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	<title>水晶堂</title>
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		<title>水晶が届いた</title>
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		<pubDate>Sun, 20 May 2012 04:19:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[出来事]]></category>

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		<description><![CDATA[石のネットショップ「旅する小惑星」から、品物が届いた。 選んだのはやはり『水晶』。 同封されていた解説によると、 古代ギリシャでは、水晶は「氷の化石」だと考えられていたとのこと。 たしかに、初めて見たら、そう思ってしまう気がする。 http://www.brightsegment.net/gallery/]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="/pict/DSC01774.JPG"><img src="/pict/DSC01774_s.JPG" width="500" height="375"></a><br />
石のネットショップ「旅する小惑星」から、品物が届いた。<br />
選んだのはやはり『水晶』。</p>
<p>同封されていた解説によると、<br />
古代ギリシャでは、水晶は「氷の化石」だと考えられていたとのこと。<br />
たしかに、初めて見たら、そう思ってしまう気がする。<br />
<a href="http://www.brightsegment.net/gallery/">http://www.brightsegment.net/gallery/</a></p>
]]></content:encoded>
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		<title>1276日 内容がカットされていない会見を見て思ったこと</title>
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		<pubDate>Thu, 10 May 2012 10:04:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[思ったこと]]></category>

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		<description><![CDATA[長かったけれど、30分近く聴き入ってしまった。 でも、この、長さが良かった。 今まで、テレビの中の世界では、 圧倒的に、会見をする側が不利、という状況だったと思う。 どうしてそうなるかというと、 ・質問している人が誰だかわからない。 ・質問者に説明義務がないので、質問しっぱなしで逃げることが出来る。 ・報道の時には、一部分の発言だけを取り上げて、前後の文脈はカットされる。 討論番組でも、短い時間でのコマ切れのやりとりでは、 人の発言を遮ってでも、多くしゃべった人が勝ち、 というおかしなルールが支配的になって、 論理的に破綻した発言であっても、 パッと印象的なことを言う技術があれば、 視聴者は、そっちが正しいように錯覚してしまう。 しかし、時間に余裕がある、ネット上の中継のような会見が増えてくれば、 無意味なセンテンスのぶつけ合いから、双方向の「対話」になって、 発言の中におかしな点があれば、自然と浮き彫りになってくる。 テレビのニュースのような、短い一部分を切り取ったものでは、 編集の仕方によって、どのようにでも印象を操作出来てしまうけれど、 こういう、まとまった長さの、内容がカットされていない 会見をもっと見られればいいな、と思った。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/9ZeEHtJ6W74" frameborder="0" allowfullscreen></iframe></p>
<p>長かったけれど、30分近く聴き入ってしまった。<br />
でも、この、長さが良かった。</p>
<p>今まで、テレビの中の世界では、<br />
圧倒的に、会見をする側が不利、という状況だったと思う。<br />
どうしてそうなるかというと、</p>
<p>・質問している人が誰だかわからない。<br />
・質問者に説明義務がないので、質問しっぱなしで逃げることが出来る。<br />
・報道の時には、一部分の発言だけを取り上げて、前後の文脈はカットされる。</p>
<p>討論番組でも、短い時間でのコマ切れのやりとりでは、<br />
人の発言を遮ってでも、多くしゃべった人が勝ち、<br />
というおかしなルールが支配的になって、<br />
論理的に破綻した発言であっても、<br />
パッと印象的なことを言う技術があれば、<br />
視聴者は、そっちが正しいように錯覚してしまう。</p>
<p>しかし、時間に余裕がある、ネット上の中継のような会見が増えてくれば、<br />
無意味なセンテンスのぶつけ合いから、双方向の「対話」になって、<br />
発言の中におかしな点があれば、自然と浮き彫りになってくる。</p>
<p>テレビのニュースのような、短い一部分を切り取ったものでは、<br />
編集の仕方によって、どのようにでも印象を操作出来てしまうけれど、<br />
こういう、まとまった長さの、内容がカットされていない<br />
