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2008年10月31日
悪いハロウィン
2008年10月30日
クレィドゥ・ザ・スカイ
今までの巻とまったく趣向を変えた構成で書かれている。同じ世界の中の物語でありながら、巻によって毎回、視点や構造をここまで変化させて描くというのは、すごい表現力だと思う。
それにしても、この作品の文体は何故こんなに気持ち良いのだろう。
文章のリズムが、この言葉の次にはこんな言葉が来る、という予想を裏切って、思いもよらぬ方向に流れてゆく。そういうこともあるけれど、やっぱりこの、刹那的で乾いた空気が、自分の好みと合っているということなのかもしれない。
この「クレイドゥ・ザ・スカイ」では大きな謎が提示されている。この巻は、全編が一つのミステリーだ。そして、この謎は、「スカイ・クロラ」シリーズの最も根本的な「キルドレ」の本質に関わっている。
「スカイ・クロラ」シリーズを読み進めていた時、キルドレという存在について、なんだか定義が曖昧で、パイロットになる必然性も感じられないし、余計な設定だったんじゃないかと思っていたけれど、この「クレイドゥ・ザ・スカイ」に来て、その点は自分の大きな勘違いだったのだと思いしった。
著者は、確信犯的に、すべての構造をきっちりと組み立てた上で、この「クレイドゥ・ザ・スカイ」をシリーズ最後の巻としてぶつけてきたのだ。そして、そのために、時系列としては最も最後になる「スカイ・クロラ」を敢えて最初に世に出した。
今まで、クサナギ、クリタ、カンナミ同士の会話で、「どういう意味だ?」とひっかかりを感じた部分には、やはり伏線があったのだ。
シリーズ全体を通して、これだけのクオリティーを保ちつつ、しかも、全体を通して把握することによって、さらに大きな世界観が見えてくる。ここまでの緻密な物語作りをするというのは、どこまで途方もない才能なんだろう。森博嗣氏の真骨頂が凝縮された作品だと思う。
【名言】
言葉だけで、ずっと一緒にいるつもりだ、と言うことはたやすいし、そんな嘘の言葉でもいいから、彼女は欲しがっているのかもしれない、ということは想像できた。だけど、残念だけれど、僕は無駄なこと、意味のないこと、確信が持てないことには、手を出さないことにしているんだ。それは、空で学んだこと。命を懸けて相手と戦うときに、これだけはしてはいけない、という自分との約束だった。無駄なことをしないというのが、尊敬する相手に対する礼儀だ。その約束を破ったら、墜ちていくときに、自分を祝福できないだろう。(p.60)
テレビがニュースを伝えている。僕は毛布から顔を出した。戦争のニュースだったからだ。空母から戦闘機が飛び立つシーンが少しだけ映し出され、そのあとは、地図に二色の矢印。
そうか、あんなふうに、僕たちは矢印になるんだな、と思った。向ってくる別の色の矢印もあって、矢印がぶつかるところが、お楽しみのダンスホールってわけだ。(p.69)
静けさが、残された煙と混じり合う。
彼女は毛布の中に白い身体を包んで、僕をじっと見た。明日の分の涙が、頬を斜めに伝っていた。(p.100)
どんなメカニックでも同じ。ただ、綺麗なボディを被り、見えなくしているだけ。車はみんなそうだ。メタリックの塗装で光り輝いている。銀のモールドがぴかぴかだ。シートはソファと同じくらいふかふかで、木目のダッシュボードは額縁みたいにつるつる。スピーカからは楽しい音楽が流れ出る。楽しさと綺麗さで、シャーシの重さと黒さを隠している。肝心のメカニズムは見えないようになっている。
飛行機には、これがない。
飛ぶために余分なものは載せられないからだ。(p.220)
■「スカイ・クロラ」シリーズ
「スカイ・クロラ」
「ナ・バ・テア」
「ダウン・ツ・ヘヴン」
「フラッタ・リンツ・ライフ」
2008年10月29日
栗まゆ最中
2008年10月28日
サイコ(ヒッチコック)
この作品については、ほとんど何も語ることが出来ない。何かを説明しようとすると、重要なネタをバラすことになってしまい、間接的にこの映画の楽しみを奪ってしまうことになるからだ。
ヒッチコックは、この映画の内容が決して事前にバレることがないよう、一切の試写会をすべての映画館に対して禁止したという。その、作品に対する愛情に敬意を表して、自分も、一切の説明は控えようと思う。
映画の名前と、テーマ音楽は昔からよく耳にしていたけれど、その内容は大きく想像を超えるものだった。これから初めてこの映画を観る場合には、決して何の情報も先入観も得ることなく、白紙の状態で観るべきだと思う。
この映画は、まったく先の展開が読めないという意味で、かなり自分のツボをついた作品だった。
■サイコ(1960年)
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:アンソニー・パーキンス、ジャネット・リー、ヴェラ・マイルズ
2008年10月27日
Harry Potter and the Prisoner of Azkaban

Harry Potter and the Prisoner of Azkaban(J.K.Rowling/Bloomsbury Publishing PLC)
ハリー・ポッターシリーズの3巻目。
巻を重ねるごとにだんだんと、ファンタジーっぽい風味を増してきていて良い。
小道具や、物語の舞台もどんどん広がっていって、ホグワーツという空間の世界観に厚みが加わっていっている感じがする。
今作でも、新しいアイテムが色々出てきたけれど、特に、人の現在地がリアルタイムで表示される地図は、「こんな道具があったら面白い」と思うナンバーワンの道具だった。
キャラクターの中では、Dementorという、魂を吸う幽霊が強烈なインパクトがあった。生者の口から魂を吸い取るシーンは、かなり怖い。
ストーリー自体は、さらにミステリー&サスペンスの度合いが深まっていて、展開が二転三転するので、内容を正確に理解するのが大変だった。さらに今作は、背景にやや複雑な人間ドラマがあって、それが面白いところでもあり、関係の把握が難しいところでもあった。
途中、SFっぽいトリックが出てくるのだけれど、この部分はさすがにちょっとムリがあると思った。いかにファンタジーとはいえ、禁じ手なのではないかと思うような強引さがある構成で、そこはちょっとイマイチな作りだったと思う。
この「アズカバンの囚人」は、映画版を見てから、小説を読んだのだけれど、かなり内容が違う。映画版のほうは、もはや、収まりきらないから途中を省略してあるというだけでなく、エンターテイメントとして楽しめるように、映画向きに内容が変更されている箇所もいくつかある。内容の密度や細かさでは、だんぜん小説のほうが上だけれども、映像のキレイさというでは映画に軍配が上がるので、それぞれ別物として楽しむべきものと思った。
【名言】
He didn't know what he wanted to do. All he knew was that the idea of doing nothing. while Black was at liberty, was almost more than he could stand.(p.159)
His Patronus was too feeble to drive the Dementor away. All it did was hover, like a semi-transparent cloud, draining Harry of energy as he fought to keep it there. Harry felt angry with himself, guilty about his secret desire to hear to his parents' voices again.(p.182)
'Don't expect me to cover up for you again, Harry. I cannot make you take Sirius Black seriously. But I have thought that what you have heard when the Dementors draw near you would have had more of an effect on you. Your parents gave their lives to keep you alive, Harry. A poor way to repay them - gambling their sacrifice for a bag of magic tricks'.(p.213)
He had forgotten about magic - he had forgotten that he was short and skinny and thirteen, whereas Black was a tall, full-grown man. All Harry knew was that he wanted to hurt Black as badly as he could and that he didn't care how much he got hurt in return...(p.249)
'The consequences of our actions are always so complicated, so diverse, that predicting the future is a very difficult business indeed... Professor Trelaway, bless her, is living proof of that. You did a very noble thing, in saving Pettigrew's life.'
