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2008年12月31日
胎児の世界
最初、タイトルを見た時は、「胎児から、外界の音や光などの環境はどう感じられるのか」ということについて説明をした本だと思っていたのだけれど、全然違った。
もっと神秘的で、不可侵の領域に入っていく、胎児という存在そのものの不思議に分け入る本だったことを、読んで初めて知った。
人間の胎児も含めて、あらゆる生物は、発生の段階で、その種がそれまでの歴史の中でたどった「魚類→両生類→爬虫類」といった進化の歴史をひととおり繰り返すということをした後に、さらに種固有の成長をしていくらしい。
それは、ものすごく短時間の間におこなわれる出来事で、鳥の場合は、数時間のうちに気が遠くなるほど長い年月分の進化の歴史を再現していることになる。人間の場合でも、着床から30日程度経過した時点から数日の間に、進化の反復はおこなわれる。
鳥やトカゲとは異なり、人間の胎児となると、発生の過程での解剖はそう簡単ではない。そこには、神域を侵すような、畏れの感情がつきまとう。
この筆者の文章は、とても文学的で、いたるところ繊細な感傷に満ちている。特に、伊勢神宮で20年ごとにおこなわれる遷宮を生物の代謝になぞらえて語っているところは、とても面白い。その表現からは、科学者というよりも、よほど宗教家に近いような印象を受ける。
しかし、この本は、そういう筆者だからこそ書けたのだと思う。単なる実証科学的見地からは、胎児の世界というのは描写不可能なものである気がする。
【名言】
やはりヒトの胎児を見ないことには・・。これは、最初の脾臓のときからの課題であった。この課題は、当然、その胎児への墨の注入という問題にまで発展してくる。この情景はよく夢に見た。ヒトの胎児の心臓に針を差しているのだ。見物人がいて、「むごいことをする」という。この問題については、意識の片すみでつねに自問自答が繰り返されていた。できる、できない、ではない。やらなければならないのだ。いつの間にか、ヒトの胎児への注入は、このわたくしにとって宿命的な一つの義務と化していた。(p.100)
さらに二日後の36日。ここには、まさにひとつの表情をもった顔が黙ってこちらを向いている。あの夏の終わりの一日、木立の窓辺で、「ハッテリア!」と心中で叫んだあの顔だ。こうして見ると、さきの34日は、魚類から両生類にかけてのものか・・。それは、この36日のまさに未然形といえるものだ。わたくしは、この二日間に起こる顔かたちの変化に、そして、ここに現れるほとんど名状し難いほどの表情のなかに、胎児の顔のひとつのクライマックスといったものを見ずにはいられない。なんというすごい表情だろう。(p.112)
羊水を満たした、暗黒の空間のなかで繰りひろげられる胎児の世界、それは人類永遠の謎として神秘のヴェールのかなたにそっとしまっておく、そんな世界なのかもしれない。この世には見てはならぬものがある。近代の生物学は、しかし、この一線をいつもやすやすと乗り越える。自然科学の実証の精神、というより人間のもつ抑え難い好奇心が、その不文律を破ったのだ。(p.151)
2008年12月30日
The Moon And Sixpence

The Moon And Sixpence(W.Somerset Maugham/Penguin Classics)
物語の展開が、ものすごくドラマチックな小説だと思った。
この小説のストーリーテリングの巧みさは、最初から最後まで見事だった。そもそも、「月と六ペンス」というタイトルの付け方からしてスゴい。
モームは、現代であれば名うての構成作家になるような人だったのだと思う。
自伝的小説でありながら、本人の手による記録ではなく、それを観察する「私」の視点からの描写になっていることで、とても客観的にストリックランドという人物の特異性が浮かび上がるようになっている。
「私」の考え方は、常識的で、大衆的で、大きく偏ったところがほとんどない。いわば、当時のヨーロッパの社会通念そのものを代表する立場として、ホームズを見る時のワトソンのように、純粋な観察者として存在している。
それは、「凡人」と「天才」を対比するための媒体でもある。この物語の中には様々な人が登場するけれど、ストリックランドの天才性の前では皆、強力な磁石の傍に置かれた方位磁針のように、自分自身のアイデンティティーを完全に失ってしまう。
ストリックランドは、破天荒なキャラクターではあるけれど、単純なヒールとしての役割ではなく、「荒ぶる神」のように、人格というものを超越した存在なんじゃないかと思う。
40歳を過ぎた男が、いきなり夢を追いかけて、それまでに築いたすべての生活を投げ捨てるというところは、どことなく神がかり的な感じもする。
作品の中で、タヒチに住む船長も言っていたことだけれど、これはもう、自分の意思でどうなるものでもない、天啓ともいうべき衝動なのだろうと思う。
道徳にしばられるキリスト教的価値観や、仁義礼孝忠にしばられる儒教的価値観からしたら、あり得ないストリックランドの言動も、タヒチという別天地に来てみれば、それがいかにも自然な姿として現地に馴染んでしまうところが面白い。
物語の中に現れる、人と人との結びつきも、当人の思惑や理性を完全に超えたつながりが思わぬところで発生していて、そこがこの小説で表現されている、人生の味わいなんだと思う。モームという人は、本当に、この妙味をよく理解している人なんだろうという気がする。
【名言】
"To what do I owe this honour?"
"I've come to see you about your wife."
"Really. When you are a little older you will doubtless learn the advantage of minding your own business. If you will be so good as to turn your head slightly to the left, you will see the door. I wish you good-afternoon." (10章)
"I've got to paint," he repeated.
"Supposing you're never anything more than third-rate, do you think it will have been worth while to give up everything? After all, in any other walk in life it doesn't matter if you're not very good; you can get along quite comfortably if you're just adequate; but it's different with an artist."
"You blasted fool," he said.
"I don't see why, unless it's folly to say the obvious."
"I tell you I've got to paint. I can't help myself. When a man falls into the water it doesn't matter how he swims, well or badly: he's got to get out or else he'll drown." (12章)
"Look here, if everyone acted like you, the world couldn't go on."
"That's a damned silly thing to say. Everyone doesn't want to act like me. The great majority are perfectly content to do the ordinary thing." (14章)
"Have I ever been mistaken?" Dirk asked me. "I tell you he has genius. I'm convinced of it. In a hundred years, if you and I are remembered at all, it will be because we knew Charles Strickland." (19章)
"Haven't you been in love since you came to Paris?"
"I haven't got time for that sort of nonsense. Life isn't long enough for love and art." (21章)
"I think you must be mad. I don't know what has come over you."
She shrugged her shoulders.
"Now may I go?"
"Wait one second longer."
He looked round his studio wearily; he had loved it because her presence had made it gay and homelike; he shut his eyes for an instant; then he gave her a long look as though to impress on his mind the picture of her. (28章)
Stroeve sighed a little and was silent. His thoughts dwelt among pictures of what might have been, and the safety of the life he had refused filled him with longing.