会見をもっと見られればいいな、と思った。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>1275日 有限と微小のパン</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Mar 2012 15:00:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[有限と微小のパン(森博嗣/講談社) シリーズ第一作目の「すべてがFになる」と対応する構造になっている、この、シリーズ最終作は、副題も、「THE PERFECT INSIDER」と「THE PERFECT OUTSIDER」で一対のものになっている。 中心のテーマになっているのは、いずれの話しも「バーチャルリアリティー（仮想現実）」。真賀田四季博士が登場することで、「生きている、死んでいる、とは何か？」のような、ある面、仏教問答のような形而上的な話しになることが多かった。犀川と真賀田四季との対話が特に面白い。 この本が書かれた当時は、まだコンピュータグラフィックスもプレイステーション１レベルのものだったのだろうから、物語の中に出てくるバーチャルシミューレーターなどは、今となるとちょっとチャチな感じがするけれども、その、「仮想」と「現実」を対比させた考察は、かなり本質的なものなので、時代に関係なく興味深い内容だと思う。 殺人事件のトリックについては、この巻の場合、かなりそちらに割り振られるウェイトも低いので、この際どうでも良かったという感じがする。 こちらの予想を超えて意表を突くところは見事な構成なのだけれど、ちょっと現実離れしすぎていて、さすがにそれは無いだろう、という感想だった。 真賀田四季には、本当に「この世にはいない」、草薙素子のような電脳世界の住人になっていて欲しかったので、ラストは、その点でちょっと期待外れ。 シリーズの締めくくりとしてはすっきりしなかったのだけれど、この後にも「四季」シリーズなどに話しが引き継がれていくことを考えれば、まだ何かがありそうな予感を残す、余韻の残る終わり方だったと思う。 S&#038;Mシリーズというのは、犀川＆萌絵のことと当たり前のように思っていたけれど、それは、犀川＆真賀田、あるいは四季＆萌絵の意味も含んだものであったかもしれない。いずれにしても、この3人の関係こそが、このシリーズの軸になっていたことがよくわかる巻だった。 【名言】 この種の電光掲示板は、人間社会のメカニズムに類似している。一つ一つの微小なライトは、ただ、ONとOFFを繰り返すだけだ。言われたとおりのインターバルで、点いたり消えたりする。つまり死ぬか生きているかを表示しているに過ぎない。それを遠くから眺めると、文字が流れているように見える。意味のあるものが読める。つまりは、これが人間の歴史ではないか。その一つ一つの単位は、自分がどんな文字の一部となったのかも知ることはない。死ぬか生きるか、しかないのである。(p.95) 彼と一緒に地下鉄に乗っていたときだ。親子の写真とともに、「パパは君で夢を見る」というキャッチコピィの広告が目についた。犀川はそれを見て、萌絵にこう言った。「子供は、あんなパパが大嫌いだ」 萌絵も同感だった。 子供で夢を見る親は、もう「親」という生きものだ。それは人間の生を放棄している。ついつい人は、そうした装飾に包まれた安楽を望むもの。(p.199) 無理をすることはない、と考えてから、「無理をする」とはどういった意味なのか、犀川はさらに考えた。無理をしないで生きている人間なんていない。生きているということと、無理をすることは、ほとんど同義なのだから。(p.378) 「我々が今感じている感覚をすべて再現しなくてはいけない、というのも正論ではありません。そんな必要はどこにもないのです。車を運転するとき、ハンドルの重さを軽減する装置がついていますよね。パワーステアリングです。あれだって、最初は、慣れないから危ないという意見がありました。しかし、反力が小さくなっても、いずれ、違和感はなくなる。そういったものだと人間が慣れてしまえば、それで良いわけです。決して今感じているものが正しいわけではない」 「コップの重さがない、という世界が？」 「そうです。自分以外の物体には重さがない、という世界を鵜呑みにできれば、それで解決です。自分がもの凄い力持ちになったと思えば良い。特に不便なことはありません」(p.505) 街が、そして建物が装飾なら、人々が着ている服だって、装飾。 そう、すべてがバーチャル・リアリティ。 「違う」萌絵は独り言を呟いた。 それどころか、人間の躰だって・・？ 自分のこの躰だって・・？ 装飾ではないのか？ この世界でしか動かせない手、そして足。 目と耳も、この世界でしか使えないセンサ。 思考空間では、それらは存在しない。 あのVRシステムの黒い部屋で、機械の中に自分の躰が入ったとき、 萌絵は不思議に思ったのだ。 躰が、どうして必要なのだろう、と。 自分の躰が、どうしてここにあるのだろう、と。(p.642) 「この事件全体が、博士が作ったゲームなのですか？ゲームのキャラクタだなんて、そんなのおかしいわ。私は自分で考えて行動しています」 「人の行動パターンなんて、乱数で処理できる範囲内だ」(p.659) この部屋にいるのは、本当は真賀田四季だけなのだ。 自分たちの方が、存在しないのだ。 パンもテーブルもあるのに、自分たちはいない。 両手を持ち上げて、顔の前に掲げ、両目を覆っても、何も変わらない。 自分の手はここにはない。 目だけ、耳だけ。 視覚と聴覚だけが、ここにある。 彼女だけが存在する部屋だ。 自分は、いない。 ここには、いない。(p.754) 「バーチャル・リアリティの研究にのめり込むと、目の前の現実が有する限りない繊細さと、この上ない手軽さに対峙することになります。安価な現実と高価な虚構との対比がジレンマになる。それは、太古より人類が避けることを知らないパラドクスです。恋愛小説一作の執筆は、本物の恋愛より困難な作業としてのみ価値を見出され、風景を描写する絵画は、誰もが毎日目にする自然の美を決して超えることがない。人類の創作とは、割りが合わないゆえに、消滅を免れたといっても良いでしょう。」(p.782) 「リカーシブ・ファンクションね」四季は言った。「そう、全部、それと同じなの。