最近やたらと多い、突然のスコールのような集中豪雨は、今まで経験したことがないぐらいの頻度だ。
なんだかちょっと、常軌を超えた多さの気がする。
北京オリンピックの時、会場で雨が降らないよう、ロケット弾でヨウ化銀のような化学物質を散布して、会場以外のところで雨を散らせていたという。
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開会式の時に発射した人工消雨弾は1104発!なんか、そうとう無茶しているような・・。そのしわ寄せがきているんじゃないだろうか。
» 2008 » 8月のブログ記事
横浜ベイクォーターの中にある、「Victoire」で、回数限定・個数限定で「とろけるブリオッシュ」が販売されているのだけれど、あっという間に売り切れる。
土日は長蛇の列が出来ていて、なかなか買えなさそうなので、平日に行ってきた。
本当に、まさにとろける感じのパンだ。
バターの風味がかなり濃厚に出ていて、ふんわりしていてシンプルで、「これぞパン!」という食感だった。「ハイジ」に出てきた白パンを食べたらきっとこんなだろう、と想像していた味に近い。ジャムも何もつけないのが一番旨い。
ただ、このパンは、焼きたての時じゃないと真価が発揮されないと思うので、お持ち帰り用に買っていくべきではない。買ったその場で、冷めないうちにすぐ、1秒でも惜しんで食べるべきパンと思う。
【とろけるブリオッシュ販売時間】
1日5~6回販売されて、個数は各回で45個ずつ。
11:30 13:30 15:30 17:30 19:30 20:30
(最終回は土日祝のみ)
■Victoire(ヴィクトワール)横浜ベイクォーター
住所:横浜市神奈川区金港町1番地10 横浜ベイクォーター3F
TEL:045-450-6787
営業時間:11:00~23:00
定休日:なし
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フォルクスワーゲンを運転させてもらった時、スピードメーターを見たら「260km」まで目盛りがついていた。
日本では、メーターの半分以上の部分が使われずにまるっきりムダになってしまっているという滑稽さ。
でも、「本当はここまでスピードが出るんだぜ(出さないけど)」という、能ある鷹的な美学も感じる。
時速100km以上で走れる場所がないんだから、260kmまで出ても意味ないじゃないか、とも思ったけれど、それはやっぱり、意味はあると思い直した。
潜在能力として、150km/hしか出ない車と、260km/hまで出る車では、同じ100km/hで走っている時の快適さが違うのだろう。
そういえば昔は、車の速度が100km/hを超えたらキンコンと警告音が鳴っていたけれど、あれは、いつの間に無くなったんだろう。
シートベルト着用義務や、携帯電話での通話禁止など、どんどん厳しくなる方向に規制が進む中で、緩和されたものというのも珍しい。


ファウスト 第一部・第二部(ゲーテ/岩波書店)
この本は、かなり読むのがキツかった。文章の意味がわからなすぎる。
内容と直接関係がない修飾が多いのは、詩としての韻や美しさを考慮して作られたものであるからと思うのだけれど、ドイツ語の原文ではなく、日本語に訳した文章で読んでいるからか、その良さがどうにも理解出来ない。
わからないのは文章だけでなく、ストーリーそのものも支離滅裂すぎて、何がどうなっているのやらよくわからない。時代も舞台も突然変って、何の前ぶれもなく現れたと思った登場人物が、次の瞬間にはもう死んでたり、性格が途中で変わったりで、もう頭がついていかない。
この「ファウスト」は、ゲーテが、自分の知識を総動員して、あらゆるものを詰め込んで作ったのだろうと思う。ある意味、かなりマニアックな作品だ。この、ごった煮のカオスは、教養の宝庫とも言えるだろうけれど、それをきちんと理解するには、ヨーロッパの古典や神話やキリスト教文化について、相当な素養が要求されると思った。
