» 2008 » 12月のブログ記事

胎児の世界

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胎児の世界(三木成夫/中央公論新社)

最初、タイトルを見た時は、「胎児から、外界の音や光などの環境はどう感じられるのか」ということについて説明をした本だと思っていたのだけれど、全然違った。
もっと神秘的で、不可侵の領域に入っていく、胎児という存在そのものの不思議に分け入る本だったことを、読んで初めて知った。
人間の胎児も含めて、あらゆる生物は、発生の段階で、その種がそれまでの歴史の中でたどった「魚類→両生類→爬虫類」といった進化の歴史をひととおり繰り返すということをした後に、さらに種固有の成長をしていくらしい。
それは、ものすごく短時間の間におこなわれる出来事で、鳥の場合は、数時間のうちに気が遠くなるほど長い年月分の進化の歴史を再現していることになる。人間の場合でも、着床から30日程度経過した時点から数日の間に、進化の反復はおこなわれる。
鳥やトカゲとは異なり、人間の胎児となると、発生の過程での解剖はそう簡単ではない。そこには、神域を侵すような、畏れの感情がつきまとう。
この筆者の文章は、とても文学的で、いたるところ繊細な感傷に満ちている。特に、伊勢神宮で20年ごとにおこなわれる遷宮を生物の代謝になぞらえて語っているところは、とても面白い。その表現からは、科学者というよりも、よほど宗教家に近いような印象を受ける。
しかし、この本は、そういう筆者だからこそ書けたのだと思う。単なる実証科学的見地からは、胎児の世界というのは描写不可能なものである気がする。
【名言】
やはりヒトの胎児を見ないことには・・。これは、最初の脾臓のときからの課題であった。この課題は、当然、その胎児への墨の注入という問題にまで発展してくる。この情景はよく夢に見た。ヒトの胎児の心臓に針を差しているのだ。見物人がいて、「むごいことをする」という。この問題については、意識の片すみでつねに自問自答が繰り返されていた。できる、できない、ではない。やらなければならないのだ。いつの間にか、ヒトの胎児への注入は、このわたくしにとって宿命的な一つの義務と化していた。(p.100)
さらに二日後の36日。ここには、まさにひとつの表情をもった顔が黙ってこちらを向いている。あの夏の終わりの一日、木立の窓辺で、「ハッテリア!」と心中で叫んだあの顔だ。こうして見ると、さきの34日は、魚類から両生類にかけてのものか・・。それは、この36日のまさに未然形といえるものだ。わたくしは、この二日間に起こる顔かたちの変化に、そして、ここに現れるほとんど名状し難いほどの表情のなかに、胎児の顔のひとつのクライマックスといったものを見ずにはいられない。なんというすごい表情だろう。(p.112)
羊水を満たした、暗黒の空間のなかで繰りひろげられる胎児の世界、それは人類永遠の謎として神秘のヴェールのかなたにそっとしまっておく、そんな世界なのかもしれない。この世には見てはならぬものがある。近代の生物学は、しかし、この一線をいつもやすやすと乗り越える。自然科学の実証の精神、というより人間のもつ抑え難い好奇心が、その不文律を破ったのだ。(p.151)

The Moon And Sixpence

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The Moon And Sixpence(W.Somerset Maugham/Penguin Classics)

