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2008年11月30日
有言実行
ゆきが、つくばマラソンで、目標として宣言していた3時間半のタイムをクリアして、3時間28分38秒で完走した。
ホントすごい。
余裕で設定した目標じゃなく、トレーニングを地道に重ねた末に越えられるかどうかという、ギリギリの目標だ。
人に宣言した目標を達成するというのは、自分で密かに立てた目標を達成するよりも、数倍厳しいことだと思う。誰にも言ってなければ、ひっそりと諦めちゃえばそれで簡単に終われるわけだから。
しかも、ゆきの場合、完走した時にはチャリティーとして集めた基金を寄付するという条件まで自ら上乗せしている。ハンパない精神力だ。
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2008年11月29日
1984年(ジョージ・オーウェル)
おそろしいまでに、絶望的な物語だった。
超高度な管理社会というのは、多くの人が想像するところだし、現代のように個人識別が精密になっている状況ではより一層、その推測はしやすいけれど、この小説の想像力はとんでもなく細かいレベルまで、管理社会の陰鬱さを突き詰めていってしまっている。
驚くのは、この小説が出版されたのが1948年で、まだ北朝鮮という国家が姿を現していない時代だったということだった。この物語に現れる国家は、ヒトラーやスターリンが構築したスタイルよりもさらに一歩進んだ、「神話」を作るという形での独裁統治をおこなっている。
今を支配する者は過去を捏造することが出来、過去を捏造出来る力がある者は、未来を操作することが出来る。第二次世界大戦直後の段階で、よくこれほどまでに緻密な世界観を想像することが出来たものだと思う。
人々を洗脳する手法について、やたらと詳しく設定されていて、特にスゴいと思ったのは、「新語法」という言論統制と、矛盾した概念をそのまま受け入れさせる「二重思考(ダブルシンク)」という思考法、そして拷問による転向。とにかく暗い。
党が、党員に対しておこなう洗脳の部分は、「こんな状況下に監禁されたら、たしかにどんな刷り込みでもされてしまうだろう」というリアリティーがあった。
真理とは、人間の意識が作り出すものなのだということがよくわかる。
この作品が描いている本当の怖ろしさは、その結末にこそあると思う。これが映画であれば、革命軍が体制を倒してハッピーエンドになるところだけれども、この作品はそんなに単純な締めくくりは用意していない。真正の管理社会では、人々は管理されているという自覚もないままに、完全な管理下に置かれてしまうものなのだろう。そして、精密なバランスをもって統制された権力は、永久機関のようにその権力を保ち続けることが出来る。
これからの将来、この「1984年」が描くような露骨な形では、自由の統制が起こることはなさそうな感じがするけれど、もっと隠密裏な形態での「超高度管理社会」というべきものは遠からず訪れる可能性がある気がする。
【名言】
結局のところ、ただ単にある言語と正反対の意味を持つだけの言葉なんて、一体どんな存在価値があるというのかね?一つの言葉はそれ自体、正反対の意味も含んでいなくちゃならん。例えば「good」(良い)の場合を取り上げてみよう。「good」みたいな言葉があるなら、「bad」(悪い)みたいな言葉の必要がどこにあろう。「ungood」(良くない)でじゅうぶんに間に合う。(p.67)
新語法の全般的な目的は思想の範囲を縮小するためだということが分からないのかね?終局的には思想犯罪も文字通り不可能にしてしまうんだ、そうした思想を表現する言葉が存在しなくなるわけだから。必要なあらゆる概念はたった「一語」によって表現され、その意味は厳格に限定されて、その副次的な意味というのはことごとく抹消されたあげく、忘れられてしまうだろう。(p.68)
戦争の本質的な行為は必ずしも人命の破壊にあるとは限らず、寧ろ労働による生産品を破壊する点にあると言える。戦争とは民衆を余りにも安逸にさせる物質、従って結局は彼らを余りにも知的にさせる物質を木端微塵にするか、成層圏に注入するか海底に沈めてしまう一方法である。(p.249)
古い型の社会主義者は所謂「階級的特権」といったものと戦うべく訓練されて来たが、世襲制にあらずと考えていたのである。彼らは少数独裁性の継続が何も肉体的である必要がないという点を理解できなかったし、または世襲制の貴族が常に短命であり乍ら、カトリック教会のような選任制組織が時には何百年、何千年も存続したという事実を思案してもみなかった。少数独裁支配の本質は父子相続ではなく、死者が生者に課する特定の生活様式を持続させる事である。支配集団は後継者を指名できる限りに於いて支配集団である。党は血統の永続化ではなく、党自体の永続化にしか関心を抱いてはおらぬ。誰が権力を恣にしようと問題ではないのだ。階層性構造が常に同一でありさえすれば良いのである。(p.270)
とにかく、解答の一つが出たのである。どのような理由があっても、絶対に苦痛の増大を望むものではない。苦痛について望み得ることはたった一つしかない、早く止まって欲しいということだ。肉体的な苦痛ほど、およそこの世で最悪なものはない。苦痛に直面すれば、英雄も何もあったものではないと床上でもがきながら、役に立たなくなった左腕を抱え込んで、彼は繰り返しそう想うのであった。(p.311)
われわれは、君が後へ引き返しようもない点まで叩きのめしてやる。たとえ千年生きられたとしても、元の状態には戻れない程のことが君の身に起こる。君は二度と再び普通の人間らしい感情を持てなくなるだろう。君の心の中にあるものはすべて死滅してしまうだろう。君は二度と再び人を愛し、友情を温め、生きる喜びを味わうことも出来まい、笑ったり、好奇心を抱いたり、あるいは勇気を奮い起こしたり、誠実であろうとすることも出来まい、君は抜け殻になってしまうのだ。空っぽになるまで君を絞り上げてやる、それからわれわれを、その跡に充填するのだ。(p.334)
2008年11月28日
レイトン教授と最後の時間旅行
前2作よりも、さらに面白そうな予感。
ひらめきコインを発見した時の音がたまらない。
すべての漢字にふりがなが振られてたり、
隠された謎の近くをタッチすると音がしたり、
微妙に改良が加えられていた。
■過去の水晶堂
レイトン教授と不思議な町
レイトン教授と悪魔の箱
2008年11月27日
Blu-Rayディスクのグローバルさ
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最近、近所のTSUTAYAでもいくつかBlu-Rayディスクのタイトルがレンタルされるようになったので、試しに借りて、プレステ3で観てみる。
映しているテレビが大したテレビではないため、あまり映像や音のクオリティーは違いがわからないのだけれど、1.5倍速で再生した時に、ノイズや画像のチラつきがまったくないのは素晴らしい。
スゴいと思ったのは、収録されている音声と字幕の対応言語の多さだった。
「ハリーポッター 炎のゴブレット」の場合、一枚のディスクの中に
英語、中国語、デンマーク語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、日本語、韓国語、ポルトガル語、スペイン語、スウェーデン語、ノルウェー語、フィンランド語、オランダ語
の字幕が入っている。
フィンランド語のようなマイナーな言語は、日本で勉強するには教材の少なさがネックになるけれど、こういう多言語対応のタイトルが増えれば、かなり強力な語学学習のツールになる気がする。
2008年11月26日
存在の耐えられない軽さ(ミラン・クンデラ)
タイトルが示しているとおり、この作品の中では、「軽さ」と「重さ」が、あらゆる事象を対比する基準として、頻繁に繰り返し現れる。
人は、自分の身に起こる大きな事件や、重くて深刻な事態には、真正面から対峙することで、案外と耐えられてしまうものなのかもしれない。
それよりも、人生において本当に耐え難いものは、重要と思えるほどのことが何も起こらず、自分の存在について大した意味を認められないという軽さを感じた時なのだ、ということが、この小説の基本テーマなのだと思った。
この物語には、数人の登場人物があらわれる。そのそれぞれに、個性や、出会いのドラマや、その後のいざこざはあるけれども、ここで描かれていることは、とても普遍的な葛藤なのだと思う。
「プラハの春」前後のチェコが舞台の中心になっているために、人々の生活の上にのしかかる、その政治的な影響は免れないけれど、それでもやはり、そこで人と人との間におこる出来事は、大まかにくくってしまえば、いつの時代のどの場所でも起こるようなものばかりだ。
物語は、いきなり冒頭から、ニーチェの永劫回帰の話しで始まる。その後、それぞれの登場人物の行動を俯瞰しながら、それぞれの人生観の違いを見比べて、そこに時々作者自身の解説まで入るという、やや人生論的な内容になっている。
この小説がややこしいのは、物語を見る視点が様々な人物の間を行ったりきたりしている上に、時系列もごちゃごちゃになっているからだ。この構成にどれだけの深い計算があるのかは理解出来なかったのだけれど、一回読んだだけでは、とても全体像を把握出来ないと思った。
章立てが変わっていて、全7部のうち、第1部と5部のタイトルがどちらも「軽さと重さ」、第2部と4部のタイトルが「心と身体」になっている。何故、重複して同じタイトルがついているのか謎だけど、面白い構成だ。
不思議だったのは、トマーシュとテレザの最期の直前の時期について、どこにも記述が見当たらないことだった。作者は意図的にその時期の描写を避けたのだろうけれど、なんだかそのことが、しっくりこない感じを残した。
【名言】
テレザと共にいるのと、ひとりぼっちでいるのと、どちらがよりよいのであろうか?