"The world is hard and cruel. We are here none knows why, and we go none knows whither. We must be very humble. We must see the beauty of quietness." (38章)
one fact he made clear to me; people talk of beauty lightly, and having no feeling for words, they use that one carelessly, so that it loses its force; and the thing it stands for, sharing its name with a hundred trivial objects, is deprived of dignity. They call beautiful a dress, a dog, a sermon; and when they are face to face with Beauty cannot recognise it. The false emphasis with which they try to deck their worthless thoughts blunts their susceptibilities. (39章)
I wish I could say that I recognised at once their beauty and their great originality. Now that I have seen many of them again and the rest are familiar to me in reproductions, I am astonished that at first sight I was bitterly disappointed. I felt nothing of the peculiar thrill which it is the property of art to give. The impression that Strickland's pictures gave me was disconcerting; and the fact remains, always to reproach me, that I never even thought of buying any. I missed a wonderful chance. (42章)
the place where Strickland lived had the beauty of the Garden of Eden. Ah, I wish I could make you see the enchantment of that spot, a corner hidden away from all the world, with the blue sky overhead and the rich, luxuriant trees. It was a feast of colour. And it was fragrant and cool. Words cannot describe that paradise. And here he lived, unmindful of the world and by the world forgotten. (53章)
To these people, native and European, he was a queer fish, but they were used to queer fish, and they took him for granted; the world was full of odd persons, who did odd things; and perhaps they knew that a man is not what he wants to be, but what he must be. (54章)
It was the work of a man who had delved into the hidden depths of nature and had discovered secrets which were beautiful and fearful too. It was the work of a man who knew things which it is unholy for men to know. There was something primeval there and terrible. It was not human. It brought to his mind vague recollections of black magic. It was beautiful and obscene. (56章)
2008年12月29日
ジャック・フロスト
超直球ストレートな、クリスマスファンタジー。
「ゴースト~ニューヨークの幻」を家族向けにリメイクしたようなストーリーで、思いっきりハートウォーミングな感動物語になっている。あまりにベタで、先の展開なども結構みえみえなのだけれど、このわかりやすさは観ていてかなり安心感がある。
雪だるまが動き出した時は、最初は不気味だったのだけれど、馴染んでくるにしたがってだんだん味が出てきて、カッコよく思えてくるのが不思議だ。
あまり有名な作品ではないと思うのだけれど、これは隠れた名作と言っていいんじゃないだろうか。冬休みに子どもと一緒に観たりするのには、かなり向いてる映画だと思う。
2008年12月28日
21世紀の国富論
これまで、日本の株式市場はどんどんアメリカのやり方を取り入れてきていたけれど、なんでも真似すればいいってものじゃなかったんだということが、よくわかった。
短期間のうちにリストラやIRを使った小手先技で株価をつりあげながら、ストックオプションを行使して売り逃げる「CEOゴロ」が横行するというのは、ひどい話しだ。今の、会社の業績をROEに偏重して判断するという風潮が、産業の発展を阻害しているという意見はとても説得力があって、共感出来る。
筆者は、ベンチャーキャピタルのプロとしての視点から、かなり大きなビジョンで日本経済の行くべき先についての提言をしている。消費税や法人税を引き下げて、個人の資金から投資に金が流れるようにする、などというのは、選挙前の政治家が唱えればただの理想論だけれど、この原丈人氏の場合は、きちんとその背後にある問題点や改善策まで含めた上で語っているので、本当に現実味がある。
特に会社経営については、MBAやアメリカ流のビジネススクールの論理をありがたがって、アメリカ式はいいものだという空気がなんとなく流れているけれど、それに真っ向から反論をして、それに替わるべき進み先をロジカルに提示出来る人というのは、とても貴重だと思う。かなりわかりやすく、タメになる本だった。
【名言】
ネットバブルの崩壊後、世界中で多くの人々が願っているのは、コンピュータを中心としたIT産業が再びリーディング産業として復活することでしょう。しかし、私はその可能性はかぎりなく低いと考えています。
今、世界経済にとって大切なことは、このITバブル崩壊をもたらした背景にある資本主義の構造や、産業の質的な変換の意味を知ることです。(p.27)
短期的に株価を上げることが上手な経営者は一般にリストラ、資産圧縮などによるROEの改善やIRが上手なタイプであって、彼らだけが短期間にストックオプションを行使し、巨額のリターンを手にできるのです。これでは、従業員もやる気を失います。日本ではストックオプションの長所ばかりが紹介されがちですが、企業の没落を加速する最大要因になるという悪い側面も認識すべきでしょう。(p.64)
中長期にわたる経営を考える上で大切な意味をもつ内部留保が「モノ言う株主」にとってどうでもよいのは、彼らが本当の意味での企業価値などは考慮していないからです。「企業価値の最大化」という主張は隠れみのにすぎず、実際は短期の売り抜けが最大の目的です。(p.72)
大きなコア技術としては、19世紀に「動力革命」といわれた内燃機関(エンジン)があります。この発明は、コア発明の典型です。エンジンの発明は、機関車をはじめ自動車、船舶、飛行機などの分野で新しいアプリケーション・テクノロジーの開発を促しました。そして、自動車やディーゼル機関車、双発機などの新しい乗り物の登場が、物流やインフラ、そしてサービス業にまで発展していったのです。(p.115)
「先進国」のなかで所得税、法人税、住民税などがもっとも低く、しかも豊かな国。それは決して政治家が口だけで約束する「絵に描いた餅」ではありません。そのためにやらなければならないこと、その道筋ははっきりと見えているのです。(p.250)
2008年12月27日
ダークナイト
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前作を観ていないためか、ストーリーの細かい部分はよく理解出来なかったのだけれど、かなり綿密に作りこまれた、真っ向勝負の正統派映画だと思った。このダークな世界観も硬派だし、アクションのスピード感も相当いい。2時間半とかなり長い映画なのだけれど、その間、中だるみがほとんどない。
なんといっても、ド派手な敵役の「ジョーカー」の圧倒的な存在感が大きい。ディオに匹敵する、衝撃的なまでにイカれたヒールで、ジョーカーに比べたら、バットマンなんか影が薄くて、いったいどっちが主役なんだかわからないぐらいのインパクトだ。悪役も、これぐらい極端だといっそ魅力的に思えてくる。
この映画が素晴らしいのは、善対悪という単純な二項対立の関係だけでは語れない奥行きを持たせているところだ。バットマンもジョーカーも、どちらが善でどちらが悪ともはっきりと言い切れない余地を残している。そして、善悪両方の矛盾を同時に内に抱えるキャラクターまでも登場する混沌さ。アメコミのマンガは、勧善懲悪のシンプルなストーリーしかないんだと思っていたけど、これは予想を遥かに超える物語の深さだった。
