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	<title>水晶堂</title>
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		<title>1266日 WordPressに移行</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Jan 2012 15:00:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[技術]]></category>

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		<description><![CDATA[「水晶堂」開始から今まで、CMSとして8年間使い続けていたMovable TypeからWordPressに入れ替えて、模様替えをした。 単純に、Movable Typeのままバージョンを3.33から5にアップデートするというだけという方法も考えたけれども、この機会にWordPressに切り替えることにした。その一番の理由は、記事のエントリー数が増えたために、再構築の時間がかかり過ぎてしまうことだった。 登録内容の移行自体は、MovableTypeでエクスポート→WordPressでインポート、という流れであっけなく完了したけれども、厄介だったのがパーマリンクを保持することで、これは、MySQLのデータベースに直接パーマリンクのURLを書き込むSQL文を作ることで強引に解決した。 まだWordPressのカスタマイズの作法に慣れないところもあるけれど、プラグインでの機能の追加や、デザインの変更方法をちょっと試しただけでも、圧倒的に使いやすい感じがする。phpが基本になっているというのも、馴染みがあって使い勝手がいい。これから、色々なプラグインを入れて増強していくのが楽しみ。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「水晶堂」開始から今まで、CMSとして8年間使い続けていたMovable TypeからWordPressに入れ替えて、模様替えをした。<br />
単純に、Movable Typeのままバージョンを3.33から5にアップデートするというだけという方法も考えたけれども、この機会にWordPressに切り替えることにした。その一番の理由は、記事のエントリー数が増えたために、再構築の時間がかかり過ぎてしまうことだった。</p>
<p>登録内容の移行自体は、MovableTypeでエクスポート→WordPressでインポート、という流れであっけなく完了したけれども、厄介だったのがパーマリンクを保持することで、これは、MySQLのデータベースに直接パーマリンクのURLを書き込むSQL文を作ることで強引に解決した。</p>
<p>まだWordPressのカスタマイズの作法に慣れないところもあるけれど、プラグインでの機能の追加や、デザインの変更方法をちょっと試しただけでも、圧倒的に使いやすい感じがする。phpが基本になっているというのも、馴染みがあって使い勝手がいい。これから、色々なプラグインを入れて増強していくのが楽しみ。</p>
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		<title>1265日 下町ロケット</title>
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		<pubDate>Fri, 30 Dec 2011 15:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[下町ロケット(池井戸潤/小学館) 大田区の小さい町工場を舞台にした、技術屋の誇りというテーマは面白い。佃社長の、技術に賭ける意気込みが熱くて良かった。 銀行の人間とか、帝国重工の富山っていう男とか、かなり露骨な悪役が出てきて、いくらなんでもここまでわかりやすい嫌なやつはいないだろうという部分があり、その点はちょっと現実離れしていて、マンガ的だと思った。 中小企業が正面から大企業に立ち向かっていくという、痛快さは好き。 いろいろな出来事を詰め込みすぎてしまっていて、たとえば、弁護士の神谷という人などかなりカッコよかったのに、途中からぷっつりと登場しなくなってしまって、後につながっていかないというような、エピソードが細切れになっている感じはあった。 だから、話しが一続きになっているというよりも、なんか小さな話しが飛び飛びにあらわれていて、その分、クライマックスに至るまでの盛り上がり方が中途半端な感じで、後半は、期待していたよりもあっけなく終わってしまった気がする。 ヒネりはなく、至極まっとうな書き方なので、どことなく物足りなさは感じてしまうけれど、これは、小説に何を求めるかという好みの問題だろうと思う。 【名言】 世間に名の知れた上場企業の看板は、それだけで絶対的な信用がある。いくら中小企業が背伸びしたところで、こと社会的信用という観点からそれに対抗することは難しい。 法廷では裁判官の心証として大企業が有利だという話もショッキングだが、実は法廷などまだマシなほうで、本当に不公平なのは実社会のほうなのだ。この世の中では圧倒的に大企業が有利である。(p.51) 「勘弁してほしいのはこっちだ、支店長」 佃はいった。「あんたたちから投げつけられた言葉や態度は、忘れようにも忘れられないんだよ。傷つけたほうは簡単に忘れても、傷つけられたほうは忘れられない。同じ人間として、私はあんたをまるで信用できないんだ。」(p.172) 佃製作所には、なにかがある。きらりと光るなにかを、持っている。 どんな会社も設立当初から大会社であるはずはない。ソニーしかり。ホンダしかり。土壇場で資金繰りにあえいだことさえある中小企業が、誰もが認める一流企業にのしあがったのには理由がある。 会社は小さくても一流の技術があり、それを支える人間たちの情熱がある。 あの工場に漂う香気は、たとえば財前の父の会社には決してないものであった。(p.214)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093862923/aeaea07-22/ref=nosim/" name="下町ロケット"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/510yaMtPEzL._SL160_.jpg" /><br />
下町ロケット(池井戸潤/小学館)</a></p>
<p>大田区の小さい町工場を舞台にした、技術屋の誇りというテーマは面白い。佃社長の、技術に賭ける意気込みが熱くて良かった。<br />
銀行の人間とか、帝国重工の富山っていう男とか、かなり露骨な悪役が出てきて、いくらなんでもここまでわかりやすい嫌なやつはいないだろうという部分があり、その点はちょっと現実離れしていて、マンガ的だと思った。<br />
中小企業が正面から大企業に立ち向かっていくという、痛快さは好き。<br />
いろいろな出来事を詰め込みすぎてしまっていて、たとえば、弁護士の神谷という人などかなりカッコよかったのに、途中からぷっつりと登場しなくなってしまって、後につながっていかないというような、エピソードが細切れになっている感じはあった。<br />
だから、話しが一続きになっているというよりも、なんか小さな話しが飛び飛びにあらわれていて、その分、クライマックスに至るまでの盛り上がり方が中途半端な感じで、後半は、期待していたよりもあっけなく終わってしまった気がする。<br />
ヒネりはなく、至極まっとうな書き方なので、どことなく物足りなさは感じてしまうけれど、これは、小説に何を求めるかという好みの問題だろうと思う。</p>
<p>【名言】<br />
世間に名の知れた上場企業の看板は、それだけで絶対的な信用がある。いくら中小企業が背伸びしたところで、こと社会的信用という観点からそれに対抗することは難しい。<br />
法廷では裁判官の心証として大企業が有利だという話もショッキングだが、実は法廷などまだマシなほうで、本当に不公平なのは実社会のほうなのだ。この世の中では圧倒的に大企業が有利である。(p.51)</p>
<p>「勘弁してほしいのはこっちだ、支店長」<br />
佃はいった。「あんたたちから投げつけられた言葉や態度は、忘れようにも忘れられないんだよ。傷つけたほうは簡単に忘れても、傷つけられたほうは忘れられない。同じ人間として、私はあんたをまるで信用できないんだ。」(p.172)</p>
<p>佃製作所には、なにかがある。きらりと光るなにかを、持っている。<br />
どんな会社も設立当初から大会社であるはずはない。ソニーしかり。ホンダしかり。土壇場で資金繰りにあえいだことさえある中小企業が、誰もが認める一流企業にのしあがったのには理由がある。<br />
会社は小さくても一流の技術があり、それを支える人間たちの情熱がある。<br />
あの工場に漂う香気は、たとえば財前の父の会社には決してないものであった。(p.214)</p>
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		<title>1264日 大震災の後で人生について語るということ</title>
		<link>http://suishodo.net/archives/2011/11/post_863.html</link>
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		<pubDate>Sat, 26 Nov 2011 15:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[大震災の後で人生について語るということ(橘玲/講談社) シビアで冷徹に、今の日本人がおかれている状況をわかりやすく説明していて、その客観的な語り口には深く納得させられた。 日本の債務超過のことや、持ち家と賃貸の比較など、今まで詳しい意味は分からなかったことが、具体的なデータと共に、とても明快な言葉で解説されている。その上で、世界株のポートフォリオを組むことなど、個人として実行が可能なリスク回避策まで説明しているのは、とてもタメになった。 後半に、日本国への提言として、公務員の給与カットや公共事業の削減などの具体策を出しているのはよかった。現実に実行されることはほとんどあり得ないだろうと思う内容ではあるけれども、実際、日本が立ち直るための唯一の方法なのだろうと思う。 知識というのは実効性のある力なのだということを実感させられる本だった。 【名言】 これから、戦後の日本人の人生設計を支配してきた四つの神話が崩壊してきた様を順に述べていきます。それは「不動産神話」「会社神話」「円神話」「国家神話」で、人生の経済的な側面からいえば、ポスト3・11とは「神話」を奪われた世界を生きることです。(p.4) 「賃貸より持ち家が得」とされているのは持ち家のほうがリスクが高いからです。市場が効率的であれば、リスクが高ければ高いほど、そこから得るリターン（報酬）の平均は大きくなります。逆にいうと、高いリターンを期待するのなら、大きなリスクをとらなければなりません。ところが「地価は永遠に上がりつづける」という不動産神話が健在なときには、このリスクは水面下に沈んでいてだれも気づきませんでした。(p.46) 月額家賃が30万円で家を借りていると聞けば、だれもがもったいないと思うでしょう。しかしこの物件の市場価格が一億円だとすれば利回りは3.6％で、実質利回りの平均（5％）を大きく下回っています。これが高額の賃貸物件に資産家がいる理由で、彼らは割安な不動産物件を借り、資産をより利回りの高い（正確にはリスク/リターン比の高い）収益機会に投じたほうが有利だということを知っているのです（不動産業界のひとたちが賃貸物件に住んでいる理由もここから説明できます）。(p.52) 日本には借り手にきわめて有利な借地借家法があり、いったん賃貸借契約を結んでしまえば、借り手が賃料を払い続けているかぎり、家主は退去を求めることはもちろん、賃料を値上げすることすらきわめて困難です。これは借り手が実質的に不動産を所有しているのと同じことですから、安い賃料で家を借りられたひとにとっては法外に有利な取引です。