» 2009 » 10月のブログ記事


ジョン・レノン ラスト・インタビュー(訳・池澤夏樹/中央公論新社)

ジョン・レノンがこの世を去る2日前におこなわれたというインタビューをまとめたもの。3時間ほどのインタビューを一冊にしているというから、分量を考えると、その時間の中の会話はほとんど収録している感じなのだろうと思う。そのためか、あまり内容のない雑談的な会話もそのまま載せられていることが多く、その場の雰囲気は伝わってくるけれども、密度という点ではそれほど濃くはない。
それでも、ところどころ、とても面白い箇所があり、特に、音楽から離れた、家の中での生活などプライベートな話題は、そのままジョンの人柄や個性がよく表れていて、とてもいい話しが多かった。
【名言】
ふりかえってみるとね、曲を書くことについてぼくが喋っている時には、いつも苦しいことだっていう印象で言ってるんだな。「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」にしても何にしても、喋る時にはとても苦しんで書いたということになる。(p.106)
ぼくにとって一番楽しかったのは、できた歌をまずテープに入れてみる時を別にすれば、インスピレーションの来る時でね、つまり歌というのはいきなりやって来るものであって、職人がなにかを作るみたいにすわっていてできるわけじゃないんだ。
ぼくの本当の喜びは、霊媒みたいに憑かれた状態でいることなのさ。ぼやっとすわっている時に、夜中かなにかにいきなり来ることもあるし、来てほしくない時に来ることだってある。それが、一番ぞくぞくするようなすごいことなんだ。そこで、ぼくが横になっている時にいきなり歌が完全な形で、歌詞も節もやってくる、それをさ、ね、歌を書くなんて言えるかい?いったい歌ってのは書けるものかい。作るんじゃなくて、思いがけず贈られるようなものさ。(p.110)
しかし要するに食事だ、人は食事によって生きる、食事と食事の間の規律によって生きるんだ。そしてぼくのもう一つの面はいつも女たちの奉仕によっていた、それはミミ叔母さんだったりほかの誰か、恋人とか妻とか、いろいろいたけどね。酔っぱらってひっくりかえって寝ちまっても、次の朝には同じ学校の女友達か誰かがちゃんと朝食を作ってくれる、ほら、その子にしたって前の晩は同じようにパーティーに行って酔っぱらっていたのに、女の人ってのはふと気がついてみるとちゃんと台所のカウンターのむこう側に行っているんだ。だからさ、これは大変な経験で、ぼくが生まれて以来ずっと女の人たちがしてくれたことに感謝しているのさ。(p.138)
最初ここへ越してきた時には、ぼくたちはヴィレッジに住んだんだ。いきなり誰かがなにか言うとか、飛びかかってくるんじゃないかとか、びくびくしていて、それがなくなるのに二年かかったよ。今はもうふつうに玄関を出て、レストランにも入れる。これがどんなにすばらしいことかわかるかい?あるいは映画館に入ることが?つまりね、人が来てサインをねだったり、やあって言ったりはしても、決してこっちを困らせはしない。レコード気に入ったよ、なんて言う。このあいだぼくたちはレコードを出したからね。だけどその前はね、どうしてる?とかさ、坊やは元気?とかどなるんだ。本当に嬉しいものだよ。(p.174)

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平均年齢80歳という、高齢者だけが集まったコーラスグループを追ったドキュメンタリー映画。しかも、選曲は激しいロックばかりで、それを老人たちが歌うという姿が、かなりハラハラさせる。
この「ヤング@ハート」というコーラスグループの特殊な事情としては、なんといっても、高齢のためにどんどんとメンバーが亡くなっていってしまうところで、いつ死ぬかわからない身だからこそ、その歌への取り組み方はとても真剣なものになっている。
音楽やロックは若者のためだけのものではなく、人生経験を積んだ人間が歌うからこそ、その歌詞が味わい深く、リアリティーを帯びるということがあるのだと、この映画を観て思った。

0995日 観光

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観光(中沢新一・細野晴臣/筑摩書房)