2008年12月26日
ZED
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やっぱり、シルク・ドゥ・ソレイユはとんでもなくスゴい集団だと思った。ここまでエンターテイメントに徹している舞台芸術というのは、他に見たことがない。
パフォーマンス自体の技術も当然のように高いのだけれど、それに加えて、開演前から終演まで、間断なく何らかの仕掛けが回り続けて、決して飽きさせないようになっている構成そのものが芸術的な出来栄えだと思った。
5年前に観た「キダム」とはちょっと趣向が変わっていて、「キダム」はかなりオリジナルな世界観がベースになっていて、内容的にもアッと驚くような演目があったのだけれど、この「ZED」は、一般に馴染みが深いジャグリングや綱渡り、空中ブランコのような演目が中心になっていて、よりサーカスらしい作りになっていると思った。
特に好きだった演目は、組体操のように人の上に人が立ったり、人の手をトランポリンのようにして跳ねる「バンキン」と、一本のロープの上ですれ違ったりバク宙したりする「綱渡り」だった。
綱渡りのところでだけ、パフォーマーに命綱が付いていたので、何でだろうと思っていたら、観客の真上を通過する時だけは、観客に危険が及ぶ可能性があるので、ヒモを付けているようなのだった。同じ理由で、綱渡りで使うバランスを取るための棒にも、もし落ちた時にどこに飛ぶかわからないので、ヒモが付いていた。
それ以外のところでは、どんなに危険な場面でもセーフティーネットは用意されていない。サーカスだからそういうものなのだろうけれど、あの、危険と隣り合わせのパフォーマンスをリアルタイムに演じているというのは、観ている自分までがやたらと緊張する。これだけは、映画では実現出来ない、ステージのみが持つ臨場感だろうと思う。
ピエロがしゃべっている、英語でもフランス語でもない言葉は、いったい何語なんだろうと思っていたら、地球上の言語ではないのだという。クリンゴン語やゼビ語のような、完全オリジナルの言語であるらしい。
ステージ上のところどころに表れる文字も、「ZED字」とでもいうべき創作文字。一つのステージのために、ここまでゼロから世界を創り上げるというのは、途方もないこだわりだと思う。
演奏が生演奏だから出来ることなのだろうけれど、たとえ多少のミスがあってリズムがズレたとしても、最終的にぴったり動きと音楽が重なるように調整されるというのは見事だと思った。
「ZED」の曲は、パーカッションを多用した打楽器のリズムがメインで、とてもノリが良いアッパー系の曲が多い。空中ブランコでは、パフォーマーたち自身が奇声をあげてやたらテンションが高いのが笑えた。そういうところも含めて、演目が進むにつれて観客も参加しているという一体感を感じられる、素晴らしい雰囲気作りだった。
2008年12月25日
愛は束縛(サガン)
せつなくも、退廃的な美しさがある小説だった。
結婚してから7年間ヒモとして養われているヴァンサンも、相手を思うとおりにがんじがらめにしないと気が済まないローランスも、どちらも極端な人たちだ。
お互い、もう少し上手いやりようがあるだろうと思うけれど、あまりに不器用なコミュニケーションしか出来ない二人であるために、ひたすら自壊の道へと突き進んでしまう。このすれ違いっぷりは、とにかく、せつないとしか言い様がない。
この哀しさにもかかわらず、まったく暗い印象がないのは、登場人物たちの華やかな生活によるところが大きいと思う。広々としたフラット、華やかなカフェ、ロンシャン競馬場、などの舞台のきらびやかさともあいまって、彼らの逸脱具合が、世俗とは切り離された世界の出来事のような感じがしてくる。スタインウェイのグランドピアノや、スポーツカーといった小道具までもが、どれもこれもステージの演出に一役買っている。
「愛は束縛」というのはかなりそのままなタイトルだけれど、たしかに、この物語を表現するにはこれ以外にない言葉だろうと思う。
【名言】
ぼくはこういうローランスの姿を見るのが好きだ。自由で、声までもが自由に響いて、不意に通俗的な感じさえする顔になって、我を忘れて怒っていて。また、シニカルで、短気で、自然で、冷淡になっている彼女を見るのもとても好きだ。だが彼女自身は逆に、そう見られまい、そう思われまい、と努めているのである。ローランスは、絶対的で、物質的ではなく超然として、知的で学識も豊かで、夢見がちでナイーブな心の女性になろうとし、また、周囲からもそう見られたいと願っていた。つまり、彼女が描きたがっている自画像も、他人の目に映る彼女の姿も、実際のローランスとは全く逆の性質なのである。そしてぼくはそこにこそ、人類共通の一つの大きな不幸が隠されているように思えてならない。それは自己を拒絶してしまう不幸である。本来の自分とは逆のものを求める情熱が、注意深く隠蔽されながらもたぎり続ける不幸である。(p.78)
「ヴァンサン、私を見て、お願い!」
ローランスは両手でぼくの顔をはさみ、自分の顔に近づけた。顔は噛みつきかかれるほど間近に迫り、ぼくは超人的な努力をしてその距離をこらえていた。ローランスはぼくを欺こうとしている。これは偽りの誠意だ、偽りの真心だ。二人の視線はこれほど間近にありながら、実際は遠く離れてしまっているのだ。(p.117)
ああ、七年の間ここで、ぼくは結局孤独だった。孤独。そう、あまりに孤独だ!二人でいながら、分かち合う笑いもなく、同じような思いを抱くこともなく、共に発したのは快楽の叫びだけ、そしてそれさえも、決して同時であったことはなかった・・。(p.142)
この世に騎手のジョッキー・ジャケットとカジノのコインの色ほど鮮明で率直なものはなく、戸外の競馬場とたばこの煙の立ち込める賭博場ほど波瀾に富んだ場所はなく、サラブレッドの歩みと百万フラン分のコインほど軽やかなものはない。そして、人の勝利、もしくは破滅を宣告するのに、伏せて置かれた二枚のカードほど、品位あるものはない。ぼくは急に賭けをしてみたくなった。それは先ほど急にあのヴィヴィアンに欲望を感じたのと同じように、抑え切れないどうしようもない気持ちだった。(p.190)
ぼくに何がわかっている?人生の何を知っている?何も知りはしない。わかっていたはずのことがますます減ってゆく。わからないことばかりがますます増えてゆく。人生の何もかもがぼやけて、厭わしく、ばかばかしい。何もかもがだるい。ぼくの願いは今やただ一つだけだった。眠ること。アスピリンを飲んで眠ること・・なのに人は、よってたかって人生を変えろとぼくに迫る。(p.201)
2008年12月24日
東京の夕暮れ
夕暮れ時の、陽が沈む直前の数分間というのは、一番景色が美しく見える瞬間だと思う。
しかし、毎日それが見れるというわけではなく、天候も、ロケーションも、空気の状態も、光線の射し方も万全の条件が重なった時にだけ、信じられないほど荘厳な景色が現れる。
黄昏という言葉は、暗くなりはじめて、他の人の顔が見えなくなった時分に「誰ぞ彼(たぞかれ)?」とつぶやいたところから生まれたのだという。
日没の刻には、普段見えていたものが見えなくなり、見えなかったものが見えるようで、見慣れた街でもまったく姿を変えてしまう。
現世と幽界の距離が最も近づく「逢魔が時」の中にいると、その瞬間だけは時間が止まっているような気持になる。
上の写真は、初台の村田マンションの屋上から撮った。
夕暮れからも雑居ビルからも、同じ種類のノスタルジーを感じる。
東京の夕暮れは、自分にとっては世界で一番、心を揺さぶる景色だ。
2008年12月23日
ミュータント・メッセージ
最近、「自分の前に現れた流れに従う」というテーマについて考えることが多かったのだけれど、それと照らし合わせて、この、「ミュータント・メッセージ」に登場する女性のように、突然訪れた流れに乗ることが自分には出来るのだろうかと考えてみた。これは、相当に難しい。
文明生活を50年もの間過ごしてきたアメリカ人女性が、オーストラリアでアボリジニの土着部族の招待を受けた瞬間から、持ち物のすべてを燃やされて、着のみ着のまま裸足で120日間も熱暑の砂漠を横断することになる。水もないし、食べ物もない。朝起きて、一日を生き延びられるかどうかは、その日に、食糧となるヘビや水が自分たちの前に現れてくれるかどうかにかかっている。
イスラム教でいうところの神の思し召し(インシュアラー)に完全に身を委ねたような状態で、過酷な環境で生活をする人々は、自然にこういう、生き死には自分の手におえる問題ではないという思想が身に付くんだろうという気がする。
何も持っていなくても、その日必要なものは必ずその日に与えられると、アボリジニの人は信じている。でも、これは、「所有する文化」に育った身であってみれば、かなりハードルの高い思考の切り替えだろう。
「フィクションのような形式をとったノンフィクション」という記載が本文の中にあるけれど、その実、「ノンフィクションのような形式をとったフィクション」であるような感じもして、結局、裏の裏の裏を読んでいけば、真偽のほどはよくわからない。
でも、たとえこの物語がただのお伽噺であったとしても、そこに含まれるメッセージの価値は失われないだろうと思う。結局、同じ場面で自分だったらどうするかという問題提起を読者が突きつけられることには変わりはない。この本が与えてくれた問題は、かなり切実な内容だった。
それは、自分が持っていたものや、積み上げてきたものをすべて捨てて、ゼロからやり直す根性があるか、という問いなのだ。なにしろ、この主人公の女性は50歳で、何の心の準備も出来ていない状態から異世界へと旅立った。それが、砂漠を横断するうちに何度も皮膚がめくれて、水の存在を感知出来るようになり、白髪の後から黒い髪が生えてきたという。
旅の途中にこのアメリカ人女性が出くわす葛藤と、それを乗り越える過程は、読んでいて共感出来るところが多く、アボリジニから出される同じ課題を疑似体験したような気持ちになった。
【名言】
私は一夜の眠りで体力が復活すること、数滴の水で渇きが癒されること、甘みから苦みまであらゆる味を感じることを心から感謝するようになった。今までの私は仕事の保障やインフレにたいする防護手段、不動産の購入や老後のための貯金などを意識して生きてきた。ここでの私たちの保証といえば永遠にくり返される夜明けから日没までのサイクルしかない。私の基準から見てもっとも不安定な人種に癌やストレスや心臓病がまるでないことは驚きだった。(p.74)