'But if he helps Voldemort back to power-!'
'Pettigrew owes his life to you. You have sent Voldemort a deputy who is in your debt. When one wizard saves another wizard's life, it creates a certain bond between them... and I'm much mistaken if Voldemort wants his servant in the debt of Harry Potter.'
'I don't want a bond with Pettigrew!' said Harry. 'He betrayed my parents!'
'This is magic at its deepest, its most impenetrable, Harry. But trust me... the time may come when you will be very glad you saved Pettigrew's life.'(p.311)
2008年10月26日
ザ・スタンド
これは、かなり本格的にコワい作品だった。ホラー的に驚かせるところもあるのだけれど、基本的にはその、細部まで作りこまれた重厚な世界観と、物語によって引き出されるコワさなのだと思う。ざわざわした風のような音と、ギターの乾いた音色だけで作られたシンプルなBGMも、かなり、おどろおどろしい。
タイトルが「ザ・スタンド」だからというわけではないのだけれど、やたらと個性的でヘンな奴らが集まるところが、「ジョジョ」っぽいテイストの作品だと思った。
なんといっても、この、登場人物のキャラクター達の際立った特徴が、最大の魅力といえる。聾唖者や、放火魔や、知的障害者など、主要登場人物がここまでバラエティー豊かな作品が他にないだろう、というぐらいのカオスさだった。しかも、俳優がみんな存在感があってリアルだ。悪の大ボスであるFloggの怖さも、かなりハンパじゃない。スティーブン・キングのこの想像力は、やはりスゴいと思う。
アメリカのあちこちが舞台になっているので、色々な都市を見て回っているような観光気分を味わえるのも、良い点だった。ハリウッド映画などだと、ニューヨークやロスあたりが舞台になることが多く、それ以外の地方の州はあまり舞台にならないけれど、この作品は、アメリカ全体の姿がよくわかる。
最先端のCGを駆使した映画に比べれば、派手さでは当然劣るけれども、この作品は、映像もすごかった。マンハッタン島の出口で車が渋滞になって詰まってしまっている風景や、ネオンだけが光って無人のラスベガスなど、CGに頼らずに、ここまで荒涼とした景色を作り出すセンスは素晴らしい。
2008年10月25日
セコムしてますか
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このシールをわざわざ目立つ場所に貼っているウチは、
「ここには、なんとしてでも盗まれたくないと思うような大事なものが色々ありますよ」ということをアピールして、何者かを呼び寄せようとしているのだろうか。
2008年10月24日
ピカソ展 魂のポートレート
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パリ国立ピカソ美術館が改装中とのことで、そこに所蔵されていた作品がまとめて来日してきている。
新国立美術館とサントリー美術館の2箇所に分かれて展示されていて、サントリー美術館のほうは、自画像を中心にした58点があった。
【ベスト5】
1位「影」(1953年)
2位「自画像」(1901年末)
3位「ドラとミノタウロス」(1936年)
4位「人物と横顔」(1928年)
5位「海辺を走る二人の女」(1922年夏)
「自画像」は
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青色がものすごくキレイだった。
肌寒くなるようなシーンとした暗さ。
写真になると、この青味が全然わからなくなってしまう。
「ドラとミノタウロス」

2008年10月23日
サクサク現代史!

サクサク現代史!(青木裕司×片山まさゆき/メディアファクトリー)
河合塾の世界史講師である青木裕司氏の講義を、片山まさゆき氏がマンガ化したという、夢のコラボレーション。現代史についてわかりやすくまとめた解説も面白いし、それを物語風にしたマンガが最高にいい。
世界を一つの教室にたとえて、「アメリカくん」や「イスラエルくん」など、それぞれの特徴を見事にとらえた登場人物同士が、クラスの中でケンカをしたり、番長同士で同盟を組んだりする。
こうやって単純化して見せられれば確かに、近現代での国家間の争いは高校生のケンカみたいなものだ。色々な環境から個性的な生徒が集まって、近くにいる人と席を取り合ったり、気が合う連中で仲間になったりしている感じに近い。
片山まさゆき氏といえば、麻雀マンガの印象が強いけれど、三国志のマンガや、ソ連のチェルネンコを主人公にしたマンガも書いていたりで、歴史系の作品も過去にいくつかある。それぞれの国が持つキャラクターを的確にとらえて、単純な絵でユーモラスに表現する才能は素晴らしい。
世界史は、相当面白い教科であるにもかかわらず、教科書の無味乾燥な書き方では、その魅力は8割方失われてしまう。この本は、その面白さを8割増しで伝えている、かなり価値のある本だ。そして、入口で面白いと思えれば、それをきっかけに、どんどんと興味は湧いてくるものだと思う。これは、学生にも社会人にもおススメ出来る。
【名言】
イスラエルはイェルサレムを首都と主張しているが、これは国際的には認められていない。1947年の国連パレスチナ分割案でも、イェルサレムは「国際管理地域」とされていた。ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教のそれぞれにとって、イェルサレムは「聖地」であり、一つの国が支配下に置くのは好ましくない、との判断からであった。(p.44)
レジスタンスがいた一方、ドイツ軍に積極的に協力するフランス人にいた。彼らのことを「対独協力者(コラボレ)」という。戦後、多くのフランス人が問われた質問が「貴方は1940年に何をしていたか?」。ドイツ軍と戦っていたら英雄、コラボレとわかればリンチにあった。(p.89)
アメリカがベトナムで戦ったのは、約8年間。1日平均300億円かかったという。それを約3000日やった。てことは、90兆円。(p.124)
第二次世界大戦以降、戦争をしなかった国は、まず日本ですよね。日本以外にあるんですか?
