東京で一瞬だけ、雪が降った。
雪だ!と思ったら、次に見た時にはもう雨になっていた。
今シーズン、東京で雪を見るのはこれが最初で最後な気がする。
» 2009 » 2月のブログ記事


国盗り物語1~2巻(斉藤道三編)(司馬遼太郎/新潮社)
この小説が面白いのは、主人公がいわゆる「いいヤツ」ではなく、どちらかというと「悪いヤツ」だという、ピカレスク小説であることだ。
戦国大名の中でも、斉藤道三というのは、出自がただの僧侶であるというところが相当変わっている。何の権力も仲間もいない一人の男が、本当の裸一貫から始めて、一国の主にまで成り上がっていくというのは、最高に痛快な物語だと思う。
その天下統一の志は、後に信長、秀吉へと引き継がれていくことを考えると、この道三こそはその大事業の先鞭をきった人物であって、それだけに、その器も才能も相当に大きい。
その型破りな思想と智謀から起こるエピソードには面白い場面がたくさんあるのだけれど、特に、最高に良かったのは、次の場面だった。
・絶世の美女の深芳野を、美濃国の地頭である頼芸から奪う場面(1巻p.441)
・内親王である香子に、美濃に来るよう説得する場面(2巻p.39)
・お万阿を助けに行く時、赤兵衛を殴りつける場面(2巻p.299)
この道三とほとんど同年にイタリアで生まれたマキャベリのことが、小説の中で引き合いに出されているのだけれど、その「君主論」で描かれているところの理想の君主に非常に近い資質を持った道三という人物が、遠く離れた日本という国に存在していたということはとても面白い。
斉藤道三や明智光秀は、一般世間的には悪役のイメージのほうが強いキャラクターだけれども、司馬遼太郎氏の視点からは、逆に、この二人にこそとても強い愛着を持っているのだということがよくわかる。その意味で、教科書的な価値観とはまったく違った視点を与えてくる、歴史の醍醐味を存分に含んだ小説だと思う。
【名言】
(僧房の生活は退屈だった)
しかし無益ではなかった。学んだものは法華経である。内容は愚にもつかぬ経典だが、法華経独特の一種、強烈な文章でつづられている。すべてを断定している。はげしく断定している。天竺語を漢文に訳したシナの訳官の性格、文章癖がそうさせたものか、どうか。それはわからない。(1巻p.125)
「わしはいつも街道にいる。街道にいる者だけが事を成す者だ。街道がたとえ千里あろうとも、わしは一歩は進む。毎刻毎日、星宿が休まずにめぐり働くようにわしはつねに歩いている。将軍への街道が千里あるとすれば、わしはもう一里を歩いた。小なりとも美濃の小地頭になった。」(1巻p.342)
「お万阿、世のこと宇宙のことは、ニ相あってはじめて一体なのだ。これは密教学でいう説だが、宇宙は、金剛界と胎蔵界の二つがあり、それではじめて一つの宇宙になっている。天に日月あり、地に男女がある。万物すべて陰陽があり、陰陽相たたかい、相引きあい、しかも一如になって万物は動いてゆく。宇宙万物にしてすべてしかり。一人の人間の中にも、陰と陽がある。庄九郎と勘九郎はどちらが陰か陽かは知らぬが、とにかく、厳然とこの世に二人存在している。お万阿、疑わしくば美濃へ行ってみるがよい。勘九郎という男はたしかに実在している。」(1巻p.345)
「もし深芳野様を頂戴しましたあかつき、それにかわるものとして、殿のお手もとに美濃一国を差しあげまする。
殿、大志を抱かれませ。この西村勘九郎がこのひと月のうちにみごと殿のために美濃の国主の座を奪ってさしあげまする」(1巻p.444)