比べるべきものがないのであるから、どちらの判断がよいのかを証明するいかなる可能性も存在しない。人間というものはあらゆることをいきなり、しかも準備なしに生きるのである。それはまるで俳優がなんらの稽古なしに出演するようなものである。しかし、もし人生への最初の稽古がすでに人生そのものであるなら、人生は何の価値があるのであろうか?(p.13)
テレザはある日呼びもしないのに彼のところへ来た。ある日同じやり方で去っていった。一つの重いトランクをさげてきた。そして一つの重いトランクと共に去った。(p.41)
今、テレザがトマーシュのことを愛して、友人のZのことを愛していないのは単なる偶然であることに気がついた。トマーシュと実現された愛の他に、可能性としては、他の男性との数限りない愛が存在しているのである。
誰もがわれわれの人生の愛は重さを感じさせない何か軽いものでありうるとは考えていない。われわれは愛とはそうでなければならないもの、それなしではわれわれの人生が最早われわれの人生ではないと思っている。(p.48)
トマーシュは彼女のためにチェコにもどってきた。運命的ともいえる決断は、もし七年前に彼の部長が神経痛にならなかったら、まるで存在していなかったかのような偶然的な恋に依拠していた。そしてその絶対的な偶然を具現した問題の女が今彼の横に寝ていて、深い眠りの中で息をしているのである。(p.49)
彼女のまわりに輪になって九人の求婚者がひざまずいたときには、自分の裸を絶対に見せないようにした。それは恥ずかしさの程度で彼女の身体がもっている価値の程度を示したがっていたかのようであった。今や彼女は羞恥心を失っただけでなく、徹底的に恥ずかしさと関係を断つことによって、人生に華々しい一線を引き、自分が過大評価した若さとか美しさというものが実際には何の価値もないと叫びたがっているようであった。(p.61)
サビナはいった。「で、なぜときにはその力を私にふるわないの?」
「なぜって愛とは力をふるわないことだもの」と、フランツは静かにいった。
サビナは二つのことを意識した。第一にその科白は素晴らしいもので、真実であること。第二に、この科白によりフランツは彼女のセクシャル・ライフから失格するということである。(p.143)
人生のドラマというものはいつも重さというメタファーで表現できる。われわれはある人間が重荷を負わされたという。その人間はその重荷に耐えられるか、それとも耐えられずにその下敷きになるか、それと争い、負けるか勝つかする。しかしいったい何がサビナに起こったのであろうか?何も。一人の男と別れたかったから捨てた。それでつけまわされた?復讐された?いや。彼女のドラマは重さのドラマではなく、軽さのであった。サビナに落ちてきたのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さであった。(p.156)
サビナの絵はよく売れ、アメリカが気に入った。しかし、ただ表面的にのみ。その表面の下にあるのは、見知らぬ世界であった。その下にはおじいさんも、おじさんも眠っていなかった。棺に入れられ、アメリカの土の中に降ろされるのは恐かった。
そこである日遺言状を書き、彼女の死体は埋葬され、その灰は撒布されることと定めた。テレザとトマーシュは重さの印の下で死んだ。彼女は軽さの印の下で死にたいのである。彼女は空気より軽くなる。これはパルメニデースによれば、否定的なものから肯定的なものへの変化である。(p.344)
われわれは忘れ去られる前に、俗悪なもの(キッチュ)へと変えられる。俗悪なもの(キッチュ)は存在と忘却の間の乗換駅なのである。(p.350)
テレザ、使命なんてばかげているよ。僕には何の使命もない。誰も使命なんてものは持ってないよ。お前が使命を持っていなくて、自由だと知って、とても気分が軽くなったよ。(p.394)
2008年11月25日
栗の中の栗
2008年11月24日
世に棲む日日 4巻
完結編の巻。
この「世に棲む日日」では、吉田松陰も高杉晋作も、坂本竜馬とは会っていないことになっている。小山ゆうの「お~い竜馬」の中では、二人とも坂本竜馬に会っていたから、交流があったものと思っていたけれど、おそらく、そっちのほうが物語をドラマチックにするための創作で、実際には会ったことはなかったのだろう。
この、藩を越えて志士同士が交流をおこなっていて、それが醍醐味でもあった時代において、晋作という人は奇妙なぐらいに、他藩の人間との関わりをしていない。とことんまで長州という藩のことを考えて、長州のために生きようとしたところは、他の志士と大きく価値観が違うところで、面白い。
この巻で、晋作以外に興味深かったのは、のちの陸軍大将になる山県狂介の若い頃の、奇兵隊の中でのエピソードだ。非常に用心深くて慎重に行動をするこの人物も、その人生の中で何回かは意を決して、死を覚悟の上で無謀な行動に飛び込む必要があった。そういう人々の中で、維新後に政府の大臣になるかどうかの分かれ目は、資質ではなく、単純に維新の後まで生き残ったかどうかにのみかかっている。そう考えれば、歴史に名が残るかどうかというのは、紙一重の運によって決まるものだという気がする。
高杉晋作の人生は短い。たった27歳8ヶ月の若さで死んでいる。
しかし、高杉晋作という人ほど、太く短く燃え尽きる生き様が似合う人間は他にいないだろうと思う。この物語を読むとわかるのだけれど、短い人生の中で、高杉晋作は確かに自分の役目を完遂した上でこの世を去っている。これ以上生き長らえたとしても、それはそれで本人にとって不本意な余生ということになったかもしれない。
それは、29歳で世を去った吉田松陰という人についても同様で、この二人を主人公にすえて動乱の真っ只中を描いたこの小説は、これ以上ありえないくらいにドラマチックで、何回読んでも心を揺さぶる場面が数え切れないほどあらわれる、名作中の名作だと思う。
【名言】
伊藤は、馬で夜道を奔った。伊藤はたてがみにしがみついた。馬にくらいつきながら、馬関での大仕事をおもった。伊藤は、
(おれはもう死んでいるのだ。死霊が駆けているのだ)
そう思え、と自分に言いきかせた。政敵の赤根武人は伊藤を「才子」とあざけったが、たしかにこの若者は多少の軽薄さをもった才子であった。かれがもし、この時期、長府・下関のあいだを死霊になった気で奔ったという意外な一面がなかったならば、かれは生涯単に才子として終わったかもしれない。(p.21)
「攘夷はどうなります」
伊藤は、かさねていった。すでにひそかに開明論者になっている伊藤にとって、攘夷同志とのつきあいが頭痛のたねであった。うかうかすると、伊藤は自分の同志から殺されるかもしれない。
「伊藤よ」
「はい」
と、伊藤はかたずをのむ思いで、晋作の解決法をきこうとした。
「宇宙は止まってはいない。そのうち一回転するよ」
と、事もなげに言い放った。宇宙とはこの時代の流行語で、晋作のここでいう意味は、時勢というほどの意味である。(p.143)
「坂本に会いますか」
と、伊藤がいったことがある。晋作は、一笑に付した。
「会う必要はあるまい」
と、にべもなくいった。晋作ほど、他藩の連中に会いたがらない男もめずらしかった。幕末の奔走家の最大の快事のひとつは、他藩の士と交際し、友を得ることであった。元来、三百年の閉鎖社会は二重に閉ざされていて、日本も鎖国なら諸藩も他の藩に対して鎖国であった。それが崩れ、奔走家たちが諸藩の士と交わったとき、世界が大きくひろがったのだが、晋作は固陋なほどに長州至上主義であり、
「他藩の連中につき合ってなにになるか」
と、たかだかと高言していた。(p.153)
「おうの、浮世の値段はいくらだと思う」
「・・五両ぐらいかしら」
晋作は、そういうおうのが気に入っていた。おうのの、真綿の入ったような手の甲をほたほたと叩きながら、目をつぶっている。
詩をつくろうとしている。
「なんぼどす?」
おうのが、心配になってきたらしい。
晋作は、その手の甲を、また叩いた。晋作のいう浮世の値段というのは、おうのが受けとった意味とちがっている。美人であれ、不美人であれ、英雄であれ凡骨であれ、ひとしなみに人生とはいったいどれほどの値段かということであった。生きていることの楽しみはたしかに多い。しかしその裏側の苦しみもそれとほぼ同量多いであろう。その楽と苦を差引き勘定すればいくら残るか、というのが、晋作のいう浮世の値段なのである。
(まあ、三銭か)
と、晋作はおもった。それ以上ではあるまいと、この若者は思うのである。かれは歴史のはじまりは神武帝だとおもっている。それ以来二千年、何億の人間がこの世に出てきたが、それらはことごとく死に、何億の煙を作って消え、愚者も英雄もともに白骨になった。まったくのところ、浮世の値段はせいぜい三銭か。(p.191)
「道後の湯へ参られたことがございますか」