1985年当時におこなわれた、中沢新一氏と細野晴臣氏との対談録。「観光」と銘打って、天河、戸隠、大山、豊川、諏訪など、日本各地の霊地に場所を設定しているけれども、行っている場所に関係ある話しはあまりなく、ただひたすらに、お互いの興味があるテーマについて話しているという印象の対談。あまり真面目に話している風でもなく、力が抜けている感じがいい。
なにしろもう25年も前の話しで、「YMO」が散開したばかりで、「ゼビウス」が町のゲームセンターで稼動していて、「ひょうきん族」がテレビで放映していた頃のことだから、かなり昔のことではあるけれど、今読んでも、まったく古い感じがしない。
語られているテーマは、宗教論からガイア理論やフラクタルなど、当時最先端をいっていたのだろうと思われる話しが登場してきて、これをリアルタイムで読んでいたら、相当面白かったに違いない。
むしろ、今だから、25年前にここで語られていることの重要性がよくわかるということもあって、2人の圧倒的な先見性に驚かされる話しもたくさんあった。
【名言】
中沢:どういうところにバザールができるかっていうのはおもしろいんだよね。バザールの中にもラインが引けるんです。人が集まる場所っていうのは風水だけでもないけど特殊なものがあるねえ。
細野:なんでだろう、辻とかねえ。
中沢:例えば、砂漠の中に町ができたりするでしょ。だけど砂漠なんて根拠ないわけじゃない。
細野:誰が決めてんだろ?
中沢:山があるわけでもないしさ。だけど、そのバザールの町へ行ってみると確実にここは待ちとしてできたものなんだなあ、という感じがするのね。人が集まってくるところというのはかならずそういうところがあるよね。人間の身体の中にもいろいろスポット、つまり力が渦巻いてて流れてるところがあるでしょ。そういう所って地球の肌にもあるんだろうね。(p.42)
細野:人が病気になったら、自分を浄化してくれると思って、その人に従わなきゃね。
中沢:自分が病気した時は、すごく功徳してるって感じるんです。ハッピーです(笑)。
細野:そうです、そう思わなきゃ病気できないですよ。日本の宗教ってそれが大きなテーマになってるんですよ。(p.54)
中沢:僕は以前、「極楽論」(『チベットのモーツァルト』に収録)っていう論文を書いたんです。あれはテクノのことなんだけどもね。テクノの音っていうのは、極楽浄土の音の描写とすごく近いんです。浄土三部経の中では、西方浄土の描写しかないんだけど、不思議なことに浄土っていうのは全部金属の響きなのね。極楽の空中をネットがおおいつくしてる。そのネットの各交叉点に小さい鈴がつけられていて、一点をポッと打つと、全空間に波及してチリチリチリと鳴り響いていくわけ。そのポッというのは、宇宙中から波動が起こってくるわけだから、どこにも中心がないし、常に生まれて、パッと消えちゃう音なのね。(中略)でね、極楽浄土の音というのは、こちら側の僕らの世界にもってくるとすごく弱い音でしょ。すぐ死んじゃうんですよね。
細野:そうそう。ほんとにはかないんだよね。素粒子みたいなものでね。(p.82)
細野:今はね、意識しているしていないにかかわらず「もう時間がない」っていうのは、相当集合意識になってきていると思う。だから、言葉による誤解っていうのはもういいんじゃないかと思うんだ。「地蔵」って言うと「仏教」とか宗教的なものがまとわりついてるけど、それは、ほかに言葉がないんで言ってるにすぎないしね。わかる人は「なるほど」と思える時代になってきちゃってるはずなんですよ。(p.88)
中沢:今西錦司の進化論っておもしろいよね。ある動物が高いところの葉をとろうとしたんで首がのびたっていうんじゃなくて、群れがみんなで進化しようって意思伝達して、群れ全体がポーンと進化するって考えるわけでしょ。今のネオ進化論の一番重要なテーゼは、進化っていうのは群れ全体で起こるって考え方だし、群れの中でひとつの集合無意識っていう形で意思疎通することなんですね。「もうすぐくるぞ」っていうヤツなの。(p.90)
中沢:浄土経の中にあるんだけど、極楽に上向していくのとむこうから降りてくるのがある。極楽浄土をめざしている時は、自分の心がそっちへ行ってるから集中できて登って行けるけど、帰ってくるのが一番むずかしい。禅の十牛図もそのことを言ってる。(p.94)
細野:喫茶店のテーブルがテレビ・ゲームになって、まん中がくりぬかれてるじゃない(笑)。最初あれ見たとき感激したもん。なんちゅう世の中になったんだろうって思ったもん(爆笑)。あれでけっこう刺激された。(p.99)
中沢:さっきの「ゼビウス」の話も含めてそうなんだけど、オモチャとか遊技というのは死と結びついてるでしょ。例えば、ヨーロッパなんかだと子どもがオモチャをもらえるっていうのは、サンタクロースからもらったわけです。ところがたどっていくと、サンタクロースというのはもともと死者の国から来るおじいさんでしょ。くるみ割り人形なんていうホフマンの作品なんかでも、オモチャと人形の世界はほとんど死の世界と一体になってるし。(p.143)
中沢:汎神論て言われるけどさ、あれは無神論でもあるんだよね。つまり、自然にはスピリットがいくらでもあるってことなんだけど、スピノザはそれすら否定してるとこがあって、神なんていない、自然が神だっていう時は、神すら否定しちゃってるとこがあるよね。(p.274)
中沢:夏目漱石にしてもワーズワースの「自然にかえれ」流の自然主義に反発してるでしょ。自然にかえれって言うけど、意識をもっちゃった人間は自然に回帰なんかできないんだってところから叫び声がずっと始まってくっていうのは近代思想の大きな流れとしてあるわけですよね。(p.318)