「年をとることを祝わないとしたら、なにを祝うの?」私は言った。
「よくなることに」という答えが返ってきた。「去年より今年のほうがさらに賢くていい人間になったら、それを祝うんだ。それは自分だけしか知らないことだから、自分でパーティの時期がきたとみんなに告げるんだ。」(p.98)
すべるように動く蛇は、なんども脱皮をくり返すことが教えになる。7つのとき信じたことを37歳でもまだ信じるとしたら人生から得るものは少ない。古い考え方や習慣や意見はむろん、ときには仲間でさえも脱ぎ捨てることが必要だ。捨てることは人間にとって非常にむずかしいレッスンでもある。(p.122)
人生は一回ではなく何度も生きられること、すでにひとつのドアが閉じられたことを教えられた。今まで周りにいた人々や住んでいた場所、過去の価値観や信念にはもうとどまれない時期がきたことを教えられた。自分の魂の成長のために私はそっとドアを閉じて新しい場所に入ったのだ。(p.140)
「わたしはあなたとの友情を大切にするよ。平和な心で行きなさい、われわれの考え方で身を守るように」考えてからこう言いそえたとき、彼の目がきらりと光ったような気がした。「われわれはまた会うだろう、つぎは厄介な人間の体なしでな」(p.211)
2008年12月22日
経験を盗め
全部で18種類のテーマについて、そのテーマについての専門家を二人呼び、糸井重里氏が進行役として、三人であれこれと語り合うという形式の鼎談集。
語り手がその道の非常なプロでありながら、聞き手が素人という立場から進行していくので、話しの内容が非常にわかりやすくなって、とても柔らかく解きほぐされた状態で読者に提供されるという塩梅になっている。
しかも、一人は学者的に体系立てて語れる人で、もう一人は、そのジャンルと微妙にかぶっている程度の、また別の角度からの視点、という組合せになっている対談が多くて、その絡み合わせ方も面白かった。
そのテーマは雑多でバラエティーに富んでいて、一冊の本の中にこれだけ様々なジャンルが詰め込まれている本というのも珍しいと思う。
特に好きだったテーマは、「旅のお話」と「墓のお話」と「祭りのお話」。
テレビによく出ているような、いわゆるタレント的な著名人を呼んでいるわけではなく、本当に、その道について一家言ある地道なプロに話しを聞いているという、この企画が素晴らしい。
本のタイトルにあるように、そこで語られている内容や思想が、そのまま自分自身の経験となるような、密度の濃い話しが多かった。
【名言】
僕は砂漠のど真ん中やジャングルの中にひとりでいるとき、何がいちばん怖いかといったら、夜、何かコソッと物音がして、もしかしたらそれは人間ではないかと思うときなんです。人は人を頼って生きている。と同時に人がいちばん恐ろしい。これが人間ってものなんですね。(西江雅之)(p.43)
よく外国のナントカ村というものを紹介した本があって、読むとおもしろかったりするでしょう。だけど僕が子どもの頃に気づいたのは、その村がおもしろいんじゃなくて、じつは書いた人がおもしろいんだと。その人はナントカ村をおもしろがれる力があるんです。そう考えると、世界中どこでもおもしろい。(西江雅之)(p.44)
子どもがたくさんものを記憶しているように見えるのは、白紙の状態に墨を落とすようなものだからです。大人はすでに墨だらけのところに墨を落とすので、実際には、同じ量の情報が入ってきているのだと思いますよ。(池谷裕二)(p.61)
あるとき、女の子からこんな電話がありました。「金魚が死んだけど、お母さんが箸でつまんでポリバケツに捨てなさいって」と言ったきり、ずっと黙ってる。聞くと、毎朝起きたらすぐに水槽に見にいっていた金魚が、その朝死んでいた。お母さんは朝の支度で忙しいし、死んだ生魚の処理としては、生ゴミと一緒に捨てるのが適切だと思ったんでしょう。お母さんに悪気はなかったと思うんです。ところが子どもは、死んじゃった金魚がかわいそうなんだ、すごく悲しい。
その子は金魚を捨てることもできず、悶々として夕方の四時まで待って、電話してきたんです。それで、「きみは宝物を入れるような小さい箱を持ってないかい?」その箱に白い脱脂綿を敷いて金魚を寝かし、箱を公園の片隅にでも埋めてやるといいよ」と言ったら、その子は、「わかった」と答えたかと思うと、すぐにガチャンと電話を切っちゃった。僕は「ありがとう」なんていう言葉はどうでもいい。今やれることが決まって、その子は多分、急いで箱を探しにいったんだと思う。そして、これであの金魚をポリバケツに捨てなくてすむんだと、すごくほっとしたんじゃないかな。(杉浦宏)(p.97)
シングルに対応するものはダブルじゃなくて、世間並みの結婚というやつでね。自分たちの結婚をすればいいんだけど、みんな、それができないから世間並みのノウハウに合わせて、自分たちの結婚じゃないものをしてるわけでさ。それは単なる能なしだよ。結婚ってさ、好きな人と生活することでしょう。だけど、相手のことをあまり好きじゃないまま、見切り発車みたいに結婚しちゃった、というパターンが多いんだろうな。(橋本治)(p.169)
古本屋のオヤジは無愛想だっていわれるでしょう。あれ、話しかけちゃイカンのです。学校の先生がやわらかい本を帳場に出したとき、「いい本をお読みで」なんて声をかけると、お客さんは立場ないですから。(出久根達郎)(p.223)
ピーコさんとごはんを食べに行ったら、「これ、ソースいらないから、ちょっと替えてきて」とか、店の人にいろいろ注文つけるの。そして、「ゴメンなさいね、あたし、オカマだから」(笑)。もう利用しまくって、ありゃ無敵ですよ。(糸井重里)(p.258)
まあともかく、祭りというのは、そんなことやっていいんかというのと隣り合わせのものじゃないとダメですね。(糸井重里)(p.330)
2008年12月21日
レイトン教授と最後の時間旅行 その後
クリアしました。
今までのシリーズの中でも、一番ストーリーが良かった。
あっと驚きのクライマックスには、本当に感動した。
このシリーズは、細かいところの動きや効果音などが洗練されていて、とても気持ちがいい。ユーザーフレンドリーな作りの手本のようなもので、これは、webシステム制作の参考になる部分も多いにある。
ミニゲームや、ひみつモードの内容も更に進化していて、充実した一本というにふさわしい内容だった。
■好きだったナゾ
・ナゾ007「なんじですか?」
・ナゾ080「何人いる?」
・ナゾ091「メガネのナゾ」
・ナゾ092「隠された密輸品」
・ナゾ150「女王を守れ!」
・ナゾ166「くだものあわせ」
・ナゾ168「タイムマシン」
ミニゲームの中では、「おもちゃのくるま」の中の
・「ベッキーのおつかい」
が出色の出来だと思う。
■過去の水晶堂
レイトン教授と不思議な町
レイトン教授と悪魔の箱
レイトン教授と最後の時間旅行
2008年12月20日
イーグル・アイ
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ひかる、ゆかっち夫妻の結婚1周年祝いにて、劇場を借り切って観た映画。劇場内は知り合いしかいないので、自宅じゃないのに自宅感覚で観れるというのは新しかった。
最近、近未来SFは、何を観てもジョージ・オーウェルの「1984年」と比べて考えてしまう。管理社会が超進化した場合、どのような社会になるのかというのは、普遍的なテーマで、作り手の特徴が出て面白い。そこにスピルバーグが挑戦したら、こういう映画になりました、という感じだった。
この「イーグル・アイ」は、情報管理の過激さと、敵ボスの強さという点で他の作品とは一線を画していて、そこに、職業軍人でもテロリストでもない一般市民が対抗するというというのは、かなりエキサイティングだ。
敵の、執拗な追跡は本当に恐ろしかった。追い詰める手順が的確なだけでなく、瞬時に対応を変えてくる柔軟さと、街全体を自在にコントロール出来る万能な攻撃力。この、絶望的なまでの戦力差が、そのままこの映画の醍醐味といえると思う。
一番スゴかったのは、音声が傍受出来ない防音室に入った後の、敵の対応だった。ネタバレになるので詳細は書かないとして、こういう細かい見せ場をちょいちょい入れてくるところが、スピルバーグの真骨頂なのだろう。
ストーリーは、相当に荒唐無稽で、ギャグとしか思えない場面も多々あって、いきなり電車が逆走するところや、工場のクレーンまでもが遠隔操作されてしまうのには爆笑した。
しかし、エシュロンの例もあることだし、実際、携帯電話なんか、どこまで隠密裏に情報が取得されているものだかわかったものじゃないしで、単なるフィクションとして片付けられないところもある。
そういう、個人情報統制への軽い反政府メッセージを含ませた、啓蒙映画といった雰囲気がする作品。
■イーグル・アイ(2008年)
http://www.eagleeyemovie.com/intl/jp/
主演:シャイア・ラブーフ、ミシェル・モナハン
監督:D・J・カルーソー
製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ
2008年12月19日
Googleを支える技術
Googleが世界中に分散して持っている、数十万台のコンピューターがどのような仕組みで動いているかということをテーマに解説した本。といっても、その技術の本当のコアの部分は、やはり秘密のベールに隠されているので、Googleがカンファレンスなどで一般に公開しているドキュメントを元に、その情報をまとめた内容になっている。
著者自身がGoogleの開発者でも関係者でもないため、多くの内容は「~だそうです」「~とのことです」という、伝聞にもとづいた、あまり自信なさげな言い方で歯切れが悪く、その点が読んでいてフラストレーションになった。
後半は、コスト構造についての説明で、そこはやたらと細かく消費電力の計算などが説明されているのだけれど、Googleの技術とは直接関係ないことなので、こういうところだけ詳しく書かれても・・という感じで、あまり意味があると思えなかった。
