» 2008 » 10月のブログ記事

クレィドゥ・ザ・スカイ(森博嗣/中央公論新社)
今までの巻とまったく趣向を変えた構成で書かれている。同じ世界の中の物語でありながら、巻によって毎回、視点や構造をここまで変化させて描くというのは、すごい表現力だと思う。
それにしても、この作品の文体は何故こんなに気持ち良いのだろう。
文章のリズムが、この言葉の次にはこんな言葉が来る、という予想を裏切って、思いもよらぬ方向に流れてゆく。そういうこともあるけれど、やっぱりこの、刹那的で乾いた空気が、自分の好みと合っているということなのかもしれない。
この「クレイドゥ・ザ・スカイ」では大きな謎が提示されている。この巻は、全編が一つのミステリーだ。そして、この謎は、「スカイ・クロラ」シリーズの最も根本的な「キルドレ」の本質に関わっている。
「スカイ・クロラ」シリーズを読み進めていた時、キルドレという存在について、なんだか定義が曖昧で、パイロットになる必然性も感じられないし、余計な設定だったんじゃないかと思っていたけれど、この「クレイドゥ・ザ・スカイ」に来て、その点は自分の大きな勘違いだったのだと思いしった。
著者は、確信犯的に、すべての構造をきっちりと組み立てた上で、この「クレイドゥ・ザ・スカイ」をシリーズ最後の巻としてぶつけてきたのだ。そして、そのために、時系列としては最も最後になる「スカイ・クロラ」を敢えて最初に世に出した。
今まで、クサナギ、クリタ、カンナミ同士の会話で、「どういう意味だ?」とひっかかりを感じた部分には、やはり伏線があったのだ。
シリーズ全体を通して、これだけのクオリティーを保ちつつ、しかも、全体を通して把握することによって、さらに大きな世界観が見えてくる。ここまでの緻密な物語作りをするというのは、どこまで途方もない才能なんだろう。森博嗣氏の真骨頂が凝縮された作品だと思う。
【名言】
言葉だけで、ずっと一緒にいるつもりだ、と言うことはたやすいし、そんな嘘の言葉でもいいから、彼女は欲しがっているのかもしれない、ということは想像できた。だけど、残念だけれど、僕は無駄なこと、意味のないこと、確信が持てないことには、手を出さないことにしているんだ。それは、空で学んだこと。命を懸けて相手と戦うときに、これだけはしてはいけない、という自分との約束だった。無駄なことをしないというのが、尊敬する相手に対する礼儀だ。その約束を破ったら、墜ちていくときに、自分を祝福できないだろう。(p.60)
テレビがニュースを伝えている。僕は毛布から顔を出した。戦争のニュースだったからだ。空母から戦闘機が飛び立つシーンが少しだけ映し出され、そのあとは、地図に二色の矢印。
そうか、あんなふうに、僕たちは矢印になるんだな、と思った。向ってくる別の色の矢印もあって、矢印がぶつかるところが、お楽しみのダンスホールってわけだ。(p.69)
静けさが、残された煙と混じり合う。
彼女は毛布の中に白い身体を包んで、僕をじっと見た。明日の分の涙が、頬を斜めに伝っていた。(p.100)
どんなメカニックでも同じ。ただ、綺麗なボディを被り、見えなくしているだけ。車はみんなそうだ。メタリックの塗装で光り輝いている。銀のモールドがぴかぴかだ。シートはソファと同じくらいふかふかで、木目のダッシュボードは額縁みたいにつるつる。スピーカからは楽しい音楽が流れ出る。楽しさと綺麗さで、シャーシの重さと黒さを隠している。肝心のメカニズムは見えないようになっている。
飛行機には、これがない。
飛ぶために余分なものは載せられないからだ。(p.220)
■「スカイ・クロラ」シリーズ
「スカイ・クロラ」
「ナ・バ・テア」
「ダウン・ツ・ヘヴン」
「フラッタ・リンツ・ライフ」

サイコ
この作品については、ほとんど何も語ることが出来ない。何かを説明しようとすると、重要なネタをバラすことになってしまい、間接的にこの映画の楽しみを奪ってしまうことになるからだ。
ヒッチコックは、この映画の内容が決して事前にバレることがないよう、一切の試写会をすべての映画館に対して禁止したという。その、作品に対する愛情に敬意を表して、自分も、一切の説明は控えようと思う。
映画の名前と、テーマ音楽は昔からよく耳にしていたけれど、その内容は大きく想像を超えるものだった。これから初めてこの映画を観る場合には、決して何の情報も先入観も得ることなく、白紙の状態で観るべきだと思う。
この映画は、まったく先の展開が読めないという意味で、かなり自分のツボをついた作品だった。
■サイコ(1960年)
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:アンソニー・パーキンス、ジャネット・リー、ヴェラ・マイルズ

Harry Potter and the Prisoner of Azkaban(J.K.Rowling/Bloomsbury Publishing PLC)
ハリー・ポッターシリーズの3巻目。
巻を重ねるごとにだんだんと、ファンタジーっぽい風味を増してきていて良い。
小道具や、物語の舞台もどんどん広がっていって、ホグワーツという空間の世界観に厚みが加わっていっている感じがする。