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カロリーメイトに、チーズ味、グレープフルーツ味、チョコレート味しかなかった当時、何味が一番好きかを人に尋ねると、だいたいキレイに3通りに分かれたものだった。
ポテト味が出た時は、いまひとつパッとしなかったけれど、今度出たメープル味は、そのバランスを衝き崩すぐらいのインパクトがある味なんじゃないだろうか(個人比)。


17歳のための世界と日本の見方(松岡正剛/春秋社)

日本が古代から室町時代頃まで、どのようにして独自の文化を発展させてきたかということや、日本の成り立ちと神話との関係のようなことを中心にして語り、さらにそこから同時代の世界と日本との関わりについてまで話しを展開している。
日本史の様々なテーマを縦横無尽に扱った本で、これほど複合的に、日本の文化について語ることが出来るというのは、よほどの知識が頭の中に収まっていないと出来ないことだと思う。
学校の授業で習った日本史での説明とは、切り口からしてまったく違っていて、歴史の面白さというものが教科書よりも何倍もよく伝わってくる語り方になっている。こんな授業を、高校か大学で受けることが出来たとしたら、どれだけその後、世の中の見え方が変わってくるだろうかと思う。そういう授業を、講義録の上で追体験することが出来る本。
近現代以降の話しは、この本の続編ともいえる「誰も知らない世界と日本のまちがい」に詳しくあって、こちらもそうとう密度の濃い内容だった。日本の歴史や文化に関心がある人には、2冊セットでお勧めしたい本。
【名言】
どの時代の、どのコスモロジーが正しいとか、いいとかは言えません。たとえば、現在の天体物理学や物質科学では、ビッグバン理論が支配していて、宇宙の始まりは、最初のたった三分間で現在の宇宙の基本をつくったというふうになっていますが、これは空間とか時間をめぐる一つのコスモロジーなんです。(p.131)
史実としてイエスその人についてわかっていることは、ほんのわずかです。というのも、イエスがイエス・キリストとして活動していた期間はたいへん短くて、三十一歳のときに「荒野のヨハネ」という預言者から神の世界を教えられて、三十五歳のときにゴルゴダの丘で十字架に磔になってますから、せいぜいその五年くらいの活動です。ジーザス・クライスト・スーパースターといったって、その活動期はほんの短い期間だったわけです。たった五年間です。
もっとも、諸君にとっては身近なミュージシャンだった尾崎豊も、XジャパンのHideも自殺したらしいですが、絶頂期はそんなに長くはなかった。せいぜい5~6年でしたね。いや、ミュージシャンだけではなく、世界史上で活躍した大きな業績をのこした人物も、活躍の中心期が5年とか10年くらいにピークがあったということは、いくらでもある。
けれども言いかえれば、本当に何かをやりたければ、この5年という期間は非常に大きいものなんです。
ファミコンが広まったのも、ケータイ電話が広まったのも、5年もかからなかったでしょう。逆にいえば、5年もあれば、何だってできる。そういうふうにも考えられる。
(中略)ですから、何かをおこしたければ、最初の十人をまず作るべきなんです。そしてそのコア・メンバーとともに5年を集中するべきです。それ以上はいらない。幕末の吉田松陰の松下村塾だって、せいぜい2年です。(p.140)
日本神話は戦争に利用されてしまったという過去があります。天皇家と神話とを直接結びつけて、日本は古来ずっと神の国であるという教育を、「大日本帝国」や「国家神道」がやりすぎてしまったんです。そういう苦い記憶があるために、戦後の日本では神話を語ることすらはばかられるようになってしまったんです。神話と聞くと右翼的だという誤解すらされてきた。残念なことです。(p.206)