しかし、前半部分の章で説明されている、検索エンジン用のインデックスデータの持ち方や、数千台規模のコンピュータによる分散処理の方法などは、かなり勉強になるところが多く、それだけでも読む価値はある。このGoogleの、システムのスケール拡大に対して極端に柔軟な設計は、本当に見事なものだと思う。
その多くは、Googleから公開されている情報なので、一般の人でも資料を探せばネット上で見つけることが出来る内容なのだけれども、それがわかりやすくまとめられている点で、とても役立つ本だった。
【名言】
あるときは、Googleからの大量アクセスに気づいたWebサイトの管理者から「やあ。うちのサイトをよく見に来てくれてるね。気に入ってもらえたかな?」というメッセージが届いたり。(p.20)
一般的に、コンピュータシステムの性能を向上させるには二つの方法があります。一つはスケールアップで、より優れたハードウェアを導入するという方法です。もう一つはスケールアウトで、こちらはハードウェアの数を増やす方法です。(p.42)
GFS(Google File System)では、「ファイルは常にバックアップされた状態」にあります。バックアップという作業を特別に行わずとも、システムが常に複数のコピーを保持し続けます。(p.66)
明らかな傾向として、ディスクドライブの温度が低いほど故障率が高まるという驚くべき結果です。多くのドライブは25~30度前後に保たれていたようですが、実は30~40度あたりの高い温度のほうが故障しにくくなるようです。(p.229)
googleでは仕事は与えられるものではなく、自分で見つけ出すものであるようです。マネージャーによって一方的に仕事を割り振られるということは基本的になく、開発者は数あるプロジェクトの中から自分に合ったものを受け持つか、あるいは自分から新しいプロジェクトを提案することになります。誰も見向きもしないような魅力のないプロジェクトは忘れ去られてなくなります。こうして開発者自身によるプロジェクトの自然淘汰が行われ、それを生き残ったものだけがGoogleのサービスとして私たちの前に提供されることになります。(p.249)
2008年12月18日
アイランド
なんか、最初から最後まで、心が休まる間がないぐらいに緊張させられっぱなしの映画だった。アクションシーンの無茶さがかなりのレベルにいっていて、それも大きな要因なのだけれど、主人公の男女のテンションが常に高くて、まったく緩急がないということもある。
楳図かずおのマンガぐらいの、なんでいちいちそこまで感情を露わにする必要があるのかと思う過剰な反応っぷりで、とにかく張り詰め通しの2時間だ。一つ一つの行動が焦りすぎで、映像もブレブレだし、まったく落ち着いて見れなかった。
この、近未来の世界観や設定はとてもリアリティーがあった。病室のような、異様なまでにクリーンな世界の徹底ぶりは、背筋が寒くなるぐらい無機質で、ひんやりしている。
マトリックスの世界よりもずっと現実味があったし、一つの仮定として、この映画が描いているような動機での「人間のクローン複製」は、将来、充分にあり得る姿だと思う。
しかし、本筋のストーリーにはかなりの無理や不整合があるので、SF映画というよりは、どちらかというとアクション寄りの映画な気がする。
■アイランド(2005年)
出演:ユアン・マクレガー、スカーレット・ヨハンソン
監督:マイケル・ベイ
2008年12月17日
現代語訳 古事記
現代語訳ということで、ものすごく読みやすくなっている古事記。
読みやすくなってはいるものの、意味としては何を言っているのかわからないところは多い。
神話というのは大体そういうものかもしれないけれど、神々たちのやることのムチャさはもう、人間の常識とか理解を超えたものがある。特に、日本の神話の場合、ギリシア神話の神以上に「おいおい」と思うような不埒な言動が多い。
美人だけを極度に好んで、そうでない場合にはとことん関心がないというわかりやすさもスゴいし、身内を簡単に裏切ったり、寝首を掻いたり、「人間らしい」と言ってしまえばそう言えるかも知れないけれど、あちこち、結構ヒドい。
その、乱心しているとしか思えない数々の狼藉は、人間だったら確実に実刑をくらう(法治国家じゃない場合は村人に殺される)ような派手な内容ばかりで、度肝をぬかれた。
この現代語訳は、上中下巻が一冊の中に入っていて、そのすべてがコンパクトにまとまっているという読みやすさがある。
だんだんと、先に進むに従って、神話的な内容から歴史的な内容へと変わっていって、後半は、日本各地の地名の由来となっているような出来事が物語として語られていて、それはとても面白かった。慣れ親しんだ地名が、実は大昔の神話的出来事に起源があるというのは、なんだか新鮮な驚きだ。
【名言】
アメノウズメノ命(ミコト)は、サルタビコノ神を伊勢の国に送って着くと、海に住む魚という魚を、鰭の広いものも鰭の狭いものもすっかり集めて、こう尋ねた。
「お前たちは、天神の御子にお仕えしますか?」
その時、魚どもはいっせいに答えた。
「みなみな、お仕えいたしましょう。」
ところが海鼠(なまこ)だけは、返事をしなかった。そこでアメノウズメノ命が海鼠に言うには、
「この口は、答のできない口なんですか?」
こう言って、紐のついた小刀でその口を割いてしまった。それゆえ、今でも海鼠の口は割けている。(p.136)
「私が娘二人を、一緒にさしあげたというのも、イハナガ姫のほうはその名前の示すとおりに、天神の代々の御子のお命は、雨が降り風が吹こうとも、びくともしない岩のように、とことわに揺るがずましますようにと、またコノハナサクヤ姫のほうは、その名前が示しますとおりに、桜の花の咲き匂うように栄えますようにと、このようにうけいの誓いを立てて、さしあげたものでございます。それにもかかわらず、今、イハナガ姫をお返しになり、コノハナサクヤ姫のほうのみをお留めになったのですから、天神の御子のお命といえども、花の散るように、脆くはかないものとなりましょう。」
このように言い送った。
こういうわけで、今にいたるまで、代々の天皇の命は長くないのである。(p.140)
2008年12月16日
SUPERMARKET FANTASY
![SUPERMARKET FANTASY [初回限定盤:CD+DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/61vgHoktbfL._SL160_.jpg)
SUPERMARKET FANTASY(Mr.children)
ミスチルは、ニューアルバムを出すたび、毎回毎回コンセプトをリニューアルしつつも、常にそのコンセプトにぴったりと合った、素晴らしい曲を入れてくる。
今回のアルバムも、すごく良かった。
特に好きだったのは3曲。
「HANABI」
「花の匂い」
「羊、吠える」
全体がセンチメンタリズムに満ちていて、「哀」色で彩られている。
その頂点にあるのが「花の匂い」という曲で、どんなレクイエムよりも心が鎮まる、哀しくも癒される曲だった。
2008年12月15日
図書館 愛書家の楽園(アルベルト・マングェル)
図書館というものについて、その成り立ちや存在意義など、様々な切り口から好き放題に語り続けている本で、図書館というものが持つ魔力が存分に伝わってくる内容だった。
「図書館論」というべき堅い内容もあれば、つらつらと思いを述べただけの閑話的な内容もあり、気が向くままに書き綴ったエッセイを集めたような雑多さがある。
なんといっても驚かされるのが、この著者の、本に対する異様なまでの情熱と、幅広い知識だった。
古代アレキサンドリアから始まって近代ヨーロッパに至るまでの、古今東西の図書館や名著が、作者の頭の中で渾然一体となって、有機的につながっている様がそのまま文章に現れていて、作品同士の思いもよらない関連を知ることが出来た。
良く出来ていると思ったのが、巻末の索引で、これを見れば、この一冊の中にどれだけ多くの作家名が登場しているかということが一目瞭然でわかる。
残念なのは、人名索引と事項索引があるのみで、作品名索引は付けられていないことだった。それが加えられていれば、もっと、タイトルをきっかけにして関連文献に入っていきやすかっただろうと思う。
【名言】
屹立するバベルの塔は、宇宙の統合を求める人類の思いの証である。伝承によれば、バベルの塔の影がどんどん伸びてゆくころ、人類は共通言語をもった一つの世界に暮らし、しっかりと揺るがない足元の大地と同じように、天国が確実に存在することを信じて疑わなかったという。アレクサンドリア図書館(バベルの塔とは違って、確実に存在したという根拠がある)は、それと逆のことを証明しようとした。つまり、この世界は途方にくれるほど多様性に富み、その多様性には隠された秩序が存在するにちがいないということである。(p.25)
先人の学者たちによるテーマ別の分類に従って、デューイは「活字になった人類の知識のすべて」という広範なフィールドを大胆にも十のテーマにグループ分けし、それぞれに百という数を与え、その下にさらに十の下位分野を設けて、限りない発展に対応できるようにした。デューイの十進分類法として知られるようになるこの方法の利点は、原則として、どのテーマでも下位分野を際限なく作れるところである。神自身でさえ、その特性と化身に分けることができ、さらに各々の特性と化身のなかでも、もっと細かい分類ができるのだ。(p.58)
どんな図書館でも、空いた棚はいつまでも空のままではいない。自然と同じく、図書館も空白を嫌うのだ。そして、どんな本のコレクションであれ、その本質として、スペースの問題はつねにつきまとう。これはどんな図書館にとっても逃れられない矛盾である。(p.66)
どんな図書館にも、受け入れるものと、排除するものがある。すべての図書館は選択の結果であり、必然的にその領域には限りがある。どんな選択からも排除されるものがあり、さもなければ選択はありえない。読書という行為は、絶えざる検閲に等しいのだ。(p.104)
2008年12月14日
海獣の子供
ジャンル的には何というのだろう。自然と人間の共生がテーマになっていて、創世記や神話の要素もあり、舞台を海にした「もののけ姫」のような、独特の雰囲気がある。