アフリカ大陸にはありません。アジアではブータン。南北アメリカではジャマイカだけ。(p.178)
2008年10月22日
ダウン・ツ・ヘヴン
この巻もまた、すごかった。
今までの巻とは違う。今までは、物語は飾りで、そこには瞬間の出来事が散文的に並べられている雰囲気だったけれど、今回は、物語がメインだ。
「スカイ・クロラ」の時点以前の、ある一時期の草薙水素にフォーカスする形で、話しは展開される。一人の登場人物にとって決定的に重要な出来事を追う形で、その成長の場面に立ち会うような気分になる。このドラマチックさは、今までにない、新しい境地だと思った。
各章の扉部分の引用は、各巻ごとに異なるのだけれど、この巻ではトルストイの「イワン・イリッチの死」からの引用になっている。「スカイ・クロラ」でのサリンジャーからの引用も、雰囲気とよくマッチしていたけれど、今回もいい味を出している。
飛行シーンの描写のキレは相変わらずなのだけれど、なんといっても、後半の市街地での空戦は特にすごい。本当に、どうしてこんなに美しい文章が作れるのかと思う。
この「スカイ・クロラ」シリーズは、今、書店に並んでいるのはほとんど文庫版だけれど、文庫化する前のハードカバーでは、すべて空の写真の表紙になっていた。
巻ごとに写真が違い、「ダウン・ツ・ヘブン」ではどんよりと鈍く光る雨雲のような空がテーマになっている。この装丁がまた、作品とピッタリと合っていて素晴らしい。ハードカバー版は、内容に加えてビジュアルの面でも、芸術品のような洗練がある。
【名言】
この戦闘機という名の飛行機には、二人は乗れない。二人いる必要がない。もう一人がいても、なんの役にも立たない。それと同じように、僕が生きていくためには、僕以外の人間は誰も役に立たない。誰かと手をつないで生きるなんてことは、絶対にない。それは、もう生きているとは別の状態といっても良いだろう。誰かとともにいるということは、生きているよりも、死んでいるのに近いのではないか。そうだ、死んだら、みんなのところへ行ける。地面に埋められて、周囲と同化して。天国だって、みんなと一緒だろう。手をつなぎ合って。わからないけれど、天国でも一人ということは、ないと思う。(p.68)
でも、そんな楽しい仕事なんてあるだろうか。給料をもらって、夕方には家路につく。電車に乗って、人混みの中を歩かなくてはならない。知らない人間がすぐ近くにいて、身体と身体が触れ合うほど接近しても、素知らぬ顔をしていなければならない。都会というのは、そういうところだ。人間たちが吐く息で、地下鉄の中はどうしようもなく濁っている。一度だけ乗ったとき、その空気が僕には耐えられなかった。酸素マスクを着けなければ、僕は生きていられないだろう。いろいろな匂いがする。匂いが多すぎるのだ。それに比べたら、今はエンジンの排気だけ。こんなシンプルなものはない。誘うように甘い匂いだけだ。(p.190)
しかし、そこで翼を左右に振った。
ティーチャだ、まちがいない。
僕もエルロンを左右に倒して、挨拶をした。
さあ、いくぞ。
踊ろう。
ダンスを!
笑いたくなるくらい楽しかった。(p.284)
2008年10月21日
鹿嶋の食堂のマンガ
床屋や喫茶店に置いてあるマンガは、本屋と違って、何が置いてあるかまったく予想がつかないランダムなものなので、意外な出会いもあるし、深いこだわりを感じさせる場合もある。その蔵書を手がかりに、店長の趣向を想像するという楽しみもある。
ある意味、「庭」を見るのに似ている。
【鹿嶋にあった食堂の場合】
「ゴルゴ13」29巻、47巻、101巻
「こち亀」(コミック版)1巻、100巻、130巻、137巻
「HUNTER×HUNTER」3巻
「ドラえもん」感動編、ロボット編
「金田一少年の事件簿」10巻、13巻
傾向が全然わからない。
「ゴルゴ13」と「こち亀」は、途中ものすごい飛びようだけれど、一話完結型だからまだいいとして、
「HUNTER×HUNTER」を3巻から読む人や、「金田一少年」を10巻から読んで、次に13巻に飛ぶ人はいないだろうと思う。
ここまで無秩序だと、かえって独特な味わいがある。
2008年10月20日
駅から5分(くらもちふさこ)


駅から5分(くらもちふさこ/集英社)
※2008年10月現在、2巻まで発売
くらもちふさこの絵は、独特な品があっていい。絵柄は全然違うけれど、荒木飛呂彦のようなオーラを感じる。
各話が独立したオムニバス形式なのだけれど、それぞれの話しで完結していながら、お互いの話しが有機的に結合している。こういう構成は大好きだ。
舞台が学校ではなく、一つの小さな町全体というところが面白い。クラスや部活の中に閉じた世界ではないから、老若男女様々な種類の人が関わり合って、ドラマが生まれていく。この立体的なクロス・オーバーは、昔に見た「ツインピークス」を思い出させる。
ある一つの場面に5人の人が居合わせたとすれば、そこには当然、5通りの物語がある。同じ出来事でも、誰の視点から見るかによって、その解釈は大きく変わってくる。そして、同じ人物でも、関わり合う相手との関係によって、その性質は変化する。
この、出会いによって生まれる多様性と偶発性こそが日々の面白さであって、この作品は、その面白さを花染町という小世界の中に凝縮して、見事に表現していると思う。
こういう、一話完結型の作品というのは、巻が進んでも面白さは変わらないか、だんだん衰えていくことが多いのだけれど、この「駅から5分」は、回を重ねるごとに倍々ゲームのようにどんどんと面白さを増していく。巻末についている、人物相関図がどんどん埋まっていくのが楽しい。
2008年10月19日
鹿島神宮 夜
尚志のところに遊びに、茨城県の鹿嶋市に行った。
鹿嶋に来たからには鹿島神宮に行ってみようと思ったけれど、着いた時には既に夜だった。それでもいちおう行ってみると、門は閉ざされていなくて、境内の中は入れる。
こんな時間に大丈夫なのか?と、侵入者気分で門をくぐって先に進むと、道の真ん中に立て看板が出されている。「あー、やっぱり立入禁止か」と思ったら、そうではなく、「この先に進む時には警備員に声をかけてください」と書いてあった。
横をみると、少し離れた場所に警備員室があって、中に人がいる。
「あのー・・」と尋ねつつ近づくと、警備員が「笑っていいとも」風に大きく「いいとも」サインを出して、あっさりOKだった。
そのまま、木々に囲まれた長い参道を奥に進んでゆく。
参道には、蛍光灯が一本あるだけなので、とても暗い。ほとんど何も見えないぐらい暗い。途中、道のわきに鹿らしいものが数匹いたけれど、姿は見えず、鹿のにおいだけが届いてくる。参道の終点まで行って参拝をして、戻る。
夜に森の中を歩くのは、かなり楽しかった。それが神社の中というのが、さらに良い。
鹿島神宮の、このオープンさは素晴らしいと思った。
2008年10月18日
野生の思考(レヴィ・ストロース)