戦後すぐに都心の一等地で借家生活をはじめたひとたちが典型で、バブル期には億を超える立ち退き料を手にすることができました。(p.53) 会社としても、悪い評判が立つと優秀な人材が集まらないから、年齢に応じた昇給と終身雇用を約束して社員を安心させようとします。その見返りとして、会社は従業員に担保を要求します。これが「人質」で、若いときの低賃金労働と多額の退職金のことです。日本の会社では、従業員は定年まできっちり働かないと正統な報酬を全額受け取れないようになっています。サラリーマンが真面目なのは日本人の気質ではなくて、仕事をさぼって解雇されたときに失うものがあまりにも大きいからなのです。(p.73) 株式投資がプラスサムなのは、ひとびとの「すこしでもゆたかになりたい」という欲望によって市場が拡大していくからです。私たちは、いちど手にした生活水準を手放したくないと強く思うので、市場には強固な下方硬直性があります。すなわち、いったん拡大した市場はめったなことでは縮小しません。(p.95) 国家破産は、国債の暴落からはじまります。これは予言ではなく、財政破綻とは国債の利払いや償還に市場が不安を持つことですから、ただの定義です。国債価格が下がると、必ず金利が上がります。これは因果関係ではなくて、そもそも金利とは債券価格のことだからです。金利が経済成長率を超えて上昇すると、国家の借金が雪だるま式に増えていきます。いったん財政赤字が拡散をはじめると、もはや止めようがなくなります。(p.128) リスクを回避し、安定した人生を送るために、私たちは偏差値の高い大学に入って大きな会社に就職することを目指し、住宅ローンを組んでマイホームを買い、株や外貨には手を出さずひたすら円を貯め込み、老後の生活は国に頼ることを選んできたのです。しかし皮肉なことに、こうしたリスクを避ける選択がすべて、いまではリスクを極大化することになってしまいました。(p.133) 劇団の役者よりも映画俳優のほうがはるかに大きな富を獲得できるのはなぜでしょう。タレブはこれを、映画は拡張可能だが、演劇は拡張不可能だからだと説明しています。 どれだけ人気のある劇団でも、出演者の収入は、劇場の大きさ、一年間の公演回数、観客が支払える料金などの要素によって決まってきます。こうした要素には明らかな上限があるのですから、役者の仕事には富の限界があります（拡張性がない）。 それに対して映画は、大ヒットすれば世界中の映画館で上映され、DVDで販売・レンタルされ、テレビで放映されます。映画スターにはそのたびに利益が分配されますから、映画俳優の仕事には富の限界がありません（拡張性がある）。(p.146) 金利が急激に上がっていくときに、もっとも確実に破産する方法は変動金利（短期金利）で多額の借金をすることです。ところが日本では、不動産販売業者が銀行と提携した低金利ローンを提案するため、新規契約者のうち変動金利を選択するひとが9割を超えています。いったん金利が上昇しはじめたら、こうした契約ではたちまち返済額が膨らんで家計は破綻してしまうでしょう。(p.173) ヒトという有限な生き物にとってもっとも貴重な資源は、お金ではなく時間です。 ウォーレン・バフェットのように世界じゅうの企業の財務諸表を読み込み、徹底的に分析すれば、株価インデックスに比べて投資パフォーマンスを20％引き上げられるとしましょう。しかし私は、仮にこの「必勝法」を知っていたとしても、実践しようとは思いません。私の投資額から考えると、その時間を仕事や趣味にあてたほうが人生の効用ははるかに大きく、それを犠牲にしてわずかな超過利潤を得たところでなんの意味もないからです。 もちろんなかには、人生を投資に捧げている人もいるでしょう。しかし大半のひとは（旅行に行ったり、家族といっしょにすごしたり）それよりずっと有効な時間の使い方があるでしょうから、この貴重な資産を投資パフォーマンスに加えるならば、「なにもしなくていい」世界株投資を上回る投資法はこの世に存在しないのです。(p.183) この世界が残酷で理不尽なのは、大規模な自然災害や経済的な変動が起きたときに、もっとも弱いひとたちに被害が集中することです。このひとたちの人生設計のポートフォリオはあまりにも脆弱なので、想定外の衝撃に耐えることができません。(p.208)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a name="大震災の後で人生について語るということ" href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062171392/aeaea07-22/ref=nosim/"></a><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062171392/aeaea07-22/ref=nosim/"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51DhDmcz6EL._SL160_.jpg" alt="" /><br />
大震災の後で人生について語るということ(橘玲/講談社)</a></p>
<p>シビアで冷徹に、今の日本人がおかれている状況をわかりやすく説明していて、その客観的な語り口には深く納得させられた。<br />
日本の債務超過のことや、持ち家と賃貸の比較など、今まで詳しい意味は分からなかったことが、具体的なデータと共に、とても明快な言葉で解説されている。その上で、世界株のポートフォリオを組むことなど、個人として実行が可能なリスク回避策まで説明しているのは、とてもタメになった。<br />
後半に、日本国への提言として、公務員の給与カットや公共事業の削減などの具体策を出しているのはよかった。現実に実行されることはほとんどあり得ないだろうと思う内容ではあるけれども、実際、日本が立ち直るための唯一の方法なのだろうと思う。<br />
知識というのは実効性のある力なのだということを実感させられる本だった。</p>
<p>【名言】</p>
<p>これから、戦後の日本人の人生設計を支配してきた四つの神話が崩壊してきた様を順に述べていきます。それは「不動産神話」「会社神話」「円神話」「国家神話」で、人生の経済的な側面からいえば、ポスト3・11とは「神話」を奪われた世界を生きることです。(p.4)</p>
<p>「賃貸より持ち家が得」とされているのは持ち家のほうがリスクが高いからです。市場が効率的であれば、リスクが高ければ高いほど、そこから得るリターン（報酬）の平均は大きくなります。逆にいうと、高いリターンを期待するのなら、大きなリスクをとらなければなりません。ところが「地価は永遠に上がりつづける」という不動産神話が健在なときには、このリスクは水面下に沈んでいてだれも気づきませんでした。(p.46)</p>
<p>月額家賃が30万円で家を借りていると聞けば、だれもがもったいないと思うでしょう。しかしこの物件の市場価格が一億円だとすれば利回りは3.6％で、実質利回りの平均（5％）を大きく下回っています。これが高額の賃貸物件に資産家がいる理由で、彼らは割安な不動産物件を借り、資産をより利回りの高い（正確にはリスク/リターン比の高い）収益機会に投じたほうが有利だということを知っているのです（不動産業界のひとたちが賃貸物件に住んでいる理由もここから説明できます）。(p.52)</p>
<p>日本には借り手にきわめて有利な借地借家法があり、いったん賃貸借契約を結んでしまえば、借り手が賃料を払い続けているかぎり、家主は退去を求めることはもちろん、賃料を値上げすることすらきわめて困難です。これは借り手が実質的に不動産を所有しているのと同じことですから、安い賃料で家を借りられたひとにとっては法外に有利な取引です。戦後すぐに都心の一等地で借家生活をはじめたひとたちが典型で、バブル期には億を超える立ち退き料を手にすることができました。(p.53)</p>
<p>会社としても、悪い評判が立つと優秀な人材が集まらないから、年齢に応じた昇給と終身雇用を約束して社員を安心させようとします。その見返りとして、会社は従業員に担保を要求します。これが「人質」で、若いときの低賃金労働と多額の退職金のことです。日本の会社では、従業員は定年まできっちり働かないと正統な報酬を全額受け取れないようになっています。サラリーマンが真面目なのは日本人の気質ではなくて、仕事をさぼって解雇されたときに失うものがあまりにも大きいからなのです。(p.73)</p>
<p>株式投資がプラスサムなのは、ひとびとの「すこしでもゆたかになりたい」という欲望によって市場が拡大していくからです。私たちは、いちど手にした生活水準を手放したくないと強く思うので、市場には強固な下方硬直性があります。すなわち、いったん拡大した市場はめったなことでは縮小しません。(p.95)</p>
<p>国家破産は、国債の暴落からはじまります。これは予言ではなく、財政破綻とは国債の利払いや償還に市場が不安を持つことですから、ただの定義です。国債価格が下がると、必ず金利が上がります。これは因果関係ではなくて、そもそも金利とは債券価格のことだからです。金利が経済成長率を超えて上昇すると、国家の借金が雪だるま式に増えていきます。いったん財政赤字が拡散をはじめると、もはや止めようがなくなります。(p.128)</p>
<p>リスクを回避し、安定した人生を送るために、私たちは偏差値の高い大学に入って大きな会社に就職することを目指し、住宅ローンを組んでマイホームを買い、株や外貨には手を出さずひたすら円を貯め込み、老後の生活は国に頼ることを選んできたのです。しかし皮肉なことに、こうしたリスクを避ける選択がすべて、いまではリスクを極大化することになってしまいました。(p.133)</p>
<p>劇団の役者よりも映画俳優のほうがはるかに大きな富を獲得できるのはなぜでしょう。タレブはこれを、映画は拡張可能だが、演劇は拡張不可能だからだと説明しています。<br />
どれだけ人気のある劇団でも、出演者の収入は、劇場の大きさ、一年間の公演回数、観客が支払える料金などの要素によって決まってきます。こうした要素には明らかな上限があるのですから、役者の仕事には富の限界があります（拡張性がない）。<br />
それに対して映画は、大ヒットすれば世界中の映画館で上映され、DVDで販売・レンタルされ、テレビで放映されます。映画スターにはそのたびに利益が分配されますから、映画俳優の仕事には富の限界がありません（拡張性がある）。(p.146)</p>
<p>金利が急激に上がっていくときに、もっとも確実に破産する方法は変動金利（短期金利）で多額の借金をすることです。ところが日本では、不動産販売業者が銀行と提携した低金利ローンを提案するため、新規契約者のうち変動金利を選択するひとが9割を超えています。いったん金利が上昇しはじめたら、こうした契約ではたちまち返済額が膨らんで家計は破綻してしまうでしょう。(p.173)</p>
<p>ヒトという有限な生き物にとってもっとも貴重な資源は、お金ではなく時間です。<br />
ウォーレン・バフェットのように世界じゅうの企業の財務諸表を読み込み、徹底的に分析すれば、株価インデックスに比べて投資パフォーマンスを20％引き上げられるとしましょう。しかし私は、仮にこの「必勝法」を知っていたとしても、実践しようとは思いません。私の投資額から考えると、その時間を仕事や趣味にあてたほうが人生の効用ははるかに大きく、それを犠牲にしてわずかな超過利潤を得たところでなんの意味もないからです。<br />
もちろんなかには、人生を投資に捧げている人もいるでしょう。しかし大半のひとは（旅行に行ったり、家族といっしょにすごしたり）それよりずっと有効な時間の使い方があるでしょうから、この貴重な資産を投資パフォーマンスに加えるならば、「なにもしなくていい」世界株投資を上回る投資法はこの世に存在しないのです。(p.183)</p>
<p>この世界が残酷で理不尽なのは、大規模な自然災害や経済的な変動が起きたときに、もっとも弱いひとたちに被害が集中することです。このひとたちの人生設計のポートフォリオはあまりにも脆弱なので、想定外の衝撃に耐えることができません。(p.208)</p>
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		<title>1263日 村上龍料理小説集</title>