深い森の中というのも、人智の理解を超えた空間であると思うけれど、深い海の底というのは、それを更に凌駕する、未知の生物が棲む前人未到の領域だ。
1、2巻あたりまではまだ日常生活の延長としての導入編で、3巻からいよいよ佳境に入ってくると、急激におどろおどろしさを増してくる。ブラックマンタの腹に浮き出る「神の眼」というモチーフにはかなり驚いた。
海の中こそは、人間がまだまったく本当の姿を理解していない、正真正銘の神域であるということがよくわかる。4巻から先、どういう展開になっていくのか、ものすごく楽しみな作品だ。
【名言】
この世界に在るもののうち、僕ら人間に見えているものなんて、ほんの僅かしかないんだ。
宇宙を観測する技術が進んでわかったのは、どんな方法でも観測できない「暗黒物質」があるという事。
宇宙の状態から、暗黒物質が「ある」事だけは推測できる。宇宙の総質量の90%以上は正体不明の暗黒物質が占めている事になる。
僕たちは、何も見てないのと同じだ。この世界は見えないもので満たされていて、宇宙は僕たちに見えているよりずっとずっと広いんだよ。(2巻p.259)
深海の全く太陽光の届かない世界での、300℃の熱水と地中からわき出す猛毒の硫化水素やメタンを栄養源とする生態系。
この生物群は硫化水素の化学反応エネルギーで成長するバクテリアと共生し、彼らのつくる有機物を吸収して生きている。それは太陽による光合成に100%依存している僕たちとは全く異なる生態系だ。(3巻p.104)
鯨の脳皮質は人間よりはるかに大きく発達している。体の機能は使われるから発達するんだから・・きっと鯨は考えてる人だと思う。
天敵もなく殺し合いもない彼らはきっと、人間とは違う発想をするはずだよ。そして人類よりずっと古い歴史を持っている。彼ら特有のコミュニケーション能力を考えると、非常に高度な知の体系を作り上げているかもしれない。(3巻p.199)
2008年12月13日
バッテリー0%
最近、ACアダプターが不調なのか、ノートPCに電源をつないでいてもバッテリーが充電されないことが時々ある。
普通は、バッテリー残量が4%以下になると、自動的にハイバネーションモードに切り替わってシャットダウンするのだけれど、コンセントがささっているために「大丈夫でしょう」と判断されて、そのままどんどん表示残量が減っていく。

初めて見た、「バッテリー0%」の表示。
この後どうなるのか様子を見ていたら、
いきなり、ぶつん、と電源が落ちた。
2008年12月12日
レッド・クリフ PART I
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やたらと戦闘シーンばっかりの映画だったという印象。あの長い長い戦の場面を簡略化すれば、二部構成にしなくても、充分に一作の中で収まったんじゃないだろうか。
これで、戦闘シーンが退屈だったらとんでもなく苦痛な映画になるところだったけれど、これがとても良かった。あれだけ長い時間をアクションでもたすというのは、相当な「魅せる技術」だと思う。
こんな大変な撮影をするぐらいなら、普通に宮中での会話シーンを入れておいたほうが余程制作は楽なわけで、そこを、敢えてアクションシーンで勝負するところに、ジョン・ウー監督の矜持が感じられる。
広大な大地に何万人という軍勢が集まっているところや、集団の陣形が形を変えていくところは、中国的スケールの大きさを感じて、それにとても感動した。「八卦の陣」とか、小説じゃまったくわからないだろうけれど、映像で見るとすごく美しい。
関羽や趙雲の、槍の一振りで「三国無双」バリに人がふっ飛びまくる、人間離れした一騎当千ぶりも、いかにも三国志っぽい世界観でいい。
この映画で、素晴らしいと思ったのは、三国志のストーリーの中で特に「赤壁の戦い」に焦点をしぼったというところと、孔明と周瑜の2人にスポットを当てているというところだった。
普通の作り方であれば、主人公は曹操か劉備になるだろうし、ストーリーは戦闘の部分がメインではなく、人間ドラマを中心にした権謀術数が見せどころになるだろう。
そこを、徹底的に自分の土俵に引きずりこんで、物語中最大の合戦部分のみを切り取って作品にするという、監督の思い切った選択は、見事だと思う。
キャラクターで良かったのは、あまり目立たずにたえず薄笑いを浮かべる、若干うす気味悪い孔明と、やたら妖艶な小喬で、これはハマり役だったと思う。
あとは、全員が悪役顔で、どれもイメージに合わなかったけれど、孫権だけは、独特の凄みがあってカッコいいと思った。
赤壁の戦いが始まる前からして、この戦闘シーンの多さなので、「PART II」では、これを上回るアクションシーンの連続であろうことを考えると、ストーリー的にどうなんだろうという危惧はある。でも、これは、来春公開の続編が楽しみだ。
2008年12月11日
量子の宇宙のアリス
「不思議の国のアリス」をモチーフにして、アリスが量子論に関わる様々な科学者に出会い、量子の世界を旅するという物語。たしかに、アリスの世界観は、量子力学に支配される、摩訶不思議な世界と共通している部分が多くある。ルイス・キャロルは、後世に現れる、量子論が創造する世界を直感的に理解していたのかもしれない。
概観的に、様々な立場を持つ科学者が入れ替わりで登場するけれど、それぞれの理論については、詳しい解説は省かれているので、量子力学の入門書としてはあまりふさわしくない。
一度、別の本で量子力学についての解説を読んだ後に、その世界観を実感するためにこの本を読むという味わい方が、一番楽しめるのではないかと思う。
【名言】
アリスはせき込んで尋ねた。「ということは、あそこにいる女の子はみんな、実はあなた一人の分身で、いっぺんに何人もの友達と付き合えるということ?どうしてそんなことができるの?」
「それはね」と少女が笑った。「わたしが可能性だからよ。そしてほかの大勢の少女たちは、わたしがもっている別の可能性。この量子の国ではそれが当たり前なの。無限の数の可能性として万物が存在してるのよ」
なんて魅力的な考えなんだろうとアリスは思い、これまで想像したこともないイメージが頭の中を駆けめぐった。(p.68)
「もうわかったと思うがな、人生のなかで出会う事物(モノ)というのは人が思っている以上に面白いものさ。ボームの国じゃあ量子的とか古典的とか言ってみてもはじまらない、物質と精神のあいだに区別はないからだ。だって万物はただひとつの巨大な運動なんだから。コペンハーゲン派のお友達と話すときは、そのことを忘れなさんな」(p.99)
「学問というものが成立して以来、それはずっと男の遊び道具だったわ。いや、正確には青二才の遊び道具だった。自然の摂理をのぞき見ようとする青二才の遊び道具よ。実験物理学の父といわれるフランシス・ベーコンは自分のあみ出した新しい方法を評して、自然を拷問台にのせて自然の秘密をあばく方法だと言っている。男の学問は自然を理解しようとするのでなく、自然を操ろう、操ろうとしているのよ。支配力を得たいがために右往左往する。」(p.125)
「そうね、この列車にも車輪くらいあると思うわ、それは確かよ」とアリスが言いきった。
「調べてもいないのに、どうしてわかるのです?」とバークレー。
「当たりまえのことを聞かないでよ。いま証明してあげるわ」とアリスは窓から身をのりだして、下方を指さした。
「あそこに車輪があって回ってるわ」と言ってふたたび座席に腰かける。「わかったでしょう、わたしは間違ってないわ」
バークレーは顔をほころばせ、あらためて尋ねた。「どうしてわかるのです?」
「だって車輪を見たからよ」
「窓から外をのぞいたときに車輪が見えた。ですが、いまは車輪を見ていない。それなのにまだ車輪がそこにあるとどうしてわかるのですか?」
「そんなことで一杯食わそうたってだめよ。車輪はまだそこにあるに決まってるわ」
「よろしければその理由を教えていただけませんか。なぜでしょう?」
「理由が聞きたいの?理由は・・。理由はね、もしそこに車輪がなければ列車が走っていないはずだからよ。だってこの列車に揺られていること自体、つじつまが合わなくなるじゃない。わたしが見たときにだけ、車輪がそこに出現するなんてことになったら」とアリス。(p.141)
2008年12月10日
闇金ウシジマくん 13巻
今回の巻もスゴかった。相変わらず、街の風景がいい。
このマンガは、1巻~2巻あたりの最初の頃は1話完結型でページ数も短かったので、インパクトを重視したような内容が多く、あまり一つのテーマについて深く掘り下げるという感じではなかった。
けれど、途中から、一巻では収まらないぐらいの長篇がメインになってきて、そうなってきてから、登場人物一人一人に至るまでのバックグラウンドが細かく設定されるようになって、格段に面白くなっている。
物語は、予想通りには決して終わらない。コミュニケーション不全が基調となったようなちょっと暗めの世界観で、理不尽な出来事も色々とあるのだけれど、その中にあっても救いを感じるのは、端役を端役だからという理由で使い捨てにせず、すべてのキャラクターに対して存在意義を与えているからではないかと思う。
その一方、主人公であるはずのウシジマくんの登場回数はどんどんと少なくなっている。最初はこの、清濁併せ呑んだ世界への入口としての触媒の役目を果たしていたのだけれど、それも他のキャラクターがそれぞれに自律的に動きだして以降は必要性が少なくなってきたからなのだろう。こういうのも、このマンガの面白いところだ。
2008年12月09日
スタンプカード
ポイントカードやスタンプカード類は、ほとんど持っていない。
店の人は会計の時にカードを渡してくれるのだけれど、こういう割引サービスは、ほとんど1~数%の値引率で、これをコツコツ貯めるのが面倒なので、最初から受け取らないようにしている。
一つだけ例外があって、エクセルシオールのスタンプカードだけは利用する。
そのサービス内容は、
・ドリンク1杯につき、スタンプを1つさしあげます。
・スタンプが10個たまりましたら、お好きなドリンク1杯(Sサイズ)と交換いたします。
ということは、10%の値引率だ。
しかもドリンクの種類は限定していないので、例えばアイスコーヒーのSサイズ(280円)を10回買って、ためたスタンプカードでグレープフルーツジュースのSサイズ(380円)と交換すると、その値引率は13.5%!