この一冊を書くまでの間に、いったいどれだけの、アボリジニやネイティブインディアンに対してのフィールドワークが必要だったのだろう。言葉や文化の壁が立ちはだかっているにもかかわらず、よくここまで調べ上げられたものだということに驚く。
タイトルに、「原始の思考」や「未開の思考」などという言葉をつけずに、「野生の思考」としたところに、著者のセンスの良さが表われている。いい題名だと思う。
帝国主義時代に、列強諸国は、西洋文明を世界のすみずみまで普及させることが「人類の進歩を促す」ための使命と考えていたけれど、この本を読むと、その余計なお世話によってどれだけ多くの智恵が失われたことかと思う。
生活の中の多くを呪術や儀式にゆだねている民族というのは、非論理的な手続きによって物事を考えているように見えるけれども、その背後にある整合性を知れば、それは科学主義以上の論理性と厳密さを持っている思考体系に思えてくる。
科学的思考に染まっていると、すっかり野生の思考について意識することはなくなってしまうけれど、すべての人類に共通して、その原型はまだ眠っているはずだ。
それでも、「飼育された思考」が悪しきもので、「野生の思考」のほうが優れているとは思わないけれど、この無意識の下に、奥深く広がる野生の領域があるということを教えてくれた、とても価値のある本だった。
【名言】
概念の切りとり方は言語によって異なり、18世紀に「百科全書」のnom(名、名称、名詞)の項目の執筆者がいみじくも述べているように、用語の抽象度の差異は知的能力に左右されるのではなく、一民族社会の中に含まれる個別社会のそれぞれが、細部の事実に対して示す関心の差によってきまるのである。(p.2)
器用人(ブリコルール)は多種多様の仕事をやることができる。しかしながらエンジニアとはちがって、仕事の一つ一つについてその計画に即して考案され購入された材料や器具がなければ手が下せぬというようなことはない。彼の使う資材の世界は閉じている。そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。(p.23)
東カナダの呪術医は、医薬として用いる草木の根や葉や皮を採取するとき、必ずその根元に少量の煙草を供え、植物の魂を味方にする。それは、植物の「体」だけで魂の協力がなければ、なんら効力がないと信じているからである。(p.52)
私にとって「野生の思考」とは、野蛮人の思考でもなければ未開人類もしくは原始人類の思考でもない。効率を高めるために栽培種化されたり家畜化された思考とは異なる、野生状態の思考である。(p.262)
現在の地球上に共存する社会、また人類の出現以来いままで地球上につぎつぎ存在した社会は何万、何十万という数にのぼるが、それらの社会はそれぞれ、自らの目には、われわれ西欧の社会と同じく、誇りとする倫理的確信をもち、それにもとづいて、自らの社会の中に、人間の生のもちうる意味と尊厳がすべて凝縮されていると宣明しているのである。それらの社会にせよわれわれの社会にせよ、歴史的地理的にさまざまな数多の存在様式のどれかただ一つだけに人間のすべてがひそんでいるのだと信ずるには、よほどの自己中心主義と素朴単純さが必要である。(p.299)
多くの社会において、女性を与える人間の地位は社会的優位性(ときには経済的優位性)を伴い、女性をもらう方は下位、従属の立場におかれる。姻戚間のこの地位の上下が、客観的な制度になって表われ流動的階層性もしくは安定した階層性の形をとったり、また主観的な対人関係の中で特別待遇や禁忌を手段にして表現されたりするのである。(p.321)
2008年10月17日
インベージョン
相当ありがちな設定とストーリーだったけれど、あまり退屈な部分がなく、テンポがよかったので、普通に面白かった。主演のニコール・キッドマンもとても良い。
ただ、バイオハザード風の映像はやめてほしいと思った。感染のさせ方も汚いし、カーアクションでは無意味に人がはねられるし、そのあたりはかなり趣味が悪い。こんなもの暗い映画館で観たら、ウンザリしてまともに観ていられない。
(以下、ネタバレを含みます)
良かったと思ったのは、この作品にはちょっと考えさせられる命題が含まれているところだ。人間対宇宙人(ウイルスに感染した人間)という構図になっているけれど、単純に人間の側にのみ正義があるとはいえない。ニコール・キッドマンは、我が子を守るためとはいえ、多くの人間を殺しながら逃亡を続ける。そりゃないだろ?という気がする。
感染した人間は、感情も表情も失って、静かに穏やかに自分自身の仲間を増やしていこうとする。その目的の前には国境もないし、人種も性別も関係ない。感染した人間に言わせれば、「我々は人間よりも優れた存在だ」ということになるだろう。
そうかも知れないな、という気もする。彼らの感染の広げ方は確かに、暴力的ではない。武力による侵略に比べたら、よほど人道的なテリトリー拡大の仕方に違いない。
・・という問題提起が含まれているところまでは良かったのだけれど、どういう結末になるのかと期待していたら、ラストではかなり肩すかしをくらった感じだった。
2008年10月16日
明治神宮 清正井
まどかに、とてもいい場所があると教えてもらって、明治神宮を散歩する。そういえば、明治神宮には、初詣に来たことがあるだけで、それ以外の時に入ったことがなかった。
明治神宮の中に御苑があるというのは知らなかった。
平日は、人もほとんどいなくて、貸し切りのような状態になっているので、「ここは実は、自分のために作られた御苑なのだ」という勝手な思い込みも出来る。
御苑の一番奥に、「清正井(きよまさのいど)」という井戸がある。
水が滾々と湧き出て、一年中涸れることがないのだという。
たしかに、冷たくて澄んだ水が、一体どこから来るのかというぐらいにどんどんと湧き出ている。
明治神宮というのは、日本でトップクラスの、いい「気」が流れている場所だと聞いたことがあるけれど、この井戸の周りは、いかにも良さそうな雰囲気だ。
原宿駅からほんの少し歩いただけで、何時間も電車で移動してきたかのような自然の中に、あっという間に入ってしまうというのは、不思議な気分だ。
こんなに都心のド真ん中に、こんなに深い緑があるとは、東京というのはスゴい街だと思った。
2008年10月15日
フラッタ・リンツ・ライフ
この、「スカイ・クロラ」シリーズの文章と世界観は、ほんとうに心地良い。
これほどに魅力を感じるのは、余計なものを削ぎ落として、表現したいと思うもの以外の一切を必要としていない、ミニマムな形式美のせいなのだと思う。
「スカイ・クロラ」の中では名前しか登場しなかった人物が、この「フラッタリンツ・ライフ」では主人公として作品の中心になる。「スカイ・クロラ」の主人公であるカンナミとは、同じ、パイロットという共通点はあっても、異なる個性と価値観を持って空を飛び、戦争に加わっている。