今作でも、新しいアイテムが色々出てきたけれど、特に、人の現在地がリアルタイムで表示される地図は、「こんな道具があったら面白い」と思うナンバーワンの道具だった。
キャラクターの中では、Dementorという、魂を吸う幽霊が強烈なインパクトがあった。生者の口から魂を吸い取るシーンは、かなり怖い。
ストーリー自体は、さらにミステリー&サスペンスの度合いが深まっていて、展開が二転三転するので、内容を正確に理解するのが大変だった。さらに今作は、背景にやや複雑な人間ドラマがあって、それが面白いところでもあり、関係の把握が難しいところでもあった。
途中、SFっぽいトリックが出てくるのだけれど、この部分はさすがにちょっとムリがあると思った。いかにファンタジーとはいえ、禁じ手なのではないかと思うような強引さがある構成で、そこはちょっとイマイチな作りだったと思う。
この「アズカバンの囚人」は、映画版を見てから、小説を読んだのだけれど、かなり内容が違う。映画版のほうは、もはや、収まりきらないから途中を省略してあるというだけでなく、エンターテイメントとして楽しめるように、映画向きに内容が変更されている箇所もいくつかある。内容の密度や細かさでは、だんぜん小説のほうが上だけれども、映像のキレイさというでは映画に軍配が上がるので、それぞれ別物として楽しむべきものと思った。
【名言】
He didn’t know what he wanted to do. All he knew was that the idea of doing nothing. while Black was at liberty, was almost more than he could stand.(p.159)
His Patronus was too feeble to drive the Dementor away. All it did was hover, like a semi-transparent cloud, draining Harry of energy as he fought to keep it there. Harry felt angry with himself, guilty about his secret desire to hear to his parents’ voices again.(p.182)
‘Don’t expect me to cover up for you again, Harry. I cannot make you take Sirius Black seriously. But I have thought that what you have heard when the Dementors draw near you would have had more of an effect on you. Your parents gave their lives to keep you alive, Harry. A poor way to repay them – gambling their sacrifice for a bag of magic tricks’.(p.213)
He had forgotten about magic – he had forgotten that he was short and skinny and thirteen, whereas Black was a tall, full-grown man. All Harry knew was that he wanted to hurt Black as badly as he could and that he didn’t care how much he got hurt in return…(p.249)
‘The consequences of our actions are always so complicated, so diverse, that predicting the future is a very difficult business indeed… Professor Trelaway, bless her, is living proof of that. You did a very noble thing, in saving Pettigrew’s life.’
‘But if he helps Voldemort back to power-!’
‘Pettigrew owes his life to you. You have sent Voldemort a deputy who is in your debt. When one wizard saves another wizard’s life, it creates a certain bond between them… and I’m much mistaken if Voldemort wants his servant in the debt of Harry Potter.’
‘I don’t want a bond with Pettigrew!’ said Harry. ‘He betrayed my parents!’