これは集めたくなる。
2008年12月08日
インタビュー術!(永江朗)
語られていることは、いたってまともと思うことばかりで、インタビューをおこなうにあたっての手続きや心構えといったような基本的なことが説明されている。その意味で、あまり新鮮味はないけれど、雑誌の連載などでおこなわれているインタビューという仕事が、一般的にはどういう流れでなされるものなのかということを知る役に立った。
後半は、具体的に、様々な人が書いたインタビュー記事を取り上げて、その特徴を技術的な観点から解説した内容になっていて、どちらかというと、前半よりもこちらのほうが、面白い記事へのリファレンスとして参考になる部分が多い。
やり方は人によってまちまちだということがわかったし、聞き手や構成によって、その内容の面白さは大きく変わってくるということも、色々な例を読み比べると、たしかに良くわかる。
筆者自身のポリシーのようなものはよくわからなかったけれど、一般論としての、インタビュー記事の書き方、読み方を知るにはいい本だった。
【名言】
インタビューは事実をありのままに提示しない。しかし、虚構のほうが真実に近い場合もある。いや、虚構のほうが真実に近いことのほうが多い。事実はいつも真実を覆い隠す目くらましの役目を果たす。その意味では、インタビューにおける編集や構成は、事実から目くらましの部分をはぎ取り、真実に一歩近づくことだといもいえる。(p.26)
2008年12月07日
木の実の話し
紘一に誘ってもらって、「植物友の会」が主催する勉強会に参加させてもらった。
テーマは「種の散布」というもので、学術的な内容と思ったのだけれど、そういう風な堅苦しい話しではなく、かなり面白くてタメになる話しだった。
植物が、鳥や動物を使ってどうやって種を広く散布させるかという話しで、そこで植物がおこなっている工夫の巧みさと、戦略のバラエティーさに、感心させられる。
【タメになったこと】
・鳥が食べる実には赤色に次いで黒色がダントツに多い。鳥は紫外線を視認出来るので、黒色の実が目立つ。
・不味い実は一斉に熟すが、美味い実はバラバラに熟す。美味い実が一斉に熟してしまうと、まとめて食べられてしまって種が散布しない。
・動物が食べる実の種は、食べる時に歯で砕かれないように「硬い」「滑る」「(歯の間を)すり抜ける」のいずれかになっている。
植物の「実」であれば、目にする機会はあっても、その中にある種ということになると、今回初めて形を見たものが多い。その、植物の名前についてもほとんどが初めて聞いたものばかりで、これも、詳しく知っていこうとすれば相当奥が深い世界だと思った。
講師の多田先生は、植物が好きでたまらないという感じが、その話しの熱の入れようからわかって、その興味の強さがこちらにもよく伝わってきた。
すべての実について、詳しくその特徴を調べるだけではなく、自分自身の舌でその味を確かめているというのは、並みの情熱じゃないと思う。こういう人が語る話しというのは、聞いていて燃える。
2008年12月06日
自由が丘丸井跡地
丸井インザルーム自由が丘店は、4年ほど前に閉店になったまま、ずっと手つかずの状態になっていて、街のど真ん中にぽっかりと空いた空洞のようになっていた。
こんないい場所に巨大な土地がありながら、何の活用されずにいてもったいないと思っていたところ、近頃再開発が始まった。
何が出来上がるんだろう、ショッピングモールとか大きい本屋だったら嬉しい、と楽しみにしていたのだけれど、どうやら中に入るのは
自分とはあまり関係ないものがやってくる・・。
せめて1階部分とかにテナントが入ってくれないかなあと期待している。
2008年12月05日
起きていることはすべて正しい(勝間和代)
世界観が変わるほどの新しい概念はなかったのだけれど、著者の思想について体系的に、とてもわかりやすくまとめられている。いかにもビジネス書的な文字組みや、あまりパッとしないイラストのために、かなり堅苦しい印象を与える点で損している感じがするけれど、内容は読みやすい。
黒木瞳さんらと著者との個人的な交友については、特に興味はないので、そういう部分は蛇足と感じたけれど、全体的にはとても中身が濃い本だと思った。
この著者の人は、既存の概念を自分なりの捉え方で再構成して、新しくシンプルな言葉で言い直す表現に長けている人だという印象だった。
ポジティブシンキングの効用について、「成長パスの確率分布を高めること」という言葉で説明していたり、フォトリーディングのことを「虫の知らせのトレーニング」と表現したりしているところなど、面白い考え方だと思う。
巻末には、関連文献や参考サイトを網羅して掲載しているだけでなく、著者自身の愛用しているツールやサービスも写真付きで全公開しており、これはとても参考になるところが大きかった。この、惜しげもなく自分自身のノウハウを最大限にオープンにするという姿勢は素晴らしい。
【名言】
筆頭に挙げたいのが「うれしがりすぎない、悲しがりすぎない」ということです。これは意外だと思う人が多いと思いますが、なぜこのことが大事かと言うと、目の前の結果に振り回されすぎないようにするためです。なぜなら、物事の結果は努力に対して、確率分布するからです。(p.60)
些細な意思決定の違いで、同じスタートポイントから始まっても、毎日決めていることと将来のちょっとしたことが積み重なって、どんどんシナリオが変わってくるのです。どこに向っているかを理解して活動している人と、行き当たりばったりで動いている人と、どちらのほうが効率がいいかは、自明の理です。
したがって、どうやって無意識、つまり、潜在意識で処理されてしまうプロセスを自分の味方につけるか、ということが重要になります。私はそれが「引き寄せの法則」の正体だと思っています。他の言い方をすると、この意思決定の流れは「複雑系」とか「カオス」と呼ばれている理論に近いのです。ほんのわずかな初期値の違いが、大きな違いを将来もたらすのがカオスで、ほんのわずかな、些細な行動の違いが、将来大きな違いにつながっていきます。(P.92)
「囚人のジレンマ」という経済学のゲーム理論が参考になります。1番優秀なプログラムは「しっぺ返し戦略」という短いものになります。この戦略は、まず相手を信頼するというスタンスで、信頼から始めます。ですから、最初は自白しないわけです。相手が信頼してくれたら、そのまま信頼の戦略を繰り返しますが、相手が裏切ったら即座にまた裏切りに転換します。ただ、裏切った相手でも、相手がまた信頼してくれたらすぐに信頼に戻す、この繰り返しです。(p.133)
決断することは、人に嫌われるリスクを取ることです。
私たちは、人に嫌われるのが恐いから、気の進まない頼まれた仕事を極力引き受けようとしたり、気の進まない付き合いも断らないのです。しかし、魅力のある人が誠実さを持って仕事を断ってきて、そのことでより魅力を増した場合と、魅力のない人が断らなかった場合と、どちらが私たちにとって、現在も将来も魅力的な人物かということです。すなわち、パラドックスなのですが、積極的に断らないと、自分が魅力的になれないのです。(p.170)
「捨てられない人は、圧倒的にインプットの量が足りない」というのが私の考えです。大量の情報のインプットの中で、捨てて、さらに捨てて、その結果として、インプット5対アウトプット5が実現できます。(p.210)
なぜ、本に書いてある情報はあくまで擬似パーソナル資産であり、人の情報のほうが優れた面があるのでしょうか?
答えは単純で、本に書いてあることは万人向けですから、本当のことはすべて書けないからです。「本当のこと」とは、それを言うと誤解を招く可能性があるとか、批判を招きかねないというような意見のことです。(p.232)
私たちはいま手に入れている事象を過大評価し、将来手に入る事象を過小評価する傾向があるため、ちょっとした決断であっても、痛みをともなうことは躊躇しがちなのです。(p.254)
2008年12月04日
ビストロ喜楽亭
池尻と三宿の間にある、欧風カレー屋。
インドカレーやタイカレーのような、エスニックカレーはあまり好きじゃない。
カレーは、欧風カレーに限ると思っている。
![]()
「壷焼き」ってところがいい。
壷焼きって何だ?とか、壷で焼くと何がいいんだ?