この、作品ごとに切り替わる主観の違いというのは、「スカイ・クロラ」シリーズの奥行きを更に深めている大きな要素だ。それぞれに似た嗜好とバックグラウンドを持ちながら、それぞれ別の視点で世界を見ている。
この作品には、ストーリーは、ほとんど有って無いようなものだ。その証拠に、シリーズ内の作品ごとに時系列はバラバラだけれど、どのような順番で読んだとしても、まるで支障はない。どの時点を取り出しても、同じように永遠に続く毎日の一部分を切り取ったというだけで、出来事の時間にも順序にも、大した意味はないからだ。
ストーリーがないのなら何があるのかというと、その瞬間瞬間を描写した単語があるのみだと言っていいと思う。この作品はもう、最初から最後までが、一つの長大な詩なのだ。
【名言】
これからも、ずっとこのままなのだろうか。
そうではない。彼女は年をとる。
そして、僕はといえば、きっといつかそのうち墜ちるだろう。
だから、
いつまでもこれが続くことなんてありえない。(p.23)
仲間内でクサナギ・サーカスと呼ばれている飛び方がある。失速を利用した急転回とターンの組合せで、失速に加えて連射による反動で後方落下したのちトルク・コントロールのみで即座に体勢を立て直す。傍から見ていると、なにかのトラブルだと勘違いするだろう。僕は一度だけ、それを見たことがある。だから、実際を知っているのだ。草薙が他人にそれを詳細に説明することはない。僕は自分で試したことがあるけれど、全然うまくいかなかった。なにか足りないものがあるのだと思う。うまくいかない場合には、とても危険なので、実戦では試したくない。おそらく、あらかじめ機体の重量バランスを崩しておく必要があるだろう。たとえば、後ろをやや重くしておくとか。そのターンのためだけにだ。もし、草薙が引退するようなことがあるなら、その技法についてだけは絶対にきいてみたい。(p.43)
「話さなければならないわね」彼女は呟くように言った。
僕はコーヒーに口をつけて、ただ黙っていた。僕は聞かなければならない、とは感じなかった。きっと、彼女には大事なことでも、僕には大した問題ではない。他人や、それとも人間全体にとって大事なことでも、たぶん、僕にはあまり関係がない。そういうことがとても多いのだ。きっと、今回もそれだろう。(p.154)
愛情がないことが、寂しいことで、それはとても辛いことだと教えられたけれど、何故そんなに愛されない状況を恐れるのだろうか。愛に満たされたことがない人でも、それを恐れている。言葉だけで信じてしまって。(p.186)
偉い人のスピーチの言葉は、いつも綺麗で、愛情に満ち溢れている。正義が花束になって差し出される。花束が好きな奴は、受け取れば良い。花束をお互いに送り合って、誇らしげに持ち歩けば良いだろう。けれども、そんな花束は飛行機には乗せられない。空に上がるには、単なるウェイトだ。(p.269)
2008年10月14日
弓道場
前に、北千住の弓道場まで通っていた時期があって、そこは、駅から更に結構歩く場所にあり、「これは遠い・・」という感じで、だんだん足が遠のいていた。
どこか、もっと近くにないものかと思っていたら、目黒線の西小山にあることを知って、行ってみる。こんなに近くにあったとは!西小山なら、自由が丘から10分で行ける。
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弓道場の雰囲気も弓道も、とても好きだ。すごく落ち着く。
前世は相模の国の足軽だったのかもしれない。
そういえば、前世という時、王様とか貴族っていうのは聞いたことがあるけど、足軽とか歩兵でしたっていうのは聞いたことがない。確率的には、そっちのほうが10000倍ぐらい高そうだけれど。
2008年10月13日
プライドと偏見
なんといっても、イギリスの田舎の風景が美しくて素晴らしい。今から200年ほど前のイギリスの、住居や衣装や暮らしぶりがよく伝わってきて、それが、観ていてとても楽しい映画だった。話しそのものは、原作のダイジェスト版のような感じで、要所要所を上手く取り出して、作品の雰囲気をとても見事に伝えている。
コリンズやダーズリーなど、いずれのキャストもハマり役だったと思うけれど、エリザベス役のキーラ・ナイトレイが、あまりにも気が強そうで、イメージと合わなかった点だけが、ちょっとイマイチなところだった。
この作品の原題は「Pride and Prejudice」だけれど、邦訳版の小説では「自負と偏見」という場合と「高慢と偏見」の場合の2種類がある。
「高慢」はネガティブな印象の単語で、「自負」はポジティブな印象の単語なので、この2つの意味は結構異なる。その点、この、映画版のタイトルである「プライドと偏見」というのは、一番原題のニュアンスをそのまま残した、適切なネーミングと思った。
■プライドと偏見(2006年)
出演:キーラ・ナイトレイ、ジェーン・オースティン
2008年10月12日
自由が丘女神祭り
自由が丘は、休日になると、人口が平日の3倍くらいに増える。
年に1度の「女神祭り」の時には、さらにその3倍くらいに増える。
人も多いが、出店もイベントも詰まっている。
おススメは、南口の、無印良品の向かいあたりにある出店の、プロヴァンス風チキンとフライドポテト。
祭りは10/13(月・祝)まで開催中。
2008年10月11日
自負と偏見(オースティン)
「世の中ね、顔かお金かなのよ」という回文があるけれど、この小説の舞台は、それを地でいくシビアな世界だと思った。19世紀初頭の、イギリスの上流階級社会を描いた物語で、当時において、結婚は何よりも重要な一大イベントだったらしい。
上流社会の家庭に生まれた女性にとっては、ほとんどの関心事は「どれだけ財産がある人物のもとに嫁ぐのか」ということであって、これは、当事者たちにとっては、現代を遥かに上回るプレッシャーを強いられる環境だったに違いない。
身分や、収入や、家柄がここまであからさまに、人間を評価する対象になるというのはかなり驚きだけれど、だからこそ、それに反発して乗り越えようとする人間がいるということそのものがドラマチックになるのだと思う。
とりたてて大きな出来事がおこるわけではなく、とても狭い範囲の社会での、日常的な人間模様を描いているだけなのだけれど、それでも、そこにもやはり、相互理解やすれ違いや誤解、というような様々なドラマがあって、先行きの見えないハラハラする展開が続く。
ミスター・ベネット、ミセス・ベネット、ミスター・ビングリー、ミス・ビングリー、などなど、登場人物の名前が紛らわしすぎて、その点がかなり読みにくい。その上、出てくる人の数も多いので、人間関係の把握がそうとうややこしい話しだ。