細かい内容そのものは意味不明だとしても、根本のテーマである、「どういう人生が一番幸せなのか」ということや、「神と悪魔によって選ばれた人間」ということにフォーカスしている点は、とても面白かった。ファウストとグレートヘンとの出会いのあたりも、ドラマチックでいい。もっとわかりやすく書いてくれれば良かったのに、という一言に尽きる。
この作品は、ゲーテが24歳で書き始めて、82歳で書き終えたのだという。その直後の、83歳でゲーテは亡くなった。
そのためか、終わり方もかなり唐突だ。マンガの連載だって、数年続けば、最初の頃とはテイストが変わってくるのだから、50年以上も続いた作品なら、途中で整合性がなくなってくるのもムリはないだろう。
「このままだと、自分はもうじき死んでしまうから、とにかく終わらせてしまえ」という感じで、強引に幕引きをしてしまったのだろう。
何故にこんなに突然終了?という、まるで「スラムダンク」のような後味を残した作品だった。
【名言】
よろしい、ではお前にまかせておこう。
あれの魂をそのいのちの本源からひきはなし、
もしお前につかまるものなら、
あれを誘惑してお前の道へ連れこむがよい。
そしてお前がやがてこう白状せねばならなくなったら恥じ入るがよい、
善い人間は、よしんば暗い衝動に動かされても、
正しい道を忘れてはいないものだと。(主)(第一部 p.28)
おれの胸には、ああ、二つの魂が住んでいて、
それが互に離れたがっている。
一方のやつは逞しい愛欲に燃え、
絡みつく官能をもって現世に執着する。
他のものは無理にも塵の世を離れて、
崇高な先人の霊界へ昇ってゆく。(ファウスト)(第一部 p.79)
私は常に否定するところの霊なんです。
それも当然のことです。なぜといって、一切の生じ来るものは、
滅びるだけの値打のものなんです。
それくらいならいっそ生じてこない方がよいわけです。
そこであなた方が罪だとか破壊だとか、
要するに悪と呼んでおられるものは、
すべて私の本来の領分なんです。(メフィストーフェレス)(第一部 p.92)
そのことなら君に全権を認めよう、
私は軽はずみな冒険をやったわけではない。
停滞したら最後、私は奴隷の身だ、
君の奴隷か誰のかは、問うところではない。(ファウスト)(第一部 p.115)
博学な道学先生、
私を法や掟で縛ることはご免こうむりたい。
このさい君にはっきりいっておくがね、
もしあの可愛らしい若い娘が、
今夜私の腕に休むようにならなかったら、
もう夜中には君とおさらばだよ。(ファウスト)(第一部 p.183)
以前、よその娘が間違いをしでかしたときには、
どうしてああも勇敢にこきおろせたのだろう。
ほかの人の罪を責めるのには、
いくら言ってもいい足りない気持ちだったのだ。
人のしたことが黒いと見えると、一そう黒く塗ったんだわ。
そして自分は高みの見物で、偉そうな顔をしてたんだわ。
ところが今は自分がその罪にさらされている。
けれども--こうなるまでの道筋は、
まあ、なんてよかったろう、なんて嬉しかったろう。(グレートヘン)(第一部 p.255)
私ら庭作りの娘たちも、
見た目は可愛く雅やかです。
それは女の天性が、
たいへん芸術に近いからです。(庭作りの女たち)(第ニ部 p.37)
変り者め、大威張でやってゆくがいい。
だがどんな愚かな、或は利口なことを考えようと、
およそ先人のすでに考えたことならぬはないと、
気がついたら奴もさぞ悔しいだろうて。(メフィストーフェレス)(第ニ部 p.149)
ふと思いついたんですが、今は丁度、
古典的ワルプルギスの祭の夜にあたります。
今なしうることで一番いいのは、
この人を性にあった所へ連れてゆくことです。(ホムンクルス)
そんな祭のことは聞いたことがないなあ。(メフィストーフェレス)
それはあなたの耳になどはいるはずがありませんよ。
あなたのご存じなのは浪漫的な幽霊ばかりです。
でも本当の幽霊はやはり古典的でなくちゃなりません。(ホムンクルス)(第ニ部 p.159)
・・女の美しさなんかつまらんものだよ。
えてして凝固した形骸に堕しやすい。
わしが美としてみとめるのはただ、
心嬉しく生を楽しむところに生ずる姿ばかりだ。
美は、それ自身だけで満足しがちなものだが、
愛嬌があってこそ初めて抗いがたい魅力が生じる。