ということはわからないけど、なぜか美味そうなイメージがする。
ライスもカレー仕様になっているし、揚げオニオンが乗っていたり、
細かいこだわりが色々とみられる。
メニューの種類がやたらとあるのと、トッピングや辛さもかなり好みに応じたオーダーが出来るという、CoCo壱番屋を凌ぐ自由度を誇っている。
サイドメニューの数も多くて、カキフライとかがあるのもいい。
持ち帰り出来る、カレーパンも旨そうだった。
■ビストロ喜楽亭 池尻本店
東京都世田谷区池尻3-30-5
03-3410-5289
11:00~26:00
2008年12月03日
ONE PIECE 33巻
「DAVY BACK FIGHT」編も良かった。
あまり長い話しではなく、閑話休題的なおもむきのある章だったけれど、すごく楽しかった。シリアスな雰囲気がまったくなく、一貫してひたすら賑やかなノリで進んでいくところがいい。
どたばた劇が続いて、その勢いにのったまま最後まで押し切ってしまう強引さや、キャラクター設定そのものが、タツノコプロのタイムボカンシリーズを彷彿とさせる。
「ONE PIECE」は、最初のほうの巻はあんまりピンとこなかったけれど、ここにきて俄然、面白くなってきた。
週刊連載モノは、長期連載になると、「DEATH NOTE」のように、だんだん場あたり的に作りが粗くなってくる作品もあるけれど、この「ONE PIECE」の場合、後のほうの巻になるほど、細かいところまで設定がよく練られているような気がする。
2008年12月02日
パイドン(プラトン)
ソクラテスが、刑死の直前に周りの弟子たちと語ったという設定で書かれた、「魂の不死」についての対談。なぜ、ソクラテスが「悪法も法なり」と言って、毒杯をあおることに少しもためらいがなかったのか、これを読むととても腑におちる。
この、現世での「生」以上に、自分自身の思想に殉じる姿は、吉田松陰を連想させた。
テーマとしては、「肉体が滅ぶと共に魂も滅ぶのか、それとも、肉体が滅んだ後にも魂は残るのか」という、普遍的なテーマではあるけれど、そんじょそこらの宗教家や哲学通が語る生半可な死生観とはわけが違う。なにしろ2000年以上の長きにわたって生き残ってきた、名演説なのだ。
どういでもいいような細部には用心深くこだわる周りの弟子たちが、大筋では意外とあっさりとソクラテスの主張を認めてしまうところは、ちょっとおかしな感じはするけれど、この、丁寧な論証の仕方は見事だと思う。
面白いのは、この「魂の不死」という概念が、ユダヤ教やキリスト教のような、いかなる宗教とも無関係に、論理によって導かれた結論として語られていることだ。それにもかかわらず、この、古代ギリシア人の考えは、現代においても広く信じられている概念ととてもよく似ている。
一つのことを説明するのに、どれだけ細かく論理の積み重ねをする必要があるのかと、あきれるぐらいまわりくどいのだけれど、これこそが、ロゴスによる思考の原点なのだと思った。
【名言】
これからあの世へ旅立とうとしている者が、あの世への旅路について、それがどんなものであるとわれわれが思っているのかを、検討したり物語ったりすること以上に適切なことは、おそらくないだろう。じっさい、日没までの時間のあいだに、他になにをすることができるだろうか。(p.22)
正しく哲学している人々は死ぬことの練習をしているのだ。そして、死んでいることは、かれらにとっては、誰にもまして、少しも恐ろしくないのである。(p.38)
もしもある人がまさに死のうとして怒り嘆くのを君が見るならば、それは、その人が哲学者(知恵を愛する者)ではなくて、なにか肉体を愛する者であったことの、充分な証拠となるのではないか。おそらく、この同じ人は金銭を愛する人でもあり、名誉を愛する人でもあるだろう。そのどちらかであるか、その両方であるだろう。(p.39)
もしも、一方の生成が、ちょうど円環をなしてめぐるように、他方の生成をつねに補うのではなく、かえって、生成が一方からその正反対のものへのみ向うなにか直線的なものであって、再び元へ戻ることもなければ向きを変えることもないとすれば、万物は最後には同じ形をもち、同じ状態となって、生成することを止めてしまうだろう。(p.53)
私はそれまでにもソクラテスという方にしばしば驚いたことがあるのですが、あの方が答えるべき言葉をお持ちだったことは、おそらくなにも驚くべきことではないでしょう。だが、私があの方について特に驚嘆した点は、先ず、あの方が若者たちの議論をなんと楽しげに、好意をもって、そして感心しながら受け取られたかということ、それから、かれらの議論によってわれわれがどんな精神状態に陥ったかをなんと鋭く見抜かれたかということ、さらには、そういうわれわれをなんと見事に癒してくださったかということ、なのです。(p.100)
そうすると、死が人間に近づくと、思うに、人間のうちの可死的な部分は死ぬが、不死なる部分は、死に対して所を譲って、安全に滅びることなく立ち去ってゆくのだ。(p.150)
われにもあらず、どっと涙があふれでて、私は顔を覆ってわが身を嘆きました。そうです、あの方の身を嘆いたのではありません。私自身の運命を嘆いたのです。私はなんという友を奪われてしまうのか、と。(p.175)
2008年12月01日
スカイ・イクリプス
「スカイ・クロラ」本編とはちょっと趣向が違う、外伝的な位置づけの短編集。
一編を除いて、いずれの短編の主人公も、本編では脇役として登場した人物で、違った視点から「スカイ・クロラ」の世界を感じられるようになっている。
特に好きだったのは、ササクラの視点から語られる、「ジャイロスコープ」という短編だった。
しばらく読み進めるまで、その短編の主人公が誰なのかがわからないことが多い。色々な情景描写や独白を組み合わせながら、この語り手が誰なのかと、この出来事がいつの事なのか、を想像しつつ読み進めるという楽しさがある。
各章の冒頭文は、ポール・ギャリコの「雪のひとひら」からの引用で、それと歩調を合わせるように、今巻は、全体にしんみりとした、穏やかな感じになっている。
「スカイ・クロラ」本編は、既刊の5冊で幕引きであるような雰囲気だけれど、こういう外伝的な作品が今後も継続的に出されて、時々「スカイ・クロラ」の世界に戻ることが出来れば最高だと思う。
それとも、作者は、この一冊をすべての謎に対する最後のヒントのつもりで世に出したのかも知れない。それはそれで、この、救いの残る「スカイ・イクリプス」を締めくくりとして持ってきたのは、素晴らしい終わり方だと思う。
【名言】
どう答えようかな、とササクラは迷った。図星だったからだ。クサナギという人物は難しい。感情的なところがあるかと思えば、あるときは冷静、冷酷、沈着。どちらが、本当の彼女なのか、よくわからない。少なくとも、彼女はパイロットだ。それもエースである。この基地では指揮官補佐の位にある。整備工には絶対的な命令を下すことができる立場だ。彼女の機嫌を損ねれば、即、彼のすべての楽しみが奪われる可能性だってある。(p.18)
散香は、着陸するような低空。
タッチアンドゴーでもするつもりか。
と思われたとき、半ロールして、背面飛行に。
高度が落ち、キャノピィが地面を擦りそうなくらい。
ふわっと、少し浮かんだかと思うと、また半ロール。
今度は正立。
ちょうど目の前に来る手前でまた半ロール。
もうやめてくれ、とササクラは叫びたくなる。
危ないじゃないか!
機速が不充分だ。
ぎりぎりだ。
カメラの前を超低空背面で通り過ぎ、また正立に戻す。
もう一回、ロールをして、背面のまま、ようやくエンジンの回転を上げ、上昇していった。
「心臓に悪いな」ササクラは呟いた。
右手でも垂直上昇。途中でエンジンを絞り、ストール・ターンを見せる。
次は、連続ロールでスクリューのまま、右手からアプローチ。
さすがに、高度十メートルくらいあった。
それでも、回り続けている。
そして、みんなの前を通るときには、エイト・ポイント・ロールに切り替わり、四十五度の角度ずつ、一瞬止めながら、ロールをしていった。
左手へ通り過ぎたあと、何人かが、拍手をするのが聞こえた。思わず手を叩きたくなったのだろう。(p.26)
ピッチ・ベースを下げたことに、彼女は気づいた。ササクラはそれを考えていた。低空でアクロバットをするなら、と思って、昨夜、ほんの気持ち程度、ボルト半回転ほど、マイナスに設定しておいたのだ。まさか気づくとは思わなかった。気持ち良く飛んでくれたら良い、くらいに思っていたのだ。(p.32)
基本的に大事なことといえば、落ち着くことだ。自分も含めて組織全体が。いつも、これを考える。頭に血を上らせてはいけない。自分も含めてこの社会全体が。それなのに何故か、躍起になって頭に血を上らせようとする勢力が押し寄せる。何だろう。どこに起源を発しているものか不明だが、非常に不思議だ。(p.128)
■「スカイ・クロラ」シリーズ
「スカイ・クロラ」
「ナ・バ・テア」
「ダウン・ツ・ヘヴン」
「フラッタ・リンツ・ライフ」
「クレィドゥ・ザ・スカイ」

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