アマテラスが象徴する光の国、すなわち高天原や中津国というのは、「大和の側」の世界なんです。大和というのは日本を最初に統一した大和朝廷の母体のことですね。そして、出雲というのは、その「大和に征服された側」の社会なんです。だから「根の国」といった暗いイメージで呼称されたんです。
日本でもまたこのように、「征服する側」が「征服された側」の神話をたくみに奪いとって、再編集していくということがいろいろおこっていたわけです。ブリコラージュされていた。(p.214)
それまでは日本では神様への信仰はあっても、それを祀るための神殿などはあまりつくられていなかったんです。というのも、日本ではカミはどこかに常住しているものではなくて、山とか大きな木とか岩にやってくるもの、人間が祭をすることによって、そこに訪れてくるものと考えられていたんです。こういうふうに時折やってくる神のことを、「客神」(マレビト)といいまして、日本のカミの大きな特徴になっています。
ところが天武天皇はそのような時々やってくるカミのために、特定の場所を定めて壮大な神社をつくったわけですね。それがアマテラスを主神とする伊勢神宮(内宮)でした。そして、カミを祀る儀式を国家行事として定め、その霊威を受けて天皇の力というものを示していった。(p.225)
『源氏物語』が紫式部という一人の女性の手によって書かれた創作物語だったことにくらべ、『平家物語』は物語の成り立ちそのものがずいぶんちがっていた。『平家』は平家一門の栄華と滅亡という実際にあったことを、琵琶法師が集団でいろんなエピソードを寄せ集めて長い物語にしたものです。(p.250)
枯山水は、実際には岩や石や砂があるだけなのに、そこに水の流れや大きな世界を観じていこうというものですね。こういう見方を禅の言葉で「止観」といいます。
止めて、見る。これはすごい方法で、西洋では19世紀にヘーゲルやマルクスが出てきて、社会哲学的な方法として「止観」を持ち出すんですが、日本ではうんと早く13世紀ごろに世界を止めて見るということが始まった。止めて見ると、逆にそのなかにいろいろなものがずっと見えてくる。写真がそうですね。(p.274)
人間の歴史は古代このかた長いあいだ、本を読むときには声を出していたんです。つまり本は音読しかできなかったんです。それがグーテンベルクの活版印刷以降、だんだん黙って本を読むようになったんです。つまり黙読が始まった。これは、文字から声がなくなっていったということをあらわします。それによって、読書のスピードは格段に上がりました。
しかし他方、古代以来の「声の文化」がしだいに薄れ、かつての語り部の頭の中にあった劇的なものとはちがった読みかたの社会が生まれていったわけです。(p.300)
枯山水は、小さな庭の空間のなかに大きな山や川を表現するために、あえて石だけを使ったものです。水を引き算したものです。そして石の置きかたや、わずかに流文を描いた砂利だけで、そこに滔々と流れる水を感じさせた。水を感じたいから、水を抜いたんですね。
こういう方法のことを私は「負の方法」と呼んでいます。あえてそこに「負」をつくることによって、新しい「正」が見えてくるようにする方法です。
何もないからこそ、想像力で大きな世界を見ることが可能になる。あるいは、何もないからこそ、そこに最上の美を発見することができる。これって、財力や権力をいくらもっていても到達しえないような美意識です。(p.323)
おもしろいことに、16世紀という時代は、世界中に一斉に専制君主が出揃った時代だったんですね。なんといっても、イギリスのエリザベス女王と信長がほぼ同い年、信長のほうが一歳年下の弟分です。(p.346)
「リーブル」の読書日記

