
幻惑の死と使途(森博嗣/講談社)
この巻での主要テーマは、「名前」だった。
「名前」や「言葉」や「固有名詞」は普段思われている以上に特殊で特別な意味を持つ存在らしく、「名詞の概念」は人間だけが到達した、複雑な思考らしい。京極夏彦氏は同じことについて、作品の中で「呪(しゅ)」という言葉で表現している。「名前」というのは、自分自身の存在そのものにも深く係わりのある、かなり根源的な命題である気がする。
この、森博嗣氏のS&M(犀川創平と西之園萌絵)シリーズを読んでいる時には、ストーリーや謎解きのところはほとんどスッ飛ばしてしまっている。あまり重要視していないし、理論的に破綻があるのか無いのかというところもどうでもいい。
ただひたすらに、そこに出てくる言葉(特に犀川先生のセリフ)にしびれるという読み方になってしまう。言葉を求めて本を読んでいる部分が多い自分にとっては、このシリーズは本当にたまらない。
【名言】
物理の難しい法則を理解したとき、森の中を散歩したくなる。そうすると、もう、いつもの森とは違うんだよ。それが学問の本当の目的なんだ。人間だけに、それができる。ニューラルネットだからね。(p.283)
それが「桜の木」だと人々が感じるのは、一年のうちの数週間で、残りのほとんどはそれはただの「木」でしかない。
同様に、人はアウトプットするときだけ、個たる「人」であり、それ以外は、「人々」でしかない。(p.417)
君がどんどん賢くなって、立派な人格になって、君が望むとおり成長したとしよう。外的に変化するのは、君の西野園萌絵という名前の概念だけだ。少なくとも、外部から観察した場合、具体的な変化はそれしかない。つまり、君は、自分の名前の概念を変えるために生きていることになる。(p.511)
» 2009 » 8月のブログ記事
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日本の描き方が、ハリウッド映画にありがちな、偏見に満ちたものではなく、かなりまっとうで正確な描写になっているということに驚いた。
ロケーションも、いかにも観光地というような場所ではなく、日常生活に根ざしたような場所が多いので、その点もリアリティーを大きくアップさせている要因だと思う。さらにダメ押しのように、高倉健が出演していることで、もはや邦画の中にハリウッドスターが登場してしまっているようにしか思えない。
映像としては完全に日本製なのだけれど、ストーリーはなお洋画風というマッチングは、相当斬新だった。あと一つ欲をいえば、大阪ではなくやはり東京を舞台にして、この映像美を表現してほしかったと思う。
制作:1989年
監督:リドリー・スコット
出演:マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、高倉健、松田優作


ちはやふる(現在5巻まで発売中)(末次由紀/講談社)
これは、かなり熱い。
カルタという競技をテーマにしたところもスゴいと思うけれど、それが、ストーリー物として充分に通用するだけの世界の広がりを持っているというところに驚いた。
今まで、競技カルタの大会やルールのことはまったく知らなかったけれど、カルタの世界も、極めようとすると相当に奥が深いということがよくわかる。
読み上げる上の句の何文字目までで、下の句が決定されるかという見極めが必要というのもシビアな勝負だし、「ふ」の字が音になる以前の「F」の音で判断をするなんてのは、かなりしびれる。
1巻の小学生時代は序章みたいなパートで、話しが本格的に動き出す、高校時代以降になってからが面白い。特に、全国大会で、最年少チャンピオンであるクイーンが登場してからが最高だった。この後の展開が楽しみな作品。
【名言】

「!!今日もやっぱりダサい」
「さすがダサい」
「かわいいのに、期待を裏切らないダサさ」(5巻p.22)
大阪にしかオフィシャルショップがなくて、通販でしか買えないスノー丸。
バケツを取るとチョンマゲがあるヤバカワキャラ(5巻p.57)
F音。原田先生が言ってた。千早は「ふ」になるまえの音を聴いてるって。(5巻p.92)
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「ディープブルー」や「earth」のスタッフの最新作ということだったけれど、前2作とは、ちょっと作り方が違っていた。
前作は、「どうやって撮影したのか!?」と驚くような新しい技術での最新映像が満載だったけれど、今回は、NASAが秘蔵していた映像をメインに編集して作られた作品なので、映像としてはだいぶ古く、粗いものが多かった。
なので、なんとなく、海外のドキュメンタリー番組を見ているような感じ。エンドロールもないし、CGバリバリの迫力のある映像というわけではないので、映画館で観る必要はあまりないかもしれない。
内容は、ものすごく良かった。1960年代のアメリカが、いかにエネルギーと希望に満ち溢れていたかというのがよくわかる、宇宙への飽くなき挑戦は、かなり劇的なドラマの連続だと思った。
同じ時期の日本もそうだったのだろうけれど、ベトナム戦争が泥沼化する前のアメリカというのは、本当に理想と夢のある国だったのだと思う。
宇宙船の開発史として、とてもタメになる内容でもあった。最初の頃のロケットや宇宙服が、よくこんなので宇宙まで行っていたと思うぐらい粗雑なものだったのが、徐々に技術が進歩していく様子が伝わってくるし、スペースシャトルの登場というのが、いかに画期的な技術だったかというのがわかる。
あと、今回観てよくわかったのは、宇宙や月に行くのは簡単だけれども、本当に難しいのは、いかにそこから帰還するのかという点にある、ということだった。地球の重力から脱出するよりも、重力の中に入っていって、大気圏を無事に突入することのほうが遥かに難しい。
今までに見たことがないような映像がたくさん出てきて、宇宙の、よりもむしろ、地球の美しさを再認識できる映画だった。
2009年8月21日(金)より上映中
オフィシャルサイト