物語の展開が、ものすごくドラマチックな小説だと思った。
この小説のストーリーテリングの巧みさは、最初から最後まで見事だった。そもそも、「月と六ペンス」というタイトルの付け方からしてスゴい。
モームは、現代であれば名うての構成作家になるような人だったのだと思う。
自伝的小説でありながら、本人の手による記録ではなく、それを観察する「私」の視点からの描写になっていることで、とても客観的にストリックランドという人物の特異性が浮かび上がるようになっている。
「私」の考え方は、常識的で、大衆的で、大きく偏ったところがほとんどない。いわば、当時のヨーロッパの社会通念そのものを代表する立場として、ホームズを見る時のワトソンのように、純粋な観察者として存在している。
それは、「凡人」と「天才」を対比するための媒体でもある。この物語の中には様々な人が登場するけれど、ストリックランドの天才性の前では皆、強力な磁石の傍に置かれた方位磁針のように、自分自身のアイデンティティーを完全に失ってしまう。
ストリックランドは、破天荒なキャラクターではあるけれど、単純なヒールとしての役割ではなく、「荒ぶる神」のように、人格というものを超越した存在なんじゃないかと思う。
40歳を過ぎた男が、いきなり夢を追いかけて、それまでに築いたすべての生活を投げ捨てるというところは、どことなく神がかり的な感じもする。
作品の中で、タヒチに住む船長も言っていたことだけれど、これはもう、自分の意思でどうなるものでもない、天啓ともいうべき衝動なのだろうと思う。
道徳にしばられるキリスト教的価値観や、仁義礼孝忠にしばられる儒教的価値観からしたら、あり得ないストリックランドの言動も、タヒチという別天地に来てみれば、それがいかにも自然な姿として現地に馴染んでしまうところが面白い。
物語の中に現れる、人と人との結びつきも、当人の思惑や理性を完全に超えたつながりが思わぬところで発生していて、そこがこの小説で表現されている、人生の味わいなんだと思う。モームという人は、本当に、この妙味をよく理解している人なんだろうという気がする。
【名言】
“To what do I owe this honour?”
“I’ve come to see you about your wife.”
“Really. When you are a little older you will doubtless learn the advantage of minding your own business. If you will be so good as to turn your head slightly to the left, you will see the door. I wish you good-afternoon.” (10章)
“I’ve got to paint,” he repeated.
“Supposing you’re never anything more than third-rate, do you think it will have been worth while to give up everything? After all, in any other walk in life it doesn’t matter if you’re not very good; you can get along quite comfortably if you’re just adequate; but it’s different with an artist.”
“You blasted fool,” he said.
“I don’t see why, unless it’s folly to say the obvious.”
“I tell you I’ve got to paint. I can’t help myself. When a man falls into the water it doesn’t matter how he swims, well or badly: he’s got to get out or else he’ll drown.” (12章)
“Look here, if everyone acted like you, the world couldn’t go on.”
“That’s a damned silly thing to say. Everyone doesn’t want to act like me. The great majority are perfectly content to do the ordinary thing.” (14章)
“Have I ever been mistaken?” Dirk asked me. “I tell you he has genius. I’m convinced of it. In a hundred years, if you and I are remembered at all, it will be because we knew Charles Strickland.” (19章)
“Haven’t you been in love since you came to Paris?”
“I haven’t got time for that sort of nonsense. Life isn’t long enough for love and art.” (21章)
“I think you must be mad. I don’t know what has come over you.”
She shrugged her shoulders.
“Now may I go?”
“Wait one second longer.”
He looked round his studio wearily; he had loved it because her presence had made it gay and homelike; he shut his eyes for an instant; then he gave her a long look as though to impress on his mind the picture of her. (28章)
Stroeve sighed a little and was silent. His thoughts dwelt among pictures of what might have been, and the safety of the life he had refused filled him with longing.
“The world is hard and cruel. We are here none knows why, and we go none knows whither. We must be very humble. We must see the beauty of quietness.” (38章)
one fact he made clear to me; people talk of beauty lightly, and having no feeling for words, they use that one carelessly, so that it loses its force; and the thing it stands for, sharing its name with a hundred trivial objects, is deprived of dignity. They call beautiful a dress, a dog, a sermon; and when they are face to face with Beauty cannot recognise it. The false emphasis with which they try to deck their worthless thoughts blunts their susceptibilities. (39章)
I wish I could say that I recognised at once their beauty and their great originality. Now that I have seen many of them again and the rest are familiar to me in reproductions, I am astonished that at first sight I was bitterly disappointed. I felt nothing of the peculiar thrill which it is the property of art to give. The impression that Strickland’s pictures gave me was disconcerting; and the fact remains, always to reproach me, that I never even thought of buying any. I missed a wonderful chance. (42章)
the place where Strickland lived had the beauty of the Garden of Eden. Ah, I wish I could make you see the enchantment of that spot, a corner hidden away from all the world, with the blue sky overhead and the rich, luxuriant trees. It was a feast of colour. And it was fragrant and cool. Words cannot describe that paradise. And here he lived, unmindful of the world and by the world forgotten. (53章)
To these people, native and European, he was a queer fish, but they were used to queer fish, and they took him for granted; the world was full of odd persons, who did odd things; and perhaps they knew that a man is not what he wants to be, but what he must be. (54章)
It was the work of a man who had delved into the hidden depths of nature and had discovered secrets which were beautiful and fearful too. It was the work of a man who knew things which it is unholy for men to know. There was something primeval there and terrible. It was not human. It brought to his mind vague recollections of black magic. It was beautiful and obscene. (56章)