外へ外へと向かえば、最後は中心に戻ってしまう。だからといって、諦めて、動くことをやめてしまうと、その瞬間に消えてしまうのです。それが生命の定義。本当に、なんて退屈な循環なのでしょう、生きているって」 「退屈ですか？」 「いいえ」四季はにっこりと微笑む。「先生・・。私、最近、いろいろな矛盾を受け入れていますのよ。不思議なくらい、これが不思議なのです。宇宙の起源のように、これが綺麗なの」 「よくわかりません」 「そう・・、それが、最後の言葉に相応しい」 「最後の言葉？」 「その言葉こそ、人類の墓標に刻まれるべき一言です。神様、よくわかりませんでした・・ってね」(p.826)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062732947/aeaea07-22/ref=nosim/" name="有限と微小のパン"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41uPPSakctL._SL160_.jpg" /><br />
有限と微小のパン(森博嗣/講談社)</a></p>
<p>シリーズ第一作目の「すべてがFになる」と対応する構造になっている、この、シリーズ最終作は、副題も、「THE PERFECT INSIDER」と「THE PERFECT OUTSIDER」で一対のものになっている。<br />
中心のテーマになっているのは、いずれの話しも「バーチャルリアリティー（仮想現実）」。真賀田四季博士が登場することで、「生きている、死んでいる、とは何か？」のような、ある面、仏教問答のような形而上的な話しになることが多かった。犀川と真賀田四季との対話が特に面白い。</p>
<p>この本が書かれた当時は、まだコンピュータグラフィックスもプレイステーション１レベルのものだったのだろうから、物語の中に出てくるバーチャルシミューレーターなどは、今となるとちょっとチャチな感じがするけれども、その、「仮想」と「現実」を対比させた考察は、かなり本質的なものなので、時代に関係なく興味深い内容だと思う。</p>
<p>殺人事件のトリックについては、この巻の場合、かなりそちらに割り振られるウェイトも低いので、この際どうでも良かったという感じがする。<br />
こちらの予想を超えて意表を突くところは見事な構成なのだけれど、ちょっと現実離れしすぎていて、さすがにそれは無いだろう、という感想だった。</p>
<p>真賀田四季には、本当に「この世にはいない」、草薙素子のような電脳世界の住人になっていて欲しかったので、ラストは、その点でちょっと期待外れ。<br />
シリーズの締めくくりとしてはすっきりしなかったのだけれど、この後にも「四季」シリーズなどに話しが引き継がれていくことを考えれば、まだ何かがありそうな予感を残す、余韻の残る終わり方だったと思う。</p>
<p>S&#038;Mシリーズというのは、犀川＆萌絵のことと当たり前のように思っていたけれど、それは、犀川＆真賀田、あるいは四季＆萌絵の意味も含んだものであったかもしれない。いずれにしても、この3人の関係こそが、このシリーズの軸になっていたことがよくわかる巻だった。</p>
<p>【名言】<br />
この種の電光掲示板は、人間社会のメカニズムに類似している。一つ一つの微小なライトは、ただ、ONとOFFを繰り返すだけだ。言われたとおりのインターバルで、点いたり消えたりする。つまり死ぬか生きているかを表示しているに過ぎない。それを遠くから眺めると、文字が流れているように見える。意味のあるものが読める。つまりは、これが人間の歴史ではないか。その一つ一つの単位は、自分がどんな文字の一部となったのかも知ることはない。死ぬか生きるか、しかないのである。(p.95)</p>
<p>彼と一緒に地下鉄に乗っていたときだ。親子の写真とともに、「パパは君で夢を見る」というキャッチコピィの広告が目についた。犀川はそれを見て、萌絵にこう言った。「子供は、あんなパパが大嫌いだ」<br />
萌絵も同感だった。<br />
子供で夢を見る親は、もう「親」という生きものだ。それは人間の生を放棄している。ついつい人は、そうした装飾に包まれた安楽を望むもの。(p.199)</p>
<p>無理をすることはない、と考えてから、「無理をする」とはどういった意味なのか、犀川はさらに考えた。無理をしないで生きている人間なんていない。生きているということと、無理をすることは、ほとんど同義なのだから。(p.378)</p>
<p>「我々が今感じている感覚をすべて再現しなくてはいけない、というのも正論ではありません。そんな必要はどこにもないのです。車を運転するとき、ハンドルの重さを軽減する装置がついていますよね。パワーステアリングです。あれだって、最初は、慣れないから危ないという意見がありました。しかし、反力が小さくなっても、いずれ、違和感はなくなる。そういったものだと人間が慣れてしまえば、それで良いわけです。決して今感じているものが正しいわけではない」<br />
「コップの重さがない、という世界が？」<br />
「そうです。自分以外の物体には重さがない、という世界を鵜呑みにできれば、それで解決です。自分がもの凄い力持ちになったと思えば良い。特に不便なことはありません」(p.505)</p>
<p>街が、そして建物が装飾なら、人々が着ている服だって、装飾。<br />
そう、すべてがバーチャル・リアリティ。<br />
「違う」萌絵は独り言を呟いた。<br />
それどころか、人間の躰だって・・？<br />
自分のこの躰だって・・？<br />
装飾ではないのか？<br />
この世界でしか動かせない手、そして足。<br />
目と耳も、この世界でしか使えないセンサ。<br />
思考空間では、それらは存在しない。<br />
あのVRシステムの黒い部屋で、機械の中に自分の躰が入ったとき、<br />
萌絵は不思議に思ったのだ。<br />
躰が、どうして必要なのだろう、と。<br />
自分の躰が、どうしてここにあるのだろう、と。(p.642)</p>