と、晋作は肥大漢にきいた。肥大漢は、はい、二度ござりまする、と答えた。
「あの湯に、神代、少彦名神が病まれ、湯につかって心気一変、よくなられたというが、ごぞんじか」
と、晋作は、とりとめもない話題をもちだして、相手の反応を知ろうとした。肥大漢は、道後の湯の縁起について明るいらしく、しかも晋作が質問をかさねてゆくうちに、晋作が予期しなかったことに、この肥大漢には国学の素養があるらしいことだった。晋作は、少彦名神が病苦が去って全快したときに叫んだという古代日本語がひどく哲学的な感じで好もしくおもっていたが、かんじんのその言葉をわすれてしまった。それをこの博徒に質問すると、かれは、
「マシバシ イネツル カモ」
と、教えてくれたのである。マシバシとはしばらくという意味。イネツルは寝つるであり、「しばらく寝ていたようだなあ」というただそれだけの意味だが、晋作にはなにやらそれが人の世を象徴しているようにも思える。(p.201)
「二十一回猛士」
と、松陰がみずから称したということを燕石がきいたとき、燕石は驚嘆し、感動した。松陰はその生涯で二十一回の猛を発しようとみずから誓い、結局、三回発したのみで、幕府に殺されざるをえなかった。松陰は死にのぞみ、永訣書を書き、「自分の墓碑名は、松陰二十一回猛士とのみ記してもらいたい」と遺言したが、要するに十八回の猛を仕残して松陰は死んだ。その十八回の猛を、門人たる晋作たちがひきついで発すべきであったし、げんに久坂玄瑞ら多くの同門の士が十人のうち八、九人までが猛を発し、非業にたおれ、先師のあとを追った。それを思い、自分が碌々として生を偸んでいることを思うと多少のはずかしさがある、と晋作は語ったのである。(p.217)
晋作の生涯は二十八年でおわる。師の松陰のそれよりも一年みじかい。
が、晋作は松陰の死後、八年ながく生きた。この八年の差が、二人の歴史の中における役割をべつべつなものにした。(p.280)
かれはそのみじかい生涯において自分の活動期が終了したことを知っており、残された晩年の日々を、かれの表現でいえば「閑かに臥し、ひとり惟惟」として、詩文を楽しみつつすごそうとしていた。
「どの人間の生にも春夏秋冬はある」
と、かれの師の松陰がいったことがある。幼少で死ぬ者もそれなりに春夏秋冬があり、長寿をえて死ぬ者も同様であり、春夏秋冬があることは人生の長短とかかわりがない。ゆえに自分が短命におわることにすこしの悔いもない、とは松陰がみずからに言いきかせた言葉だが、晋作の人生の晩秋はみじかかった。しかしいかにみじかくとも、晩秋らしい晩秋を、晋作はごく自然に送っている。(p.286)
2008年11月23日
ヒートテック
ユニクロのヒートテックというシャツ、たしかに、着心地がいい。
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「体から蒸発する水分を吸収して熱エネルギーに変換する発熱機能」って、
汗が蒸発したら気化熱で冷えそうなのに、逆に発熱してしまうってのは、マンガ的荒唐無稽なスゴさを感じる。どうなってるんだ一体。
好きなのは、商品ブランドロゴに書かれた
「JAPAN TECHNOLOGY」という文句。

単純に、なんだか嬉しい。
2008年11月22日
グランド・フィナーレ(阿部和重)
いったい何なんだろう、この作品は。
何かある、何かある、という期待は、読みながらどんどん高まっていった。
その意味で、先へ先へと引っ張る力はものすごくある作品だと思う。
けれど、読み終わってみると、この肩すかしをくらったような突然の幕切れは何なんだ?という感じだった。
書き出したいと思う名言は、この本の中には見つからなかった。ハラハラするようなエンターテイメント性も感じなければ、圧倒的な読後感というようなカタルシスも感じない。
まったく何もひっかかる所がないっていうのは変だろう、と思って内容を振り返って考えてみたけれど、やっぱり意味がわからなかった。また、時が経った時に読み返してみたら、一回目には気づかなかったことに気づくこともあるんだろうか。
2008年11月21日
21世紀の歴史(ジャック・アタリ)
38歳にしてミッテラン大統領の特別補佐官を務めたジャック・アタリが、これからの世界の未来を予測するという、もうそれだけでかなり熱い本。
将来についての予測を述べる前に、まず、これまでの資本主義の歴史の中で人類がたどってきた道のりを、概観としてまとめているところも面白い。
未来予測は、もちろん正確におこなうことは不可能ではあるけれど、この本の予測の方法は、アシモフの「ファウンデーション」の中でハリ・セルダンがおこなっていたように、人類が今後歩むであろう「大まかな」方向性について予言をしていて、それは、多少の変数の変動があっても高い可能性で発生するだろうと思えることばかりだ。
この本が面白いのは、それぞれの時代に出現した「中心都市」という視点から歴史を俯瞰していることだ。その時々の市場状況や、産業の発達状態や、偶然的な要素によって、中心都市は常に移り変わっている。
これまでの人類の歴史に登場した「中心都市」は、ブルージュ、アントワープ、ヴェネチア、ジェノヴァ、アムステルダム、ロンドン、ボストン、ニューヨーク、ロスアンゼルス、の9つ。
その、中心都市の遷り変わりをまとめて見てみると、確かに歴史の中には一定の法則が潜んでいるように思える。それをそのまま未来に適用して、これからの動向を推測しているので、著者の意見にはものすごく説得力がある。
中心都市は段々と東から西へと移動していて、大西洋を越えてヨーロッパからアメリカに渡り、順当に行けば、さらに太平洋を越えて東京へと中心都市が移行するという可能性もかなりの割合であった。
しかし、日本はそのチャンスを一度は逃した。それはとても残念なことではあるけれど、今後アジアのどこかの都市が中心都市となることは間違いなさそうで、その時にはまだ東京にも復活の可能性はあるかもしれない。
この本が、現在の中心都市が存在するアメリカから出版されたのではなく、フランスから出版されたというのは、とても面白いことだ。かつて歴史的に中心都市を持ったことがない、フランスという国からの分析であることで、この本の記述は、アメリカが持つ今後の影響力を過大評価も過小評価もせず、とても客観的におこなわれていると思う。
生まれた時から、アメリカという国の大きな影響下で育ってきた自分にとっては、アメリカが世界の中心の座を明け渡すという図を想像することは、なかなか難しいことだったけれど、この本を読むと、歴史の必然性として、中心都市の栄枯盛衰は不可避の出来事なのであるということがよくわかる。
この筆者の歴史認識は、とてもフラットで偏りがなく、膨大なデータに基づいた的確なものだと思った。「歴史から学ぶ」ということの重要性をこれほどまでに痛感させてくれる本は、他にはなかった。読み物としてだけでもかなり面白いし、現代の地球の状況についてとてもよく理解出来る本だった。
【名言】
日本には20世紀後半に世界の中心勢力となるチャンスがあった。また日本は、本書に登場する世界市場においてさえ、「中心都市」となるチャンスさえあったのだ。しかしながら、日本はいまだに「中心都市」とはなりえていない。(p.1)
長期的な観点から歴史を眺めると、歴史とは、唯一の、頑固できわめて特殊な方向に向って展開してきたことがわかる。たとえ急激なブレがある程度の期間続いたとしても、現在まで持続的にこの流れが捻じ曲げられてきたことはない。その方向性とは、いかなる時代であろうとも、人類は他のすべての価値観を差し置いて、個人の自由に最大限の価値を見出してきた、ということである。(p.19)
ヴェネチアは、ブルージュやその後の「中心都市」と同様に、技術革新の中心地ではなかった。すなわち、「中心都市」は発明の現場となるのではなく、発明されたものを見つけ出し、これをコピーして他のアイデアに応用する場所なのである。(p.71)
多くの人々は、限られた時間のなかで、すべての書物に目を通し、すべての精通し、すべてをこの目で確かめ、すべての土地に足を運び、すべてを学ぶことは無理であることを悟る。ところで、必要な知識は、すでに7年ごとに倍増しているが、2030年には72日ごとに倍増する。知識を得て学び、就労可能な状態であり続けるために必要な時間も同様に増加する。ところが、健康に気を使ったり、身体を鍛えたりするために必要な時間や、睡眠時間や愛し合うために必要な時間も相変わらず必要である。(p.176)
市場の形式は、これまで9回にわたって変化してきたが、同時代の人々は、「中心都市」の栄枯盛衰を目の当たりにしても、「中心都市」が消え去るとは考えず、また「中心都市」は永遠に世界の首都である続けるだろうと確信してきた。