Windows7を試用中。
今のところ、XPでは使えていたソフトが正しく動かないということも起こっていない。
一つだけ、ネットワーク上のWindowsXPのPCにつながった共有プリンタをネットワークプリンタとして登録しようとすると[アクセスが拒否されました。] というエラーが表示されるという不具合があり、それがなかなか解決出来なかったのだけれど、ローカルプリンタとして認識させることで、接続をすることが出来た。
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http://windows.microsoft.com/ja-JP/windows-vista/Troubleshoot-network-printer-problems
いろいろとWindowsXPの習慣が染み付いてしまって戸惑うところもあるけれど、慣れてくると、耐えられないほどの大きな違いはない。

0991日 赤い指

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赤い指(東野圭吾/講談社)

「どこの家庭でも起こりえる問題」と帯にあった通りで、とても現代的な家庭の問題をテーマにした小説だと思った。自分だったらどうするだろう、と考えさせられるところがたくさんある。描写にはものすごく臨場感があるものの、登場人物の行動や考え方にどうも共感が出来ず、その点、あまり現実的に思うことが出来なかった。
最初から結末まで、さすがに上手くまとまっていると思ったけれど、中学生の息子が結局どうなってしまうのかということがわからなかったり、根本的には何も解決されていないということもあって、すっきりしないところも残った。設定があまり細かくはなく、深く掘り下げられているような感じでもないので、短編的な作りをした小説だと思う。
【名言】
彼は赤茶色に変色した畳に目を落とした。その畳が青かった頃のころを覚えていた。彼はまだ高校を出たばかりだった。親父はあんなに一生懸命に働いて、この程度の家しか建てられないのか。そんなふうに父親を内心で罵っていた。
しかし、と昭夫は思う。自分は果たして何をしてきただろう。馬鹿にした小さな家に戻ってきて、まともな家庭さえも築けないでいる。それだけならまだしも、他人の家庭まで不幸にしてしまった。その要因を作り出してしまった。(p.68)
「どういうふうに死を迎えるかは、どう生きてきたかによって決まる。あの人がそういう死に方をするとしたら、それはすべてあの人の生き様がそうだったから、としかいえない」(p.148)

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闇金ウシジマくん 16巻(真鍋昌平/小学館)