ジャック・フロスト パパは雪だるま [DVD]
ジャック・フロスト パパは雪だるま

超直球ストレートな、クリスマスファンタジー。
「ゴースト~ニューヨークの幻」を家族向けにリメイクしたようなストーリーで、思いっきりハートウォーミングな感動物語になっている。あまりにベタで、先の展開なども結構みえみえなのだけれど、このわかりやすさは観ていてかなり安心感がある。
雪だるまが動き出した時は、最初は不気味だったのだけれど、馴染んでくるにしたがってだんだん味が出てきて、カッコよく思えてくるのが不思議だ。
あまり有名な作品ではないと思うのだけれど、これは隠れた名作と言っていいんじゃないだろうか。冬休みに子どもと一緒に観たりするのには、かなり向いてる映画だと思う。

21世紀の国富論

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21世紀の国富論(原丈人/平凡社)

これまで、日本の株式市場はどんどんアメリカのやり方を取り入れてきていたけれど、なんでも真似すればいいってものじゃなかったんだということが、よくわかった。
短期間のうちにリストラやIRを使った小手先技で株価をつりあげながら、ストックオプションを行使して売り逃げる「CEOゴロ」が横行するというのは、ひどい話しだ。今の、会社の業績をROEに偏重して判断するという風潮が、産業の発展を阻害しているという意見はとても説得力があって、共感出来る。
筆者は、ベンチャーキャピタルのプロとしての視点から、かなり大きなビジョンで日本経済の行くべき先についての提言をしている。消費税や法人税を引き下げて、個人の資金から投資に金が流れるようにする、などというのは、選挙前の政治家が唱えればただの理想論だけれど、この原丈人氏の場合は、きちんとその背後にある問題点や改善策まで含めた上で語っているので、本当に現実味がある。
特に会社経営については、MBAやアメリカ流のビジネススクールの論理をありがたがって、アメリカ式はいいものだという空気がなんとなく流れているけれど、それに真っ向から反論をして、それに替わるべき進み先をロジカルに提示出来る人というのは、とても貴重だと思う。かなりわかりやすく、タメになる本だった。
【名言】
ネットバブルの崩壊後、世界中で多くの人々が願っているのは、コンピュータを中心としたIT産業が再びリーディング産業として復活することでしょう。しかし、私はその可能性はかぎりなく低いと考えています。
今、世界経済にとって大切なことは、このITバブル崩壊をもたらした背景にある資本主義の構造や、産業の質的な変換の意味を知ることです。(p.27)
短期的に株価を上げることが上手な経営者は一般にリストラ、資産圧縮などによるROEの改善やIRが上手なタイプであって、彼らだけが短期間にストックオプションを行使し、巨額のリターンを手にできるのです。これでは、従業員もやる気を失います。日本ではストックオプションの長所ばかりが紹介されがちですが、企業の没落を加速する最大要因になるという悪い側面も認識すべきでしょう。(p.64)
中長期にわたる経営を考える上で大切な意味をもつ内部留保が「モノ言う株主」にとってどうでもよいのは、彼らが本当の意味での企業価値などは考慮していないからです。「企業価値の最大化」という主張は隠れみのにすぎず、実際は短期の売り抜けが最大の目的です。(p.72)
大きなコア技術としては、19世紀に「動力革命」といわれた内燃機関(エンジン)があります。この発明は、コア発明の典型です。エンジンの発明は、機関車をはじめ自動車、船舶、飛行機などの分野で新しいアプリケーション・テクノロジーの開発を促しました。そして、自動車やディーゼル機関車、双発機などの新しい乗り物の登場が、物流やインフラ、そしてサービス業にまで発展していったのです。(p.115)
「先進国」のなかで所得税、法人税、住民税などがもっとも低く、しかも豊かな国。それは決して政治家が口だけで約束する「絵に描いた餅」ではありません。そのためにやらなければならないこと、その道筋ははっきりと見えているのです。(p.250)