「茶とは便利なものが流行ったものでござりまするな。ここに一碗の茶を置くだけで浮世の身分のちがい、無用の縟礼をとりのぞくことができるとは」
といった。事実、茶の席では、亭主と客の二つの立場しかない。(2巻p.52)
「お干しくだされ。それがしも頂戴する。もう、この一件、思いあきらめた。禅家では一期一会と申す。普天の下、人間は億千万人居りましょうとも、こうして言葉をかわしあうほどの縁を結ぶ相手は生涯でわずかなものでござる。よほど前世の因縁が浅くなかったのでありましょう。
そうではござらぬか、宮。あなた様のおん前にいるのは、仏縁によってここに湧出したるただの男。わが前にいるあなた様は、これまた逢いがたきみほとけの縁によりてこの山に湧出したるただのおんな。
そのただの女と男とが、ふしぎな縁で酒を汲みかわした、ということでこのたびはお別れしよう。」(2巻p.64)
庄九郎にとってなにが面白いといっても権謀術数ほどおもしろいものはない。
権ははかりごと、謀もはかりごと、術もはかりごと、数もはかりごと、この四つの文字ほど庄九郎の好きな文字はない。(2巻p.99)
「人の世にしくじりというものはないぞよ。すべて因果にすぎぬ。なるほどわしの場合、昨日の悪因がきょうの悪果になったが、それを悪因悪果とみるのは愚人のことよ。絶対悪というものは、わしが妙覚寺本山で学んだ唯識論、華厳論という学問にはない。悪といい善というも、モノの片面ずつにすぎぬ。善の中に悪あり、悪の中に善あり、悪因悪果をひるがえして善因善果にする者こそ、真に勇気、智力ある英雄というわい」(2巻p.157)
「おぬしは天下の岡部又右衛門ではないか。たかが一国の小守護が来たからといって、居ずまいをただす必要はない。わしは一代で死ぬ。おぬしの仕事は百世に残る。どちらが上か」(2巻p.283)
(お万阿と約束した「天下」が、はたしてとれるかどうか)
とれる、とおもっていたのは、若年のころである。年を経るに従ってそれがいかに困難な事業であるかがわかってきた。なにしろ、美濃という国を盗ることに二十年以上の歳月がかかってしまった。あとは東海地方を制圧し、近江を奪り、京へ乗りこむ。それにはもう二十年の歳月が必要であろう。
(いつのまにか、老いた)
五十に近くなる。
(もう一つの一生が)
と、庄九郎はおもった。
(ほしい。天がもう一回一生を与えてくれるならば、わしはかならず天下をとる。とれる男だ)
が、のぞむべくもない。(2巻p.503)
すでに自分の人生が夕暮にさしかかっていることを庄九郎は知っている。いまや美濃を得、晩年にはあるいは尾張がとれるかもしれない。しかしそれで今生はおわる。そう見通すことができる。そうとすれば、せっかく今生で得た領土を、どうしても捨てる気にはなれない。これは煩悩ではない。と庄九郎はおもった。
美濃をすてれば、庄九郎の一生のしごとはなにもかも無に帰し、この男がなんのためにうまれてきたか、いや生まれてきたどころか、かれがこの世に生きたという証拠さえなくなるではないか。(2巻p.511)

仏像の本(廣瀬郁実/山と渓谷社)
「仏像」の見方について、とても細かく、親切に説明している本。
仏像の本であるにもかかわらず、辛気くさい雰囲気を一切排除して、ファンシーな印象さえ与える楽しげな内容になっている。なにしろ仏像のことなどほとんど何も知らなかったので、一つ一つの解説がとても新鮮だ。
手の形とか、持っているものとか、座っている台座によって、その仏像がどういう種類の仏で、どういう役割を担っているのかということがわかるようになると、たしかにこれは、仏像を見るのが楽しくなる。