‘This is magic at its deepest, its most impenetrable, Harry. But trust me… the time may come when you will be very glad you saved Pettigrew’s life.’(p.311)

ザ・スタンド
これは、かなり本格的にコワい作品だった。ホラー的に驚かせるところもあるのだけれど、基本的にはその、細部まで作りこまれた重厚な世界観と、物語によって引き出されるコワさなのだと思う。ざわざわした風のような音と、ギターの乾いた音色だけで作られたシンプルなBGMも、かなり、おどろおどろしい。
タイトルが「ザ・スタンド」だからというわけではないのだけれど、やたらと個性的でヘンな奴らが集まるところが、「ジョジョ」っぽいテイストの作品だと思った。
なんといっても、この、登場人物のキャラクター達の際立った特徴が、最大の魅力といえる。聾唖者や、放火魔や、知的障害者など、主要登場人物がここまでバラエティー豊かな作品が他にないだろう、というぐらいのカオスさだった。しかも、俳優がみんな存在感があってリアルだ。悪の大ボスであるFloggの怖さも、かなりハンパじゃない。スティーブン・キングのこの想像力は、やはりスゴいと思う。
アメリカのあちこちが舞台になっているので、色々な都市を見て回っているような観光気分を味わえるのも、良い点だった。ハリウッド映画などだと、ニューヨークやロスあたりが舞台になることが多く、それ以外の地方の州はあまり舞台にならないけれど、この作品は、アメリカ全体の姿がよくわかる。
最先端のCGを駆使した映画に比べれば、派手さでは当然劣るけれども、この作品は、映像もすごかった。マンハッタン島の出口で車が渋滞になって詰まってしまっている風景や、ネオンだけが光って無人のラスベガスなど、CGに頼らずに、ここまで荒涼とした景色を作り出すセンスは素晴らしい。
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このシールをわざわざ目立つ場所に貼っているウチは、
「ここには、なんとしてでも盗まれたくないと思うような大事なものが色々ありますよ」ということをアピールして、何者かを呼び寄せようとしているのだろうか。
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パリ国立ピカソ美術館が改装中とのことで、そこに所蔵されていた作品がまとめて来日してきている。
新国立美術館とサントリー美術館の2箇所に分かれて展示されていて、サントリー美術館のほうは、自画像を中心にした58点があった。
【ベスト5】
1位「影」(1953年)
2位「自画像」(1901年末)
3位「ドラとミノタウロス」(1936年)
4位「人物と横顔」(1928年)
5位「海辺を走る二人の女」(1922年夏)
ダントツで良かったのが、
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「影」。かなり倒錯している。
「自画像」は
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青色がものすごくキレイだった。
肌寒くなるようなシーンとした暗さ。
写真になると、この青味が全然わからなくなってしまう。
「ドラとミノタウロス」


サクサク現代史!(青木裕司×片山まさゆき/メディアファクトリー)
河合塾の世界史講師である青木裕司氏の講義を、片山まさゆき氏がマンガ化したという、夢のコラボレーション。現代史についてわかりやすくまとめた解説も面白いし、それを物語風にしたマンガが最高にいい。
世界を一つの教室にたとえて、「アメリカくん」や「イスラエルくん」など、それぞれの特徴を見事にとらえた登場人物同士が、クラスの中でケンカをしたり、番長同士で同盟を組んだりする。
こうやって単純化して見せられれば確かに、近現代での国家間の争いは高校生のケンカみたいなものだ。色々な環境から個性的な生徒が集まって、近くにいる人と席を取り合ったり、気が合う連中で仲間になったりしている感じに近い。
片山まさゆき氏といえば、麻雀マンガの印象が強いけれど、三国志のマンガや、ソ連のチェルネンコを主人公にしたマンガも書いていたりで、歴史系の作品も過去にいくつかある。それぞれの国が持つキャラクターを的確にとらえて、単純な絵でユーモラスに表現する才能は素晴らしい。
世界史は、相当面白い教科であるにもかかわらず、教科書の無味乾燥な書き方では、その魅力は8割方失われてしまう。この本は、その面白さを8割増しで伝えている、かなり価値のある本だ。そして、入口で面白いと思えれば、それをきっかけに、どんどんと興味は湧いてくるものだと思う。これは、学生にも社会人にもおススメ出来る。
【名言】
イスラエルはイェルサレムを首都と主張しているが、これは国際的には認められていない。1947年の国連パレスチナ分割案でも、イェルサレムは「国際管理地域」とされていた。ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教のそれぞれにとって、イェルサレムは「聖地」であり、一つの国が支配下に置くのは好ましくない、との判断からであった。(p.44)
レジスタンスがいた一方、ドイツ軍に積極的に協力するフランス人にいた。彼らのことを「対独協力者(コラボレ)」という。戦後、多くのフランス人が問われた質問が「貴方は1940年に何をしていたか?」。ドイツ軍と戦っていたら英雄、コラボレとわかればリンチにあった。(p.89)
アメリカがベトナムで戦ったのは、約8年間。1日平均300億円かかったという。それを約3000日やった。てことは、90兆円。(p.124)
第二次世界大戦以降、戦争をしなかった国は、まず日本ですよね。日本以外にあるんですか?