		<link>http://suishodo.net/archives/2011/10/1263.html</link>
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		<pubDate>Sat, 29 Oct 2011 15:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[村上龍料理小説集(村上龍/講談社) 村上龍の小説は、フィクションを語る時のリアリティーがすごい。本当のことではないとわかっていても、ついそれを信じてしまうような真実味が、登場人物が語るセリフの中に含まれている。 内容的には大したことを言っているわけではなかったとしても、それがあたかも重大な秘密であるかのように、もったいぶった言い回しをさせることにおいて、村上龍の文章は名人芸だと思う。 場所が、世界中のあちこちの国へと、どんどん変わっていくのが面白い。 どのエピソードも、凝った料理と、それにちなんだ舞台と、それを引き立たせる会話、というシンプルな三つの要素から成り立っていて、そこには、普段の生活とは壁一枚隔てたところにあるような、非日常の空気がある。 登場する料理は、今までに見たことも聞いたこともないような、珍味や高級料理ばかりなので、味については想像するしかない。 一冊の中に32ものエピソードが収められているので、いずれの話しも短い。上手いと思うのは、各エピソードのまとめとなる、最後の一行だ。 そこがおそらく、最も工夫を凝らしているであろう部分で、表現の方法としてかなり学ぶところが大きい。 【名言】 「これだよ」と、男は言って、白子を口に入れた。オレも食った。いつものことだが許されないものを口に入れてる気分になる。罪そのものを食っている感じだ。そして罪を食うとオレ達は元気になる。(p.32) 太陽の下で、テニスやフットボールを観ながら食べる時、ホットドックはほとんど他の何にもかえがたい食べものに変わってしまう。食べている時にそう感じるわけではない。太陽とスポーツから離れている時に、幸福感の象徴としてその味がよみがえるのである。それも脳や舌や胃にではなく、全身によみがえる。(p.65) 「腹が減れば何でもうまいとよく言うが、あれは違う」 鹿肉の生ハムを食べながら作曲家はそう言った。 「飢えて食うアンパンと、この生ハムはまったく違うんだ、このダイニングの料理は、罪だな、許されないものだ、差別で成立している」 私もそう思った。 コート・ダ・ジュールの夜はなまめかしい。太陽が沈んで夜になるのではなく、夜という生きものが空気を包みこんでしまうようだ。 ルネッサンス様式の庭園からガラス窓を伝って私達のからだに、愛する女の汗のように夜は染み込んでくる。 「禁じられていることだけに、快楽は潜んでいるんだって当たり前のことがよくわかるな、ここの料理を食べると」 作曲家は白身魚のビスクソースを味わいながらそう言った。(p.73) 「どうしてこの店だけにうまいストーン・クラブがあるのかわかるかい？フロリダ沖で採れる良質のストーン・クラブには限りがあるからさ、この店が全部買ってしまうんだ、それとね、教えてあげよう、フロリダのような亜熱帯のリゾートではカンパリは合わない、カンパリはやはりサンレモやモナコといった乾いたリゾートの飲みものだ、ここじゃジンだよ、それもゴードンやビーフィーターじゃだめだ、植民地支配の天才イギリスに習って、ボンベイ・ジンを飲むんだよ」(p.138) 「ところで、君は幾つだ？」 「三十五歳になります」 「そうか、ならわかるだろう、失われてしまって決して戻って来ないものがこの世にはいろいろある、それを生理的にわかるようになるのは君の歳くらいからだ、そしてわたしくらいになるとそのことのあまりの大きさに、その恐怖感にガク然となるものだ」(p.175) 私達は、声高に、そのレストランそのものを、まずい料理やウエイターの仰々しい態度や年寄りの客達のひどいファッションや下手くそなバンド演奏を笑った。皺だらけの手足でダンスを踊る老人達を嘲笑しながら、私はしだいにひどい気分になっていった。 私もいずれはああいう肌になってしまうと思ったのだ。週末にスペシャル・ディナー・ナイトに行き、失われた時間を嘆いてみたりするのだろう。その時に、あのモナコの休日を思い出すに違いない。そして、場違いに紛れ込んだ若い連中にその醜さをきっと笑われるのだろう。(p.274) 私達は歳を取るほど感傷を恐れるようになる。取り戻すことのできない時間がどんどん増えていくからだ。 だが、同時にセンチメントから守ってくれるものと出会うこともできる。 例えば、あのブイヤベースのようなものだ。 あのブイヤベースには、海の香りと、それに勇気が詰まっていたのである。(p.276) 「リーブル」の読書日記]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a name="村上龍料理小説集" href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062636433/aeaea07-22/ref=nosim/"></a><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062636433/aeaea07-22/ref=nosim/"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/5117G9B6CWL._SL160_.jpg" alt="" /><br />
村上龍料理小説集(村上龍/講談社)</a></p>
<p>村上龍の小説は、フィクションを語る時のリアリティーがすごい。本当のことではないとわかっていても、ついそれを信じてしまうような真実味が、登場人物が語るセリフの中に含まれている。<br />
内容的には大したことを言っているわけではなかったとしても、それがあたかも重大な秘密であるかのように、もったいぶった言い回しをさせることにおいて、村上龍の文章は名人芸だと思う。<br />
場所が、世界中のあちこちの国へと、どんどん変わっていくのが面白い。<br />
どのエピソードも、凝った料理と、それにちなんだ舞台と、それを引き立たせる会話、というシンプルな三つの要素から成り立っていて、そこには、普段の生活とは壁一枚隔てたところにあるような、非日常の空気がある。<br />
登場する料理は、今までに見たことも聞いたこともないような、珍味や高級料理ばかりなので、味については想像するしかない。<br />
一冊の中に32ものエピソードが収められているので、いずれの話しも短い。上手いと思うのは、各エピソードのまとめとなる、最後の一行だ。<br />
そこがおそらく、最も工夫を凝らしているであろう部分で、表現の方法としてかなり学ぶところが大きい。</p>
<p>【名言】<br />
「これだよ」と、男は言って、白子を口に入れた。オレも食った。いつものことだが許されないものを口に入れてる気分になる。罪そのものを食っている感じだ。そして罪を食うとオレ達は元気になる。(p.32)</p>
<p>太陽の下で、テニスやフットボールを観ながら食べる時、ホットドックはほとんど他の何にもかえがたい食べものに変わってしまう。食べている時にそう感じるわけではない。太陽とスポーツから離れている時に、幸福感の象徴としてその味がよみがえるのである。それも脳や舌や胃にではなく、全身によみがえる。(p.65)</p>
<p>「腹が減れば何でもうまいとよく言うが、あれは違う」<br />
鹿肉の生ハムを食べながら作曲家はそう言った。<br />
「飢えて食うアンパンと、この生ハムはまったく違うんだ、このダイニングの料理は、罪だな、許されないものだ、差別で成立している」<br />
私もそう思った。<br />
コート・ダ・ジュールの夜はなまめかしい。太陽が沈んで夜になるのではなく、夜という生きものが空気を包みこんでしまうようだ。<br />
ルネッサンス様式の庭園からガラス窓を伝って私達のからだに、愛する女の汗のように夜は染み込んでくる。<br />
「禁じられていることだけに、快楽は潜んでいるんだって当たり前のことがよくわかるな、ここの料理を食べると」<br />
作曲家は白身魚のビスクソースを味わいながらそう言った。(p.73)</p>
<p>「どうしてこの店だけにうまいストーン・クラブがあるのかわかるかい？フロリダ沖で採れる良質のストーン・クラブには限りがあるからさ、この店が全部買ってしまうんだ、それとね、教えてあげよう、フロリダのような亜熱帯のリゾートではカンパリは合わない、カンパリはやはりサンレモやモナコといった乾いたリゾートの飲みものだ、ここじゃジンだよ、それもゴードンやビーフィーターじゃだめだ、植民地支配の天才イギリスに習って、ボンベイ・ジンを飲むんだよ」(p.138)<br />
「ところで、君は幾つだ？」<br />
「三十五歳になります」<br />
「そうか、ならわかるだろう、失われてしまって決して戻って来ないものがこの世にはいろいろある、それを生理的にわかるようになるのは君の歳くらいからだ、そしてわたしくらいになるとそのことのあまりの大きさに、その恐怖感にガク然となるものだ」(p.175)</p>
<p>私達は、声高に、そのレストランそのものを、まずい料理やウエイターの仰々しい態度や年寄りの客達のひどいファッションや下手くそなバンド演奏を笑った。皺だらけの手足でダンスを踊る老人達を嘲笑しながら、私はしだいにひどい気分になっていった。<br />
私もいずれはああいう肌になってしまうと思ったのだ。週末にスペシャル・ディナー・ナイトに行き、失われた時間を嘆いてみたりするのだろう。その時に、あのモナコの休日を思い出すに違いない。そして、場違いに紛れ込んだ若い連中にその醜さをきっと笑われるのだろう。(p.274)</p>
<p>私達は歳を取るほど感傷を恐れるようになる。取り戻すことのできない時間がどんどん増えていくからだ。<br />
だが、同時にセンチメントから守ってくれるものと出会うこともできる。<br />
例えば、あのブイヤベースのようなものだ。<br />
あのブイヤベースには、海の香りと、それに勇気が詰まっていたのである。(p.276)<br />
<a href="http://www.libru.jp/detail8651.htm">「リーブル」の読書日記</a></p>
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		<title>1262日 課長島耕作</title>
		<link>http://suishodo.net/archives/2011/09/1262.html</link>
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		<pubDate>Sat, 24 Sep 2011 15:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[課長島耕作 全17巻(弘兼憲史/講談社) 「部長」「ヤング」などの島耕作シリーズを読んだ後に、あらためて「課長島耕作」シリーズを読み返してみると、1巻だけはまだキャラクターが定着していなかったためか、ちょっと違和感があるものの、2巻以降は、シリーズを通してほとんどブレがない。 20年以上にわたる長編マンガなのに、絵柄もキャラクターも、これだけ安定しているというのはスゴイことだと思う。 この話しに出てくる男たちは、みんな、家庭という面では恵まれていない人ばかりだ。仕事の面で優秀で出世をしているほど、家庭の面では不遇の状態で、愛人を囲ったり、離婚をしたり、ことごとく上手くいっていない。 島耕作にしても、家庭の話しになると、まったく冴えなくなってしまうし、一人娘にたいしても随分寂しい思いばかりをさせている。この、すべてにおいて完璧というわけではない、仕事に偏ったキャラクターというところも、魅力の一つなのかもしれない。 これより後の「部長」以降のシリーズになると、舞台が国際的になって、だいぶ現場から遠ざかった場面が多くなってしまうので、やっぱり、この「課長」時代の話しのほうが活気があって、色々な出来事がめまぐるしく起こるし、面白いような気がする。 中盤の7巻あたりが、島耕作だけではなく、その周囲の色々な人々の、様々な形の人間模様が描かれていて、「課長島耕作」シリーズで一番面白い部分だと思う。 【名場面】 　 何に対しても誠実でいたい思うんは欲ばりやないやろか うちは島はんとの事だけ真面目でいられるんやったら 他のことは大抵よろしいわ(5巻 p.57) 何て俺はバカなんだ・・ 泣けてきた・・・ 自分のバカさ加減に泣けてきた (9巻p.130) 　 「家族が愛せない・・ 女房にも子どもにも何の興味もない そんなものクソクラエだ」 「お、おい、待てよ樫村・・」(11巻p.130) 今で言う3Kの仕事はバイトの学生がやることと相場が決まってたんだ 最近の若い連中は可哀想だよ そういう仕事はみんな外国人労働者にまかせて 自分達はきれいで楽なバイトしかしない それでトクした気分になっているかもしれないが・・ そんなことじゃ世の中にたくさんある大変な仕事の”痛み&#8221;がわからないよな(16巻p.106)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4063726886/aeaea07-22/ref=nosim/" name="課長島耕作 1巻"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/515XD-dMJfL._SL160_.jpg" /><br />