人生に希望をくれる12の物語(鴻上尚史/講談社)
著者が20代の頃に影響を受けたという、12冊の本を取り上げて、その本についての紹介と読みどころをまとめたという内容。
単に、その本の内容を紹介しているだけではなくて、著者自身の経験や、その本を読んだ当時の状況などを踏まえて語られているというところが、とても面白い。
ここに紹介されている本の中には、そうと知らずに自分が読んでいても、それほど響かない本もあっただろうと思う。しかし、そういう本でも、この解説を読んでから読んでみると、何倍も面白く楽しむことが出来そうな気がする。
既に読んだことがある本については、解説を読んで、「なるほど、そういう意味がある作品だったのか」ということが理解出来て、より一層、その小説についての愛着が増すことになる。
戯曲と小説の違いについての説明や、その小説が出た当時の時代背景など、作品の周辺の様々な知識を教えてくれるところもいい。
本というのは、人によっての好みということもあるけれど、それに加えて、情報量の違いによっても、そこから拾い上げられるものの大きさは変わってくる。ここでまとめられた物語の解説は、本の味わいをより豊かにするための調味料のようなものだ。
【名言】
十代や二十代の前半だけに読んで終わらせるには、あまりにももったいない名作だと、僕は思っています。
年を重ねれば重ねるほど、間違いなく、人は人間と人生に絶望します。そして絶望はどんどん深くなります。浅い絶望の物語には感動しなくなります。かといって、絶望の深い人生は、現実の人生そのもので、感動はしません。
この物語は、深い絶望を描き、同時に希望を感じさせるからこそ、名作なのです。(アルジャーノンに花束を)(p.23)
「どうして別れたの?」と問いかければ、人はさまざまな理由を語ります。相手の親が反対したとか、彼が浮気をしていたとか、妻が新興宗教に入れあげてしまったとか。
その理由を聞きながら、けれど、別れた「本当の理由」はそんなことじゃないと感じたことはないですか。それは、とても分かりやすい理由だけど、本当は違うんじゃないか。目の前で哀しんでいる人は、自分が一番理解しやすい物語を選んでいるだけなんじゃないか。
それは、自分から別れを切り出す時、実感されます。本当は、そんなことじゃないけれど、相手に聞かれて、とりあえずの理由を語ります。相手が求めるからです。でも、本当はそんなことじゃない。うまく言葉にはできないけれど、そんなことじゃない。
物語とは、つまりは、現実の解釈です。自分の身に起こったことを、どう解釈して自分を納得させるのか。どう相手に伝えるのか。そこからすべての物語は始まります。そして、人間は、もちろん、現実を自分の都合のいいように解釈します。
そして、たぶんこれが一番の問題なのですが、人は現実に疲れれば疲れるほど、より分かりやすい物語を求めるようになるのです。(百年の孤独)(p.26)
結局の所、僕は「無償の友情」という動機に納得していません。そして、自分で考えた動機にも、納得していません。なのに(驚くことに)納得していないのに、感動するのです。そして、泣くのです。事情が分かってないのに、動機が分からないのに、納得してないのに、感動し、泣くのです。
そして、泣きながら、感動しながら、それは何か?と大人になればなるほど突き詰めようとするのです。
たぶん、それは、人生のひとつの真実のような気がします。僕たちは、分からないのに感動することができるのです。それが何かと論理的にうまく説明できなくても、感動できるのです。
それは、人生の意味が分からないのに、生きていくエネルギーが生まれるという「不思議」と対応します。分からないのに感動できるからこそ、僕たちは、先の見えない人生を生きていくエネルギーを持つことができるのです。(泣いた赤おに)(p.62)
現実は、ただ起こるだけです。それに、どんな理由があって、どんな意味があるのかを決めるのは、物語です。
現実は、ただ、起こるのです。現実を私たちは、理解しやすい物語として受け入れるのです。
どんな物語が好きかは、もちろん人それぞれですが、現実はそんなことを言ってる場合ではありません。それはただ、起こるだけなのです。それが現実なのです。
そして、この作品は、そんな現実の理解しがたさを、見事にエンタテインメント作品として成立させた奇跡の一作なのです。(友達)(p.78)
若い時は、保守的なものです。なぜなら、守るべきモノが何もないからこそ、自分には守るべきモノがたくさんあると思い込んでしまうのです。僕は、22歳で劇団を旗揚げして、このことに気づきました。(人間失格)(p.96)
突然、最愛の息子を失うというむき出しの不条理に対して、お坊さんは、それは「無意味でも無価値でもなく、定めだったのだ」という「条理」を対抗させました。そして、人生の不条理に打ちのめされていたお母さんは、それを受け入れたのです。
それは、人間が生きていくためのぎりぎりの智恵なんだと、その当時の僕は思いました。それまで、宗教に振り回されている人を、なんとなく距離を持って見ていた僕は、少し、宗教に対する見方が変わりました。具体的に・切実に・必死で、条理を求める人の存在を知って、簡単には世俗的な宗教を否定できなくなったのです。(変身)(p.159)
ヒットするマンガの最大の特徴は、キャラクターが明確で変わらないことである、という言い方もあります。キャラクターが成長することはあっても、物語の途中でキャラクターがまったく別人に変わったりすることは、エンタテインメント系のマンガの中では絶対のタブーなのです。
それは、この不条理な人生を生きる僕たちの必死の抵抗だということもよく分かります。せめて、作品の中は条理で溢れさせたいという願いです。
それはよく分かりますが、けれど、「変身」のように、不条理な人生そのものを描きながら、それでも、面白い作品も、奇跡的に生まれるんだということも確認したいと思うのです。
それは、不条理な人生そのものへのひとつの抵抗ではないかと感じるからです。(変身)(p.171)
この「羊をめぐる冒険」を読んだ時、「ああ、この作者は、とうとう大人になることを決めたんだ」と思いました。自分が、大人になることを引き受け、そんなことを引き受けたくはないのに、けれど、生きていく以上、引き受けなければいけない時が来て、そして、それを決心したんだと思いました。(羊をめぐる冒険)(p.220)
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船に乗り合わせた人に教えてもらった2人用ボードゲーム。
【ルール】
「一萬」~「九萬」までの札を伏せた状態でスタートする
・サイコロを2つ振って、出た目のいずれかか、合計の数の札が伏せられていれば、どれか一つを選んでめくれる
・出た目でめくれる札がもうなければ、逆に、どれか一つを選んで伏せる
・すべての札を先にめくることが出来れば勝ち
超シンプルなのに、運と戦略の両方が程よくミックスされていて、よく出来ている。
たとえば、「3」と「6」が出た場合、めくれる札は「3」「6」「9」の3通りになるけれど、確率的には「9」は一番出にくく、「6」は出やすいので、「9」から優先してめくっていったほうがいい、とか。
今まで見たことも聞いたこともなかったけれど、かなり燃えた。
ハンズとかに行けば売ってるんだろうか。