アフリカ大陸にはありません。アジアではブータン。南北アメリカではジャマイカだけ。(p.178)

ダウン・ツ・ヘヴン(森博嗣/中央公論新社)
この巻もまた、すごかった。
今までの巻とは違う。今までは、物語は飾りで、そこには瞬間の出来事が散文的に並べられている雰囲気だったけれど、今回は、物語がメインだ。
「スカイ・クロラ」の時点以前の、ある一時期の草薙水素にフォーカスする形で、話しは展開される。一人の登場人物にとって決定的に重要な出来事を追う形で、その成長の場面に立ち会うような気分になる。このドラマチックさは、今までにない、新しい境地だと思った。
各章の扉部分の引用は、各巻ごとに異なるのだけれど、この巻ではトルストイの「イワン・イリッチの死」からの引用になっている。「スカイ・クロラ」でのサリンジャーからの引用も、雰囲気とよくマッチしていたけれど、今回もいい味を出している。
飛行シーンの描写のキレは相変わらずなのだけれど、なんといっても、後半の市街地での空戦は特にすごい。本当に、どうしてこんなに美しい文章が作れるのかと思う。
この「スカイ・クロラ」シリーズは、今、書店に並んでいるのはほとんど文庫版だけれど、文庫化する前のハードカバーでは、すべて空の写真の表紙になっていた。
巻ごとに写真が違い、「ダウン・ツ・ヘブン」ではどんよりと鈍く光る雨雲のような空がテーマになっている。この装丁がまた、作品とピッタリと合っていて素晴らしい。ハードカバー版は、内容に加えてビジュアルの面でも、芸術品のような洗練がある。
【名言】
この戦闘機という名の飛行機には、二人は乗れない。二人いる必要がない。もう一人がいても、なんの役にも立たない。それと同じように、僕が生きていくためには、僕以外の人間は誰も役に立たない。誰かと手をつないで生きるなんてことは、絶対にない。それは、もう生きているとは別の状態といっても良いだろう。誰かとともにいるということは、生きているよりも、死んでいるのに近いのではないか。そうだ、死んだら、みんなのところへ行ける。地面に埋められて、周囲と同化して。天国だって、みんなと一緒だろう。手をつなぎ合って。わからないけれど、天国でも一人ということは、ないと思う。(p.68)
でも、そんな楽しい仕事なんてあるだろうか。給料をもらって、夕方には家路につく。電車に乗って、人混みの中を歩かなくてはならない。知らない人間がすぐ近くにいて、身体と身体が触れ合うほど接近しても、素知らぬ顔をしていなければならない。都会というのは、そういうところだ。人間たちが吐く息で、地下鉄の中はどうしようもなく濁っている。一度だけ乗ったとき、その空気が僕には耐えられなかった。酸素マスクを着けなければ、僕は生きていられないだろう。いろいろな匂いがする。匂いが多すぎるのだ。それに比べたら、今はエンジンの排気だけ。こんなシンプルなものはない。誘うように甘い匂いだけだ。(p.190)
しかし、そこで翼を左右に振った。
ティーチャだ、まちがいない。
僕もエルロンを左右に倒して、挨拶をした。
さあ、いくぞ。
踊ろう。
ダンスを!
笑いたくなるくらい楽しかった。(p.284)
