» 2009 » 6月のブログ記事

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ミュージッククリップのような、映像の美しさを第一義にして創られた、こだわりの世界。ここまで徹底して、独自の世界観を作り上げた映画というのは、他に類を見ない。舞台も不明、時代も不明、政治体制も不明という、徹底した無国籍ぶり。
日本語でも中国語でも英語でもない、「円都(イェンタウン)語」とも呼ぶべき、言葉から作ってしまうというのはすごかった。特に、リョウ・リャンキ(江口洋介)の混ざりっぷりはあまりにオリジナルなので、実在するどこかの言葉であるような気がしてしまう。
シルク・ド・ソレイユのステージでも思ったことだけれど、「単語」というレベルを越えた「言語」そのものを新たに作り出してしまうというのは、創造の究極だと思う。
ほとんど全編で字幕が出るあたりは、邦画というものとはかけ離れた内容になっているけれど、しかしこの、すべてを呑み込む混沌を受け入れる素地があるのは、やはり邦画なのだろうと思う。
監督:岩井俊二
出演:三上博史、Chara、伊藤歩、江口洋介

インドネシアの年齢別人口分布図が、面白い形だった。
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http://www.stat.go.jp/info/meetings/develop/indpd.htm

国勢調査をすると、自分の正確な年齢がわからないので、30歳とか45歳とかキリのいい数字を言う人が多いためにこういうおかしな分布になるのだという。

絶対貧困

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絶対貧困(石井光太/光文社)

かなり素晴らしい本だった。
TV番組や映画や公共広告で報道されているような形での、発展途上国のスラムやストリートチルドレンの紹介ではなく、実際に、本当に現地でギリギリの貧困生活を送っている人々の中に入って共に生活をして、そこでの生活者の目線で書かれているノンフィクションだけが持つリアリティがあった。
この本が素晴らしいと思うのは、出来るかぎり正確にわかりやすく、世界の「絶対貧困」の生活がどういうものかということを伝えようとしているという点だ。世界には、一日の平均収入が1ドル以下の人が18億人、2ドル以下では30億人いるという。もはや世界の総人口の半分を占めているというのに、それが具体的にどういう暮らしなのかというのは、メディアから与えられる情報だけしかほとんど知ってはいない。この本では、「貧困学」という講座の形態をとって、写真や図版を多く交えながら、かなり客観的に、克明にその現場の状況を解説している。
思いっきり悲惨な実態も書かれているけれど、思いっきり笑えるエピソードも色々書かれている。スラムの話しで可笑しいという表現は似つかわしくないと思われるかも知れないけれど、そこにも人間が暮らす以上は喜怒哀楽があるのは当然で、その悲惨な面のみをクローズアップしている報道とは一線を画しているところも、また良い点だと思った。
今まで、発展途上国について刷り込まれていたイメージの多くの部分が、この本によって、大幅に更新されることになった。こういう本を書くということは、本当に尊い仕事だと思う。
【名言】
現地にいると、そこに多くの笑顔があったりします。しかし、だからといって、それが「安全」というわけではないのです。きつい言い方をすれば、それは「自然淘汰」に勝ち残った者たちの笑顔にすぎないのです。私たちはテレビ番組に映し出される「笑顔で必死に生きる貧しい子供」を見てほっとしますが、番組にならない所では何倍もの死が横たわっていることもあるのです。(p.44)
路上生活者たちの中では、女性の分娩がはじまってしまったら、その場にいる男たちが協力して病院へ運ぶというのが約束事になっているのです。むろん、これは出産だけではありません。病気や事故があれば、その場にいる全員が仕事も何もかもほっぽりだして助けに駆けつけるのです。こうした人情が路上生活者の切羽詰ったギリギリの生活をかろうじて支えていると言えるのです。(p.115)
「町の路上にいたって、誰からも相手にされずに死んでいくだけじゃないか。だけど、軍隊にいればみんな僕のことを必要としてくれるだろ。働けば働くだけほめてもらえる。偉くなることだってできる。だから自分の意思で加わったんだよ」(p.191)
通常、大学などで途上国の貧困を研究したいと思った時、国際関係学の一分野である国際開発論を勉強することになります。あるいは、国際経済学だとか、国際社会学といった領域からその道に入る方もいらっしゃるでしょう。ただ、実際に貧困地域に暮らす人々が、かならずしもそうした最大公約数的な問題や理論に当てはまるとは限りません。彼らが日常的に直面し、重要だと思っているのは、もっと小さく細かいことなのです。(p.282)