課長島耕作 全17巻(弘兼憲史/講談社)</a><br />
「部長」「ヤング」などの島耕作シリーズを読んだ後に、あらためて「課長島耕作」シリーズを読み返してみると、1巻だけはまだキャラクターが定着していなかったためか、ちょっと違和感があるものの、2巻以降は、シリーズを通してほとんどブレがない。<br />
20年以上にわたる長編マンガなのに、絵柄もキャラクターも、これだけ安定しているというのはスゴイことだと思う。<br />
この話しに出てくる男たちは、みんな、家庭という面では恵まれていない人ばかりだ。仕事の面で優秀で出世をしているほど、家庭の面では不遇の状態で、愛人を囲ったり、離婚をしたり、ことごとく上手くいっていない。<br />
島耕作にしても、家庭の話しになると、まったく冴えなくなってしまうし、一人娘にたいしても随分寂しい思いばかりをさせている。この、すべてにおいて完璧というわけではない、仕事に偏ったキャラクターというところも、魅力の一つなのかもしれない。<br />
これより後の「部長」以降のシリーズになると、舞台が国際的になって、だいぶ現場から遠ざかった場面が多くなってしまうので、やっぱり、この「課長」時代の話しのほうが活気があって、色々な出来事がめまぐるしく起こるし、面白いような気がする。<br />
中盤の7巻あたりが、島耕作だけではなく、その周囲の色々な人々の、様々な形の人間模様が描かれていて、「課長島耕作」シリーズで一番面白い部分だと思う。<br />
【名場面】<br />
<a href="http://suishodo.net/pict/kacho_01.jpg"><img src="http://suishodo.net/pict/kacho_01_s.jpg" width="151" height="113" /></a>　<a href="http://suishodo.net/pict/kacho_02.jpg"><img src="http://suishodo.net/pict/kacho_02_s.jpg" width="171" height="113" /></a><br />
何に対しても誠実でいたい思うんは欲ばりやないやろか<br />
うちは島はんとの事だけ真面目でいられるんやったら<br />
他のことは大抵よろしいわ(5巻 p.57)<br />
何て俺はバカなんだ・・<br />
泣けてきた・・・<br />
自分のバカさ加減に泣けてきた<br />
(9巻p.130)<br />
<a href="http://suishodo.net/pict/kacho_03.jpg"><img src="http://suishodo.net/pict/kacho_03_s.jpg" width="146" height="113" /></a>　<a href="http://suishodo.net/pict/kacho_04.jpg"><img src="http://suishodo.net/pict/kacho_04_s.jpg" width="169" height="113" /></a><br />
「家族が愛せない・・<br />
女房にも子どもにも何の興味もない<br />
そんなものクソクラエだ」<br />
「お、おい、待てよ樫村・・」(11巻p.130)<br />
今で言う3Kの仕事はバイトの学生がやることと相場が決まってたんだ<br />
最近の若い連中は可哀想だよ<br />
そういう仕事はみんな外国人労働者にまかせて<br />
自分達はきれいで楽なバイトしかしない<br />
それでトクした気分になっているかもしれないが・・<br />
そんなことじゃ世の中にたくさんある大変な仕事の”痛み&#8221;がわからないよな(16巻p.106)</p>
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		<title>1261日 戸隠</title>
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		<pubDate>Sat, 27 Aug 2011 15:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[旅]]></category>

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		<description><![CDATA[今年の夏休みは、暑さから逃れようと知床に行こうと考えていたけれども、飛行機の空きが無く、北海道行きは断念した。 代わりに涼しい場所に行きたいということで、長野や群馬あたりの高原を探していたところ、「戸隠高原」が目についた。 ここなら、避暑になる上に、戸隠神社にお参りも出来る。 戸隠の宿坊に電話をしてみたところ、この時期はどの日も満室。 しかし、ちょうどキャンセルが出た日があるというので、即、行くことに決定。 新幹線で東京駅から長野駅へ移動した。 　 まずは長野駅近くの善光寺にお参り。 ここは、門前町の賑わいといい、親しみやすさといい、浅草っぽい感じがする。 　 そこからバスで山を登ること1時間。 戸隠五社のうち、一番麓のほうにある宝光社を最初に参拝した。 鳥居をくぐり、長い長い石段を登り切った頂上に、宝光社はある。 　 登ってきた階段の方向を振り返ると、一本の長い道がまっすぐと伸びていて、その先に戸隠連峰の山の連なりが見える。 宝光社の裏から入る「神道（かんみち）」と呼ばれる山道の中を歩いて、二番目の火之御子社に到着。 　 ここに祀られているアメノウズメは、賑やかな踊りや歌が好きな芸事の神様で、ラテン系のノリを感じる。その割りに、五社の中で一番地味だけれども。 　 そして、中社へ。ここは社殿の立派さも随一で、樹齢800年の杉と、社殿の裏手に流れている滝の組み合わせが素晴らしかった。 　 滝の周りに冷気がただよっていて、蒸し暑い中でも、この近くの空間だけはクーラーの近くにいるように涼しい。 　 中社までは、大きな道路に面していて、車でも直接来れるけれども、奥社の入口の鳥居から先は、ひたすら山の中の参道を歩いて行くことになる。 雨が降っていたこともあって、登山道のような道はとても歩きにくかったけれども、その代わりに、途中の杉並木などは、より落ち着いた雰囲気で、とても神秘的な場所になっていた。 　 ゴツゴツした岩の山道を2kmほど登った上にあるのが九頭龍社と奥社。とても狭い中に急な階段と社殿がひしめきあっていて、上から見た景色はちょっとマチュピチュっぽい感じだった。 車でサッと来れない場所にあるっていうのがいい。 　 今回泊まった、その名も「極意」という宿坊は、かなり古い建物だったけれども、中はキレイに改装されていて、とても居心地がいい宿だった。 料理も、地元の食材と戸隠蕎麦を中心に、とても凝ったものをたくさんふるまっていただいた。 朝は、宿坊の中にある神棚の前で、神主さんが朝のお勤めをする。 作法は神社風なのに、途中、般若心経を唱えていて何なのかと思った。後で聞いたところでは、戸隠神社は、もともと密教と神道が習合していた寺であったところが、明治の神仏分離令で寺を分離して出来たのだという。 昔は、鳥居と並んで、仁王門もあったようで、そういう時代の戸隠という場所は今より面白かったに違いない。 　 戸隠山の中には、神社以外にも、鏡池という池など色々見てみたいところがあったのだけれど、互いの場所が遠すぎて、歩いて全部回れる距離ではなかったので、今回は五社の参拝以外はあきらめた。今度は、車で来てじっくりと巡ってみたい。 このあたりは積雪量もハンパないらしく、冬の時期に来て滞在するのもまた風情があるだろうと思う。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今年の夏休みは、暑さから逃れようと知床に行こうと考えていたけれども、飛行機の空きが無く、北海道行きは断念した。<br />
代わりに涼しい場所に行きたいということで、長野や群馬あたりの高原を探していたところ、「戸隠高原」が目についた。<br />
ここなら、避暑になる上に、戸隠神社にお参りも出来る。<br />
戸隠の宿坊に電話をしてみたところ、この時期はどの日も満室。<br />
しかし、ちょうどキャンセルが出た日があるというので、即、行くことに決定。<br />
新幹線で東京駅から長野駅へ移動した。<br />
<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9007_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9007_s.JPG" width="150" height="100" /></a>　<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9028_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9028_s.JPG" width="150" height="100" /></a><br />
まずは長野駅近くの善光寺にお参り。<br />
ここは、門前町の賑わいといい、親しみやすさといい、浅草っぽい感じがする。<br />
<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9050_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9050_s.JPG" width="150" height="100" /></a>　<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9053_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9053_s.JPG" width="150" height="100" /></a><br />
そこからバスで山を登ること1時間。<br />
戸隠五社のうち、一番麓のほうにある宝光社を最初に参拝した。<br />
鳥居をくぐり、長い長い石段を登り切った頂上に、宝光社はある。<br />
<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9063_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9063_s.JPG" width="150" height="225" /></a>　<a href="http://suishodo.net/pict/IMG_3664_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMG_3664_s.JPG" width="150" height="200" /></a><br />
登ってきた階段の方向を振り返ると、一本の長い道がまっすぐと伸びていて、その先に戸隠連峰の山の連なりが見える。<br />
宝光社の裏から入る「神道（かんみち）」と呼ばれる山道の中を歩いて、二番目の火之御子社に到着。<br />