小説の中で、特に面白いと思ったのは、(全然主要人物ではないし、登場シーンはほとんどないけれど)シャーロットの行動と考え方だった。彼女の現実的で功利主義なところは、エリザベスと対照的で、その価値観の違いから、くっきりとお互いの人生に違いが生まれて来るところは面白かった。果たしてどちらの生き方が賢明なのか?というのはわからないけれど、どちらも、それぞれに応じた幸せを得ている気はする。
【名言】
独りもので、金があるといえば、あとはきっと細君をほしがっているにちがいない、というのが、世間一般のいわば公認真理といってもよい。(p.5)
いや、そうくるだろうと思ってた。女の想像力ってのは、翼が生えてるからね。感心すれば恋愛、恋愛すれば結婚と、話は一足飛びに飛ぶんだからね。いまにきっと、おめでとうとくるだろうと思っていた。(p.43)
もともとミスター・コリンズが、たった三日間のうちに、二つまでも結婚申込をしたというのが、だいたいおかしいのだが、それにしても、それがとにかく成功したというおかしさに比べれば、物の数ではなかった。もちろんシャーロットの結婚観が、自分のそれとは別なことは、前々からつねに感じていた。だが、まさかにいざという場合、ただ世俗的利害だけを考えて、その他の気持は一切犠牲にしてしまおうなどとは、夢にも思っていなかった。コリンズ夫人シャーロット!なんというそれは、悲しい風景だろう。(p.202)
2008年10月10日
村上式シンプル英語勉強法
英語の勉強法についての本は既に山ほど出ていて、もうメソッドとしてはとうに出尽くした感がある。それでもこの本に興味を惹かれたのは、著者が米国googleの副社長であるということと、それでいながら英語を勉強したのは30歳を過ぎてからだったというのが面白いと思ったからだ。
30歳を過ぎてから英語を勉強するというのは、相当実践的なやり方に焦点を絞って、余計なことをしないという割り切りが必要になる。その点、やはりこの著者は、かなり実際的な考え方をしているし、自分自身の経験と実績にもとづいているので、説得力がある。
この本で解説されている方法は、どれも、とても共感出来るものばかりだった。
特に、本当にその通りだろうと納得したのが、
・英文を読む時は、途中で後ろに戻らない
・単語を覚える時は、毎日10000語を眺める
という2つだった。
学問に王道なしというのは、語学についてこそ言えることで、「簡単に上達する」というようなフレーズを安易に使うノウハウ本はまったく信用出来ないのだけれど、この本は、きっちりと継続的な努力の必要性を述べた上で、どの点に力を集中するべきかを簡潔に語っていて、とても参考になる点が多かった。
【名言】
英文法に忠実に文章を分解して訳していくのではなく、文頭から英語のままで読む。そして英語のまま理解する。つまり「英語を読む」とは、英語を、英語のまま、「内容を英語で読む」ということなんです。(p.31)
英文の読み方についてのポイントは2つです。
1つは、パラグラフの先頭から読み始めたら、絶対に後ろへ戻らないということ。意味が分からなくても戻ってはダメ。そのまま読み進めます。(p.34)
極端なことばかり言うようですが、SとVさえ分かれば、英文は読めたと言って良い、ということにするのが村上式です。(p.56)
2008年10月09日
可愛い女(ひと)(チェーホフ)
この作品の主人公の共感力の高さと、シンプルで単純明快な世界観は、大きな美徳だと思った。人生を楽しむために大事なのはIQではなく、EQなのだ。簡潔だけれど、とてもしみじみとする、いい話しだ。
今、ここ、ではないどこかに自分の幸せがあると考える人は、満足のいく幸せというものにたどり着くまでにはなかなか苦難が多いだろうけれど、
その逆に、今、ここ、が幸せだと感じることが出来る人には、常に幸せがつきまとうということなのだろう。
人についても、自分に合う人と合わない人がいる、という見方ではなく、相手と自分の感覚とを瞬時に同調させることが出来る高い共感能力があるのであれば、合う、合わないという相性を気にすることもなくなるだろう。正解は一つではないし、何が正解であると思うかを決めるのも、それぞれの自由ということだ。
「オンリーワン」を礼賛する個人主義というのは、寂しい方向に人を導くものなのだという気がする。「確固とした自意識」があるというのは、幸福になるためにはあまり重要ではないばかりか、時には大きな妨げになるものなのだろうと思った。
【名言】
ほかの女だったら世間の非難を浴びずに済みそうもないこの出来事も、オーレンカのことだとなると誰ひとりとして悪く思う気にはなれず、彼女の身の上のことは何事によらずもっとも至極とうなずけるのだった。(p.110)
彼女にしてみれば赤の他人のこの少年、その両の頬にあるえくぼ、そのぶかぶかの制帽、そのためになら、彼女は自分の命を投げ出しても惜しくはなかったろう。それどころか、喜び勇んで、感動の涙をながしながら、命を投げだしたに違いない。どういうわけで?だがそのわけを、一体だれが知り得よう?(p.120)
2008年10月08日
百物語(手塚治虫)
自分の願いと引き換えに悪魔に魂を売った主人公の名前が不破臼人(ふわうすと)であることが示すように、「ファウスト」を下地にして、日本の戦国時代に舞台を移して作られた物語。
ストーリーはだいぶ、オリジナルの「ファウスト」とは異なるけれど、そのエッセンスが、見事に取り出されて表現されている。
そして、オリジナルとどちらが面白いかと言えば、手塚版のほうが断然面白いと思った。「ファウスト」が、基本的には神と悪魔、善と悪というニ項対立の枠組みの中で作られている物語であるのに対して、この「百物語」は、それをもっと日本的に、単純な二元論ではない驚きの展開へとつながっている。
悪魔と人間は、お互いに憎みあい奪いあう相手ではなく、悪魔は人間を理解しようとし、人間も悪魔と同じ世界を共有しようとする。ここまで設定を変更しておきながら、原型となっている世界観を換骨奪胎して完全に自分のものにしてしまう手塚治虫という人は、本当に天才的な物語作者なのだと思う。
2008年10月07日
デイヴ・コーズ
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アリーが、とても良かったから是非行ってみてほしい、と薦めてくれたので、ブルーノートで公演中の、デイヴ・コーズのライブを聴きに行った。ものすごいエンターテイメントだった。
デイヴ・コーズのサックス演奏の自由自在さにも衝撃を受けたけれど、他のドラムやベースやパーカッションの人たちも、それぞれの奏者が、それぞれの楽器を技術的に完全にマスターした上で初めて可能になる遊びを存分に取り入れて、好き放題に遊んでいる風だった。
みんながみんな、一体になって音を楽しんでいる感じで、ものすごく楽しい。一つの楽器を極めると、ここまで自分の身体の一部のように操れるのかという感動もあったし、会場の空気を見ながら、アドリブでメンバー同士がセッションをしたり、客席に出ていったりというサービスマインドの高さにもやられた。