【名言】
仏像の手の水かきは、悟りを開いた方の証。つまり、如来さまの目印です。私たちの手で水をすくってみようとしても、指の隙間から水はこぼれていってしまいます。でも、悟りを開いた如来さまの手で、同じように水をすくうと、手のひらにいっぱい水がたまります。この水かきは「誰一人として自分の救いから漏らしませんよ」という意味が込められているのです。(p.32)
どっしりと坐っていたり、まっすぐに立っていたりされるのは、ほとんどの場合が悟りを開いた如来さまです。如来さまは、正しい道を知っています。みんなが迷わぬように、いつでも正しい法を説かなければなりません。なので、如来さまは動かず、ここに確かにいますよ、という姿勢をされているんだそうです。
ちょっと前かがみになったり、体をねじったりしているのは、動きを表しています。「今すぐ助けにいきますよ」というメッセージです。(p.39)

人間交差点 全19巻(矢島正雄/小学館)
弘兼憲史氏といえば「島耕作」シリーズのイメージが強いけれど、真の代表作は、この「人間交差点」だろうと思う。これは、語り継がれるべき名作だ。
とにかく、抜群に絵が上手い。
このシリーズには、老若男女の、様々な種類の人が登場する。真面目な人、やる気のない人、ズルい人、複雑な事情を抱えた人、お人よし、未亡人、探偵、ホステス、などなど・・この世のあらゆるタイプの人々や職業を網羅していると言っても過言じゃないくらいの幅広さだ。
一話で20ページくらいしかないので、それぞれのキャラクターの細かい背景までは説明するスペースはないわけだけれど、それでも、人物の表情や格好で、おおよそのところを想像させてしまう、絵の上手さがある。
原作の矢島正雄という人は、他の作品は読んだことがないのだけれど、このストーリー作りの技もまたすごい。たった数十ページの短編なのに、十分に一本の映画に匹敵する内容の大作もたくさんある。どれくらいの頻度で連載していたものか知らないのだけれど、よく、このクオリティーを保ちながら、これだけの量を描き続けられたものだと思う。
文庫版の全19巻の中から、一冊選ぶとすれば10巻だろうと思う。
1巻~4巻あたりは、まだ方向性を模索している状態なためか、若干パワーがない。
短編集のため、どの巻から読んでも大丈夫なので、変則的に、途中の巻から読んでみるのがおススメ。
■特に良かった話し
5巻「挽歌」
6巻「窓」
6巻「渦」
6巻「海からの手紙」
7巻「輝きの中で」
9巻「扉」
9巻「海岸線」
10巻「一月の陽炎」
10巻「鬼火」
10巻「距離のない行進」
10巻「その時から」
13巻「追憶」
15巻「白夜」
15巻「血」
15巻「紅い花」
15巻「街」
19巻「なれの果て」
■名言
サイパンにおったですよ、戦争中・・。
サイパンにおって戦争しとったのか、自分だけが生き残る戦いしとったのか、未だにようわからんですわ。
いっぱい死んだです・・生き残っとって、勝ったかどうか未だにわからんとです。
中にはおるですよ、自分が死んでも人助ける奴・・本当におるとですよ。
信じられん凄い奴おるとですよ。
死んでも絶対消えん奴おるとですよ・・生きとっても勝ったかどうかわからんです・・。
生きるちゅうのは引きずることです。ズルズルズルズル引きずっていくことですよ。
ズルズルズルズル音たててみっともないとですよ。(9巻p.249)
この塔を作る時、事故にあった人がいた・・おじさんの知ってる人もいた・・。
でも、ここの展示場の説明には、その人達のことが書いてない・・何故だかわかるか?