<a href="http://suishodo.net/pict/IMG_3670_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMG_3670_s.JPG" width="150" height="200" /></a>　<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9068_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9068_s.JPG" width="150" height="100" /></a><br />
ここに祀られているアメノウズメは、賑やかな踊りや歌が好きな芸事の神様で、ラテン系のノリを感じる。その割りに、五社の中で一番地味だけれども。<br />
<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9104_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9104_s.JPG" width="150" height="100" /></a>　<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9087_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9087_s.JPG" width="150" height="100" /></a><br />
そして、中社へ。ここは社殿の立派さも随一で、樹齢800年の杉と、社殿の裏手に流れている滝の組み合わせが素晴らしかった。<br />
<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9081_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9081_s.JPG" width="150" height="100" /></a>　<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9105_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9105_s.JPG" width="150" height="100" /></a><br />
滝の周りに冷気がただよっていて、蒸し暑い中でも、この近くの空間だけはクーラーの近くにいるように涼しい。<br />
<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9128_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9128_s.JPG" width="150" height="100" /></a>　<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9140_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9140_s.JPG" width="150" height="100" /></a><br />
中社までは、大きな道路に面していて、車でも直接来れるけれども、奥社の入口の鳥居から先は、ひたすら山の中の参道を歩いて行くことになる。<br />
雨が降っていたこともあって、登山道のような道はとても歩きにくかったけれども、その代わりに、途中の杉並木などは、より落ち着いた雰囲気で、とても神秘的な場所になっていた。<br />
<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9145_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9145_s.JPG" width="150" height="100" /></a>　<a href="http://suishodo.net/pict/IMG_3713_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMG_3713_s.JPG" width="150" height="113" /></a><br />
ゴツゴツした岩の山道を2kmほど登った上にあるのが九頭龍社と奥社。とても狭い中に急な階段と社殿がひしめきあっていて、上から見た景色はちょっとマチュピチュっぽい感じだった。<br />
車でサッと来れない場所にあるっていうのがいい。<br />
<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9120_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9120_s.JPG" width="150" height="100" /></a>　<a href="http://suishodo.net/pict/DSC_0192_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/DSC_0192_s.JPG" width="150" height="113" /></a><br />
今回泊まった、その名も「極意」という宿坊は、かなり古い建物だったけれども、中はキレイに改装されていて、とても居心地がいい宿だった。<br />
料理も、地元の食材と戸隠蕎麦を中心に、とても凝ったものをたくさんふるまっていただいた。<br />
朝は、宿坊の中にある神棚の前で、神主さんが朝のお勤めをする。<br />
作法は神社風なのに、途中、般若心経を唱えていて何なのかと思った。後で聞いたところでは、戸隠神社は、もともと密教と神道が習合していた寺であったところが、明治の神仏分離令で寺を分離して出来たのだという。<br />
昔は、鳥居と並んで、仁王門もあったようで、そういう時代の戸隠という場所は今より面白かったに違いない。<br />
<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9121_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9121_s.JPG" width="150" height="100" /></a>　<a href="http://suishodo.net/pict/IMGP9125_m.JPG"><img src="http://suishodo.net/pict/IMGP9125_s.JPG" width="150" height="100" /></a><br />
戸隠山の中には、神社以外にも、鏡池という池など色々見てみたいところがあったのだけれど、互いの場所が遠すぎて、歩いて全部回れる距離ではなかったので、今回は五社の参拝以外はあきらめた。今度は、車で来てじっくりと巡ってみたい。<br />
このあたりは積雪量もハンパないらしく、冬の時期に来て滞在するのもまた風情があるだろうと思う。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>1260日 すベてがFになる</title>
		<link>http://suishodo.net/archives/2011/07/1260_f.html</link>
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		<pubDate>Sat, 30 Jul 2011 15:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[すベてがFになる(森博嗣/講談社) 再読。 ミステリーの仕掛け部分もよく出来ていると思うのだけれど、それ以上に、バーチャル・リアリティーについての考察に、とても感銘を受けた。 孤島の閉鎖された研究所の、その中のさらに密閉された空間に隔離されている、一人の天才。その躰は閉じ込められてはいるけれど、ネットワークによって外部と接続することによって、思考はほぼ無制限の活動をすることが可能になっている。そういう状態で、極限まで机上での推論を重ねて構築された、完全なる計画。 真賀田四季と犀川創平の二人は、人生観の点で多く共通しているところがあり、そこから生まれる言葉や思考は、とても本質的で面白い内容だった。 動機という部分で、意味がよくわからないところもあったのだけれど、それは、ずっと後に発刊された「四季 夏」の中で明らかになっていることがわかり、さらに奥深い作品であることが再認識された。 【名言】 「こんなアウトドアライフも、いつかバーチャル・リアリティーになって、部屋の中で楽しむようになるんですね」萌絵が言った。「普通の人には抵抗あるでしょうけど・・」 「そんな見せかけの自然なんかって思う奴がほとんどだろうね」犀川はまた煙草に火をつけた。「だけど、だいたい自然なんて見せかけなんだからね。コンピュータで作られたものは必ず受け入れられるよ。それは、まやかしだけど・・、本物なんて、そもそもないことに気づくべきなんだ、人間は・・。人間性の喪失とか、いろいろな着飾った言葉で非難されているけど、すべてナンセンスだね。人間が作った道具の中で、コンピュータが最も人間的だし、自然に近い」(p.79) 「ペンチが発明されたとき、ペンチなんて使うのは人間的じゃないって強情を張った奴がいただろうね。そんな道具を使うのは堕落した証拠だって。火を使い始めたときだって、それを否定した種族がいただろう。けれど、我々は、そもそも道具を使う生物なんだ。戻ることはできない。こういうことに対して、寂しいとか、虚しい、なんて言葉を使って非難する連中こそ、人間性を見失っている」(p.80) Time is moneyなんて言葉があるが、それは、時間を甘く見た言い方である。金よりも時間のほうが何千倍も貴重だし、時間の価値は、つまり生命に限りなく等しいのである。(p.308) 「ネットワークさえつながっていれば、僕はどこにいたって良い」犀川は振り向いて嬉しそうに言う。「いや、正確には・・、もともと、どこにいたって良いのだけど、ネットワークはなくてはならない・・、かな。」(p.355) 「死を恐れている人はいません。死にいたる生を恐れているのよ」四季は言う。「苦しまないで死ねるのなら、誰も死を恐れないでしょう？」(p.495)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062639246/aeaea07-22/ref=nosim/" name="すベてがFになる"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51DXQ9KX3BL._SL160_.jpg" /><br />
すベてがFになる(森博嗣/講談社)</a><br />
再読。<br />
ミステリーの仕掛け部分もよく出来ていると思うのだけれど、それ以上に、バーチャル・リアリティーについての考察に、とても感銘を受けた。<br />
孤島の閉鎖された研究所の、その中のさらに密閉された空間に隔離されている、一人の天才。その躰は閉じ込められてはいるけれど、ネットワークによって外部と接続することによって、思考はほぼ無制限の活動をすることが可能になっている。そういう状態で、極限まで机上での推論を重ねて構築された、完全なる計画。<br />
真賀田四季と犀川創平の二人は、人生観の点で多く共通しているところがあり、そこから生まれる言葉や思考は、とても本質的で面白い内容だった。<br />
動機という部分で、意味がよくわからないところもあったのだけれど、それは、ずっと後に発刊された「四季 夏」の中で明らかになっていることがわかり、さらに奥深い作品であることが再認識された。<br />
【名言】<br />
「こんなアウトドアライフも、いつかバーチャル・リアリティーになって、部屋の中で楽しむようになるんですね」萌絵が言った。「普通の人には抵抗あるでしょうけど・・」<br />