ダークナイト

| 映画 |

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前作を観ていないためか、ストーリーの細かい部分はよく理解出来なかったのだけれど、かなり綿密に作りこまれた、真っ向勝負の正統派映画だと思った。このダークな世界観も硬派だし、アクションのスピード感も相当いい。2時間半とかなり長い映画なのだけれど、その間、中だるみがほとんどない。
なんといっても、ド派手な敵役の「ジョーカー」の圧倒的な存在感が大きい。ディオに匹敵する、衝撃的なまでにイカれたヒールで、ジョーカーに比べたら、バットマンなんか影が薄くて、いったいどっちが主役なんだかわからないぐらいのインパクトだ。悪役も、これぐらい極端だといっそ魅力的に思えてくる。
この映画が素晴らしいのは、善対悪という単純な二項対立の関係だけでは語れない奥行きを持たせているところだ。バットマンもジョーカーも、どちらが善でどちらが悪ともはっきりと言い切れない余地を残している。そして、善悪両方の矛盾を同時に内に抱えるキャラクターまでも登場する混沌さ。アメコミのマンガは、勧善懲悪のシンプルなストーリーしかないんだと思っていたけど、これは予想を遥かに超える物語の深さだった。

ZED

| 舞台・アート |

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やっぱり、シルク・ドゥ・ソレイユはとんでもなくスゴい集団だと思った。ここまでエンターテイメントに徹している舞台芸術というのは、他に見たことがない。
パフォーマンス自体の技術も当然のように高いのだけれど、それに加えて、開演前から終演まで、間断なく何らかの仕掛けが回り続けて、決して飽きさせないようになっている構成そのものが芸術的な出来栄えだと思った。
5年前に観た「キダム」とはちょっと趣向が変わっていて、「キダム」はかなりオリジナルな世界観がベースになっていて、内容的にもアッと驚くような演目があったのだけれど、この「ZED」は、一般に馴染みが深いジャグリングや綱渡り、空中ブランコのような演目が中心になっていて、よりサーカスらしい作りになっていると思った。
特に好きだった演目は、組体操のように人の上に人が立ったり、人の手をトランポリンのようにして跳ねる「バンキン」と、一本のロープの上ですれ違ったりバク宙したりする「綱渡り」だった。
綱渡りのところでだけ、パフォーマーに命綱が付いていたので、何でだろうと思っていたら、観客の真上を通過する時だけは、観客に危険が及ぶ可能性があるので、ヒモを付けているようなのだった。同じ理由で、綱渡りで使うバランスを取るための棒にも、もし落ちた時にどこに飛ぶかわからないので、ヒモが付いていた。
それ以外のところでは、どんなに危険な場面でもセーフティーネットは用意されていない。サーカスだからそういうものなのだろうけれど、あの、危険と隣り合わせのパフォーマンスをリアルタイムに演じているというのは、観ている自分までがやたらと緊張する。これだけは、映画では実現出来ない、ステージのみが持つ臨場感だろうと思う。
ピエロがしゃべっている、英語でもフランス語でもない言葉は、いったい何語なんだろうと思っていたら、地球上の言語ではないのだという。クリンゴン語やゼビ語のような、完全オリジナルの言語であるらしい。
ステージ上のところどころに表れる文字も、「ZED字」とでもいうべき創作文字。一つのステージのために、ここまでゼロから世界を創り上げるというのは、途方もないこだわりだと思う。
演奏が生演奏だから出来ることなのだろうけれど、たとえ多少のミスがあってリズムがズレたとしても、最終的にぴったり動きと音楽が重なるように調整されるというのは見事だと思った。
「ZED」の曲は、パーカッションを多用した打楽器のリズムがメインで、とてもノリが良いアッパー系の曲が多い。空中ブランコでは、パフォーマーたち自身が奇声をあげてやたらテンションが高いのが笑えた。そういうところも含めて、演目が進むにつれて観客も参加しているという一体感を感じられる、素晴らしい雰囲気作りだった。

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愛は束縛(フランソワーズ・サガン/新潮社)