原宿を舞台にした新章がスタート。このマンガは、やっぱりすごい。
フィクションであることはわかっていても、何か、どうしようもなく暗く寂しい闇を突きつけられているような気分になる。それでいて、ユーモラスな雰囲気の中に希望を見せられたりもする。
今回の章は、推理小説風に、時系列を変えて最初に謎を提示するような構成になっていて、キミノリがどう絡んでくるのか、続きがものすごく気になる。読み返した時、話しの冒頭の部分で、コマの端っこに、布に包まれた弁当箱がさりげなく描かれているのに気づいて、ストーリーをいきあたりばったりで作っているのではなくて、最初にきっちりと固めた上で描き始めているんだと思った。
東京の風景の描き方がいい。
見れば誰でもわかるような名所やキレイなスポットを描くのではなく、路地裏の何の変哲もない風景を描いているのに、それが一番、東京という都市の真の姿を表現しているような感じがする。
何もない青空が描かれることも多くて、それと、街中の細かいゴチャゴチャとした景色との対照も好きだ。
【名言】
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「俺はなンもねェ!同級生が大学卒業する22歳までに、俺は何者かになりてーンだ!
若くてキレイな女に金持ちも有名人も群がってくる。金持ちと有名人と仲良くなれば旨い話にありつける。
なんの取り柄もねェーオレのサクセスはそれしかねェーんだ!」(第2話)
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「スゲェ。スゲェ。オーラ出てる。
あんなふうになりてェ・・こんな、隅っこじゃなく・・中心になりてェ・・」(第5話)


本当に頭がよくなる1分間勉強法(石井貴士/中経出版)

タイトルからして、とても突飛な勉強法を解説した本かと思っていたのだけれど、全然そうではなかった。この本で説明されている方法は極めてまっとうで、根拠もよくわかるし、何よりも、実際に誰でもやってみることが出来るという、画期的な内容だと思う。
この本は、世に氾濫している、安易なノウハウ本とは根本的に違う本だと思った。
インターネットで、簡単にあらゆる情報が検索出来る今、自分の頭の中にしっかりとストックされる本当の知識というのはむしろ身につきにくくなっているけれど、この本が語る勉強法というのは、自分自身の資産となる知識を定着させる方法という点で、王道を進んでいる。
著者の体験をもとにした失敗談や、勉強法を編みだすに至った経緯など、読者をやる気にさせる内容も色々と織り込まれていて、その書き方がとても上手い。現時点ですでに31万部を超えるベストセラーになっているようで、売れる本にはやはり売れるだけの理由があるのだと思った。
【名言】
2時間もかからずに、20の長文読解をしていたため、「長文問題が掲載されている問題集の発行スピードよりも、自分が問題集を消化するスピードのほうが速くなってしまったらどうしよう?」と本気で心配していたほどです。
母親に、参考書代を1万円せびっても、1週間くらいで消化してしまったため、「何か遊びに使っているのではないか?」と疑われたほどです。(p.69)
「短期記憶」で得た知識を、「長期記憶」に移していく。
その行為が勉強だと考えると、わかりやすいです。
1回覚えただけでは、1時間後には半分以上のことを忘れていても当然で、特別にあなたの記憶力が悪いというわけではないのです。(p.77)
通常、専門家になるのは、大学や大学院に通い、さらなる研究を重ねて知識を増やすというのが一般的だと思います。
確かに、具体的なデータを取ったり、得た知識を実践してモノにするという作業には、時間がかかります。
ですが、単純に知識レベルという観点では、その分野について、200冊以上の本を読んでいるくらいの知識があれば、専門家だと言っていいというのが相場です。(p.87)
英単語の場合は、目で見れば、1単語1秒でこなせます。
ですが、手で何度も書いて覚えると、1単語10秒近くはかかってしまうのです。
なので、手で書いて覚えるという習慣をなくして、目で覚える習慣を身につけるというのが、勉強を最速化する第一歩です。(p.100)
「1発のストレートで倒すのではなく、10発のジャブを当てる」このほうが、記憶には定着するのです。つまり、同じものを何回も繰り返し復習するのです。(p.120)
「本当に価値のある情報は、直感である」(アルバート・アインシュタイン)
という言葉にもあるように、「見開き2ページを1秒で見た瞬間に、直感でリーディングしてよみとれた情報」こそ、実は、もっとも価値ある情報なのです。(p.143)
そもそも、ページ全体を見ようとすると、ほとんどの人が文字を1文字、1文字見てしまうのです。
なぜかというと、「従来の読書法」のイメージが抜けないからです。
「本は読むものだ」とどこかで考えてしまうのです。
そこで、ついつい心の中で音読をしてしまって、ページをめくるのが遅くなってしまうのです。(p.180)
「1分間勉強法」は、正直なところ、究極の勉強法です。
これ以上に勉強を最速化した方法は、現段階では、私自身、知りません。(p.249)