また、しばしば同様に、昔から権力に関しても、衰退していく「中心都市」の周辺の者たちが気づかないうちに、所有者が移り変わってきた。過去の支配者たちは、実際、彼らは不可逆的な衰退期に突入し、すでに他者により彼らの地位は奪われたのにもかかわらず、自分たちの製品・文化・外交・軍事が、まだ世界を制覇していると信じこんでいた。当時のブルージュ、ヴェネチア、ロンドン、ボストン、ニューヨークの場合がそうであったように、明日はカリフォルニアの番である。(p.183)
世界の危険に対して用心深い北欧諸国は、自由に敵対する者たちを刺激しようとは思わないことから、秘密の外交の場合はのぞいて、他の役割にかかわろうとはしないであろう。よって、北欧諸国は「中心都市」としての役割を担うことを拒否する。というのは、「中心都市」は決して中立な立場でいられないからである。(p.189)
唯一解消できない希少性とは時間であることから、「蓄積された時間」の市場価値は下がり、「生きた時間」の市場価値は高まる。よって、蓄積された時間である映画・音楽ファイル・本などは無料になる一方で、演劇、ライブ・コンサート、講演会は有料になる。クローン技術をもちいて時間を超越しようとする者も現れる。(p.337)
2008年11月20日
なぜ日本人は学ばなくなったのか
「日本人は、一昔前までは教養が大切にされて、多くの人が本を読んでいたのに、今の若者はなぜ本を読まないのか」ということが語られている本。
齋藤氏の嘆きや憤慨が伝わってきて、やたらと熱い。
ただ、現状がどうなっているかという分析と、どういう流れで今のようになったのかという筆者の推測があるのみで、じゃあどうすればいいのかという提言はまったくされていないという投げやりさはある。「とにかく本を読め」という結論らしい。
でも、本を読まない人は、そもそもこの本だって読むことはないから、その人たちのところに筆者の主張が届くことはないだろう。
齋藤氏の主張には、とても共感出来るところが多いのだけれど、それでも、この本の内容はかなり片寄った意見だと思うし、アメリカについてや現代の若者について、明確な根拠にもとづいていないイメージで、勝手に決め付けている部分がかなり多い気がする。
自分の考えでは、今の日本は、この本で言われているほど絶望的な状況でもないし、その時代に合わせた形で適応をしているというだけで、現代人が昔の人に比べて劣っているということではないのだと思っている。
昔の人のほうが良く知っていたこともあれば、今の人のほうが良く知っていることもある。それは優劣の問題ではなく、どの時代のどの国民にもある、特性ということだと思う。
本を読まなくても、その分、実体験や、他のメディアから読書以上のことを吸収する人もたくさんいるだろうし、それが出来る時代だとも思う。
でも、齋藤氏がこの本で語っていることの真剣さは伝わってくるし、その危機感も非常に納得がいくところが多い。実効性はともかく、とても好感がもてる本だ。
【名言】
ある時期を境にして、日本には「バカでもいいじゃないか」という空気が漂いはじめました。ある種の「開き直り社会」ないしは「バカ肯定社会」へと、世の中が一気に変質してしまったのです。(p.16)
フランスの政治学者トクヴィルは、もともとアメリカ人は書物を有する国民ではなかったと指摘しています。それに、互いの権利を承認するための訓練は不要、哲学も不要、国民性に見出されるあらゆる違いも捨象でき、アメリカ人には一日でなることができる、と述べています。
ではフランス人に一日でなれるかというと、それは無理です。デカルト、パスカル、モンテスキュー、ラブレー、ラシーヌ、ルソーといったものに対する教養がなければ、フランス人とはいえない。そういう敷居の高さが、一員になろうとするときのヨーロッパにはあるわけです。(p.78)
こういう若者の変化を見て、前の世代の人々が「教養のない人が増えてしまった」と絶望していたのが30年ほど前。現在では、嘆く人すらいなくなってしまいました。教養という尺度で日本のこの30年間を振り返ると、極端に劣化してしまったことは間違いありません。「無教養」、より正確には、「自らの無教養に対する羞恥心のなさと開き直りの態度」は、そのまま「バカ」と言い換えることができるでしょう。(p.155)
読書にかぎらず、高い山の切り立った崖を登るような努力やエネルギーを必要とすることは、若いころに経験しておくべきなのです。対象をリスペクトするがゆえに、難解であることを承知で立ち向かい、多くのことを根気よく調べ、深く考えながら、あるいは議論しながら少しずつ理解していく。こういう経験が、その後の糧になるのです。(p.168)
2008年11月19日
携帯カバー
2008年11月18日
世に棲む日日 3巻
この巻では、いよいよ本格的な動乱が始まって、長州藩が幕府からも外国船からもボコボコにやられていく。藩論も、勤王になったり佐幕になったり、日々目まぐるしく変わり続ける。革命期の、もっとも激しい時期と場所を舞台にした巻だ。
アーネスト・サトーを通訳とする四カ国連合軍に、高杉晋作が長州藩の代表として和平交渉に行き、日本書紀や古事記から天地創造の演説をするところは、特によかった。もし、この場に臨んだのが晋作ではなく、保身を考えるただの役人だったら、イギリスの言うがままに彦島は割譲されて香港のようになり、下関は九龍のようになっていた可能性は大きい。
奇兵隊の幹部である山県狂介に、晋作が会いに行くシーンもよかった。議論や説得をしようとせずに、短い言葉を突きつけて、相手から立ちのぼる気の動きだけを見る、というのは任侠映画を見ているような場面だ。
登場人物の中では、井上聞多(馨)と、伊藤俊輔(博文)の、歴史への関わり方というのは、とても面白かった。普通の世であれば、まったく出世の見込みなどなかったこの二人が、たまたま絶妙のタイミングで絶好の場所に居合わせて、晋作と行動を共にするという決心を固めたことによって、歴史の中心へと引き寄せられる流れに乗るというのは、当人たちにもまったく予想出来なかったことだっただろう。
高杉晋作のスゴさというのは、こういう時期にあってもまったく軸がブレずに、遥か先までのビジョンが常に自分の中にあるところだ。何回死んでいてもおかしくない行動ばかりしているけれど、そのぐらい飛びぬけた行動をしているからこそ、逆に、誰もその存在を無視することが出来なくなり、殺されずに、藩からも重用されることになったのかもしれない。
【名言】
(こんな若者だったのか)
と、晋作は近づいてくる徳川家茂の騎馬姿をながめて意外な思いがした。存外、可愛げではないか。
ひとびとはみな土下座し平伏している。が、晋作だけは顔をあげていた。
「いよう。」
と、この男は、花道の役者に大向うから声をかけるように叫んだ。
「征夷大将軍」
といったとき、さすがに連れの山県狂介らも顔色をうしなった。家康以来、天下のぬしに対してこれほどの無礼の挙動をとった男もない。そういう事件も、徳川三百年間、一件もなかった。もしあったとすれば、ただの刑では済まず、鋸挽きの刑にでも処せられたであろう。(p.47)
井上と伊藤は、藩の攘夷をやめさせねば。
と、それだけの理由でイギリスを去ることにきめた。みずからそれを決定した。他の三人の藩学生は、
外国で技術を学ぶべきではないか。
と制止したが、この両人はきかなかった。かれらの留学は中途半端におわった。しかしかれらはそのために日本の歴史に参加することができ、とどまった者は単に西洋仕込みの知識人というだけにおわった。この両グループのその後の人生の道すじは、このときに分岐したのかもしれない。(p.155)
この井上と伊藤とが帰国したときは、まだ幕府から最終回答が出ておらず、しかしながら各国軍艦はすでに薪炭を満載し、戦備をととのえ、いつ命令が出ても横浜港を出港できるよう待機中であった。二人は危機一髪の時期に帰ってきた。すでに劇的であった。歴史が緊張するとき、きわめて高度の劇的状況を現出するものだが、その劇的状況下で劇的そのものの帰り方で帰着したかれらは、当然、英雄たらざるをえない。英雄とはその個人的資質よりも、劇的状況下で劇的役割を演ずる者をいうのである。かれらは本来、無名志士にすぎなかった。しかしこの瞬間から英雄の座へかけのぼるのである。(p.159)
古今東西の革命家のなかで、晋作ほど機略縦横の男もすくないが、これほど権力に淡白な男も、絶無といってよかった。革命であれ乱世における政権奪取であれ、軍隊をにぎらなければ牙のない虎にひとしい。
「高杉という鳥は天を飛翔しているが、梢にとまって巣を作るということをしない」
と、この時代の長州のたれかが言ったことがある。奇兵隊総督という位置を、創設数ヶ月で晋作はかるがると捨てた。その性格上の理由はいくつか考えられるにせよ、一つにはかれは藩における上流者の子で、元来、権力という泥くさいものに執着するところがなかったのであろう。その性癖はこのあとしばしば出る。逆にこの淡白な性癖があればこそ、雷電風雨の発想と行動ができたのかもしれない。(p.247)