「そんな見せかけの自然なんかって思う奴がほとんどだろうね」犀川はまた煙草に火をつけた。「だけど、だいたい自然なんて見せかけなんだからね。コンピュータで作られたものは必ず受け入れられるよ。それは、まやかしだけど・・、本物なんて、そもそもないことに気づくべきなんだ、人間は・・。人間性の喪失とか、いろいろな着飾った言葉で非難されているけど、すべてナンセンスだね。人間が作った道具の中で、コンピュータが最も人間的だし、自然に近い」(p.79)<br />
「ペンチが発明されたとき、ペンチなんて使うのは人間的じゃないって強情を張った奴がいただろうね。そんな道具を使うのは堕落した証拠だって。火を使い始めたときだって、それを否定した種族がいただろう。けれど、我々は、そもそも道具を使う生物なんだ。戻ることはできない。こういうことに対して、寂しいとか、虚しい、なんて言葉を使って非難する連中こそ、人間性を見失っている」(p.80)<br />
Time is moneyなんて言葉があるが、それは、時間を甘く見た言い方である。金よりも時間のほうが何千倍も貴重だし、時間の価値は、つまり生命に限りなく等しいのである。(p.308)<br />
「ネットワークさえつながっていれば、僕はどこにいたって良い」犀川は振り向いて嬉しそうに言う。「いや、正確には・・、もともと、どこにいたって良いのだけど、ネットワークはなくてはならない・・、かな。」(p.355)<br />
「死を恐れている人はいません。死にいたる生を恐れているのよ」四季は言う。「苦しまないで死ねるのなら、誰も死を恐れないでしょう？」(p.495)</p>
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		</item>
		<item>
		<title>1259日 YOSHIKI</title>
		<link>http://suishodo.net/archives/2011/07/1259_yoshiki.html</link>
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		<pubDate>Sat, 23 Jul 2011 15:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://semimaru.biz/wordpress/?p=1291</guid>
		<description><![CDATA[YOSHIKI(小松成美/角川グループパブリッシング) 著者は、本人から直接インタビューをしたわけではなさそうなので、どこまで許可をとっているのかわからないけれど、ワイドショーや週刊誌的な好奇の視点での書き方ではなく、かなり客観的に、YOSHIKIという人間について深く掘り下げているところに好感がもてた。 本人が自伝的に書くよりも、こうして、表現力のあるライターが、徹底的に分析して書いた伝記のほうが良い内容になりやすいのかもしれない。 「HIDEの死」という内容を最初と最後に置いて、それを中心にして「X」について語ろうとしているけれど、一番面白かったのは、それよりも、「X」というバンドが結成されて、メジャーデビューするまでのところだった。 この、高校時代のバンド結成からメジャーデビューまでの軌跡を見ると、YOSHIKIの、もともと持っている根性がハンパなものじゃないということがよくわかる。 実家がたまたま裕福な家庭であったという幸運はあったにしても、「X」のデビューと成功を決定づけたのは、間違いなく、彼の圧倒的なまでに執拗な努力と根性のたまものだったのだろうと思う。 妥協を許さない、凄まじいまでの完璧主義。 メンバーのそれぞれの性格や、当時の軋轢の歴史を知ってから、ライブの映像を今見てみると、困難を乗り越えて、いかに完成度が高い奇跡的な演奏が実現していたかということが、あらためて実感出来る。 この本を読んで、一人の人間が、その才能と精神によって成し遂げられることの大きさを感じた。歴史上の偉人の伝記を読んだような気分だ。 TAIJIも故人となった今、一層「X」というバンドの神秘性は増した気がする。 【名言】 「同情なんかじゃないよ。俺は歯のない奴なんて、殴る気にもならないからな。頑張れよ、TAIJI。せっかくHIDEが会わせてくれたんじゃないか」(p.42) 普段の冷静さと、感情をむき出しにした時の暴れ方。その温度差が、佳樹をあっという間に有名にした。常連客たちは親しげに彼に声をかけ、テーブルを回るたびにカクテルをご馳走してくれた。 あまりに飲みっぷりのいい佳樹に奢る客は増え続け、一晩に20杯のカクテルを飲まされることもあった。佳樹はふらふらになりながら、それでもフロアで接客を続けた。(p.136) 佳樹は、ついに5人が揃ったことに感激していた。毎日会ってリハーサルをしているにも拘わらず、メンバーと離れ難くなり、翌朝まで飲んでしまうのだ。貸しスタジオの近くにある定食屋に入るたびに、佳樹は「俺にはもうひとつの家族ができた」と、呟いた。(p.176) TOSHIと向きあったYOSHIKIは、完成された歌詞が書かれた紙を取り出し、単語ひとつひとつに込められた感情や秘められた意味をつぶさに解説していった。YOSHIKIの頭の中には、完成された「声」や「歌」がある。レコーディングは、彼の理想を再現するための作業だった。(p.256) 俺と関わった人間は、皆、壊れ、消えてしまう。 日本のロックを変えると意気込んだ熱狂が多くの人生を狂わせた。YOSHIKIはできることなら時間を遡り、過去の出会いのすべてを帳消しにしたいとさえ思っていた。 遠い昔、海に飛び込んだ瞬間やオートバイで疾走している時に感じた死への誘いを、なぜ受け入れなかったのか。YOSHIKIは気が遠くなるほどの後悔を覚えていた。 本来のシナリオでは死ぬのはHIDEじゃなかった。俺自身のはずだった。HIDEこそが生きて、先に逝く俺を見送るはずだった。(p.404)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4048836870/aeaea07-22/ref=nosim/" name="YOSHIKI"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41oyrcq8ssL._SL160_.jpg" /><br />
YOSHIKI(小松成美/角川グループパブリッシング)</a><br />
著者は、本人から直接インタビューをしたわけではなさそうなので、どこまで許可をとっているのかわからないけれど、ワイドショーや週刊誌的な好奇の視点での書き方ではなく、かなり客観的に、YOSHIKIという人間について深く掘り下げているところに好感がもてた。<br />
本人が自伝的に書くよりも、こうして、表現力のあるライターが、徹底的に分析して書いた伝記のほうが良い内容になりやすいのかもしれない。<br />
「HIDEの死」という内容を最初と最後に置いて、それを中心にして「X」について語ろうとしているけれど、一番面白かったのは、それよりも、「X」というバンドが結成されて、メジャーデビューするまでのところだった。<br />
この、高校時代のバンド結成からメジャーデビューまでの軌跡を見ると、YOSHIKIの、もともと持っている根性がハンパなものじゃないということがよくわかる。<br />
実家がたまたま裕福な家庭であったという幸運はあったにしても、「X」のデビューと成功を決定づけたのは、間違いなく、彼の圧倒的なまでに執拗な努力と根性のたまものだったのだろうと思う。<br />
妥協を許さない、凄まじいまでの完璧主義。<br />
メンバーのそれぞれの性格や、当時の軋轢の歴史を知ってから、ライブの映像を今見てみると、困難を乗り越えて、いかに完成度が高い奇跡的な演奏が実現していたかということが、あらためて実感出来る。<br />
この本を読んで、一人の人間が、その才能と精神によって成し遂げられることの大きさを感じた。歴史上の偉人の伝記を読んだような気分だ。<br />
TAIJIも故人となった今、一層「X」というバンドの神秘性は増した気がする。<br />
【名言】<br />
「同情なんかじゃないよ。俺は歯のない奴なんて、殴る気にもならないからな。頑張れよ、TAIJI。せっかくHIDEが会わせてくれたんじゃないか」(p.42)<br />
普段の冷静さと、感情をむき出しにした時の暴れ方。その温度差が、佳樹をあっという間に有名にした。常連客たちは親しげに彼に声をかけ、テーブルを回るたびにカクテルをご馳走してくれた。<br />
あまりに飲みっぷりのいい佳樹に奢る客は増え続け、一晩に20杯のカクテルを飲まされることもあった。佳樹はふらふらになりながら、それでもフロアで接客を続けた。(p.136)<br />
佳樹は、ついに5人が揃ったことに感激していた。毎日会ってリハーサルをしているにも拘わらず、メンバーと離れ難くなり、翌朝まで飲んでしまうのだ。貸しスタジオの近くにある定食屋に入るたびに、佳樹は「俺にはもうひとつの家族ができた」と、呟いた。(p.176)<br />
TOSHIと向きあったYOSHIKIは、完成された歌詞が書かれた紙を取り出し、単語ひとつひとつに込められた感情や秘められた意味をつぶさに解説していった。YOSHIKIの頭の中には、完成された「声」や「歌」がある。レコーディングは、彼の理想を再現するための作業だった。(p.256)<br />
俺と関わった人間は、皆、壊れ、消えてしまう。<br />
日本のロックを変えると意気込んだ熱狂が多くの人生を狂わせた。YOSHIKIはできることなら時間を遡り、過去の出会いのすべてを帳消しにしたいとさえ思っていた。<br />
遠い昔、海に飛び込んだ瞬間やオートバイで疾走している時に感じた死への誘いを、なぜ受け入れなかったのか。YOSHIKIは気が遠くなるほどの後悔を覚えていた。<br />
本来のシナリオでは死ぬのはHIDEじゃなかった。俺自身のはずだった。HIDEこそが生きて、先に逝く俺を見送るはずだった。(p.404)</p>
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		<title>1258日 最終講義</title>
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		<pubDate>Sat, 16 Jul 2011 15:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[最終講義(内田樹/技術評論社) 内田樹さんの話しは、テーマに即して順序立てて書かれた単行本を読んでいてさえ、この話しがいったいどこにたどり着くのかわからない面白さがある。 それが、講演のような話し言葉での語りの場合、より一層アクロバシーになって、どう展開していくのか予想がつかない。それでも、まったくテーマや本筋とは関係のない話しをしているように思えても、雑談に思われた話しも含めて、きちんとすべての流れがまとまって一つの結論へと導かれるから不思議だ。 内容としては、単行本で既出の話しが多かった気がするけれど、話し言葉で語られていることによって、また全然違った視点から、より多面的に理解することが出来た感じがする。講演でもこれだけ面白い話しが出来るというのはすごいことだと思う。 【名言】 判断力や理解力を最大化するためには方法は一つしかないんです。 それは「上機嫌でいる」ということです。にこやかに微笑んでいる状態が、目の前にある現実をオープンマインドでありのままに受け容れる開放的な状態。それが一番頭の回転がよくなるときなんです。最高度まで頭の回転を上げなければ対処できない危機的局面に遭遇した経験のある人なら、どうすれば自分の知性の機能が向上するか、そのやり方を経験的に知っているはずなんです。悲しんだり、怒ったり、恨んだり、焦ったり、というような精神状態では知的なパフォーマンスは向上しない。いつもと同じくらいまでは頭が働くかもしれないけれど、感情的になっている限り、とくにネガティヴな感情にとらえられている限り、自分の限界を超えて頭が回転するということは起こりません。(p.53) 経験的にわかるんです。「問題児枠」とか「バカ枠」で一定比率、「変なことをやる人間」を採用しておいた方が、システムとしては安全なんですよ。組織成員が過度に標準化・規格化しないように、ときどき「異物」を混入させておくというのは、リスクヘッジの基本なんです。みんなと違う視点から、みんなと違う射程でものをとらえ、みんなと違う基準で良否を判断するような人間が、どんな組織にも一定数いないとまずいんです。