レストランを検索すると、「ぐるなび」と「食べログ」が上位に出てくることが多い。いわばレストラン検索界の2巨頭のサイトだけれど、使い方という点ではまったく異なる。
まだ行ったことのないレストランの情報や口コミを調べるような場合には、客観的なスタンスの「食べログ」はとても参考になる。その一方で、ぐるナビに書いてあるのは自己言及の情報なので、その分、内容については割り引いて考える必要がある。
しかし、誰かとそのレストランに行くことが決まって、その場所などの連絡をするような場合には、食べログのページは連絡しにくい。ある程度、評価の点数が高い店だったとしても、マイナスの口コミも含めて書かれているページを行く前にお伝えするのは、はばかられる。
だから、この2種類のサイトは、両方とも、今後も必要とされるのだろうと思う。
他の業種についての、こういう情報サイトでも、おそらく「ぐるなび」と「食べログ」のような棲み分けは起こるはずで、この2種類のうちまだ片方しかメジャーなサイトが存在しない業種では、もう片方の需要は確実にある気がする。

自虐の詩

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自虐の詩 上下巻(業田良家/竹書房)

これは、すごい。最初の部分は普通の4コママンガだったけれど、回を重ねて、それぞれの登場人物のエピソードが積み重なっていくごとに、どんどんそのキャラクターの厚みが増していって、その背後に存在する人生を感じさせるまでに成長していくのがわかる。4コママンガなのに、ストーリーマンガ並みに、物語がどんどんと進化していくというのは、かなり衝撃的だった。
しかも、追加されていくのは、新しいエピソードではなく昔のエピソードで、成長するのはキャラクター自身ではなく読者の認識のほうだという、ものすごい倒置。キャラクターは何も変わっていない。ただ、その人物が歩んできた歴史が明らかになっていくのみ。
この感覚は、初対面の印象では表面的な部分しかわからなかったことが、つきあいを重ねるごとに段々と本質的な部分が見えてくるという、現実の人間関係に近いものがある。
歴史が明かされる過程で、まったく不規則に、話しが現在と過去とを行ったり来たりするのだけれど、それが全然気にならない。
それぞれの家庭のことというのは、そこにいる当人にしかわからないことがある。周りから見て、どれだけ幸せに見えても、不幸せに見えても、実際のところどうなのかということは、その家庭の中にいる当事者にしかわからない。当事者にさえ、本当のところは永久にわからないかも知れない。
この、単純には割り切れない、家族というものの不思議さを、ユーモアを交えながら表現したこのマンガは、文学を遥かに越えた、どのようなジャンルにもあてはまらない、不朽の作品だと思う。

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ポーの一族」とも共通するテーマだけれど、ヴァンパイアの哀しさというのは、第一に、人間の命を奪わずには存在出来ないということで、第二には、どうしても歳をとることが出来ないということだろう。
インタビュアーに自分の過去を語らずにはいられなかった、不滅の体の中に人間の心の弱さを持ち続ける、ルイというヴァンパイア像は、このテーマには欠かすことの出来ない、魅力的なキャラクターだと思った。
舞台がニューオーリンズから始まるというのは意外だったけれど、200年前の当時は、ファッションや調度品もヨーロッパとあまり変わりなかったのかも知れず、雰囲気としてはまったく違和感がない。
話しの中ではブラッド・ピット(ルイ)が主人公的な位置づけなのに、パッケージではどう見てもトム・クルーズ(レスタト)が主演っぽくなってるのは、当時の知名度の関係によるものなんだろうか。
しかし実際、トム・クルーズのほうが出番は少ないものの、存在感は圧倒的に上で、看板に偽りがあるわけではなかった。異様なまでの痩せかたといい、レスタトのこの迫力は、鬼気迫るものがある。
当然のように、陽の光の下でのシーンというのは一つもなく、全編において薄暗い室内か、霧がかった深夜の街ばかり。その、月明かりの中に映る、ヴァンパイアの世界の景色がとにかく美しかった。建物のインテリアや、小道具にいたるまで、細かく手抜きがない。
これほどまでに耽美な世界観を、最初から最後までまったく妥協なく作り上げたという、映像へのこだわりは、相当なものだと思う。
出演:トム・クルーズ、ブラッド・ピット、アントニオ・バンデラス
監督:ニール・ジョーダン