丁度わしが乗せてやった時のヘーレナのようにね。(ヒーロン)(第ニ部 p.189)
それは君、文献学者が、
君をも、自分をも、だましているんだよ。
神話のなかの女というのは特別なものだ。
あれは詩人が勝手に描いて見せるんで、
いつ大人になったとか、年寄になったということはなく、
いつ見ても涎のでそうな姿をしていて、
幼い時に誘拐されたり、年とってから口説かれたり。
要するに、詩人は歳月に縛られないのだ。(ヒーロン)(第ニ部 p.191)
彼奴らには勝手に歌わせて、自慢をさせておけ。
天日の聖なるいのちの光にくらべれば、
命のない造り物などは冗談にすぎない。
奴らはあきもせずに鎔かしたり造ったりしている。
そして銅なんかに鋳ると、
それでひとかどのもののように思いこむ。
あの高慢な連中が、結局なんだというのだ。(フロートイス)(第ニ部 p.248)
たいへんな誤りだ。命令する位置のものは、
命令することに至福を感じなければならぬ。
その人の胸は高遠な志で溢れているが、
その志ざすところは、誰も知ることを許されない。(ファウスト)(第ニ部 p.374)
自由な海は、精神をも自由にする、
海では思慮分別なんか意味ないよ。
なんでも手早く掴めばいいのだ、
さかなも掴まえりゃ、船も掴まえる。
力があれば権利もあるんだ。
何を掴むかが問題で、どうして取るかは問題でない。
おれが船乗りの素人ならいざ知らず、
戦争と貿易と海賊とは
三位一体で分けられないんだ。(メフィストーフェレス)(第ニ部 p.436)
おれはひたすら世の中を駆けぬけてきた。
あらゆる歓楽を髪の毛つかんで引捉えた。
心に満たないものは突っ放し、
つかまえ損ねたものは打ち捨てた。
いつも何かを熱望してはそれをやり遂げ、
またも望みをかけ、そういうふうに元気いっぱい、
生涯をやりとおした。はじめは威勢よく、
いまは賢明に慎重にやっている。
地上のことはもう知りぬいた。
天上へ昇る見込などありはしない。(ファウスト)(第ニ部 p.453)
知恵の最後の結論はこういうことになる、
自由も生活も、日毎にこれを闘い取ってこそ、
これを享受するに価する人間といえるのだ、と。
おれもそのような群集をながめ、
自由な土地に自由な民と共に住みたい。
そうなったら、瞬間に向ってこう呼びかけてもよかろう、
留まれ、お前はいかにも美しいと。
この世におけるおれの生涯の痕跡は、
幾千代を経ても滅びはすまい。
このような高い幸福を予感しながら、
おれはいま最高の瞬間を味わうのだ。(ファウスト)(第ニ部 p.462)
過ぎ去った、とは馬鹿な言葉だ。
そうして過ぎ去ったのだ。
過ぎ去るのと、きれいに無いのとは、全く同じことだ。
永遠の創造とは、一体なんの意味だ。
創造したものを、無に突き落とすなんて。
過ぎ去った、ということに、なんの意味があろう。
それなら初めから無かったのと同じではないか。
それなのに、何かあるかのようにぐるぐる回っている。
おれはむしろ永遠の虚無のほうが好きだな。(メフィストーフェレス)(第ニ部 p.464)

非属の才能(山田玲司/光文社)
マンガ家の山田玲司氏が書く、「みんなと同じじゃなくても、いいじゃないか」というテーマの本。
山田玲司氏のマンガは、あまり絵は上手くないし、話しも割りとベタなことが多い。でも、確かに、自分の頭で考えて、自分の意思で描いているという感覚が伝わってくる。
彼のマンガは、思想がメインで、そこに絵が付いたような作品で、だから、ストーリーや文章自体が面白く、そして、マンガの巻末に書かれたあと書きの文章は、マンガそのものよりも面白いことが多い。
この本も、語られていることはベタなことなのだけれど、とても共感出来る話しばかりだ。確実に、今悩んでいる子供たちの何割かを救い得る内容だと思う。
【名言】
教室という閉じた世界に一日中、何年もの間いなければならない子供たちは、その異常な空間にいかに存在すべきかという「ポジショニング」が最重要課題になってしまっている。(p.22)