アメリカ50州を読む地図(浅井信雄/新潮社)

アメリカにある50の州の特徴を全部、アルファベット順に紹介していっている本。各州ごとの説明は平均6ページ程度でまとめられていて、おおまかにその州のことを理解するには丁度いい分量になっている。
アメリカも、ニューヨークとかロサンゼルスとかのことなら、色んな情報が入ってくるけれども、真ん中のほうとか、田舎のほうの州になるとさっぱりどういうところだかわからない。それらを分け隔てなく、どこの州についてもきちんと解説してくれているというのは面白い。
今まで名前を聞いたことのないような場所ほど、斬新な話しが多くて楽しめた。本が出版されたのはクリントン政権下の時代なので、今となっては若干古い記述もあるけれど、タイムリーな話題はあまり含まれていないので、ほとんどの内容は現在でも影響ない。アメリカという国の途方もない国土の広さと、地域によってまったく異なる多文化性をあらためて実感させられる本だった。
【名言】
キーウエストの最南端の碑には「ハバナ(キューバの首都)まで90マイル」ともある。車で走れば一時間余りで行ける距離だ。(フロリダ州)(p.64)
シカゴを抱えるのはイリノイ州だが、州都は大都会シカゴではなく、スプリングフィールドである。中部州の特徴は、社会的変化を先取りする西海岸や、政治変動の先端をゆく東海岸から隔絶されて、ゆっくり変化するか、または変化を拒む保守傾向が強いことだ。(イリノイ州)(p.87)
ミシシッピ川とミズーリ川に挟まれた典型的な農業州である。米国のA級土壌(最も肥沃)の四分の一はアイオワ州に集中し、州の土地の95%以上は農業に利用されている。(アイオワ州)(p.99)
ベセスダは高級官僚のベッドタウンである。一帯は地下鉄やバスといった大衆交通路線から離れ、だから犯罪に走りそうな貧困層は近寄りがたく、ゆえに不動産価格の高い、全米有数の高級住宅地とされている。(メリーランド州)(p.131)
ミシシッピ州の特性は、貧困と人種差別であり、マイナス・イメージが強い。歴史もまた貧困と人種差別にいろどられている。南北戦争の主戦場となってひどい戦禍を受けて以来、全米でも最も貧しい州となり、その状態は今日も続いている。(ミシシッピ州)(p.153)
不夜城はカジノだけでなく、夜間も門を閉ざさない結婚式用の教会もあちらこちらにあり、結婚目的のカップルが全米から集まってくる。費用は数十ドルから数百ドルで、結婚産業の言葉も使われる。離婚の手続きも簡単で、これもビジネスになる。結婚率も離婚率も全米平均を上回る年が多い。(ネバダ州)(p.178)
州南端サンランドパークの東を流れるリオグランデ川はメキシコとの国境だが、幅10メートルほどしかないため、金網を破っての密入国者があとを絶たない。潜入に成功すれば、どんな働き口でも米国の法が保障する最低時給にありつけるが、その額はメキシコでの日給にほぼ相当するから、魅力的な求職越境といえる。(ニューメキシコ州)(p.197)
オランダは、オルバニイ付近に最初に建設された植民地にニューネザーランドと命名、いまの州域一帯に支配をひろげた。1626年、オランダはマンハッタンを住民のインディアンから買い取りニューアムステルダムと名どけた。伝説では買値は24ドルとも40ドルともいわれる。(ニューヨーク州)(p.202)
ユタ州の保守的風土はモルモンという宗教を除いて語れない。州人口の約70%もしめ、独自の生活や信仰を守ろうとする彼らの努力が、どうしても保守につながるのである。(ユタ州)(p.274)

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