式根島の形は、ちょっと北海道に似ている。
太平洋のど真ん中にあるにもかかわらず、波は激しくなく穏やかで、海水浴をするのにはすごくいいところだった。釣りにも適したスポットらしく、地図の上でもあちこちに釣り場のマークがあった。


深い緑の中に、原色の赤やオレンジのハイビスカスの花が、よく映えている。
店や宿やビーチは、島の東半分に集中していて、自転車に乗ると、主要な場所だけなら、ひととおり巡るのに1時間ぐらいあればまわれてしまう。勾配のアップダウンは激しいけれど、距離はあまり遠くない。
レンタサイクルには、電動アシストのものやスクーターもあるので、そういう利器を使えばかなり快適だと思う。

島の東端にある、高森観音。漁船の航海の安全を祈って建てられた石碑があり、急な石段を頂上まで登りきると、野伏港の桟橋や、島の海岸が一望出来る。
でも、この場所は、やたらと蚊が多かった。気を抜くとすぐ、体のどこかしらに蚊がとまっている。

島の南にある「松が下雅湯」は、海のすぐ横に湧いていて塩辛い。
道の途中にいきなり更衣室と温泉がポンと置かれているような感じで、無料でいつでも入ることが出来る。まわりには何も明かりがなく、夜に行って空を見上げると、絵に描いたような、という感じの、ものすごい数の星が見えた。湯は熱くないので、どれだけでも浸かってられるというところもいい。

太平洋に向けて、竹芝桟橋を23時に出港する「さるびあ丸」に乗る。
ちょっと大きめの船というのは、小さなスペースの中に各種客室やデッキや娯楽室やレストランなど色々なものがギュッと詰まっているところが好きだ。ちょっと歩いて階を移っただけで、景色も客室もくるくると変わるのが面白い。
東京湾を抜けるまでに、思っていたよりも時間がかかって、随分と長い間、船の両側に岸の明かりが見えていた。

船室は満席状態で、通路にも人がいっぱいなので、甲板で雑魚寝。
楽器を持っている人々が集まり、その周りにまたたくさんのオーディエンスが集まって、即興のライブが始まる。甲板の上というのは、硬くて、寒くて、揺れるので、結局寝ずに夜明かしになる。
朝5時に到着した大島で乗客がかなり降りたので、その時に空いた客室を拝借して寝させてもらった。それから数時間後に、式根島に到着。