村上春樹氏は夜明けに執筆するらしい。まだ暗いうちにコーヒーとサンドイッチなどの食事をすませ、ゆっくりと明るくなっていく時間帯に彼は物語世界のなかを旋回しているというわけだ。そして、昼には仕事を終え、スポーツをしたりジャズを楽しんだりするという。僕は、彼のライフスタイルに非属の才能を感じずにいられない。(p.94)
本当にテレビとネットとケータイなしで、消費社会から距離を置いて引きこもることができれば、かなりの希望があるだろう。そうやって、嫌でも自分と向き合わざるを得ない状況を作れば、いずれ、俗世で感じていた違和感の正体や「自分のすべきこと」が少しずつ見えてくる。(p.192)

50人の人質をとって籠城する銀行強盗の話し。この作品は、「何のために」「どうやって」銀行強盗を実行しているのかがポイントになっていて、ちょっとサスペンスの風味が入っている。銀行強盗と渡り合う刑事や交渉人のほうも、いずれも腕利きで、その駆け引きが面白い。
デンゼル・ワシントン、クライブ・オーウェン、ジョディ・フォスターの3人とも、持ち味がうまく出ていて、その点も良かった。
とにかくスゴいのは、銀行強盗犯の頭の良さと、計画の用意周到さだ。
この映画のプロットは、細かいところまで本当によく出来ている。さりげない一言や、犯人の小さな動きに実は大きな意味があったことに、2回目を見て初めて「なるほど!」と気づいたところがたくさんあった。銀行強盗を題材にした映画は数あれど、その中でもとりわけ、犯人がカッコいい作品だ。
「インサイド・マン」というのは、「銀行の中に立てこもっている」人のことを言っているのかと思っていたけれど、観終わった後に、この言葉にはもっと多くの意味が含まれていることに気づいた。このタイトルは、本当によく考えられている。

ダメな議論(飯田泰之/筑摩書房)
国民的常識とされていることも含めて、メディアで報道されている情報には、論理的に正しくない「ダメ」な議論がたくさん紛れているので、情報を鵜呑みにしないようにしましょう、という本。
その主張はとても納得がいくし、参考になる部分もあるのだけれど、あまり新しい気づきを与えてくれる内容ではなかった。
著者は、ダメな議論を判定する基準として、下の5つを挙げている。
1)定義の誤解・失敗はないか。
2)無内容又は反証不可能な言説ではないか。
3)難解な理論の不安定な結論となっていないか。
4)単純なデータ観察で否定されないか。
5)比喩と例え話に支えられた主張ではないか。
が、この基準自体が、意味がよくわからない。ダメな文の例がいくつも出されているのだけれど、その「どこがダメなのか」という説明が、イマイチ納得できないこともあった。
そもそも、「ダメ」と判定する基準が厳しいので、このチェックでいくと、雑誌や新聞に載るような短い記事などはほとんど「ダメ」と判断されてしまうような気がする。どういう文であれば「ダメではない」のかという説明も欲しかった。
良かった点は、著者の専門が経済学ということがあり、経済的なトピックでよく見かけられる、「日本の財政破綻」のような意見を取り上げて、そのどこに誤りがあるのかということを説明しているところだ。
政治や経済の話しは、つい、新聞の記事をそのまま信用してしまうけれど、そういう中に、どのようにしてウソが紛れ込んでいるかということと、何故そういうウソを受け入れてしまうのかについての解説は、とても面白かった。
【名言】
経済・社会・政治に関する言説は、自分に無関係ではないけれども、それらに関する知識がないと生活できなくなるというほどのものではありません。したがって、正しい理解をしたほうが得ではあるけれども、さまざまな言説が正しいか否かをしっかりと理解することで得られる利益や、誤り・無用・有害な解釈や提言を受け入れることによる不利益に比べ、その正否を精査するための「費用」の方が高くつくケースが多いのです。(p.15)
定義が明確でない日常用語をキーワードにした論説では、アンケート調査の結果がしばしば援用されます。しかし、アンケート調査は多くの問題を抱えています。最大の問題は、ほとんどのアンケート調査では「本当のことを答えるインセンティブ」が保証されていないことにあります。(p.124)
エアコンをリモコンで操作する時、赤外線で送信されている信号には、どこまでの情報が含まれているのか?