<p>「この事件全体が、博士が作ったゲームなのですか？ゲームのキャラクタだなんて、そんなのおかしいわ。私は自分で考えて行動しています」<br />
「人の行動パターンなんて、乱数で処理できる範囲内だ」(p.659)</p>
<p>この部屋にいるのは、本当は真賀田四季だけなのだ。<br />
自分たちの方が、存在しないのだ。<br />
パンもテーブルもあるのに、自分たちはいない。<br />
両手を持ち上げて、顔の前に掲げ、両目を覆っても、何も変わらない。<br />
自分の手はここにはない。<br />
目だけ、耳だけ。<br />
視覚と聴覚だけが、ここにある。<br />
彼女だけが存在する部屋だ。<br />
自分は、いない。<br />
ここには、いない。(p.754)</p>
<p>「バーチャル・リアリティの研究にのめり込むと、目の前の現実が有する限りない繊細さと、この上ない手軽さに対峙することになります。安価な現実と高価な虚構との対比がジレンマになる。それは、太古より人類が避けることを知らないパラドクスです。恋愛小説一作の執筆は、本物の恋愛より困難な作業としてのみ価値を見出され、風景を描写する絵画は、誰もが毎日目にする自然の美を決して超えることがない。人類の創作とは、割りが合わないゆえに、消滅を免れたといっても良いでしょう。」(p.782)</p>
<p>「リカーシブ・ファンクションね」四季は言った。「そう、全部、それと同じなの。外へ外へと向かえば、最後は中心に戻ってしまう。だからといって、諦めて、動くことをやめてしまうと、その瞬間に消えてしまうのです。それが生命の定義。本当に、なんて退屈な循環なのでしょう、生きているって」<br />
「退屈ですか？」<br />
「いいえ」四季はにっこりと微笑む。「先生・・。私、最近、いろいろな矛盾を受け入れていますのよ。不思議なくらい、これが不思議なのです。宇宙の起源のように、これが綺麗なの」<br />
「よくわかりません」<br />
「そう・・、それが、最後の言葉に相応しい」<br />
「最後の言葉？」<br />
「その言葉こそ、人類の墓標に刻まれるべき一言です。神様、よくわかりませんでした・・ってね」(p.826)</p>
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		<title>1274日 数奇にして模型</title>
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		<pubDate>Sat, 24 Mar 2012 15:00:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[数奇にして模型(森博嗣/講談社) 純粋なトリックというよりも、犯人の精神異常という形で収束させた点は、ちょっと納得はいかなかったけれど、常識をくつがえされる面白さは味わうことが出来た。でも、動機もよく理解出来ないし、現実味があまりない分、納得感は少ない。シリーズの他の話しに比べると、犀川の冴えが鈍かったような気はする。 今回のテーマは、異常と正常の区別、個人とその外を分ける境界、というような話しだったけれど、その点でも、あまり興味深いテーマではなかった。 【名言】 自分は一つだろうか、と思った。 自分は、どこまでで一つだろう？ 生きていれば一つなのか？ 生きているうちは、どうにか一つなのか？(p.292) 犀川はデスクの上のカップを持って立ち上がり、コーヒー・メーカまで行く。萌絵は、犀川を追って振り向いた。彼の表情にはほとんど変化がなかったが、視線が微妙に振動していた。それは、犀川が目まぐるしい思考を繰り返している証拠だ。それに気がついているのは自分しかいない、と萌絵は自負している。(p.408)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062731940/aeaea07-22/ref=nosim/" name="数奇にして模型"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41MgKeq44RL._SL160_.jpg" /><br />
数奇にして模型(森博嗣/講談社)</a></p>
<p>純粋なトリックというよりも、犯人の精神異常という形で収束させた点は、ちょっと納得はいかなかったけれど、常識をくつがえされる面白さは味わうことが出来た。でも、動機もよく理解出来ないし、現実味があまりない分、納得感は少ない。シリーズの他の話しに比べると、犀川の冴えが鈍かったような気はする。<br />
今回のテーマは、異常と正常の区別、個人とその外を分ける境界、というような話しだったけれど、その点でも、あまり興味深いテーマではなかった。</p>
<p>【名言】<br />
自分は一つだろうか、と思った。<br />
自分は、どこまでで一つだろう？<br />
生きていれば一つなのか？<br />
生きているうちは、どうにか一つなのか？(p.292)</p>
<p>犀川はデスクの上のカップを持って立ち上がり、コーヒー・メーカまで行く。萌絵は、犀川を追って振り向いた。彼の表情にはほとんど変化がなかったが、視線が微妙に振動していた。それは、犀川が目まぐるしい思考を繰り返している証拠だ。それに気がついているのは自分しかいない、と萌絵は自負している。(p.408)</p>
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		<title>1273日 今はもうない</title>
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		<pubDate>Sat, 17 Mar 2012 15:00:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://suishodo.net/?p=1346</guid>