せつなくも、退廃的な美しさがある小説だった。
結婚してから7年間ヒモとして養われているヴァンサンも、相手を思うとおりにがんじがらめにしないと気が済まないローランスも、どちらも極端な人たちだ。
お互い、もう少し上手いやりようがあるだろうと思うけれど、あまりに不器用なコミュニケーションしか出来ない二人であるために、ひたすら自壊の道へと突き進んでしまう。このすれ違いっぷりは、とにかく、せつないとしか言い様がない。
この哀しさにもかかわらず、まったく暗い印象がないのは、登場人物たちの華やかな生活によるところが大きいと思う。広々としたフラット、華やかなカフェ、ロンシャン競馬場、などの舞台のきらびやかさともあいまって、彼らの逸脱具合が、世俗とは切り離された世界の出来事のような感じがしてくる。スタインウェイのグランドピアノや、スポーツカーといった小道具までもが、どれもこれもステージの演出に一役買っている。
「愛は束縛」というのはかなりそのままなタイトルだけれど、たしかに、この物語を表現するにはこれ以外にない言葉だろうと思う。
【名言】
ぼくはこういうローランスの姿を見るのが好きだ。自由で、声までもが自由に響いて、不意に通俗的な感じさえする顔になって、我を忘れて怒っていて。また、シニカルで、短気で、自然で、冷淡になっている彼女を見るのもとても好きだ。だが彼女自身は逆に、そう見られまい、そう思われまい、と努めているのである。ローランスは、絶対的で、物質的ではなく超然として、知的で学識も豊かで、夢見がちでナイーブな心の女性になろうとし、また、周囲からもそう見られたいと願っていた。つまり、彼女が描きたがっている自画像も、他人の目に映る彼女の姿も、実際のローランスとは全く逆の性質なのである。そしてぼくはそこにこそ、人類共通の一つの大きな不幸が隠されているように思えてならない。それは自己を拒絶してしまう不幸である。本来の自分とは逆のものを求める情熱が、注意深く隠蔽されながらもたぎり続ける不幸である。(p.78)
「ヴァンサン、私を見て、お願い!」
ローランスは両手でぼくの顔をはさみ、自分の顔に近づけた。顔は噛みつきかかれるほど間近に迫り、ぼくは超人的な努力をしてその距離をこらえていた。ローランスはぼくを欺こうとしている。これは偽りの誠意だ、偽りの真心だ。二人の視線はこれほど間近にありながら、実際は遠く離れてしまっているのだ。(p.117)
ああ、七年の間ここで、ぼくは結局孤独だった。孤独。そう、あまりに孤独だ!二人でいながら、分かち合う笑いもなく、同じような思いを抱くこともなく、共に発したのは快楽の叫びだけ、そしてそれさえも、決して同時であったことはなかった・・。(p.142)
この世に騎手のジョッキー・ジャケットとカジノのコインの色ほど鮮明で率直なものはなく、戸外の競馬場とたばこの煙の立ち込める賭博場ほど波瀾に富んだ場所はなく、サラブレッドの歩みと百万フラン分のコインほど軽やかなものはない。そして、人の勝利、もしくは破滅を宣告するのに、伏せて置かれた二枚のカードほど、品位あるものはない。ぼくは急に賭けをしてみたくなった。それは先ほど急にあのヴィヴィアンに欲望を感じたのと同じように、抑え切れないどうしようもない気持ちだった。(p.190)
ぼくに何がわかっている?人生の何を知っている?何も知りはしない。わかっていたはずのことがますます減ってゆく。わからないことばかりがますます増えてゆく。人生の何もかもがぼやけて、厭わしく、ばかばかしい。何もかもがだるい。ぼくの願いは今やただ一つだけだった。眠ること。アスピリンを飲んで眠ること・・なのに人は、よってたかって人生を変えろとぼくに迫る。(p.201)

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夕暮れ時の、陽が沈む直前の数分間というのは、一番景色が美しく見える瞬間だと思う。
しかし、毎日それが見れるというわけではなく、天候も、ロケーションも、空気の状態も、光線の射し方も万全の条件が重なった時にだけ、信じられないほど荘厳な景色が現れる。
黄昏という言葉は、暗くなりはじめて、他の人の顔が見えなくなった時分に「誰ぞ彼(たぞかれ)?」とつぶやいたところから生まれたのだという。
日没の刻には、普段見えていたものが見えなくなり、見えなかったものが見えるようで、見慣れた街でもまったく姿を変えてしまう。
現世と幽界の距離が最も近づく「逢魔が時」の中にいると、その瞬間だけは時間が止まっているような気持になる。
上の写真は、初台の村田マンションの屋上から撮った。
夕暮れからも雑居ビルからも、同じ種類のノスタルジーを感じる。
東京の夕暮れは、自分にとっては世界で一番、心を揺さぶる景色だ。


ミュータント・メッセージ(マルロ・モーガン/角川書店)

