、他人の考えた言葉の中には用意されていないのだ。
いったん、これまでのすべての知識をまっさらに戻して、本当の本当のところから自分の頭で物事を見る、ということをやってみるべきなのだと深く思った。この本に出会ったことは、後から振り返ったとき、大きな分岐点になるかも知れない。


【名言】
真面目な人間というのは、特定のゴールにどのようにして達するかを考える人ではなく、最初に「自分自身を理解すること」に徹底して取り組む人であると私は考えます。なぜなら、もし「あなた」と「私」が自分自身を理解していなければ、実際に行動するときに、一体どうして社会や人間関係や、私たちの行為を変革しうるのでしょうか。(p.24)

外面的な技術の場合は、ある程度の模倣や真似が必要です。それに対して、内面的、心理的模倣が始まると、確実に、私たちは創造的でなくなってしまうのです。私たちの教育や社会や、いわゆる宗教的生活というものも、すべて模倣に基づいています。つまり、「私」はある特定の社会的、または宗教的な形式に、私を適合させてゆくのです。その結果、「私」は真の個人であることをやめてしまいます。(p.37)

コップというものは、空の時に初めて役に立つのです。これと同じように、信念、教義、主義、引用句などを一杯詰め込んだ精神は、実際には非創造的な精神なのです。それは与えられたものを反復する精神に過ぎません。(p.67)

努力とはあるがままのものから目をそらすことなのです。「私」があるがままのものをあるがままに受け入れてしまえば、即座に闘争は終わるはずです。(p.83)

関係というものは、あなたがその中で自分自身を発見できる鏡なのです。関係がなければ、あなたは存在しません。生きるということは関係することであり、それが生活にほかなりません。(p.144)

宗教的な人たちは、「神」とは何かという問題を想像したり、熟慮しようとします。彼らは無数の本を読み、いろいろな聖人や師や大聖などの経験について書かれた本を読んでます。そしてその経験がどのようなものか想像し、それを感じようと努力しているのです。つまり、既知のものによって未知のものに近づこうとしているのです。そのようなことができるでしょうか。(p.224)

あなたは今までに一人になろうとしたことがありますか。あなたが一人になろうと努力してみたとき、あなたはそれがいかに難しく、またそうするためには並み外れた理解力を持っていなければならないことに気づくでしょう。なぜかと言いますと、精神が私たちをなかなか一人にさせてくれないからなのです。精神はすぐにそわそわし始め、絶えず逃避することに忙しいのです。(p.240)


『多苗氏との対話』

多苗氏が「書評による対話」を最近好んでいるので、対話を実施。

多苗尚志のヘヴンズドアァァァァッッッ」より。

(彼のコメント)
すっごくヤバイ。
この本は相当に強烈だ。
藤沢氏が弊ブログスタートに際し、彼のブームであり、彼の周りでも軒並み評価が高いというクリシュナムーティの著作を貸してくれた。
しかも、彼が読みたくてやっと届いた本でまだ開いてもいなかったのに貸してくれたのだ。
男気にきっちり応えるべく第一冊目として手にとった次第だ。
読んでみたところ…
前評判に違わずもの凄い!
これが1冊目でいいのだろうか。
以降が霞まないだろうか。

真理の探究にしても、社会の変革にしても、師だとかやり方というものは存在せず、飽くまで自分を知り、自己を変革するしかない、しかも今すぐに(明日ということではダメです)と伝えるクリシュナムーティ。
ここで「~と説くクリシュナムーティ」としないところがポイントで飽くまで彼は「伝えている」だけだ。
なぜなら説くとしたらクリシュナムーティもまた導師になってしまうからだ。
彼はキリストやブッダさえも越えて導師とはならずに飽くまで同士でいるのだ。
我々はこれから誰にも従わない。そして我々の前にはシステムやマニュアル、やり方すら存在しない。
あるのは自己改革のみなのだ。