夜になって、山県がこっそり二階へあがってきた。
「藩の天地は、俗論が満ちている」
と、晋作は言い、いきなり、
「やるかね」
と、言った。人を説得するにしても、晋作という男は鳥の声ほどの短さでしか言わない。あとは相手の目をじっと見、その精神から立ちのぼる気のうごきを見るだけである。(p.248)
この時期、奇兵隊士は二百人ほどであった。山県は、わずか二百人で、全藩士を向うにまわしてのクーデター戦争が出来るとはおもっていなかった。山県は、そのことを言った。
「なるほど」
晋作は、さからわなかった。かれはその生涯で一度といえども他人を説得したことがない。相手に気がなければそれでしまいさ、とつねにあっさり割り切っている。それに、藩論が佐幕に傾いた以上、いまさら二百人で決起したところでひとびとはついてくるまい、とも思っている。その点、山県と同意見なのである。ただ山県が、
死物狂いでやってみましょう。
と気を動かせれば、その気をひっさらって雲をよび、雷電を鳴動させてみるつもりはあった。が、あきらめた。(p.249)
2008年11月17日
日本の弓術
ページ数は少ないものの、とても内容の濃い本だった。
タイトルは「日本の弓術」という名前になっているけれども、この中で語られているのは、「弓術」というよりも、的中を重く見ずに一射一射に全精神を込める「弓道」についてだった。
この本は、弓道についての技術的な解説はまったくない。だからこの本はハウツー本ではなく、「弓道」の精神を通じて、その根底にある禅的精神・日本的精神を、日本人以外に向けて紹介している本だと言ったほうがいい。
日本人は、禅的な文化が浸透している空気の中で生活をしているので、「自分で射ようとしないで、自然に矢が射られるにまかせる」というような無意識の心境について、外国人よりは理解がしやすい素地があるだろうと思うけれど、そのために、あえてその感覚を言語化しようとは、あまり思わないだろうと思う。
その点、生粋の西洋的思考を持ったドイツ人哲学者である筆者の目からは、理解が難しいことばかりであったに違いなく、その場所から、弓道の真髄を理解するまでの過程には、ものすごく大きな気づきがあったのだと思う。
この、ヘリゲル氏が師とした阿波師範は達人の域にある人だと思うし、ヘリゲル氏自身も非常に熱心な生徒だったことが、とてもよく伝わってくる。他の師についたとしたら、ここまでの理解には達しなかっただろう。
日本の武道家と、西洋の哲学者という、両者が出会ったからこそ生まれた、そして今後二度とは生まれることがない、奇跡的な書であると思う。
【名言】
日本人は、自分でそれを説明できるかどうかは別として、禅の雰囲気、禅の精神の中で生活している。それゆえ日本人にとっては、禅と関連することはすべて、内面から、禅の本質から、明瞭に理解される。(p.17)
私は、「無になってしまわなければならないと言われるが、それではだれが射るのですか」と尋ねた。すると先生の答えはこうである。「あなたの代わりにだれが射るかが分かるようになったなら、あなたにはもう師匠が要らなくなる。経験してからでなければ理解のできないことを、言葉でどのように説明すべきであろうか。仏陀が射るのだと言おうか。この場合、どんな知識や口真似も、あなたにとって何の役に立とう。それよりむしろ精神を集中して、自分をまず外から内へ向け、その内をも次第に視野から失うことをお習いなさい。」(p.34)
2008年11月16日
密閉型イヤホン
最近、録音した音声を文章にするテープ起こしをすることがしばしばある。
静かな場所で作業をする時は特に問題ないのだけれど、外に出て、エクセルシオールなど騒がしい場所にいる時は、周りの音にかき消されて、あまりよく聴こえなくなってしまう。
なので、イヤホンではなくヘッドホンを用意しようと思って買いに行ったところ、最近はイヤホンでも随分性能がいいものがあることを知った。
SONYの「密閉型インナーイヤーレシーバー」というイヤホンは、つけた瞬間の装着感が、今までのイヤホンとまったく違う。
ゴムの「耳栓」を入れている感じで、かなり騒がしい場所でも、ホントに周りの音がぴったりと遮断される。
あまりに密閉されているので、イヤホンのコードが擦れる音がダイレクトに響いてきて、むしろそっちがうるさいという、新しい感覚だ。
持ち運びも楽だし、ヘッドホンよりずっと使いやすくていい。
2008年11月15日
The Call of the Wild

The Call of the Wild(JackLondon/Aladdin Paperbacks)
犬が主人公で、犬からの視点で語られるという、ちょっとファンタジックな物語。
フィクションということで、多少割り引いて考えるべきところはあるけれど、川で溺れそうな主人を助けたり、犬でありながら野生の狼を従えたり、色々と絵的にカッコいい場面が多い。
犬の中にもそれぞれ性格があって、主人公のBuckなどは、とても頭がいいので、読んでいてほとんど人間と同じように思えてくる。むしろ、登場する人間にタチの悪い輩が多いので、こりゃ人間より犬のほうががずっとマシだわ、という気にさえなる。
野生の中で、様々な経験を重ねるに従って、着実に、判断力と体力を身につけていくところは、読んでいてとても面白かった。この、闘いあり、成長あり、友情ありの、ジャンプ的黄金パターンの展開はやはり良い。
【名言】
He saw that he had no chance against a man with a club. He had learned the lesson, and in all his later life he never forgot it.(p.11)
Buck had made up his mind not to get up. He no longer felt anything, through he could hear the club striking his body. But it was no longer his body, it seemed so far away.(p.72)
He never gave an enemy a second chance. In the primitive life, giving a second chance was understood as a sign of weakness and fear. Kill or be killed, eat or be eaten, was the law.(p.80)
2008年11月14日
昨日の満月
昨日の満月はキレイだった。
月と桜は、写真じゃどうしてもキレイに写らない。
満月の時は、目で見るとものすごく大きく見えるのに、
写真に撮ると、なんでこんなに小さくなるのかというぐらいにショボくなる。
写真に写っているほうが、実際の月の大きさなんだろうけれど、
だとすると、あの、目で見た時の月の圧倒的な大きさは
どこの部分で増幅されたものかという謎が残る。
昨日の月は、特にそういう不思議な魔力を感じる月だった。
2008年11月13日
アースダイバー(中沢新一)
本当に面白い本を読んでいる時には、ゾクゾクするような奮えがおこる。この「アースダイバー」という本は、かなり奮えまくりな本だった。
東京は、新石器時代から人が生活していたので、代官山のような街の真ん中に、縄文時代の遺跡がそのまま残っていたりする。しかも、大昔から古墳や貝塚があったような場所には、神社や寺が建てられて、そういう場所はどれだけ都市開発が進んでも、そのままの姿で残されている。
東京は、大都会という姿を持ちつつも、その中に大昔の名残を残しているという、かなり特殊な街なのだということが、この本を読むとよくわかる。
面白いことに、放送局や主要大学などは、決まって、大昔に岬があって死者を埋葬した土地の上に建てられているのだという。この著者に言わせれば、東京はいたるところ死者の世界と隣り合わせということになる。
新宿や渋谷や銀座などの街の成り立ちの歴史なども、今からでは想像出来ないような出来事の連続で、ものすごく驚かされることばかりだった。こういうのが、本当の歴史の面白さなのだろう。
この中沢氏は、物事を見る時の視点も面白い上に、それを説明する文章がものすごく上手い。この本を読めば誰でも、東京という街を歩く時、これまでより何倍も興味深く見られるようになることは間違いないと思う。
【名言】
どんなに都市開発が進んでも、ちゃんとした神社やお寺のある場所には、めったなことでは手を加えることができない。そのために、都市空間の中に散在している神社や寺院は、開発や進歩などという時間の侵食を受けにくい、「無の場所」のままとどまっている。(p.14)