この塔はね、この国の文化がとても進んだ国ですよーって、他の国に見せる為に建てられたんだ。
だからね、これを作る為に事故があったりしちゃいけないんだ。
本当は科学技術よりも、地下足袋履いた鳶職の人達の力が大きかったんだけど、そんなことも言っちゃいけないの。
大人の世界はそういうものなんだ・・何だかんだ言ったって、所詮、社会は弱い人間が犠牲になって成り立っている訳さ。(9巻p.295)
良いことも悪いことも一瞬、だからこそ大事なんだよな、人生って・・
やり直しがきかないなんて格好いいじゃないか・・
最高じゃないか・・
一生のうちに何度も時代の寵児になっちゃおかしいものな・・。(9巻p.300)
「恥ずかしい話ですが、私は人の言うままに生きている方が楽なんです。
・・私は自由な時間がこわい、何をしていいのかわからなくなるんです。」
「全く、私ら、自由に生きる習慣なんて身につける余裕なんかありませんでしたからな・・。
生活、戦争、仕事・・それだけでしたからなあ。」(10巻p.47)
一人・・妻は逝き、子は旅立ち、ただ時間のみが膨大にある・・
淋しくなく、悲しくなく、虚しくもなく、日々、生きる喜びに満ち、豊かなり・・(10巻p.53)
サダ・・私には祝えない。
おまえの結婚を祝えなかったように・・私にはこういう結婚を祝うことが出来ない。(10巻p.138)
世界の国々では価値のものさしがそれぞれ違うということを知った時、俺は今までの自分をひどく恥じた。
金が総ての時代に、いちばん似つかわしい自分を恥じた・・。
そして俺はマネーゲームから降りたんだ。(10巻p.220)
金を持っている大人は時間を持てるが、金を持っていない大人には一瞬しかない。
正義、恋愛、夢・・こういう、瞬間にしか存在しないものに貧乏人は総てをかける。そして、その一瞬の過ちのために、気の遠くなるような苦しい残りの時間を、おびえて過ごさなければいけないのだ。(10巻p.286)
人間の人生なんてみんな似たりよったりさ、いろんなことをやって来たように思っても、しょせん大したことはないのさ。
金持ちも貧乏人も、偉い奴も偉くない奴も、みんな過ぎ去ってしまえば同じだ。(13巻p.47)
当たり前なんですよ、悲しいものを悲しく書くなら誰にだって書ける。
それは自分の為に書いているんだ、自分の悲しさを、寂しさを、苦しさをわかって下さいと書いているんだ。
そんなものを人様に見せるぐらい、傲慢なことないんじゃないでしょうかね。(16巻p.213)
おまえがかわいそうな時代に生まれてきたのも確かだ・・。人間の本当の豊かさが知と愛と優しさを身につけることだということが理解しにくい世の中だ。
いつか必ず終わるだろうが、今が狂っているのだ・・。(16巻p.294)
ボクは父のようには生きないだろうな、たぶん父程の才覚もないし、エネルギーもない、時代も違うし価値観も違う。
ただ大人になった息子に、ふと思い出してもらえたら充分だ・・(15巻p.164)
父も、祖父も、そして曾祖父も、おそらく自分しか見ていなかったのだ。
あの花は自分の血だ・・。己を全うするだけの人生なら、その人生は生きるに値しないという死の誘いだったのだ。そして今、人生は自分のためだけにあるのではない、ということがわかった・・。(17巻p.131)
「想像してた通りだ。生きてるなって感じだな・・おまえは昔から人の為に生きてきた。」
「人の為?そんな事あるもんか!俺はいつだって、俺の為に生きて来たよ。正直言えば、利己的なぐらい自分自身の為だけに生きて来た。」
「おまえ生きてて楽しいか?人生は面白いんだぞ。とてつもなく楽しいんだ。心からそう思ったことがあるか?」(19巻p.131)
おもしろいものな、おまえの亭主。世の中にこれほど馬鹿な男がいるのかと感心する。何をやっても失敗して反省ひとつしようとしない、人の迷惑というものを知らない。すべてのものは自分が楽しく生きていく為にあると信じ込んでいるようじゃないか。
誰でもいつかは死ぬ。皆、毎日を面白おかしく暮らしたいと思ってはいるが、なかなか出来ない。私もそうだ。
財産が何だ、親戚が何だ、世間体がどうしたって、ハメはずしてハチャメチャやったとしても、みんなほんの一瞬だ。
それ以外の膨大な時間を苦虫を噛み潰したようにつまらなく暮らしている。
そんな私がこの人の生きる頼りになんかなっていた筈がない。(19巻p.152)