論理的、徹底的、原理的というキーワードが浮かぶ彼の展開。
しかも、哲学や心理学の専門用語は虚飾だとしていっさい使わず、ビートルズばりに平易な言葉で語る。
時に彼が大胆に言い放つ命題や提案は、論理からは外れているものの、論理よりも自明な説得力をもっているのはなぜだろう。
直感では感じていたけれどイマイチ自信が持てずにいた思想項目に対し、それでいいのだと大いなる勇気を与えてくれる。

精読したい。
時を置いてまた読みたい。
1ページ進む毎に、ため息が出て指をおでこに宛てて頭を振ってしまう。
すっごいショックだこれは。
多苗的評価(最大星5つ)★★★★★★

(水晶堂送辞)

>1ページ進む毎に、ため息が出て指をおでこに宛てて頭を振ってしまう。

古畑任三郎か(笑)

>飽くまで彼は「伝えている」だけだ。なぜなら説くとしたらクリシュナムーティもまた導師になってしまうからだ。

まさに、ポイントはそこなのだと思う。
真理というのは人に説明が出来るものではなく、自分で気づくしかないものなのだとクリシュナムーティは知っているから、正解を教えようとするのではなく、自分で気づくために必要な心構えについてしか彼は話しをしていないのだと思う。
キリストも仏陀も親鸞も、もともとはそうだったはずで、後世に伝えようとしたり、文字にして残したりしようとしたのはいつもその周りの人間で、決して本人ではなかった。この本は、「こうするべき」という方法を安易に教えようとするノウハウ本よりも、はるかに信用出来る気がする。

>精読したい。時を置いてまた読みたい。

これも、同感。
この本に出会ったことで、その後、自分の考え方がどう変わっていったかという点も、時を置いて確認してみたいと思う。

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2008年02月01日

ICD-UX80(ICレコーダー)

インタビューの内容を録音する時、最初、ICレコーダーを持っていなかったので、パソコンのマイク端子に小さなマイクをつけて録音をしてみた。
あまりに音質が悪いことと、入力をそのままmp3のような圧縮した形式でダイレクトに記録出来るソフトが見つからなかったために、この方法は断念。

次に、デジカメについているマイクを利用して、動画で撮影をして、その音声部分を使ってみることを試してみた。
音質はそこそこなのだけれども、ムダに動画になっているため、やたらとファイルサイズが大きくなるし、最長で60分程度しか記録出来ないという不自由さもあった。

そこで、やむなくICレコーダーを買うことにする。
色々と比較検討してみた結果、SONYが最近発売した「ICD-UX80」がダントツで素晴らしかった。
USB経由で直接PCに取り込める「PC対応型」のICレコーダーという時点で、ほぼSONYかオリンパスかの二択になるのだけれど、SONYのほうが圧倒的にデザインが良い。
実際に使ってみて、音質の良さに驚いた。やはり、餅は餅屋だ。録音することに特化しているだけのことはある。
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■ICD-UX80の良い点
・小さくて軽い(47g)
・USB端子が本体に内蔵されているので接続コードすら不要
・単4電池1本で動作するという省電力さ
・USBに挿すとPCの電源を利用して充電が出来る
・2GBのメモリを内蔵していて、ステレオで標準の音質でも36時間分録音出来る
・mp3ファイルをPCから本体にコピーすることで、音楽プレイヤーとしても使える
・音声ファイル以外もPCから読み書き出来るので、2GBのUSBメモリの代わりとしても使えてしまう
・充電池(ニッケル電池)での使用が通常だけれど、市販の単4アルカリ電池でも動くので、電池がなくなってもコンビニなどで簡単に手に入る
・ファイル名表示が日本語にも対応しているので、漢字名の名前もつけられる
・再生スピードを変更出来るので、ゆっくり聞き取りたい時に便利

値段は、19,000円くらい。メモリが2GBから1GBになった「ICD-UX70」もあり、こちらは5,000円ほど安い。
一つだけ難点を挙げるなら、USB端子から電源を供給しながら録音、ということが出来れば素晴らしかった。それが出来れば、PCがある場所なら電池のことをまったく気にしなくて良くなる。
それが可能なICレコーダーは、まだ存在していないみたいだ。

■ICD-UX80 製品情報ページ
http://www.sony.jp/products/ic-recorder/ux80ux70/