		<description><![CDATA[今はもうない(森博嗣/講談社) これは、見事に騙された。 種明かしがわかった時には、思わず吹き出してしまったほどの、会心のトリックだった。 シリーズ7作目のこの作品からいきなり読み始める人はまずいないだろうけれど、この話しの面白さは、シリーズを順番に読まないとわからない。 密室殺人という原点に忠実にのっとったトリックはさすがであったけれども、犀川の出番とセリフが非常に少ないのが残念なところ。 物語の語り手が、登場人物の一人である笹木氏であるために、その思考や価値観もすべて笹木氏視点のものになっていて、あまりそこには面白みを感じなかった。 シリーズ中では、ちょっと特殊な趣向の巻だったと思う。 【名言】 確かに、彼女よりずっと年寄りなのだからしかたがない、と犀川は思う。おそらく、未来のいかなるシチュエーションに対しても、過小に評価してしまう年齢なのだ。永遠の未来が存在しないことを、初めて実感できる年齢でもある。(p.410) 人生なんてものは、ボブスレーに乗りながら、俳句を考えているみたいなもの。ゴールするかコースアウトするまえに、一句でも思い浮かべば、たとえ字余りでも、まずまずの成功と考えて良い。(p.422) これで、お話は、すべて終わり。 本当に、おしまいだ。 尻切れトンボ？ そう、そのとおり。 考えてみてほしい。 尻切れトンボではない人生なんて、あるだろうか。 終わりなどというものは、誰かが勝手に終わりだと決めたときが、そうであって、それ以外に区切りなどない。(p.471) 「文学的にいえば、人間は機械じゃない、ってとこかな。もっと崇高な存在なんだけど、最適化はまだされていない。あるいは、一方では、もっと卑劣な存在なのに、まったく空隙だらけでポーラスな構造を見せている。だけど、どういうわけか、なかなかの仕事をして、目を見張る資産を残すわけだ。それを支えているのは、人間の個体数、つまり人数だ。しかし、間違えちゃいけない。大勢の人間の協力が必要だ、なんて馬鹿な意味じゃないからね。子供にはみんな、力を合わせることが大切だ、なんて幻想を教えているようだけど、歴史的な偉業は、すべて個人の仕事だし、そのほとんどは、争いから生まれている。いいかい、重要な点は・・、ただ・・、人は、自分以外の多数の他人を意識しないと、個人とはなりえない、個人を作りえない、ということなんだ。」(p.482) 「そう、僕はね、なかなかずるい。矛盾を含まないものは、無だけだ。矛盾を含んで洗練される。ちょうど、微量の炭素を含んで鉄が強くなるみたいにね。」(p.486)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062730979/aeaea07-22/ref=nosim/" name="今はもうない"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41Dl1orR29L._SL160_.jpg" /><br />
今はもうない(森博嗣/講談社)</a></p>
<p>これは、見事に騙された。<br />
種明かしがわかった時には、思わず吹き出してしまったほどの、会心のトリックだった。<br />
シリーズ7作目のこの作品からいきなり読み始める人はまずいないだろうけれど、この話しの面白さは、シリーズを順番に読まないとわからない。</p>
<p>密室殺人という原点に忠実にのっとったトリックはさすがであったけれども、犀川の出番とセリフが非常に少ないのが残念なところ。<br />
物語の語り手が、登場人物の一人である笹木氏であるために、その思考や価値観もすべて笹木氏視点のものになっていて、あまりそこには面白みを感じなかった。<br />
シリーズ中では、ちょっと特殊な趣向の巻だったと思う。</p>
<p>【名言】<br />
確かに、彼女よりずっと年寄りなのだからしかたがない、と犀川は思う。おそらく、未来のいかなるシチュエーションに対しても、過小に評価してしまう年齢なのだ。永遠の未来が存在しないことを、初めて実感できる年齢でもある。(p.410)</p>
<p>人生なんてものは、ボブスレーに乗りながら、俳句を考えているみたいなもの。ゴールするかコースアウトするまえに、一句でも思い浮かべば、たとえ字余りでも、まずまずの成功と考えて良い。(p.422)</p>
<p>これで、お話は、すべて終わり。<br />
本当に、おしまいだ。<br />
尻切れトンボ？<br />
そう、そのとおり。<br />
考えてみてほしい。<br />
尻切れトンボではない人生なんて、あるだろうか。<br />
終わりなどというものは、誰かが勝手に終わりだと決めたときが、そうであって、それ以外に区切りなどない。(p.471)</p>
<p>「文学的にいえば、人間は機械じゃない、ってとこかな。もっと崇高な存在なんだけど、最適化はまだされていない。あるいは、一方では、もっと卑劣な存在なのに、まったく空隙だらけでポーラスな構造を見せている。だけど、どういうわけか、なかなかの仕事をして、目を見張る資産を残すわけだ。それを支えているのは、人間の個体数、つまり人数だ。しかし、間違えちゃいけない。大勢の人間の協力が必要だ、なんて馬鹿な意味じゃないからね。子供にはみんな、力を合わせることが大切だ、なんて幻想を教えているようだけど、歴史的な偉業は、すべて個人の仕事だし、そのほとんどは、争いから生まれている。いいかい、重要な点は・・、ただ・・、人は、自分以外の多数の他人を意識しないと、個人とはなりえない、個人を作りえない、ということなんだ。」(p.482)</p>
<p>「そう、僕はね、なかなかずるい。矛盾を含まないものは、無だけだ。矛盾を含んで洗練される。ちょうど、微量の炭素を含んで鉄が強くなるみたいにね。」(p.486)</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>1272日 夏のレプリカ</title>
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		<pubDate>Sat, 10 Mar 2012 15:00:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://suishodo.net/?p=1344</guid>