アメリカのバンドってすごいんだなあ!という子供みたいな驚きを感じたライブだった。
2008年10月06日
CosMos
すごい本だ。同じ著者の本である「叡知の海」を読んだ時と比べると、だいぶ衝撃は落ちるのだけれど、それは単に、読んだ順序の問題であるかもしれない。「叡知の海」を読む前に、この「CosMos」を読んだら、やはり相当な衝撃を感じたのだろうという気がする。
内容的には、さらに最新の研究結果や、科学技術の進歩を踏まえてバージョンアップされているので、より先進的になっていると言っていい。ただ、ちょっと色々な情報を詰め込み過ぎているためか、結局何が言いたかったのかはっきりしないところが多々あった。
よりスピリチュアルな傾向に進んでいて、いきなり「これが正しい姿なのです」というような結論が出されて、その論拠がよくわからない抽象的なまとめもあったので、その点も、衝撃度が落ちた原因だろう。全体の結論として、環境保護など、ありきたりな意見に落ち着いてしまっていて、あまり新しい視点が含まれていなかった点は期待外れだった。
しかし、一冊の本の中で、これほど包括的に、量子論や宇宙論や心理学や脳科学などあらゆる分野の最先端の成果をまとめて、さらにそこから導かれる未来像というところまで示している本は、他には見当たらないだろうと思う。
【名言】
プラトンも「二つのものは、第三のものなしにきっちりと結び合わせることはできない。二つのあいだには、結びつきを可能にするなんらかの『つながり』がなければならないのだ。そして、最も美しい『つながり』とは、自らと自らが関係を持つものとを最も完全な形で融合させるものである」と理解していました。彼は、自然界における「最も美しいつながり」は、a:b=b:(a+b)が成り立つように線分をニ分割したときに起こる関係だと考えました。(p.75)
おそらく、物理的世界を情報的にとらえたときの基底状態に相当するものがはじめて垣間見られたのは、真空空間は虚空とは程遠い状態であるとわかったときだったでしょう。そして今では、絶対零度においてさえも、真空によって具現化された量子揺らぎが自然界のあらゆる物理的エネルギー場の基礎をなしているのだとみなされるようになっています。(p.89)
時空という顕在領域でホログラムが膨大な情報を符号化し具現化することができるのは、光の基本的特性のおかげです。なぜなら、振動レベルの違う多数の光子が同時に時空の一点を占めることができるわけですから。(p.92)
科学は今、「言葉」−−コスモスの顕在領域の根底にあって、その領域を支配する情報−−そのもののほうが、その表現の場である現象世界に属するエネルギーや物質よりも基本的であるという見解において、スピリチュアルな伝統に一致しようとしています。(p.114)
こんにち、加速度的に土地が痩せ、浸食が進んでいる状態は大いに危険だといえます。昔と違って今は移動先となり得る新たな土地もありません。今回の脅威は、全人類が持続可能な規模で食べていくことは無理かもしれないということなのです。(p.260)
太陽光や風力、潮力、地熱エネルギーの生成や利用はすべて分散化が可能です。実は、エネルギーが中央で集中的に生成されてから分配されるという現在のやりかたでは、生成の非効率性やケーブル・送電網全般での漏れが原因で、生成エネルギーの4分の3以上が無駄になっています。(p.277)
2008年10月05日
サイコ・タフネス
「不安をパワーに変える」というテーマで、心理学的に自分の気持の状態をコントロールする方法について書いた本で、特に、スポーツ選手をメインターゲットにしている。
スポーツ選手というのは、ここ一番という時に、思うように身体を動かさないといけないわけだから、大舞台に立つ時にはかなりのプレッシャーを抱えるものだと思う。この本では、場面別にかなり細かく、パフォーマンスを発揮するための具体的な方法について解説がされている。
たとえばイチロー選手の心構えを聞いても、一流の選手というのは、必ず独自のメンタルトレーニング方法を確立しているものなのだろうと思う。しかし、スポーツということに焦点をあてた心理的なトレーニング方法は、一般的にはあまり認知されている分野ではないらしい。
この本で説明されている様々なメソッドを見て、精神と身体を安定させるというのは、かなりの部分、技術的に解決出来る「技」なのだと思った。
最終的には、それは自分自身で、自分に合ったやり方を見つけるものなのだろうけれど、その前提として基本的な知識を知っておくことは、型を持つ際にとても有効だろうと思う。
【名言】
世の中には、「成功が怖い」と思っている人は意外に多いのです。
人間には「耐えられる不幸のレベル」がそれぞれにあります。それと同様に「耐えられる幸せのレベル」もあって、自分の想像を越える幸福に包まれると不安になるのです。
シンデレラ・ボーイなどと呼ばれ、突然スターダムにのしあがったミュージシャンやスポーツ選手が、麻薬の所持や反社会的な犯罪でスキャンダルを起こし、失脚する例がしばしばあります。これも同じような心理が引き起こす現実です。(p.48)
観客によって選手が不安になる理由には、主に次の理由があります。
自分に自信がないとき、「観客は自分には期待していないだろう」「観客は自分の失敗を見に来ているんだ、負けたら喜ぶだろう」というように、自分の不安を投射する対象になるからです。(p.125)
2008年10月04日
ナ・バ・テア
「スカイ・クロラ」の続編。この巻もまた、独特の乾いた文体で、「スカイ・クロラ」とは別の人物の視点から、戦闘機のパイロットという職業を描いている。
相変わらず、飛行シーンの書き方がスゴい。ほとんど単語の羅列なのだけれど、それは、飛行機のスピード感を表現するための、最も事実に忠実な描写なのだと思う。
このシリーズの空気感は、あまりに独特でリアルで、一度この世界に馴染むと、現実世界以上に、この小説の中のほうが質感を持ってしまうような危うさがある。登場人物や機体の固有名詞も、作品のタイトル名も、この空気感にぴったりと合っていて、どれもいい味を出している。
1作目の「スカイ・クロラ」と微妙に重なり合いながら、それとは別の時間軸と視点によって作品世界を切り取った、この構成はとても素晴らしいと思う。余計なものを削ぎ落として、パイロットと、パイロットが命を預ける機体にのみ焦点を絞り込んで、その存在意義を徹底的に追求している点、ものすごく好みだ。
【名言】
何故かっていうと、人間が作ったものが、空にはほとんど浮かんでいないからだ。汚れた泥水の上に現れる上澄みのように、そこだけが澄んでいる。軽いものしか、存在できないから。少しでも汚れたものは、重くなって、下へ沈んでいくのだろう。(p.85)