たとえば24度→26度に変える時には、「温度を上げる」ボタンを2回押す。
この時に、最初の1回は正しく赤外線が届かなかったけれど、2回目はちゃんと反応したとする。
その時、エアコンは、ちゃんと26度になっているのか?
それとも、25度の状態なのか?
もし、リモコンから送信されている信号が「温度を1度上げる」という情報しか含まなかった場合、2回のうち1回しか信号を受信しなかったら、エアコンは25度の状態になるはずだ。
でも、このやり方で情報を送っていると、赤外線を受信するのに失敗する度に、リモコンに表示されている内容と、実際のエアコンの状態が、どんどんかけ離れていってしまう。
次の仮定として、赤外線の中には、「温度を26度にする」という情報が含まれているとする。
この場合は、何回失敗しても、最後に正しく信号を送信出来れば、リモコンの表示と、エアコンの設定温度は一致することになる。
しかし、リモコンで可能な操作は、温度の変更だけではなく、風量や、タイマーの変更など、たくさんある。
これらの変更をすべて、信号の受信に失敗した後にリトライした時でも、正しくエアコンがリモコンの状態を知ることが出来るようにするには、かなりの情報量を一度に送る必要があるはずだ。
どうなっているんだろう。
エアコン本体に、携帯のサブディスプレイのような簡単な液晶をつけて、現在の状態を表示するようにしてくれれば便利なのに、と思う。




プリズンホテル 1~4巻(浅田次郎/集英社)
浅田次郎氏の小説は、作品によっては「ここで泣かせよう」という意図がミエミエすぎることがあって、それでちょっと醒めてしまうことがあるのだけれど、この「プリズンホテル」はそういう感じはなく、とてもストレートに響いてくる話しだった。
活字だけでここまで笑わせて、感動させる小説というのも珍しい。
夏秋冬春の4部作になっていて、各巻ごとに、季節感を出しつつ、それぞれきちんと独立した一つの物語として完結しており、この構成は見事だと思う。
かなり個性的なキャラクターばかり登場して、途中かなりドタバタなことになるのだけれど、その個性同士の組み合わせの妙によって、思いもしない化学変化が起こるというところは、人の出会いと縁の不思議さを感じさせて、しみじみとする。
その中でもとりわけ変わっているのが、物語の中心的な位置づけの小説作家で、かなり倒錯して性格破綻している。主人公としては、かなり異色なキャラクターだと思うのだけれど、この人についてだけは、4巻を通じて一つの大きな物語になっているので、長い目で見守る必要がある。とにかく極端なキャラなだけに、長い物語の末には思い入れも深くなり、感慨もひとしおだ。ここまで濃い素材の登場人物ばかりを集めて、最後にはキレイにまとめてしまうというのはスゴい。
【名言】
「そうですかねえ、私らずっと、仕事の終わった順に休む、ってえ方法でやってきてますから」
「ということは、仕事の終わらん者はああしていつまでも起きていなきゃならんことになるな」
「へい、その通りで。なんたって極道は自己管理が大切ですから。てめえの道はてめえで切り拓くことだって、カーネギーも言っておりやす。おしきせの決まりの中で休んだり働いたりしてゼニを貰うんじゃ、ロクな人間になりやせん」(1巻p.167)
ぼくの髪の毛を掴んで引きずり上げると、仲オジは雷鳴のような声でこう言った