		<description><![CDATA[夏のレプリカ(森博嗣/講談社) 「幻惑の死と使途」と同時期に起こった事件ということで、同時並行的に進む形をとっている作品。その構成は面白かったけれど、お互いの事件がまったく独立したものになってしまっていて、せっかく二つの話しをセットにしているのに、お互いがシナジーを生み出すような効果がなかったのはちょっと残念。もっと、二つの事件がもっと密接に絡みあって、補完しあうような構造になっていたら、ものすごく面白かったんじゃないかと思う。 犀川や萌絵の登場がかなり少ないという点で、シリーズ中では異色な内容。犀川にいたっては、ほんの少ししか現れない。それにもかかわらず、事件の全貌を一瞬で理解してしまうというのはやはりスゴいのだけれど、その分、あまり面白いセリフや会話が多くなくて、このシリーズ独特の魅力は薄れてしまっていた。 萌絵のこの事件への入り込み方も深いものではないし、トリックの部分もそれほど力を入れていないようで、なんとなく、本編のおまけの番外編というような雰囲気がある。 謎の解明の部分は、面白かったけれど、「なるほど！」という感動はなく、どうもすっきりしない。本人自身も無意識に忘れてしまっているような記憶喪失というのは、推理小説としては、ちょっと反則ラインに入ってしまっているんじゃないかと思う。 ラストの、救いをもたせた、余韻の残る終わり方は好き。 【名言】 睦子は、姪の結婚相手は誰でも良いと考えている。結婚相手など関係ないのだ。そんなもので人生が左右されるようでは、はなから勝負にならない。あの子は、きっと自分ができなかったことをしてくれる、と睦子は信じていた。(p.203) 病院の廊下を歩くとき、つるつるの床に、突き当たりの窓が少し歪んで映っているのを杜萌は見た。正確な平面に思えるものも、遠くからやってくる光を正確には反射できないようだ。どんなに精根を尽しても、人間の一生で築き上げられる地位や権力など、必ず歪(ひず)んでいるのだ。(p.217) 「西之園君」 彼女が振り向くと、犀川はキーボードを叩いている。彼はディスプレイを見たまま、言った。 「その仮面には・・、穴があいているだろう？」 「ええ、目のところに」萌絵は答える。「それが、どうかしましたか？」 「何故、穴なんて開いているのかな？」 「だって・・、開いていなかったら見えません」 「チャオ」 「何ですか？チャオって」 「さようなら」(p.348) 「先生、何か杜萌にお話しして下さい」萌絵は横の犀川に躰を寄せて言う。 「キミはどんな形が好き？」犀川は杜萌に向かってきいた。 「形？ですか？」杜萌はびっくりする。 「そう、三角形とか、五角形とか、立体でも良いよ」 杜萌は、笑いが込み上げてきて、ものが言えなくなる。 「ね？」 萌絵もくすくすと笑う。 「あの・・、犀川先生は、どんな形がお好きなんですか？」杜萌はようやく落ち着いて反撃してみた。 「三対四対五くらいの直方体だよ、一番好きなのは」犀川は真面目な表情で答える。「平面では、正七角形かな・・。あるいは、一対一・三くらいの楕円も捨て難いけど」 杜萌はまた笑った。 「じゃあ、色はどうですか？どんな色がお好きです？」杜萌はきいてみる。 「色は好きじゃない」犀川は口もとを斜めにして答えた。そして、隣の萌絵をちらりと見る。萌絵は小さく肩を竦めて、杜萌にウインクした。 「色彩は絶対的な概念ではないからね。物体が持つ性質でもないし、観察者の極めて主観的な評価に過ぎない。つまり、普遍的でもない。だから、その一瞬でしか評価できないわけだし、好きとか、嫌いとか、言ったとたんに、無意味になるよ」犀川は補足した。(p.445) 「犀川先生は、萌絵のどこが気に入ったのですか？」思い切って杜萌は質問した。自分らしい大胆な質問だと思った。 「その質問をする君が、興味深い」犀川は煙草に火をつける。「質問は、質問する人を表現するんだ。それに対する返答なんかとは無関係にね」 「ね、はぐらかしのエキスパートでしょう？」萌絵が囁く。(p.446) 「さて、それじゃあ・・」犀川は背筋を伸ばした。「帰りは何の話をする？朝は駄目だけど、この時間なら僕は万全だよ。2時間たっぷりと君の話につき合ってあげよう」 「子供みたいですね、先生って」 犀川はきょとんとした表情で萌絵を見た。 彼女は溜息をつく。 「お弁当を食べたら、私、眠りたいわ」(p.505)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406273012X/aeaea07-22/ref=nosim/" name="夏のレプリカ"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41IRafy-16L._SL160_.jpg" /><br />
夏のレプリカ(森博嗣/講談社)</a></p>
<p>「幻惑の死と使途」と同時期に起こった事件ということで、同時並行的に進む形をとっている作品。その構成は面白かったけれど、お互いの事件がまったく独立したものになってしまっていて、せっかく二つの話しをセットにしているのに、お互いがシナジーを生み出すような効果がなかったのはちょっと残念。もっと、二つの事件がもっと密接に絡みあって、補完しあうような構造になっていたら、ものすごく面白かったんじゃないかと思う。</p>
<p>犀川や萌絵の登場がかなり少ないという点で、シリーズ中では異色な内容。犀川にいたっては、ほんの少ししか現れない。それにもかかわらず、事件の全貌を一瞬で理解してしまうというのはやはりスゴいのだけれど、その分、あまり面白いセリフや会話が多くなくて、このシリーズ独特の魅力は薄れてしまっていた。<br />
萌絵のこの事件への入り込み方も深いものではないし、トリックの部分もそれほど力を入れていないようで、なんとなく、本編のおまけの番外編というような雰囲気がある。</p>
<p>謎の解明の部分は、面白かったけれど、「なるほど！」という感動はなく、どうもすっきりしない。本人自身も無意識に忘れてしまっているような記憶喪失というのは、推理小説としては、ちょっと反則ラインに入ってしまっているんじゃないかと思う。<br />