そういうのは平時は使い物にならないかもしれないけれど、危機の時には役に立つことがあるんです。必ず役に立つわけじゃないですよ。平時にも役に立たなかったし、有事の時にもさらに役に立たなかった・・ということも残念ながらあるかも知れない。それでも、打つ手がなくて手詰まりになったときに、思いがけない人間が、思いがけないソリューションを提案して、それでシステムが救われたというのは、「よくあること」なんです。(p.76) さて、レヴィナスは僕に会ったときに、「もう本に書いたこと」を繰り返すのか、それとも今彼の脳内で生成しつつある知の運動を語るのか、どちらなのか。それは会いに行ってみないとわからない。それで会いに行ったんです。でも、そんなことは会って５秒でわかるんです。ものすごい勢いで話し始めたから。本を読み上げるどころか、今ここで新しい哲学書、単行本一冊分くらいを一気に語るんですから。僕はそのとき本当に感動したんです。(p.89) 一億三千万人の人間が、だいたい似たようなことを考えているというのは、システムの安定性という観点から言えば、たしかにほとんど理想的です。内乱も革命も、そんな国では絶対に起こらないから。でも、政治的な革命が絶対に起こり得ない国というのは、裏返して言えば、どんな分野でも、前例を覆し、常識を叩き壊すようなイノベーションが起こりにくい国ということでもあります。現に僕たちの国はそうなっている。みんなだいたい同じようなことを考えているから、喉笛を掻き斬り合うような対立関係は心配しなくてよい。でも、国内合意で安心しているうちに、世界標準からどんどん外れてゆく。イノベーティヴな才能が育たなくなっている。これはかなり深刻な事態です。僕が「息苦しさ」を感じると言ったのはそのことです。(p.122) 二つの異なる育児戦略が拮抗しつつ並存しているというのが、いちばんバランスがいいんです。両親が育児戦略を共有するのは子どもをむしろ生きにくくさせる。両親が口を揃えて「競争に勝て」と子どもを責め立てたら、子どもはストレスで壊れてしまう。逆に、両親共に「生きてくれさえすればいい」と言えば、やっぱり社会性が身につかない。(p.129) 医療と教育というのは、21世紀の「右肩下がりの日本」が、新たに産業を興すというかたちではなく、もともと日本人が具えているノウハウを最大限に発揮できるセクターなんです。でも、まさにこの医療と教育は、80～90年代において「医療崩壊」「教育崩壊」というかたちでメディアと政治家と産業界から集中砲火を浴びて、回復不能な傷を負った。(p.146) 村上さんがフランス語ができたら、きっと『ル・グラン・モーヌ』も訳されていたと思います。そして、もちろん、『ル・グラン・モーヌ』にも先行作品があるんです。何だか知らないですけど、これはあるに決まっている。たぶん人類が物語を書き始めてからずっと書き継がれている「アドレッセンスの喪失の物語」があるのです。それは人間にとって必要な物語なんです。人間の住む世界に「骨組みと軸と構造を与える物語」というものがあって、これはそのような、人間が人間であるためには読まなければならない物語の一つなんです。太古から語り継がれてきた物語の鉱脈というのはほんとうにあるんです。そして、卓越した作家だけがその鉱脈に触れることができる。(p.162) 旗印を掲げるということは、「選ばれないリスク」を引き受けるということなんです。「みなさん来てください」という学校は「旗を掲げていない」ということです。旗を掲げるということは、この旗に呼応する人だけ来てくださいということです。そのために立てているわけですから。(p.186) 三浦雅士さんがこんな話しをしています。中学校の国語で万葉集や古今集を習う。意味がよくわからないままに、受験勉強だから丸暗記する。そのまま何年か経って、ふと風景を見ているときに、「しずこころなく花の散るらむ」とか「人こそ見えね秋は来にけり」なんていう言葉を呟いていることがある。その瞬間に初めて言葉と身体感覚が一致する。自分の中に記憶されていた言葉と、それに対応する身体実感が対になる。ふつうは感動が先で、それを「言葉にする」という順序でものごとは起こると思われているけれど、そうでもないんです。最初に言葉がある。その言語が何を意味するのかよくわからないままに記憶させられる。そして、ある日その言語に対応する意味を身体で実感することが起きる。神経衰弱でペアのカードが見つかったみたいな感じですね。たしかにその言語を自分は知っていた。でも、ただの空疎な言葉でしかなかった。実感の裏付けがなかった。それが、ある瞬間に言葉が意味を受肉することが起きる。(p.217) 僕の中で武道とユダヤを結びつけているのは、「アメリカを眼下に睥睨したい」というナショナリスティックな欲望ではないのか、と。まさかこの三十数年間、自分が全力を尽くしてやってきた心身の訓練とユダヤ研究の究極の目的が、「反米かよ・・」というので、かなりショックを受けたんですね。 でも、このいろいろなことをやってきたら、行き着く先がなんとも貧しい政治的な幻想だった・・という発見が、僕にとってはむしろ新鮮な感じがしたのです。「なるほど、人間というのは、ほんとうに歴史的・政治史的な文脈の中で生き死にするものだなあ」って。(p.275)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4774147095/aeaea07-22/ref=nosim/" name="最終講義"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51NUcYqrfqL._SL160_.jpg" /><br />
最終講義(内田樹/技術評論社)</a><br />
内田樹さんの話しは、テーマに即して順序立てて書かれた単行本を読んでいてさえ、この話しがいったいどこにたどり着くのかわからない面白さがある。<br />
それが、講演のような話し言葉での語りの場合、より一層アクロバシーになって、どう展開していくのか予想がつかない。それでも、まったくテーマや本筋とは関係のない話しをしているように思えても、雑談に思われた話しも含めて、きちんとすべての流れがまとまって一つの結論へと導かれるから不思議だ。<br />
内容としては、単行本で既出の話しが多かった気がするけれど、話し言葉で語られていることによって、また全然違った視点から、より多面的に理解することが出来た感じがする。講演でもこれだけ面白い話しが出来るというのはすごいことだと思う。<br />
【名言】<br />
判断力や理解力を最大化するためには方法は一つしかないんです。<br />
それは「上機嫌でいる」ということです。にこやかに微笑んでいる状態が、目の前にある現実をオープンマインドでありのままに受け容れる開放的な状態。それが一番頭の回転がよくなるときなんです。最高度まで頭の回転を上げなければ対処できない危機的局面に遭遇した経験のある人なら、どうすれば自分の知性の機能が向上するか、そのやり方を経験的に知っているはずなんです。悲しんだり、怒ったり、恨んだり、焦ったり、というような精神状態では知的なパフォーマンスは向上しない。いつもと同じくらいまでは頭が働くかもしれないけれど、感情的になっている限り、とくにネガティヴな感情にとらえられている限り、自分の限界を超えて頭が回転するということは起こりません。(p.53)<br />
経験的にわかるんです。「問題児枠」とか「バカ枠」で一定比率、「変なことをやる人間」を採用しておいた方が、システムとしては安全なんですよ。組織成員が過度に標準化・規格化しないように、ときどき「異物」を混入させておくというのは、リスクヘッジの基本なんです。みんなと違う視点から、みんなと違う射程でものをとらえ、みんなと違う基準で良否を判断するような人間が、どんな組織にも一定数いないとまずいんです。そういうのは平時は使い物にならないかもしれないけれど、危機の時には役に立つことがあるんです。必ず役に立つわけじゃないですよ。平時にも役に立たなかったし、有事の時にもさらに役に立たなかった・・ということも残念ながらあるかも知れない。それでも、打つ手がなくて手詰まりになったときに、思いがけない人間が、思いがけないソリューションを提案して、それでシステムが救われたというのは、「よくあること」なんです。(p.76)<br />
さて、レヴィナスは僕に会ったときに、「もう本に書いたこと」を繰り返すのか、それとも今彼の脳内で生成しつつある知の運動を語るのか、どちらなのか。それは会いに行ってみないとわからない。それで会いに行ったんです。でも、そんなことは会って５秒でわかるんです。ものすごい勢いで話し始めたから。本を読み上げるどころか、今ここで新しい哲学書、単行本一冊分くらいを一気に語るんですから。僕はそのとき本当に感動したんです。(p.89)<br />
一億三千万人の人間が、だいたい似たようなことを考えているというのは、システムの安定性という観点から言えば、たしかにほとんど理想的です。内乱も革命も、そんな国では絶対に起こらないから。でも、政治的な革命が絶対に起こり得ない国というのは、裏返して言えば、どんな分野でも、前例を覆し、常識を叩き壊すようなイノベーションが起こりにくい国ということでもあります。現に僕たちの国はそうなっている。みんなだいたい同じようなことを考えているから、喉笛を掻き斬り合うような対立関係は心配しなくてよい。でも、国内合意で安心しているうちに、世界標準からどんどん外れてゆく。イノベーティヴな才能が育たなくなっている。これはかなり深刻な事態です。僕が「息苦しさ」を感じると言ったのはそのことです。(p.122)<br />
二つの異なる育児戦略が拮抗しつつ並存しているというのが、いちばんバランスがいいんです。両親が育児戦略を共有するのは子どもをむしろ生きにくくさせる。両親が口を揃えて「競争に勝て」と子どもを責め立てたら、子どもはストレスで壊れてしまう。逆に、両親共に「生きてくれさえすればいい」と言えば、やっぱり社会性が身につかない。(p.129)<br />
医療と教育というのは、21世紀の「右肩下がりの日本」が、新たに産業を興すというかたちではなく、もともと日本人が具えているノウハウを最大限に発揮できるセクターなんです。でも、まさにこの医療と教育は、80～90年代において「医療崩壊」「教育崩壊」というかたちでメディアと政治家と産業界から集中砲火を浴びて、回復不能な傷を負った。(p.146)<br />
村上さんがフランス語ができたら、きっと『ル・グラン・モーヌ』も訳されていたと思います。そして、もちろん、『ル・グラン・モーヌ』にも先行作品があるんです。何だか知らないですけど、これはあるに決まっている。たぶん人類が物語を書き始めてからずっと書き継がれている「アドレッセンスの喪失の物語」があるのです。それは人間にとって必要な物語なんです。人間の住む世界に「骨組みと軸と構造を与える物語」というものがあって、これはそのような、人間が人間であるためには読まなければならない物語の一つなんです。太古から語り継がれてきた物語の鉱脈というのはほんとうにあるんです。そして、卓越した作家だけがその鉱脈に触れることができる。(p.162)<br />
旗印を掲げるということは、「選ばれないリスク」を引き受けるということなんです。「みなさん来てください」という学校は「旗を掲げていない」ということです。旗を掲げるということは、この旗に呼応する人だけ来てくださいということです。そのために立てているわけですから。(p.186)<br />
三浦雅士さんがこんな話しをしています。中学校の国語で万葉集や古今集を習う。意味がよくわからないままに、受験勉強だから丸暗記する。そのまま何年か経って、ふと風景を見ているときに、「しずこころなく花の散るらむ」とか「人こそ見えね秋は来にけり」なんていう言葉を呟いていることがある。その瞬間に初めて言葉と身体感覚が一致する。自分の中に記憶されていた言葉と、それに対応する身体実感が対になる。ふつうは感動が先で、それを「言葉にする」という順序でものごとは起こると思われているけれど、そうでもないんです。最初に言葉がある。その言語が何を意味するのかよくわからないままに記憶させられる。そして、ある日その言語に対応する意味を身体で実感することが起きる。神経衰弱でペアのカードが見つかったみたいな感じですね。たしかにその言語を自分は知っていた。でも、ただの空疎な言葉でしかなかった。実感の裏付けがなかった。それが、ある瞬間に言葉が意味を受肉することが起きる。(p.217)<br />