東京の散歩を続けていると、東京の重要なスポットのほとんどすべてが、「死」のテーマに関係をもっているということが、はっきりと見えてくる。古いお寺や神社が、死のテーマとかかわりがあるのは当たり前だとしても、盛り場の出来上がり方や、放送塔や有名なホテルの建っている場所などが、どうしてこうまで死のテーマにつきまとわれているのだろうか。
しかし、これは死にかかわることを嫌って、自分たちのそばから遠ざけておこうとする近代人だから、そんな考え方をするのであって、かつては死霊のつどう空間は、神々しくも畏れるべき場所として、特別あつかいをされていたのである。そこは神聖な空間だからこそ、重要なスポットだと考えられていた。(p.60)
権力を手に入れた人たちは、生きている者たちのつくるふつうの世界から超越していなければならない、と感じるものである。そのためにどうしても、生をこえた領域である死に触れていくことになる。権力者は死とまぐわっていなければ、いったん手に入れた権力を、保ち続けることはできない。(p.61)
都内の有数の森は、その多くが天皇家にかかわりをもっている。明治天皇の御霊を祀る、明治神宮の森の広大さは言うまでもないが、天皇ご自身も、深い緑におおわれた皇居の奥に、おすまいになっている。天皇ご自身が、森の中にサステナブルに身を潜められたというような事例は、近代天皇制の以前には、南朝の例以外にはない。(p.71)
金魚的怪物は、同じものをつくらないという逸脱の美を誇っている。ところがここに、それとはちがう原理によって生まれた、別のタイプの怪物がいることを忘れてはならない。それはなにあろう、盆栽である。盆栽はどんなに細部までおりていっても、すこしも情報量が減らないという怪物である。(p.140)
東京湾はそうとうに複雑な形状で入り江をつくっていたから、リアス式の海岸のようなもので、陸地だったところにできた高台には、早くから人が住んだ。それからおいおい水が引いてきて、湿地帯だったところに土を盛ったりして、そこにも人が住むようになった。だから、東京には異様に坂道が多いのである。(p.188)
浅草のなりたちを見ていると、ぼくはなぜその土地が、日本のモダニズムの中心地となったのか、理由がわかってくるような気がするのである。浅草はアメリカにできていった街と、よく似ている。ここは縄文地理学の影響を免れた、都内でも数少ない盛り場なのだ。(p.191)
2008年11月12日
ONE PIECE 30巻
「ONE PIECE」を1巻からここまで読んできて、今までのところ、この30巻が一番面白かった。
この「白々海」編は、敵の勢力が1つだけではなく、神隊という正規軍と、シャンディアというゲリラ軍が三つ巴になった構図になっているところが秀逸だと思う。
神軍の組織の中もさらに階層化されていて、その中で権力交代や対立構造があったりするところもいいし、神官のキャラクターや、技のネーミングも、東洋風や神話風のテイストで好きだ。
最高なのは「神(ゴッド)・エネル」だった。バガボンドの胤瞬のような僧侶っぽいビジュアルに、雷神というモチーフ。敵ボスというのはやはり、ここまではっきりとキャラが立っていなくては面白くない。
2008年11月11日
nanaha

自由が丘にある和カフェ。
かなり本格的にお茶が揃っている。
抹茶や甘味もいいのだけれど、
このカフェは、それに加えてうどんが美味い。
やまかけ焼きナスうどん(冷)
店が広くてキレイなのもいい。
和カフェは、お茶は良くても、食べ物は甘味しかなかったりするところが多くて、あまり気に入ったところがなかったのだけれど、このカフェは全体的に素晴らしい。
■nanaha
http://www.nanaha.com/
世田谷区奥沢5-25-8 SPヒルズ自由が丘102
03-5701-3008
11:00~22:00

2008年11月10日
キュキュット
2008年11月09日
イギリスだより(カレル・チャペック)
「ロボット」という言葉を生み出した、チョコの小説家カレル・チャペックによる、イギリスの旅行記。
1920年代の旅行記なので、もう随分前の記録になるけれども、その割りにはほとんど古さは感じない。イギリスという国が、この100年間であまり大きな変化をしなかった国だからだろうと思う。
チャペックの視点は、あまりユニークなものではなく、イギリスを旅する、一般的なヨーロッパからの訪問者が抱く感想をそのまま書き留めているような感じがある。その点、専門記者が書くような旅行記に比べると密度はだいぶ薄いけれど、その分、当時の外国人がイギリスという国に対して感じた素朴な感想が伝わってくる。ところどころに挿まれた自作のスケッチも、手作り感があっていい。
チェコという小国からイギリスを見たチャペックは、その大国ぶりに感嘆して、羨みもするけれど、常に自分の祖国に愛着を持っていて、祖国の長所もあわせて挙げることを忘れていない。どちらかというと、イギリスの保守的なところを引き合いにだして、チェコの良さを礼賛しているように思える。
旅のガイドブックの代わりになるかと思って読んでみたのだけれど、書かれた時代が今とは大きく異なることもあって、あまりその点では参考にならなかった。
それよりも、1920年代当時のロンドンの様子や、アイルランドに対する人々の感情について、作家の視点から叙情豊かに描かれた旅行記であるというところに面白さがあった。
【名言】
イギリスの家の詩的なおもむきは、イギリスの街路に詩情が欠けていることの代償なのである。そして、この国では、街路が革命の群衆によっておおいつくされることは決してないだろう。なぜなら、街路が長すぎるからだ。おまけに、あまりにも退屈だから。
(p.38)
わたしは、あの幼いころにもどりたい。そしてまた、あの昔のように、東ボヘミアのウービツェの町の、なつかしいプロウザの乾物屋の店先に立って、目をまるくしながら、黒い香辛料入りのパン、胡椒、生姜、ヴァニラ、そして月桂樹の葉を眺め、ここには世界の宝物すべてが、アラビアの薫りのすべてが、そして遠い国ぐにからの草根木皮がすべてあると考え、驚き、匂いを嗅ぎ、そして、不思議な、遠い、なみなみならぬ地域を描いたジュール・ヴェルヌの長篇冒険小説を読もうと走っていきたい。
なぜなら、わたし、この愚かな魂は、世界を今とは別のものだと想像していたのだから。(p.90)
イギリスでは、このような木は、いつかはこのうえなく年を経て茂り、大聖堂のように堂々たる木になることを最初から目的にして育つのだと思います。イギリスという国は、そこに住む人びともいかに美しく堂々と老いるべきか、その秘密を発見した国だというような気がします。(p.236)
2008年11月08日
自由が丘 銀だこ
2008年11月07日
世に棲む日日 2巻
いよいよ、この巻で、吉田松陰と高杉晋作が出会う。
やはり、人と人とが運命的に出会う場面というのは面白い。松下村塾が開かれていた期間自体が非常に短いし、晋作も松陰も江戸にいる時期があったりで、直接関わっている時間はとてもわずかであると思うのだけれど、それにもかかわらず、ここまでの影響をお互いに与え合うぐらいの人物が出会うというのは、運命の配剤を思わせる。
読んでいて思うのは、革命期においても、人それぞれに役割というものがあって、その瞬間には非業の死に見えても、長いスパンで見れば大きな意味を持っていることが多く、決して無駄死ににはなっていないということだ。
この動乱の時代では、どの意見が正しいかということも時流によるし、生き死にでさえも、時流のタイミングという、個人の意思とは別のものによって左右される。
長州藩の長井雅楽が唱えた、「単純な攘夷ではなく、開国貿易によって国力を蓄えた上で、侵略を防ぐ」という案は、優れた策であって、坂本竜馬の考えともほとんど一致していたにもかかわらず、それを公にするタイミングが早すぎたために、実際には効果を上げられなかっただけでなく、命を落とすことにもなった。
この作品では、長州藩からの視点が中心となっているので、久坂玄瑞や、桂小五郎など、それぞれに非常に個性豊かな長州藩士がたくさん登場する。そこで重要になるのはもはや、能力の長短というよりも、性格や気質に合った「時と場」を得るかどうかである、というカオスなところがたまらなく面白い。
【名言】
この異常に強烈な民族的自尊心をもりあげたかれの理論は、やがてその後の志士たちの思想に重大な影響をあたえてゆくのだが、この松陰理論ができあがる発酵のたねに、松陰個人としての自尊心のつよさがあるであろう。
かれの性格について、仲間たちがみな驚嘆するところは、かれがつねに赤裸々に自分についてすこしの誇張もせず、しかも非常な謙遜家であるところであったが、しかし一個人の性格のなかにも人間は矛盾にみちている。謙遜家であると同比重でかれは強烈な自尊心のもちぬしであった。