ラストの、救いをもたせた、余韻の残る終わり方は好き。</p>
<p>【名言】<br />
睦子は、姪の結婚相手は誰でも良いと考えている。結婚相手など関係ないのだ。そんなもので人生が左右されるようでは、はなから勝負にならない。あの子は、きっと自分ができなかったことをしてくれる、と睦子は信じていた。(p.203)</p>
<p>病院の廊下を歩くとき、つるつるの床に、突き当たりの窓が少し歪んで映っているのを杜萌は見た。正確な平面に思えるものも、遠くからやってくる光を正確には反射できないようだ。どんなに精根を尽しても、人間の一生で築き上げられる地位や権力など、必ず歪(ひず)んでいるのだ。(p.217)</p>
<p>「西之園君」<br />
彼女が振り向くと、犀川はキーボードを叩いている。彼はディスプレイを見たまま、言った。<br />
「その仮面には・・、穴があいているだろう？」<br />
「ええ、目のところに」萌絵は答える。「それが、どうかしましたか？」<br />
「何故、穴なんて開いているのかな？」<br />
「だって・・、開いていなかったら見えません」<br />
「チャオ」<br />
「何ですか？チャオって」<br />
「さようなら」(p.348)</p>
<p>「先生、何か杜萌にお話しして下さい」萌絵は横の犀川に躰を寄せて言う。<br />
「キミはどんな形が好き？」犀川は杜萌に向かってきいた。<br />
「形？ですか？」杜萌はびっくりする。<br />
「そう、三角形とか、五角形とか、立体でも良いよ」<br />
杜萌は、笑いが込み上げてきて、ものが言えなくなる。<br />
「ね？」<br />
萌絵もくすくすと笑う。<br />
「あの・・、犀川先生は、どんな形がお好きなんですか？」杜萌はようやく落ち着いて反撃してみた。<br />
「三対四対五くらいの直方体だよ、一番好きなのは」犀川は真面目な表情で答える。「平面では、正七角形かな・・。あるいは、一対一・三くらいの楕円も捨て難いけど」<br />
杜萌はまた笑った。<br />
「じゃあ、色はどうですか？どんな色がお好きです？」杜萌はきいてみる。<br />
「色は好きじゃない」犀川は口もとを斜めにして答えた。そして、隣の萌絵をちらりと見る。萌絵は小さく肩を竦めて、杜萌にウインクした。<br />
「色彩は絶対的な概念ではないからね。物体が持つ性質でもないし、観察者の極めて主観的な評価に過ぎない。つまり、普遍的でもない。だから、その一瞬でしか評価できないわけだし、好きとか、嫌いとか、言ったとたんに、無意味になるよ」犀川は補足した。(p.445)</p>
<p>「犀川先生は、萌絵のどこが気に入ったのですか？」思い切って杜萌は質問した。自分らしい大胆な質問だと思った。<br />
「その質問をする君が、興味深い」犀川は煙草に火をつける。「質問は、質問する人を表現するんだ。それに対する返答なんかとは無関係にね」<br />
「ね、はぐらかしのエキスパートでしょう？」萌絵が囁く。(p.446)</p>
<p>「さて、それじゃあ・・」犀川は背筋を伸ばした。「帰りは何の話をする？朝は駄目だけど、この時間なら僕は万全だよ。2時間たっぷりと君の話につき合ってあげよう」<br />
「子供みたいですね、先生って」<br />
犀川はきょとんとした表情で萌絵を見た。<br />
彼女は溜息をつく。<br />
「お弁当を食べたら、私、眠りたいわ」(p.505)</p>
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		<title>1271日 幻惑の死と使途</title>
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		<pubDate>Sat, 03 Mar 2012 15:00:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[幻惑の死と使途(森博嗣/講談社) この小説の大きなテーマになっているのは、唯名論ともいうべき、「名前」「名詞」に関する考察だ。そのテーマが、単に興味深い世間話しとして提示されるにとどまらず、ミステリーの仕掛けにも根本的に関係しているという仕掛けは、とても見事な構成だった。 そして、「人間のすべての行為は、自分の肉体ではなく自分の名前に栄誉を与えるためだ」というシニカルな世界観は、犀川がそれを口にすると、しっくりとハマるような気がする。 基本的には、事件の謎解きには興味のない犀川が、ほんの時折り、事件についての短い質問やコメントを発して、それが非常に核心を突いた問いであるというところがシビれる。 最後まで予想がつかなかったトリックといい、その動機に秘められた芸術性といい、ミステリー小説としても、とても完成度の高い内容だと思った。 【名言】 「百三十万か・・」犀川は呟く。「確かに形は良いな。車内も広いし・・。これにしよう」 「えっ？」萌絵は驚く。 「あの、先生、もっとよく考えて下さい。今日はカタログをもらっていきましょう」 「カタログなんていらないよ」 「でも、たとえば、色とかを決めないと」 「色って？」 「車の色ですよ。黄色じゃ駄目でしょう？」 「僕が乗るんだから、ボディの外側の色なんて見えないじゃないか。関係ないよ。別に黄色でも良い」(p.623) 紙に文字を書く動作は、人間工学的に考えても、決して自然な運動ではない。十本ある指を有効に使うキーボードの方が、何倍も人間の手に相応しい。(p.676) 何かに気がついて、新しい世界が見えたりするたびに、違うところも見えてくる。自分自身も見えてくるんだ。面白いと思ったり、何かに感動したりするたびに、同じ分だけ、全然関係のない他のことにも気がつく。これは、どこかでバランスを取ろうとするのかもしれないね。たとえば、合理的なことを一つ知ると、感情的なことが一つ理解できる。どうも、そういうふうに人間はできているみたいだ。物理の難しい法則を理解したとき、森の中を散歩したくなる。