僕の中で武道とユダヤを結びつけているのは、「アメリカを眼下に睥睨したい」というナショナリスティックな欲望ではないのか、と。まさかこの三十数年間、自分が全力を尽くしてやってきた心身の訓練とユダヤ研究の究極の目的が、「反米かよ・・」というので、かなりショックを受けたんですね。<br />
でも、このいろいろなことをやってきたら、行き着く先がなんとも貧しい政治的な幻想だった・・という発見が、僕にとってはむしろ新鮮な感じがしたのです。「なるほど、人間というのは、ほんとうに歴史的・政治史的な文脈の中で生き死にするものだなあ」って。(p.275)</p>
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		<title>1257日 Harry Potter and the Deathly Hallows</title>
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		<pubDate>Sat, 09 Jul 2011 15:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[Harry Potter and the Deathly Hallows(J.K. Rowling/Bloomsbury Publishing PLC) 映画の最終章も今週公開ということで、 いよいよ、最終巻である7作目。 読み終わってしまうのが、かなり名残惜しい気持ちだった。 この、ハリー・ポッターシリーズの大きな特徴は、人物設定の複雑さなんだろうと思う。 敵役はもちろん、主人公も、導き手である先生にも、完全無欠の人間はどこにもいず、それぞれが、それぞれの思惑を抱えて、迷ったり怒ったり、些細なことで言い争いになったりする。 だからこそ、最後の最後まで物語の行方はどこに辿りつくかわからない不安定さを持続していて、その点がリアルだと思った。 それにしても、この物語は長かった。後から振り返ってみると、かなり寄り道をしていたり、冗長な描写は多いのだけれど、その積み重ねがあるゆえに作品世界に奥行きが出ているという面はたしかにあるだろうと思う。 すっきりシンプルにまとめてしまうと、読みやすくはなるに違いないけれど、その分、もう一つの世界を覗いているような気分にさせてくれるファンタジーとしての醍醐味は薄れてしまったはずだ。 まだまだ、気になる登場人物やエピソードは色々とあるけれど、結末には満足だった。 【名言】 He chanced a glance at her. She was not tearful;that was one of the many wonderful things about Ginny, she was rarely weepy. He had sometimes thought that having six brothers must have toughened her up.(p.132) [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0747595836/aeaea07-22/ref=nosim/" name="Harry Potter and the Deathly Hallows"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/31w--lnNUBL._SL160_.jpg" /><br />
Harry Potter and the Deathly Hallows(J.K. Rowling/Bloomsbury Publishing PLC)</a><br />
映画の最終章も今週公開ということで、<br />
いよいよ、最終巻である7作目。<br />
読み終わってしまうのが、かなり名残惜しい気持ちだった。<br />
この、ハリー・ポッターシリーズの大きな特徴は、人物設定の複雑さなんだろうと思う。<br />
敵役はもちろん、主人公も、導き手である先生にも、完全無欠の人間はどこにもいず、それぞれが、それぞれの思惑を抱えて、迷ったり怒ったり、些細なことで言い争いになったりする。<br />
だからこそ、最後の最後まで物語の行方はどこに辿りつくかわからない不安定さを持続していて、その点がリアルだと思った。<br />
それにしても、この物語は長かった。後から振り返ってみると、かなり寄り道をしていたり、冗長な描写は多いのだけれど、その積み重ねがあるゆえに作品世界に奥行きが出ているという面はたしかにあるだろうと思う。<br />
すっきりシンプルにまとめてしまうと、読みやすくはなるに違いないけれど、その分、もう一つの世界を覗いているような気分にさせてくれるファンタジーとしての醍醐味は薄れてしまったはずだ。<br />
まだまだ、気になる登場人物やエピソードは色々とあるけれど、結末には満足だった。<br />
【名言】<br />
He chanced a glance at her. She was not tearful;that was one of the many wonderful things about Ginny, she was rarely weepy. He had sometimes thought that having six brothers must have toughened her up.(p.132)<br />
&#8216;Parents,&#8217; said Harry, &#8216;shouldn&#8217;t leave their kids unless &#8212; unless they&#8217;ve got to.&#8217;(p.240)<br />
He let them fall, his lips pressed hard together, looking down at the thick snow hiding from his eyes the place where the last of Lily and James lay, bones now, surely, or dust, not knowing or caring that their living son stood so near, his heart still beating, alive because of their sacrifice and close to wishing, at this moment, that he was sleeping under the snow with them.(p.364)<br />
He had spilled his own blood more times than he could count; he had lost all the bones in his right arm once; this journey had already given him scars to his chest and forearm to join those on his hand and forehead, but never, until this moment, had he felt himself to be fatally weakened, vulnerable and naked, as though the best part of his magical power had been torn from him.(p.388)<br />
&#8216;Did you think we&#8217;d be staying in five star hotels? Finding a Horcrux every other day? Did you think you&#8217;d be back to Mummy by Christmas?&#8217;(p.341)<br />
&#8216;Would you like me to do it now?&#8217; asked Snape, his voice heavy with irony. &#8216;Or would you like a few moments to compose an epitaph?&#8217;(p.748)<br />
Slowly, very slowly, he sat up, and as he did so he felt more alive, and more aware of his own living body than ever before. Why had he never appreciated what a miracle he was, brain and nerve and bounding heart? It would be all gone&#8230; or at least, he would be gone from it.(p.758)<br />
Ripples of cold undulated over Harry&#8217;s skin. He wanted to shout out to the night, he wanted Ginny to know that he was going. He wanted to be stopped, to be dragged back, to be sent back home&#8230;(p.763)<br />
&#8216;Do not pity the dead, Harry. Pity the living, and, above all, those who live without love. By returning, you may ensure that fewer souls are maimed, fewer families are torn apart. If that seems to you a worthy goal, then we say goodbye for the present.&#8217;(p.792)<br />
&#8216;That wand&#8217;s more trouble than it&#8217;s worth. I&#8217;ve had enough trouble for a lifetime.&#8217;(p.821)<br />
【水晶堂リンク】<br />
<a href="http://suishodo.net/archives/2008/09/harry_potter_an.html">(1巻)Harry Potter and the Philosopher&#8217;s Stone</a><br />
<a href="http://suishodo.net/archives/2008/09/harry_potter_an_1.html">(2巻)Harry Potter and the Chamber of Secrets</a><br />
<a href="http://suishodo.net/archives/2008/10/harry_potter_an_2.html">(3巻)Harry Potter and the Prisoner of Azkaban</a><br />
<a href="http://suishodo.net/archives/2009/01/harry_potter_an_3.html">(4巻)Harry Potter and the Goblet of Fire</a><br />
<a href="http://suishodo.net/archives/2009/04/harry_potter_an_4.html">(5巻)Harry Potter and the Order of the Phoenix</a><br />
<a href="http://suishodo.net/archives/2009/07/harry_potter_an_5.html">(6巻)Harry Potter and the Half-Blood Prince</a></p>
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