最近、「自分の前に現れた流れに従う」というテーマについて考えることが多かったのだけれど、それと照らし合わせて、この、「ミュータント・メッセージ」に登場する女性のように、突然訪れた流れに乗ることが自分には出来るのだろうかと考えてみた。これは、相当に難しい。
文明生活を50年もの間過ごしてきたアメリカ人女性が、オーストラリアでアボリジニの土着部族の招待を受けた瞬間から、持ち物のすべてを燃やされて、着のみ着のまま裸足で120日間も熱暑の砂漠を横断することになる。水もないし、食べ物もない。朝起きて、一日を生き延びられるかどうかは、その日に、食糧となるヘビや水が自分たちの前に現れてくれるかどうかにかかっている。
イスラム教でいうところの神の思し召し(インシュアラー)に完全に身を委ねたような状態で、過酷な環境で生活をする人々は、自然にこういう、生き死には自分の手におえる問題ではないという思想が身に付くんだろうという気がする。
何も持っていなくても、その日必要なものは必ずその日に与えられると、アボリジニの人は信じている。でも、これは、「所有する文化」に育った身であってみれば、かなりハードルの高い思考の切り替えだろう。
「フィクションのような形式をとったノンフィクション」という記載が本文の中にあるけれど、その実、「ノンフィクションのような形式をとったフィクション」であるような感じもして、結局、裏の裏の裏を読んでいけば、真偽のほどはよくわからない。
でも、たとえこの物語がただのお伽噺であったとしても、そこに含まれるメッセージの価値は失われないだろうと思う。結局、同じ場面で自分だったらどうするかという問題提起を読者が突きつけられることには変わりはない。この本が与えてくれた問題は、かなり切実な内容だった。
それは、自分が持っていたものや、積み上げてきたものをすべて捨てて、ゼロからやり直す根性があるか、という問いなのだ。なにしろ、この主人公の女性は50歳で、何の心の準備も出来ていない状態から異世界へと旅立った。それが、砂漠を横断するうちに何度も皮膚がめくれて、水の存在を感知出来るようになり、白髪の後から黒い髪が生えてきたという。
旅の途中にこのアメリカ人女性が出くわす葛藤と、それを乗り越える過程は、読んでいて共感出来るところが多く、アボリジニから出される同じ課題を疑似体験したような気持ちになった。
【名言】
私は一夜の眠りで体力が復活すること、数滴の水で渇きが癒されること、甘みから苦みまであらゆる味を感じることを心から感謝するようになった。今までの私は仕事の保障やインフレにたいする防護手段、不動産の購入や老後のための貯金などを意識して生きてきた。ここでの私たちの保証といえば永遠にくり返される夜明けから日没までのサイクルしかない。私の基準から見てもっとも不安定な人種に癌やストレスや心臓病がまるでないことは驚きだった。(p.74)
「年をとることを祝わないとしたら、なにを祝うの?」私は言った。
「よくなることに」という答えが返ってきた。「去年より今年のほうがさらに賢くていい人間になったら、それを祝うんだ。それは自分だけしか知らないことだから、自分でパーティの時期がきたとみんなに告げるんだ。」(p.98)
すべるように動く蛇は、なんども脱皮をくり返すことが教えになる。7つのとき信じたことを37歳でもまだ信じるとしたら人生から得るものは少ない。古い考え方や習慣や意見はむろん、ときには仲間でさえも脱ぎ捨てることが必要だ。捨てることは人間にとって非常にむずかしいレッスンでもある。(p.122)
人生は一回ではなく何度も生きられること、すでにひとつのドアが閉じられたことを教えられた。今まで周りにいた人々や住んでいた場所、過去の価値観や信念にはもうとどまれない時期がきたことを教えられた。自分の魂の成長のために私はそっとドアを閉じて新しい場所に入ったのだ。(p.140)
「わたしはあなたとの友情を大切にするよ。平和な心で行きなさい、われわれの考え方で身を守るように」考えてからこう言いそえたとき、彼の目がきらりと光ったような気がした。「われわれはまた会うだろう、つぎは厄介な人間の体なしでな」(p.211)

経験を盗め

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経験を盗め(糸井重里/中央公論新社)