この自尊心のつよさが、この若者の身辺をつねに清潔にしていたし、この若者の姿勢と行動を、削ぎ立った竹のようにするどくさせていた。そういう個人としての自尊心のつよさが、かれの民族的自尊心を昂揚させ、その独自の攘夷論をつくりあげるにいたった。(p.6)
「金子君、きょうの読書こそ、真の学問である」
と、ひどくあかるい声でいった。
「君は、漢の夏候勝と黄覇の故事を知っているか」
と、松陰はいう。夏候勝は漢の武帝につかえた学者であったが、あるとき罪におとされて獄に下った。黄覇もその獄の仲間であった。黄覇は獄中で学者の夏候勝にたのみ、自分はいままで無学ですごしてきたが、この機会に学問をしたい、ぜひさずけてほしい、という。夏候勝はおどろき、「どうせ刑死する身に学問は要らぬではないか」というと、黄覇は、「それはちがうでしょう、孔夫子のお言葉に朝に道を聞いて夕に死すとも可なり、ということがあります」といった。
「それとおなじだ。われわれは遠からず死罪になる。いまの読書こそ、功利を排した真の学問である。学問とはこういう時期の透明な気持から発するものでなければならないのだ」(p.43)
松陰はすでに生を捨ててしまって、禅でいう闊然たる世界に突きぬけてしまっている。見ることも語ることも、子供のようなういういしさになっている。松陰は、禅についていままでさほどの感心を示したことがなかったが、この時期の心境は、禅でいう悟達して目をひらけば空気がきらきらと光るようで、つい踊りたくなるほどのよろこびがある、という、そのような境地に入っていたのかもしれない。(p.44)
松陰は、どうも快活すぎる。
これは天性のもので、かれの思想でも主義でもなく、それがうまれつきだけにこの若者を自暴自棄にすることはいかなる悪魔でも不可能かもしれない。かれはどういう環境におちこんでしまっても、早速そこを自分のもっとも棲みやすい環境にしてしまう点、こういう棲みかたを才能であるとすれば、この人物は稀有の天才であったといえる。(p.77)
松陰はうなずき、顔を伏せて高杉の文集を読んだ。
やがて顔をあげ、最初にいったことばは、高杉が終生わすれられぬところであった。
「久坂君のほうが、すぐれています」
と、いうのである。
高杉は、露骨に不服従の色をうかべた。
(おもったとおりだ)
と、松陰はおもった。
人を見る目が異常にすぐれている松陰は、この若者が、裏へまわってここへ入ってきた最初から、尋常でない男がやってきたという感じがした。ふてぶてしいというわけではないが、渾身にもっている異常なものを、ところどころ破れてはいても行儀作法というお仕着せ衣装で包んでいる。それも、やっと包んでいる。
「どこが、劣っています」
と、高杉もいいかげんな言い方をゆるさず、劣っているところを指摘してくれ、といった。
松陰は、いよいよおもしろいと思った。論理は松陰吉田寅太郎のひとつであり、大いに好むところであり、高杉から質問されずともこれは大いに言うつもりであった。
松陰は、高杉の文章を分析し、松陰独特の平易な表現でそれをくわしく説明すると、高杉は自分の欠点をいわれているくせに、妙なことに聞くほどに昂奮をおぼえた。
帰路も、この昂奮がつづいた。
(あれは神人かもしれん)
と、それほど大げさな気持ちで松陰をおもったのは、高杉がはじめて自分とは何者かということを知った衝動によるものであろう。自分がどういう資質、性格、あるいは可能性をもった人間であるかという自分の像は、自分自身ではふつう、ついにわからない。かといって他人にきいてもわかるはずのないことであったが、高杉は、自分像というものをほとんど芸術的なばかりのみごとさで、松陰によってとりだされてしまったのである。
これではどうも生涯、松陰についてゆくしか自分のみちはないかもしれない、と高杉はおもった。(p.106)
松陰は革命のなにものかを知っていたにちがいない。革命の初動期は詩人的な予言者があらわれ、「偏癖」の言動をとって世から追いつめられ、かならず非業に死ぬ。松陰がそれにあたるであろう。革命の中期には卓抜な行動家があらわれ、奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動をとる。高杉晋作、坂本竜馬らがそれに相当し、この危険な事業家もまた多くは死ぬ。それらの果実を採って先駆者の理想を容赦なくすて、処理可能なかたちで革命の世をつくり、大いに栄達するのが、処理家たちのしごとである。伊藤博文がそれにあたる。松陰の松下村塾は世界史的な例からみてもきわめてまれなことに、その三種類の人間群をそなえることができた。(p.148)
晋作ほどその生涯において、
「狂」
という言葉と世界にあこがれた男もまれであろう。かれ以外の人物では、かれの師匠の松陰がいるくらいなものであった。松陰はその晩年、ついに狂というものを思想にまで高め、「物事の原理性に忠実である以上、その行動は狂たらざるをえない」といったが、そういう松陰思想のなかでの「狂」の要素を体質的にうけついだのは、晋作であった。(p.211)
正論というものほど、時にとって妙なものはない。
この時期、長州藩の公式代表である長井雅楽の意見ほど、正論はなかったであろう。かれの「航海遠略策」は、開国か鎖国攘夷かの両論で混乱しきっている時勢に対し、これほど卓越した鎮静剤はなかった。さらにこの策は、日本の将来を展望して、それを薔薇色に予想してみせたが、志士たちには不満であった。
不満だけでなく、
「長井斬るべし」
という議論が京の志士のあいだで沸騰してきた。これもあれも時勢の魔法というしかないのは、長井を斬るべく追いまわした伊藤俊輔が、のちに博文と名をかえて明治開国政府の有力者になったことでもわかるし、さらには幕末の煮つまった段階で時勢収拾の役割をはたした土佐の坂本竜馬は、かつて長井が打ちだした「航海遠略策」とほぼかわらない意見のもちぬしであった。が、坂本は時勢の魔術性というものをどうやら天性知っていたらしく、時勢の紛糾がぎりぎりのフクロ小路に入りこむまでこの意見を露わにしなかった。それ以前にこの「正論」を露わにしておれば、かれは自分の同志である攘夷家に斬られていたであろう。(p.239)
2008年11月06日
レモン・スパークリングティー
鎌倉に住んでいる妙に教えてもらった、紅茶専門店「ミミロータス」に行く。
専門店というのは、何を専門にしていたとしても、「ウチはこれだけでやってますから」というこだわりが感じられていい。
店は、若宮大路を海の方向に進み、JRの高架をくぐってすぐのところにある。
■ミミロータス
神奈川県鎌倉市御成町4-40 松田ビル2F
0467-61-3001
営業時間:10:00~19:00 (ラストオーダー 18:30)
定休日:木曜日
2008年11月05日
イントゥ・ザ・ワイルド
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かなり最高に良かった。
今回、どんな映画か、内容も予告もまったく見ずに観に行ったのだけれど、それがとても良かった。前知識ありで観た時よりも、確実に数倍は面白くなったと思う。情報は必ずしも多いほうがいいというわけではないのだと思った。
なので、水晶堂と作品の好みなどが合うと思っている方は、公式サイトや、他のサイトの感想などは見ずに、いきなり無条件で作品を観るのが良いと思う。
今は上映中の映画館が少なくなってしまっていて、ちょっと観るのが難しい映画になっているのだけれど、新宿のタイムズスクエアの中の映画館は、夜の時間帯にもまだ上映している。
映画の良さ、というものが存分に出ている作品だと思った。旅や自然や人との出会いの素晴らしさを思いきり表現する一方で、それらのシビアな部分も、同時にきっちりと表現をしている。このあたりのバランス感が、すごくセンスがいい。
ちょうど、ソローの「森の生活(ウォールデン)」を読んだばかりというタイミングもあって、それを、ソローから150年経った現在の視点で、もっと純粋に再構築したような作品に思えた。
好きだったシーンは、エゾシカを解体する場面、カヤックで激流を川下りするところ、などなどたくさんあった。
人生は本当に楽しいなあ!というような感じの、希望を与えてくれる映画だった。
2008年11月04日
iPhoneがあってもドコモを解約しない理由
iPhoneを買った。
今回悩んだのは、今使っているドコモの携帯番号をsoftbankに移してiPhone一台に統合するか、それとも今のドコモの携帯はそのままにして、別途にiPhoneを契約するか、ということだった。
携帯電話とiPhoneを両方持ち歩くのは、ちょっと面倒なので、出来れば一台にまとめてしまいたい。
でも結局、iPhoneは通信機能内蔵のPDAと割り切って、携帯電話は今までどおりドコモを使うことにした。