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これは、期待を大きく上回る映画だった。
キャストに頼った、ありきたりのドラマかと思って観たら、全然違った。
「タイタニック」が、ディズニーランドの中の物語だとしたら、この映画は、ディズニーランドが閉園した後の物語だろう。エレクトリカルパレードが通り過ぎて、シンデレラ城が明かりを落とした後は、疲れて眠った子供をおぶって、両手にいっぱいの荷物を抱えながら、満員電車に揺られて家路に着かなくてはならない。祭りはいつか終わりがくる。そして祭りの後は、始まる前よりも一層に寂しい。
舞台は、1950年代のアメリカ。戦後の景気は上向きの雰囲気をみせていて、翳りは見当たらない。レボリューショナリー・ロードとは、そんな時代の郊外の住宅街にある、希望に満ちた通りの名前だ。閑静な新築の家に、2人の子供と共に幸せに暮らす夫婦・・のように見える。近所の誰から見てもそう見えるだろう。
しかし、人間の幸せというのは、傍目からはわからない。快活な会話と笑顔の一枚下には、どんな闇が渦巻いているか知れない。ふとしたはずみで、その闇は亀裂の隙間から、当人すら気づきもしなかった顔をのぞかせることがある。
この映画がいい作品だと思うのは、ものすごくたくさんの意味が、それぞれのシーンや会話の一つ一つに込められていると思うからだ。人々が話すセリフや、その視線と挙動とを注意深く観ると、そこに静かな崩壊の予兆が含まれていることがわかる。
この作品が扱っているのは、ものすごく普遍的なテーマだと思う。今から半世紀前のアメリカの話しであっても、これはそのまま、現代日本の話しだと言っても通用する変わらなさがある。
この哀しみと寂しさは、現代人が特有に抱えるものではなく、50年前にもやはりあったし、それよりもずっと前から変わらずに、生きる意味を問い続ける限り常に、人と共にあったのだろうと思う。
出演 : レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット
監督 : サム・メンデス
原作 : リチャード・イェーツ

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古寺巡礼

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古寺巡礼(和辻哲郎/岩波書店)

大正7年の書。面白いのは、ただ古い寺のことを書いているだけではなくて、ガンダーラ美術やギリシア美術との関わりについてや、天平・平安の時代の日本の様子についてなど、そこから派生する様々な事柄を関連させて、とりとめもなくどんどん話題が広がっていくところだった。
だから、最初は寺のことを契機として書き始めていながらも、その話しがどうい展開をみせるか、まったく予想がつかない。筆者自身が、奈良をまわっている途中に出会った人のことや、宿や食事のことなど、雑談的なトピックも、他の話しとまったく同列に綴っている。
この本がいいのは、教科書的な解説ではなく、著者本人の純粋な驚きや熱気をそのまま書き残しているところだ。新しいおもちゃを前にして、この楽しさをどう表現していいかわからない子供のような興奮が文章から伝わってくる。特にいいと思った解説は、唐招提寺と、薬師寺の章だった。
この本を読んでいると、著者と自分が知り合いになって、その、やたらに詳しい知識を披露していただきながら、一緒に奈良の古寺をめぐっているような気分になる。
【名言】
芸術家は本能的に物を写したがる。がまた本能的にその好むところを強調する自由を持っている。この抑揚のつけ方によって、個性的な作品も生まれれば、また類型的な作品も生まれる。時代の趨勢によっていずれか一方の作家が栄えるということはあるが、いずれの道によるも要するに芸術は個によって全を現そうとする努力である。(p.75)「写実」
やや境遇の似たギリシアの神像を取って考えてみると、われわれはその芸術的価値を比較するよりも、まず二つの異なった性質の芸術があることに驚かされるのです。すなわち人の姿から神を造り出した芸術と、神を人の姿の内に現われしめた芸術とです。前者においては芸術家が宗教家を兼ねる。後者においては宗教家が芸術家を兼ねる。前者は人体の美しさの端々に神秘を見る。後者は宇宙人生の間に体得した神秘を、人の体に具体化しようとする。一は写実から出発して理想に達し、他は理想から出発して写実を利用するのです。(p.208)「薬師寺について」
偉大な芸術はいかなる国のいかなる人の心をも捕うべきはずであるが、しかし小児が名画に対して強い感動を持たなかったからと言ってそれを怪しむ人はない。そのごとく仏徒の心情についていまだ小児であるものが、仏徒の心情と離すことのでいないこの画に対して、十分の感動を持ち得ないとしても不思議はない。わたくしはこの画に対する親しみのうちに、漠然とではあるが、なおこれ以上の感動の余地のあることを感ずる。(p.214)「法華寺弥陀三尊」
わたくしはそこにたたずんで当初の東大寺伽藍を空想した。まず南大門は、広漠とした空地を周囲に持たなくてはならぬ。今のように狭隘なところに立っていては、その大きさはほとんど殺されていると同様である。南大門の右方にある運動場からこの門を望んだ人は、ある距離をおいて見たときに初めて現れてくる異様な生気に気づいているだろう。(p.250)「当初の東大寺伽藍」
法隆寺の印象についてはかつて木下杢太郎へあててこう書いたことがある。
わたくす一己の経験としては、あの中門の内側へ歩み入って、金堂と塔と歩廊とを一目にながめた瞬間に、サアァッというような、非常に透明な一種の音響のようなものを感じます。二度目からは、最初ほど強く感じませんでしたが、しかしやはり同じ感触があって、同じようなショックが全身を走りました。痺れに似た感じです。次の瞬間にわたくしの心は「魂の森のなかにいる」といったような、妙な静けさを感じます。(p.258)「中門内の印象」
インドの壁画が日本に来てこのように気韻を変化させたということは、ギリシアから東の方にあって、ペルシアもインドも西域もシナも、日本ほどギリシアに似ていないという事実と関係するであろう。気候や風土や人情において、あの広漠たる大陸と地中海の半島はまるで異なっているが、日本とギリシアとはかなり近接している。大陸を移遷する間にどこでも理解せられなかった心持ちが、日本に来たって初めて心からな同感を見いだしたというようなことも、ないとは限らない。(p.280)「日本人の痕跡」