一人の人間の人生の頂点なんてたった三年ですよ。どんな人間でもどんな仕事でもどんな世界でもそんなものです。
良い悪いじゃない、才能も技術も関係なく、充実しきって極める頂点が誰にでもある。
いい仕事をするんです、輝いているんです。その時にしか出来ないものもあるんです。(19巻p.207)
日本語を勉強中のカークに、「日本語は、英語のようにスペースを入れないから、単語の区切りがわかりにくい」と言われた。
そう言われてみれば、たしかにそうなんだけど、普段それをあまり意識しないのは、日本語の場合、句読点での区切りの他に、ひらがな→漢字のように「文字の種類が変化するところ」は単語の区切りであるという了解があるからだろうと思う。
文章の全部がひらがなだけで書かれているとしたら、これはわかりにくい。
そこで、あらためてスゴイと思うのは、ひらがなとカタカナという区別も、同じ役目を果たしていることだ。
例えば、
「肩をあっためてスタンバイしておきます」
という文章が
「かたをあっためてすたんばいしておきます」
となると、単語の区切りがどこなのか一目ではよくわからない。
だから、読みやすい文章というのは、これを利用して、単語の区切りがわかりやすくなるよう、意図的に文字の種類を巧みに切り替えている文章なんだろうと思う。

14歳からの社会学(宮台真司/世界文化社)
これは、タイトルでは社会学となっているけれども、一般的に言われている意味での社会学よりもずっと広い範囲の話しで、宮台氏の思想や考え方の全体を、非常にわかりやすい言葉で一冊の中にまとめた本だった。
「14歳から」とはタイトルにあるものの、14歳でこの内容を理解出来るとしたら、相当に早熟な人なんじゃないかと思う。中学生向けとしてレベルを落としているというような雰囲気はまったくなく、そのターゲットはものすごく広いはずだ。
この本が面白いのは、著者自身の経験談から説明をしている話しがとても多いところだ。特に、東南アジアでの、自分が世界の前では小さな点にすぎないという気持ちになった経験を元に、自分たちは<社会>と<世界>の両方に住んでいるということを語った部分はとても共感を感じた。
宮台氏の評論や著書からは時々、目からウロコが落ちるような発見を与えられるけれど、言葉のいいまわしや引用がやたらと難しいのが難点で、何を言いたいのかわからないことも多い。でも、この本は、これ以上ないくらいに易しい文章で説明されていて、しかも、内容としては手を抜かずに真剣に語っている。本当に、著者の気合が伝わってくる本気さで、この一冊の中に含まれているメッセージの密度はかなり濃い。
【名言】
民主制を否定するんじゃなく、うまく機能させるために、みんなで決めるんじゃなくて「エリート」が3つくらいにルールの選択肢をあらかじめしぼって、大衆に聞く。さもないと失敗をくり返しているうちに死んでしまう。(p.51)
ドイツに限らず、イギリスでもフランスでも、エリートに任せて尊敬する文化がある。逆にいえば、エリートになれないことを引け目に感じない文化がある。社会学では、これを「階級社会」という。日本で「階級」というと悪いイメージだけど、社会学ではそうは考えない。(p.52)
昔は先輩のツテとかで偶然に就職した。いまは何十社も比べて就職する。学生は「自分にピッタリの仕事があるんじゃないか」と思いこみやすい。だから実際に就職できても迷いが消えない。「本当はもっとピッタリの仕事があったんじゃないか」と。1章で「選ぶ能力」の大切さをいったけど、ここでも同じ問題が出てくる。「選ぶ能力」がとぼしい学生は、選択肢が増えたところで幸せになれない。
社会のことも、自分のことも、ロクに知らない学生が、「もっと自分に合った仕事がほかにあるんじゃないか」みたく永久にさまよい続ける。「もっと自分に合った女の子がほかにいるんじゃないか」と永久にさまようのと同じことで、正直いって下らない。(p.109)
ぼくが、就職活動をひかえた学生に、いつもいっていることがある。それは「自己実現できる仕事があるという考えを捨てろ、そんな期待を持てば持つほどがっかりする。そうじゃなく、どんな仕事をするんでも『自分流』にこだわることだけ考えろ」ということだ。
あるいは「これさえあれば十分」という考え方をしろということだ。自分は何があれば幸せな人間なのか、そのためにどんな生活ができればいいのかをはっきりさせ、「それにはこのくらいのお金と時間があれば十分」というふうに考えて、割り切って仕事を探す。(p.112)