全部で18種類のテーマについて、そのテーマについての専門家を二人呼び、糸井重里氏が進行役として、三人であれこれと語り合うという形式の鼎談集。
語り手がその道の非常なプロでありながら、聞き手が素人という立場から進行していくので、話しの内容が非常にわかりやすくなって、とても柔らかく解きほぐされた状態で読者に提供されるという塩梅になっている。
しかも、一人は学者的に体系立てて語れる人で、もう一人は、そのジャンルと微妙にかぶっている程度の、また別の角度からの視点、という組合せになっている対談が多くて、その絡み合わせ方も面白かった。
そのテーマは雑多でバラエティーに富んでいて、一冊の本の中にこれだけ様々なジャンルが詰め込まれている本というのも珍しいと思う。
特に好きだったテーマは、「旅のお話」と「墓のお話」と「祭りのお話」。
テレビによく出ているような、いわゆるタレント的な著名人を呼んでいるわけではなく、本当に、その道について一家言ある地道なプロに話しを聞いているという、この企画が素晴らしい。
本のタイトルにあるように、そこで語られている内容や思想が、そのまま自分自身の経験となるような、密度の濃い話しが多かった。
【名言】
僕は砂漠のど真ん中やジャングルの中にひとりでいるとき、何がいちばん怖いかといったら、夜、何かコソッと物音がして、もしかしたらそれは人間ではないかと思うときなんです。人は人を頼って生きている。と同時に人がいちばん恐ろしい。これが人間ってものなんですね。(西江雅之)(p.43)
よく外国のナントカ村というものを紹介した本があって、読むとおもしろかったりするでしょう。だけど僕が子どもの頃に気づいたのは、その村がおもしろいんじゃなくて、じつは書いた人がおもしろいんだと。その人はナントカ村をおもしろがれる力があるんです。そう考えると、世界中どこでもおもしろい。(西江雅之)(p.44)
子どもがたくさんものを記憶しているように見えるのは、白紙の状態に墨を落とすようなものだからです。大人はすでに墨だらけのところに墨を落とすので、実際には、同じ量の情報が入ってきているのだと思いますよ。(池谷裕二)(p.61)
あるとき、女の子からこんな電話がありました。「金魚が死んだけど、お母さんが箸でつまんでポリバケツに捨てなさいって」と言ったきり、ずっと黙ってる。聞くと、毎朝起きたらすぐに水槽に見にいっていた金魚が、その朝死んでいた。お母さんは朝の支度で忙しいし、死んだ生魚の処理としては、生ゴミと一緒に捨てるのが適切だと思ったんでしょう。お母さんに悪気はなかったと思うんです。ところが子どもは、死んじゃった金魚がかわいそうなんだ、すごく悲しい。
その子は金魚を捨てることもできず、悶々として夕方の四時まで待って、電話してきたんです。それで、「きみは宝物を入れるような小さい箱を持ってないかい?」その箱に白い脱脂綿を敷いて金魚を寝かし、箱を公園の片隅にでも埋めてやるといいよ」と言ったら、その子は、「わかった」と答えたかと思うと、すぐにガチャンと電話を切っちゃった。僕は「ありがとう」なんていう言葉はどうでもいい。今やれることが決まって、その子は多分、急いで箱を探しにいったんだと思う。そして、これであの金魚をポリバケツに捨てなくてすむんだと、すごくほっとしたんじゃないかな。(杉浦宏)(p.97)
シングルに対応するものはダブルじゃなくて、世間並みの結婚というやつでね。自分たちの結婚をすればいいんだけど、みんな、それができないから世間並みのノウハウに合わせて、自分たちの結婚じゃないものをしてるわけでさ。それは単なる能なしだよ。結婚ってさ、好きな人と生活することでしょう。だけど、相手のことをあまり好きじゃないまま、見切り発車みたいに結婚しちゃった、というパターンが多いんだろうな。(橋本治)(p.169)
古本屋のオヤジは無愛想だっていわれるでしょう。あれ、話しかけちゃイカンのです。学校の先生がやわらかい本を帳場に出したとき、「いい本をお読みで」なんて声をかけると、お客さんは立場ないですから。(出久根達郎)(p.223)
ピーコさんとごはんを食べに行ったら、「これ、ソースいらないから、ちょっと替えてきて」とか、店の人にいろいろ注文つけるの。そして、「ゴメンなさいね、あたし、オカマだから」(笑)。もう利用しまくって、ありゃ無敵ですよ。(糸井重里)(p.258)
まあともかく、祭りというのは、そんなことやっていいんかというのと隣り合わせのものじゃないとダメですね。(糸井重里)(p.330)

水晶堂について