パイロットという人種は、常に、最新鋭の飛行機に乗ることを望んでいる。新しい機体は、必ず古いものよりも高性能だ。高性能でなかったら、作られない。新しい飛行機に乗ることは、自分の身体が新しくなるような感覚を伴う。生まれ変わって、今までよりも速くて力強い新しい身体を動かすことができる。こんな楽しさはない。こんな幸せはない。(p.91)
僕が名前を知っている奴では、辻間がいなくなった。インテリ顔の澄ました男だった。いろいろ僕に質問してきたけれど、僕が答えた分はそのまま無駄になってしまった。人間が消えてしまうと、その人間が吸収した情報が、すべて一瞬で無駄になる。こういったことは、動物や植物では多かれ少なかれあることにしても、人間ほど無駄な情報を沢山必要としているように思えてしかたがない。(p.173)
みんな、自分が満足をしたい、自分のエゴを通したいのだ。ただし、そのままの姿では醜いから社会では生きていけない。けれど、ちょっとそれを隠すだけで、たちまちその醜さが善となる。客観的に見れば大差ないことなのに、ある一線から善になる。そういうのが、大人の社会の常識なのだ。(p.177)
そのとおり、パイロットは死ぬ必要はない。
その場その場の勝敗が決すれば、それで良いのだ。
それでも、一つだけ、重要なことを見落としている。
命をかける、という行為だ。これが、空中戦の絶対的な力学であり、大前提となる。チェスやスポーツの試合と違う点は、そこにのみある。
みんな自分のたった一つの命を、飛行機に乗せて、空へ上がってくる。その時点で既に、僕は、敵も味方も、すべてのパイロットを尊敬する。もっともっと上達できるかもしれない、未来にまだまだ可能性がある、そういうパイロットが、運悪く墜ちることがあるだろう。練習というものが事実上できない。一度失敗したら、ゼロになる。ここが、僕たちの仕事の一番の特徴だ。現在では類例がない。滅多にないだろう。
人殺しで、残忍な行為だと、非難されている。それは知っている。充分に理解している。しかし、人間の歴史を見ても、どの世界にも、どの文明にも、同様のスピリットは存在して、そして、どの時代でも、どの歴史でも、それは尊いものだと敬われた。(p.179)
轟音を聞かせてやろう。
狂った連中に。
地上の奴らの知らない音を聞かせてやろう。(p.285)
2008年10月03日
いきなり秋
9月に入っても夏みたいに暑い日が続くと思っていたら、このところ、突然涼しくなった。今の時期の、この瞬間の気候は、一年のうちで一番快適だ。
日なたにいると暖かさを感じて、日陰に入れば若干の肌寒さを感じる、その絶妙なバランス。湿気がなくカラッとしていて、穏やかな風が丁度いいアクセントになる。
秋はやっぱり、何をするにもいい季節だと思う。
2008年10月02日
THE BUCKET LIST

邦題は『最高の人生の見つけ方』というのだけれど、この邦題はまったく好きじゃないので、原題の『THE BUCKET LIST』のほうを、ブログエントリーのタイトルにした。
ガンを告知されて余命半年という老人二人が、残りの人生を本当に自分のやりたいことのために使う、という、言ってしまえばありきたりなストーリーではあるけれど、これがやっぱり、期待を裏切らず、良い話しだった。
メメント・モリ(死を想え)というテーマは、僕自分が非常に共感しやすいテーマでもあるし、「死」を題材にして感動しない物語を作るほうがむしろ難しいくらいなので、ちょっと反則っぽい感じなのだけれど、そういうことをさしおいても、この映画は良かった。
黒澤監督の『生きる』と共通するテーマではあるけれど、大きく違うところは、自分一人で死と向き合うのではなく、病室で知り合った、同じ病気の仲間と共に、残りの時間を存分に味わい尽くそうとする点だ。
『生きる』のほうが、死というものに対する向き合い方の深さはずっと深い。余命を、自分自身のためよりも、むしろ公共の利益のために燃やそうとする。これはとても立派な時間の使い方だ。内村鑑三が『後世への最大遺物』の中で最高の価値を置いた、「生き様を遺す」という遺物そのものといえる。
しかし、この、『最高の人生の見つけ方』という映画で示されるように、限られた時間を自分自身のために精一杯謳歌しようとするのも、立派な余命の使い方であると思う。
ジャック・ニコルソンと、モーガン・フリーマンという組み合わせが、渋い。どちらも、それぞれの人物の個性がよく表われていたし、そのわがままにつきあう、トーマスという秘書も、かなりいい味を出していた。時間が、1時間半と短めで、テンポよく進んで行くのもいい。終わり方も、すごくセンスがいいと思う。
「THE BUCKET LIST」というのは「棺桶に入る前にやるべき」ToDoリストのことで、彼らがリストの夢を実現させるごとに、その項目が塗りつぶされていく。映画を観て、この「BUCKET LIST」を、自分も考えてみようという気になった。
■公式サイト
→http://wwws.warnerbros.co.jp/bucketlist/
主演:ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン
監督:ロブ・ライナー
(2008年)
【名言】
I know that when he died, his eyes were closed, and his heart was open.
Don't get me wrong, I loved being married, been there four times. Problem is I love being single too. Hard to do them both at the same time.
2008年10月01日
言葉の不思議さ
文章を書いたり、言葉を発したりというのは、とても不思議な作業なのだということが、実感としてわかってきた。
作家の栗本薫が以前、「この物語の展開がどうなるのかは、書いている私自身もわからない」というようなことを言っていて、その時は何を言ってるのか意味がわからなかったけれど、そういうものなのだと今は納得がいく。
文章は、意味を考えてから書くだけでなく、書いたあとに初めて意味が確定するということも、よくある。
ある日本語の言葉を発した瞬間、次に来る言葉というのは自然に、無意識的に、候補が頭の中に浮かんで、そのどれかに絞り込まれることになる。話しの流れ的に、この言葉が出たら、次にはこういう言葉が続くしかない、という流れというものがある。
その流れを形成しているのは、今までに自分がおこなってきた膨大な会話の蓄積だ。その蓄積は、自分自身のものであるというよりは、自分が育ってきた文化背景が凝縮したものといったほうが近い。
だから、会話の中で流れに乗っている場合、それは、自分が発している言葉でありながら、半ば以上は、もはや自分の言葉ではないということになる。
自分が言葉を使っているというよりは、言葉が自分を使って形として表われている、というほうが正確なのかもしれない。