小室直樹も廣松渉も信じられないほどの知識の持ち主だ。そしてその信じられないほどの知識量が、人格の中にきちんと構造化されている。彼らはひと言もしゃべらなくても、圧倒的なオーラがあった。
彼らの知識ひとつひとつは、問題じゃない。書かれた書物をもふくめた「たたずまい」を見ていると、突如「この人は絶対スゴイ」としびれる瞬間が訪れる。それが訪れてからは、「その人だったら世界をどう見るのか」をひたすらシミュレーションするだけだ。(p.136)
ぼくが先に若死にしてしまったら、妻はどうなるのだろう。でも、そんなに心配はいらないかもしれない。妻はぼくよりも20歳も若い。たぶん新しい出会いが待っているだろう。それは、ぼくが死ななければあり得ない出会いだ。
それでいいんじゃないか。君たちの中にだって、そんなふうにして生まれた人がいるはずだ。実は、死を受け入れないということは、自分の存在を受け入れないということだ。自分の存在だけ受け入れて、死だけを受け入れないというのは、身勝手じゃないか。(p.154)
ぼくらにとっての死。それは<社会>の中で死ぬことでもあれば、<世界>の中で死ぬことでもある。<社会>の中では「承認」が問題になる。<世界>の中では「承認」どころかアリンコみたいな存在だ。「承認」を気にしている自分など、とてもとても小さい。(p.160)
ここで大切なのは、カントの発想では、「内なる光」は感情ではなく、感情にあらがう「意思」にこそ宿るということだ。「知・情・意」でいうと、日本人は「情」に人間らしさを求めがちだけど、カントは違う。あくまで「意」が人間的なものの中心だ、と考える。(p.190)
自由が丘からモスバーガーがなくなってしまったと思ったら、その瞬間に転生したかのように、時を同じくしてハンバーガー屋がオープンした。
店の半分は、ベランダのオープンスペースという思い切った作りになっている。冬は寒いので屋根を閉じているけれど、暖かくなった後は屋根が開くらしい。

ハンバーガーは、かなり本格的なもので、基本の「自由が丘バーガー」は、ゴマのバンズにトマト、レタス、たまねぎ、ピクルスが入った、いかにも!といった感じのもの。ケチャップが特製で、トマトの味が濃くて妙に旨い。
15時以降はメニューが増えて、夜には一変してバーのような形態になる。営業時間が23時までなのが残念。ここは、夜遅くまでやっていてほしい店だ。
場所は、セブンイレブンの向かいの、昔郵便局があった建物の4F。

とっぴんぱらりのぷぅ(田中芳樹/光文社)
田中芳樹氏の書く小説には、物語の面白さが存分に含まれている。
それは、田中氏自身が、小さい頃からとにかくたくさんの物語を読んでいた少年であったことから影響を受けたものであるらしい。その思い出を振り返りながら、どんな物語に影響を受けてきたかを語るという、ちょっと変わったブックガイド。
紹介されている本としては、古今東西の名作と言われている作品ばかりなのだけれど、それを田中氏が説明すると、より一層、面白いものであるような気がしてきて、まだ読んでない本は是非とも読んでみたい気分になる。
視点がやはり、「面白い物語とはいったい何なのか?」ということを常に考えてきた人からの言葉なので、分析がとても的確で細かいし、とにかく名作と言われる作品についての知識が豊富なことに驚かされる。
選書があまりマニアックではなくて、広い層にその良さが理解出来るような作品ばかりを取り上げているというところもいい。
考えてみれば、「銀河英雄伝説」も「アルスラーン戦記」も、その原型は過去の名作の基本を踏襲した作りになっていて、そのプロットは、定番作品の緻密な分析に基づいたものだったのだということがよくわかる。
【名言】
「水滸伝」のヒーローたちは、そのほとんどが奥さんや恋人に裏切られて、世を捨てているんですよ。健全な夫婦関係が断たれて「普通の家庭」から切り離されたとき、そもそも社会にはいられなくなる、という状況があるわけです。実際、梁山泊はユートピアではなく、むしろ魔界なんです。世間に居場所のない人たちがそこに集まっていく。(p.97)
漫画は視覚的な表現の効果という点では明らかに小説を上回るわけですが、たとえば聴覚に関わるような面では、やっぱり小説のほうが表現の幅があると言えるでしょうね。(p.126)