「なにをグダグダ言ってやがる。毎日これだけ修行をしたから、今のおめえがあるんじゃねえか。親の言いつけにまちがいはねえんだ!」(1巻p.297)
いいや、おめえは人を幸せにする。わからねえのか?あたりめえのホテルマンのできることは、せいぜい一泊二日の幸せだ。だが、花沢。おめえは人の一生を幸せにする。(2巻p.244)
人生劇場って、よく言ったものよねえ。長い人生、振り返ってみりゃ役者が揃う見せ場っての、たしかにあるもの。あの晩がそうだった。あの場面を境にして、あたしの人生のシナリオは変わった。(2巻p.269)
興奮もさめやらぬ人々がロビーに群れ集っている。ただひとり打ちひしがれているのは、おそらくぼくだけだろう。すっかり氷の溶けた水割りをなめながら、ぼくは枯葉のしんしんと舞い落ちる夜の窓を、見るでもなく見つめていた。たとえ何百枚の原稿を積み重ねても、ぼくの小説が人を感動させることはない。しかし真野みすずはわずか数分の歌で、すべての人々を泣かせてしまった。そして歌をつないだ柏木ナナまでもが。(2巻p.375)
金ならある。いくらだってある。いや、そんなものしか俺は持ってないんだ。いいか、おまえは天才だ。才能は汚しちゃいけないんだ。いいな、ミカ、がんばれ。才能に涙はいらない。おまえの汗で磨くんだぞ。(2巻p.424)
もう子供を産める齢ではないと悟ったときの、広野に佇むような淋しさは、誰にもわかるまい。口にこそ出しては言わないが人の命を救ったときの歓喜が、その身も凍えるような淋しさと釣り合うものだとは、マリアはいまだに、どうしても思うことができなかった。たしかに自分は、死すべき人の命を幾千も救った。だが、自分の支払った代償はあまりに大きすぎる、と思う。(3巻p.51)
猿も象もライオンも、ぼくの贈り物には何の興味も示さなかったのだから、花の正体はきっと美しいものでも何でもなく、人間が勝手に、花は美しいものと規定しているのだと考えた。やがて、美という概念そのものが幻想であると考えるようになった。
だからぼくはいつも、美しいものに対して人間として感動しているわけではない。そうすることが商売だから、モーツァルトを聴いて感動したふりをしたり、美術品にうけ売りのウンチクをたれたり、人前でわざとらしく花や月を愛でたりするのだ。
そんなぼくにとって、清子はまったく説明に窮する代物だ。百人の人間が観察して、百人とも口を揃えて美しいと言うに決まっているこの女は、いったい何なのだ。(3巻p.140)
自然はかくもゆるぎないものであるのに、そしてぼく自身も、神の造り給うたその天然の一部であるのに、どうしてぼくだけが水面に浮かぶうたかたのように、正体もなく揺れ続けているのだろう。(3巻p.213)
ぼくの秒読みにせかされて、清子の唇はタラコのようになった。
それでも美しい。こいつは神様がこの世に造り出した、傑作中の傑作だ。泣いても笑っても、寝ても覚めても、立っても座っても、こいつはどこからどう見たって美しい。
秒読みの声は途中で挫けた。ぼくはいったいどうしたら、清子をぼくのものにすることができるのだろう。いったいどうやったらぼくの心の中にしっかりと抱き止めることができるのだろう。
愛の言葉をぼくは知らない。そんなものは誰も教えてはくれなかった。(3巻p.284)
身を慄わせて慟哭しながら、ぼくは考えた。ぼくが失ったもの、それは何だろう。人間として能うかぎりの栄光と、奇跡の再生のかわりにぼくが失ったものは、いったい何なのだろう。(4巻p.378)
