誰かにインタビューをするような時、これは面白い!と思うような話しになる時には、一つの共通点がある。
それは、「その人がよく知っていること」について話しをする時ではなく、「知りかけているが、まだよく知ってはいないこと」について話しをする時が一番面白い、ということだ。
会話の面白さは、キャッチボールのやりとりの中にある。
その意味では、最初から完成形を提示されるよりも、まだ未完成なものを、会話を通じて磨き上げていくという過程を共有したほうが、密度の濃い時間が流れやすい。
そして、そういう話しをした後は、話し手自身が振り返った時、「今日はまさかこんな話しになるとは思わなかったな」「自分は実はこんなことを考えていたんだな」といった感想を持つものなのだと思う。
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長時間飛行機に乗る時には、何はなくとも水分が必要だ。
単に喉が渇くというだけではなくて、じっと座っているところで血液の濃度が濃くなるのは、なんかこわい感じがするので、なるべく水分を欠かさないようにする。
機内で配られるドリンクサービスというのは、欲しいと思う時にまわってこないから、手元にペットボトルがほしい。
ロンドンのテロ以降、手荷物にシャンプーやペットボトル飲料などの液体を持ち込むことが出来なくなってからというもの、だいぶ面倒なことになった。飲み物をあらかじめ用意していっても、検査場で没収されてしまう。
じゃあ機内にペットボトルは持っていけないのかといえば、手荷物検査を通過した後に買ったものはOKということで、飛行機に搭乗する直前に自動販売機で買うことにしている。
買うのは、500mlのお茶とポカリスエットを一本ずつ。
これだけで、長時間の移動がだいぶ快適になる。
「盥」っていうのは、不思議な字だと思う。
漢字は、普段見慣れているものは、自然に入り込んできて無意識のうちに取り込まれるけれど、そういう漢字でも、じっと凝視していたり、何十回も書き続けたりしているうちに、意味と形とが分離してきて、「なんでこういう字なんだろう」と不思議な気持ちになることがある。「盥」は、普段あまり馴染みがないので、最初から、意味と形とが分離しているんだろう。

恵比寿にある高層マンションで、エレベーターを降りた時、CGかと思うぐらいの無機質なパターンの繰り返しに圧倒された。「童夢」みたいだ。
「ブレードランナー」の世界よりも、遥かにSF的だと思った。
野球で、バッターの成績を測る目安には、打率と安打数という二つの要素がある。
どちらも、同じようによく使われるけれども、その数字を伸ばそうとした時、この二つの要素の間で、心理的には大きな違いがある。
安打数は、打席に多く立てば立つほど、必ず数字が増える。
しかし、打率のほうは、打席に立つことで、増える可能性もあるし、逆に減ってしまう可能性もある。
だから、気持ちの上でのびのびと数字を伸ばしていくことが出来るのはどちらかというと、必ず増えていく一方である安打数のほうだ。
この、水晶堂というブログに記事を書くにあたっては、この二つの要素でいうと、打率よりも安打数ということを意識してきた。
このブログで書いている文章のほとんどは、世に公開してもしなくても大して変わりはないものであるということを自覚しつつ、とりあえず打席に立たせるということを習慣にした。打率で言うとするならば、とうてい3割というものではなく、3分にも満たず、せいぜい3厘ぐらいだろうと思っている。
それでも、1000個の記事があれば、そのうち3つくらいは誰かにとって本当に意味のある内容が生まれるはずという気持ちでやってきた。その3つは、最初から作ろうと思って作れる3つではなく、1000個作ってはじめて副産物的に生まれる3つだ。
非才の身であってみれば、質を意図的に作り出すことは難しいけれども、量は継続によってかろうじて作り出すことが出来る。それは魚の生存戦略と似ていて、個体の数が多ければ、そのいずれかが思いもかけなかったところで新しい環境に巡り逢うきっかけになり、想像を超えた創発をみせる可能性もある。そういうことを楽しみに、今、この水晶堂を続けている。
満月の日に空が晴れると、夜道がやけに明るい。
キレイな月を見るたびに写真に撮りたくなるけれど、
後から写真を見ると必ず、そのショボさにがっかりする。
写真は、たしかにありのままを写しているのだろうと思う。
目で見たものは、自分が好きなものを大きくクローズアップしているから、ありのままとは違っている。
月と桜というのは、特に現実と心象とのギャップが大きい。
レストランを検索すると、「ぐるなび」と「食べログ」が上位に出てくることが多い。いわばレストラン検索界の2巨頭のサイトだけれど、使い方という点ではまったく異なる。
まだ行ったことのないレストランの情報や口コミを調べるような場合には、客観的なスタンスの「食べログ」はとても参考になる。その一方で、ぐるナビに書いてあるのは自己言及の情報なので、その分、内容については割り引いて考える必要がある。
しかし、誰かとそのレストランに行くことが決まって、その場所などの連絡をするような場合には、食べログのページは連絡しにくい。ある程度、評価の点数が高い店だったとしても、マイナスの口コミも含めて書かれているページを行く前にお伝えするのは、はばかられる。
だから、この2種類のサイトは、両方とも、今後も必要とされるのだろうと思う。
他の業種についての、こういう情報サイトでも、おそらく「ぐるなび」と「食べログ」のような棲み分けは起こるはずで、この2種類のうちまだ片方しかメジャーなサイトが存在しない業種では、もう片方の需要は確実にある気がする。
作家の栗本薫氏が亡くなった。
もう、「グイン・サーガ」の続きが出ることがないというのは、残念きわまりないことだけれど、最も無念だったのは、死の直前まで作品をひたすらに書き続けながら、ついに完結まで手が届かなかった、著者本人だろうと思う。
池田晶子氏の時にも同じことを感じたけれど、その作品をとても好きだった、まだ現役で執筆中の作家の訃報というのは、体の一部を失ったような悲しさを感じる。
信じられないほどのペースで膨大な量の作品を書き残した、栗本薫という人は、文章を書き続けずには一日たりとも生きることが出来ないような、本当の意味での生来の作家だったのだろう。そういう魂が、文章を綴るべき依り代としての体を失ってしまったということが、本当に惜しい。