一番の理由は、iPhoneだと「新着メールが届いているかどうかが常に表示されている」という状態に出来ないからだった。
これは、iPhoneに限らず、今発売されている最新型の携帯電話は、ほとんどすべてがそうなのだけれど、消費電力が高い有機ELディスプレイを使っているために、しばらく操作をしないとバックライトが消えて、まったく表示が見えなくなってしまう。
今使っている、ドコモの「らくらくホン」は、最新型の携帯では唯一、常にサブディスプレイでメールの新着が視認出来る機種なんではないかと思う。
この携帯はやはり、iPhoneがあっても手放せない。
2008年11月03日
何語やねん
スタバに追加された新メニュー
「抹茶ティーラテ」
![]()
抹茶(日本語)+ティー(英語)+ラテ(イタリア語)
キマイラのようなネーミング。
そういえば、入れ物の大きさも
「ショート」「トール」の次は、
「グランデ」「ベンティ」で、突然イタリア語になる。
2008年11月02日
世に棲む日日 1巻
司馬遼太郎氏の著作の中では、「竜馬がゆく」と並んで、この作品が一番好きだ。
作者は、吉田松陰を主人公としてこの物語を書き始めながらも、その後どのように展開をさせてゆくか、最初の時点では決めていなかったらしい。
後に起こる、松陰の死をもってそこで物語は終わらず、視点を高杉晋作へと引き継いで、長州藩の物語は更に進んでいく。この、吉田松陰→高杉晋作という二人の主人公の絶妙な世代交代が、この作品を、世にもエキサイティングな傑作へと昇華させた最大の要因だと思う。
例えるならば、カメハメからテリーマンにグレートマスクが引き継がれることでキン肉マングレートの系譜が続いていくような熱さがある。
この1巻では、吉田松陰の青年時代が描かれている。まだ浦賀にペリーの艦隊が現れる前であり、世の中は太平の中にあってのんびりとしている時代で、その中で松陰も、藩の兵学師範としてゆっくりと学問を積み重ねながら、素地を固めている。
一番いい場面は、松陰が、宮部鼎蔵などの友人と交わした、東北旅行の約束を守るためだけに、藩を抜けるという大罪をおかすところだ。普通に考えればとても釣り合わないこの選択で、松陰は信義のほうを取る。
こういう、極端なまでに純粋な、松陰のエピソードがいくつも繰り広げられるこの第1巻は、物語の「起」にふさわしい導入部分といえるところで、まだ、さほどの事件はおこらないけれど、松陰がどのようにして、子供ような心と情熱を持ったまま成長していくことになったかというバックグラウンドの部分がとてもよくわかる。
【名言】
藩は、人間のようである。
三百ちかくある諸藩は、藩ごとに性格もちがい、思考法もちがっている。人間の運命をきめるものは、往々にしてその能力であるよりも性格によるものらしいが、藩の運命も、その性格によってつくられていくものらしい。長州藩は、やがて歴史の激動のなかに入るのだが、松陰のこの時期には、ただの大名にすぎない。ただ異常ぶ勉強ずきなところが、変わっている。(p.84)
われ酒色を好まず、ただ朋友をもって生(いのち)となす。
というのは、松陰ののちの言葉である。このときみずからを断崖に立たせながら、松陰はこのことばを胸中でくりかえした。
「自分は、いま国(藩)と家にそむく。しかし一度だけである。あとあとはけっしてそむかぬ。いまそむくのは」
と、その理由をのべた。
人間の本義のためである。人間の本義とはなにか、一諾をまもるということだ。自分は他藩の者に承諾をした、約束をした。
大いなる義とは、仲間との約束をまもるということであろう。たかが知れた約束ではないかとあるいはひとはいうであろう。しかし松陰というこの純粋思考の徒にすれば、その程度の約束すらまもれず、その程度の義さえおこなえない人間になにができるか、と、深刻に考えている。(p.117)
松陰は、過激者である。
ということは、この若者のどの部分から発するのであろう。松陰の他人に対するやさしさや、日常のせつぞど、それに紀行文などにみられるつりあいのとれた物の見方などからすれば、両頬に覆いをされた馬車馬のような絶対主義的思考者ではなさそうである。かれの視力は、十分に物事の左右前後表裏をみることができたし、その解釈力も柔軟であった。
しかしその行動は、どうにもならず飛躍する。過激者というより、飛躍者という言葉があれば、それにあたるかもしれない。(p.240)
2008年11月01日
森の生活(ソロー)
今から150年前に、ボストン近郊の湖のほとりに小屋を立てて隠遁生活をしていた著者の、日々の自活記録。
エコロジーっぽい雰囲気だけれど、ソローがスゴいのは、周りのブームに流されてやっていることではなく、完全に自分の独創で、先駆者としてすべてをオリジナルで考えて行動しているところだ。
読んでいて強く感じるのは、この人は、かなり偏屈でプライドの高い理想主義者だったんだろうということだ。口調がやたらと偉そうなのは、翻訳のせいもあるだろうけれど、それにしてもこの、人をバカにしたような上から目線の説教くささは、読んでいてツラかった。
言っていることがやたらと極端でアナーキーなのだけれど、ところどころ、非常に深く共感を感じるところはある。
「一緒にいると鬱陶しいが、言っていることは非常にまっとうでタメになる」頑固爺いを供に、しばし森の中で生活するという疑似体験が出来る感じの本だった。
【名言】
われわれは、家を建てる喜びを、いつまでも大工にまかせておいてよいのだろうか?
結局、建築ということは、大部分の人々の経験から判断して、どれほどの事に相当するのであろうか?(p.68)
五年以上もの間、私は自分の手仕事による労働だけで自活の生活をしてきた。そこでわかったことは、一年のうち六週間ほど働けば全生活費が稼げるということである。だから私は冬の全期間と夏の大半を自由に自分の研究にまるまる当てることができた。(p.100)
要するに、私が確信していることは、信念と経験から判断すれば、われわれが質素で、賢い生き方さえすれば、この地上で自分一人養っていくのは、さして辛いことではなく、楽しいことだという事実である。(p.102)
人の優しさというものは片寄っていたり、一時的気まぐれな行為ではなくて、無償にして、自分で意識することのない、誠実な心の豊かさのことでなければならぬ。これこそが、あまたの罪を覆う慈愛というものである。(p.110)
私が森へ赴いたのは、人生の重要な諸事実に臨むことで、慎重に生きたいと望んだからである。さらに、人生が教示するものを学び取ることができないものか、私が死を目前にした時、私が本当の人生を生きたということを発見したいと望んだからである。人生でないものを生きたくはない。生きるということはそれほど大切なのであるから、やむにやまれぬ事情がないかぎり、諦めることはしたくなかった。(p.139)
プラトンの名前を聞いて、彼の著作を読まずにいられようか?まるでプラトンがこの町の人で、私が彼に、隣人でありながら一度も会わず、しかも、彼の話しを聴くこともなく、彼の言葉の英知に耳を傾けることもしない、というわけだ。(p.163)
私の生活のやり方には少なくともこんな利点があるのだった。つまり、他の人々はわざわざ外出して、社交とか劇場に行って楽しみを求めなければならないのに、私の生活そのものが私の楽しみであり、少しも新鮮さを失わないということだ。(p.172)
一般的に社交というものはつまらないものだ。互いが会っても別に目新しい、有益なことを身につけるほど時間的余裕もないのに、短時間しばしば会ったりする。一日に三度の食事で顔を合わせ、互いに古くて黴くさくなったチーズをあらためて味わう。こんなわけで我慢までして頻繁に顔を合わせたり、また、互いが喧嘩でも始めないようにするために「礼儀作法と礼儀正しさ」などと呼ばれている、ある心構えのような規則をつくることに同意しなければならなかったのである。われわれは郵便局で顔を合わせ、懇親会でも顔を合わせ、毎晩のように暖炉のそばに集まる。われわれは人が集まる所で生活し、自分勝手に振る舞い、互いに過ちを犯している。こうして、互いに敬意を失ってゆくのだと思う。すべての大切で、心の通ったコミュニケーションを行なうには、そう頻繁に会わなくても事足りる。(p.205)
人間が肉食動物である事は非難されてよいのではないだろうか?なるほど、人間は他の動物を食べることによって、その大部分の生活を維持することができ、かつ、そのようにしているが、これはみじめな生き方である。(p.318)
私は長い間、水を飲むことに慣れ親しんできたことを嬉しく思っている。私は酒など飲まず、いつもしらふでいたい。酒にはその酔い方にも段階がはてしなくある。思うに、水こそが賢い人間にとって唯一の飲み物なのだ。ワインなどはそれほど気品のある飲み物ではない。(p.320)
