バクラバ

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有楽町のトルコ料理の店で食べたバクラバ。
これは、旨いものだなあ。
クリスピーなパイ生地に、クルミやナッツとハチミツを入れて、悪魔のように甘くした菓子。
甘い食べ物と、甘くない飲み物というのは基本的に相性がいい。
・羊羹と濃い緑茶(冷たいほうがいい)
・ドーナツ(オールドファッション)とアイスカフェラテ
という定番に
・バクラバとトルココーヒー
というのも加わった。
中東に行く時の楽しみが一つ出来た。


コンセプトライフ(柴田陽子/サンクチュアリパプリッシング)

柴田さんという人は、カッコつけずに、ずいぶん正直にこの本を書いているなと思った。人にものを教えようという感じではなく、純粋に、自分の気持を自分のために思いおこしながら書いているという雰囲気が良かった。
面白いと思った箇所を2つ、長めに引用。
【名言】
わたしはいままでに何百人も面接をしてきていた。
で、面接の最後に「質問はありますか」とたずねると、「土日は必ず休みですか?」「夏休みはどれくらい?」「みなさん、何時くらいまで働いているんですか?」「年棒制でしょうか?」「社長の考え方はどうなんですか?」などと聞いてくれる人がいる。条件面は大切だ。自分の働きたい環境が整っているか、社会人として知っておくのは当然だろう。
でも、やはり、かしこくないというか。
こちらから言わせると「でた」という感じ。
まず会社の望みにこたえてあげる。条件面の話なんてその後にしたほうが、あなたもお得なのにと思った。
特にわたしは出会いとか縁が好きだったから、面接とか採用にはあんまり積極的じゃなかった。(p.203)
ある雑誌の取材。「夢をかなえる3か条」という大人気コーナーがありまして、ぜひ出ていただけませんかと言われたので、出ることになった。たとえばですね、夢が実現すると信じて行動する。悩みを翌日に持ちこさない。好きなことを誰よりも追求する。はい、こんな感じの3か条になっちゃうんですが、しばたさんの場合、どんな感じになりますかね?
どんな感じ?
ばかにしちゃいけない。
わたしは冷静に「夢を持たない」「夢に振り回されない」「夢を探さない」とこたえたの。
夢なんていらない。夢がなくたって、毎日楽しく生きている人のほうがよっぽどかっこいいと思うもの。わたしは子どものころからずっとなにになりたかったかといえばスポーツキャスターとか弁護士とかスケート選手とかお花屋さんだったけれど、いまのところは、いまのような仕事をしていて楽しいと感じている。夢はあきらめなければ叶うなんて変だ。がんばったってだめなときはあるし、からだを壊してしまうときもあるし、自分の能力ではやっぱり無理というか、むいてないことはやっぱりあるなとも思うから。(p.224)

水晶堂について