そうすると、もう、いつもの森とは違うんだよ。それが、学問の本当の目的なんだ。人間だけに、それができる。ニューラルネットだからね。」(p.763) それが「桜の木」だと人々が感じるのは、一年のうちの数週間で、残りのほとんどは、それはただの「木」でしかない。 同様に、人はアウトプットするときだけ、個たる「人」であり、それ以外は、「人々」でしかない。(p.1125) 「将棋の駒は大きさは違うようだけど、全部、同じ形状をしている。チェスは形が違うね。それに、将棋の駒には、名前が書いてあるよね。つまり、書いてある文字が、その駒の位だし能力なんだろう？これは極めて東洋的な、いや、漢字を使う文化圏の思想だ。漢字は、言葉を表記するという文字本来の機能を超えた能力を与えられている」(p.1363) 「彼には、有里匠幻という名前がすべてだったのです。有里匠幻がビッグになれば、それが彼の欲望を満足させました。これは異常な心理ではない。芸術家だって、政治家だって、誰だってみんな結局はそうではありませんか？自分の肉体や人格に栄誉が欲しいのではない。自分の名前に与えられる栄誉が、彼らの人生の糧なのです」(p.1489)]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062730111/aeaea07-22/ref=nosim/" name="幻惑の死と使途"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41jGTCbgXlL._SL160_.jpg" /><br />
幻惑の死と使途(森博嗣/講談社)</a></p>
<p>この小説の大きなテーマになっているのは、唯名論ともいうべき、「名前」「名詞」に関する考察だ。そのテーマが、単に興味深い世間話しとして提示されるにとどまらず、ミステリーの仕掛けにも根本的に関係しているという仕掛けは、とても見事な構成だった。<br />
そして、「人間のすべての行為は、自分の肉体ではなく自分の名前に栄誉を与えるためだ」というシニカルな世界観は、犀川がそれを口にすると、しっくりとハマるような気がする。</p>
<p>基本的には、事件の謎解きには興味のない犀川が、ほんの時折り、事件についての短い質問やコメントを発して、それが非常に核心を突いた問いであるというところがシビれる。<br />
最後まで予想がつかなかったトリックといい、その動機に秘められた芸術性といい、ミステリー小説としても、とても完成度の高い内容だと思った。</p>
<p>【名言】<br />
「百三十万か・・」犀川は呟く。「確かに形は良いな。車内も広いし・・。これにしよう」<br />
「えっ？」萌絵は驚く。<br />
「あの、先生、もっとよく考えて下さい。今日はカタログをもらっていきましょう」<br />
「カタログなんていらないよ」<br />
「でも、たとえば、色とかを決めないと」<br />
「色って？」<br />
「車の色ですよ。黄色じゃ駄目でしょう？」<br />
「僕が乗るんだから、ボディの外側の色なんて見えないじゃないか。関係ないよ。別に黄色でも良い」(p.623)</p>
<p>紙に文字を書く動作は、人間工学的に考えても、決して自然な運動ではない。十本ある指を有効に使うキーボードの方が、何倍も人間の手に相応しい。(p.676)</p>
<p>何かに気がついて、新しい世界が見えたりするたびに、違うところも見えてくる。自分自身も見えてくるんだ。面白いと思ったり、何かに感動したりするたびに、同じ分だけ、全然関係のない他のことにも気がつく。これは、どこかでバランスを取ろうとするのかもしれないね。たとえば、合理的なことを一つ知ると、感情的なことが一つ理解できる。どうも、そういうふうに人間はできているみたいだ。物理の難しい法則を理解したとき、森の中を散歩したくなる。そうすると、もう、いつもの森とは違うんだよ。それが、学問の本当の目的なんだ。人間だけに、それができる。ニューラルネットだからね。」(p.763)</p>
<p>それが「桜の木」だと人々が感じるのは、一年のうちの数週間で、残りのほとんどは、それはただの「木」でしかない。<br />
同様に、人はアウトプットするときだけ、個たる「人」であり、それ以外は、「人々」でしかない。(p.1125)</p>
<p>「将棋の駒は大きさは違うようだけど、全部、同じ形状をしている。チェスは形が違うね。それに、将棋の駒には、名前が書いてあるよね。つまり、書いてある文字が、その駒の位だし能力なんだろう？これは極めて東洋的な、いや、漢字を使う文化圏の思想だ。漢字は、言葉を表記するという文字本来の機能を超えた能力を与えられている」(p.1363)</p>
<p>「彼には、有里匠幻という名前がすべてだったのです。有里匠幻がビッグになれば、それが彼の欲望を満足させました。これは異常な心理ではない。芸術家だって、政治家だって、誰だってみんな結局はそうではありませんか？自分の肉体や人格に栄誉が欲しいのではない。自分の名前に与えられる栄誉が、彼らの人生の糧なのです」(p.1489)</p>
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		<title>1270日 封印再度</title>
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		<pubDate>Sat, 25 Feb 2012 15:00:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[封印再度(森博嗣/講談社) このシリーズは、どれもタイトルが凝っていて面白いけれど、「封印再度」という題も見事だし、さらに副題に「WHO INSIDE」とつけたセンスもスゴい。 殺人事件の謎解きには、言葉遊び的な部分があって、このシリーズでは論理を重視したトリックを期待していたので、その点、どうも納得がいかない。 「天地の瓢」「無我の匣」のほうのトリックは素晴らしい仕掛けで納得。 この巻は、本編のストーリー部分よりも、今回に限っては萌絵が一枚上手をいく、犀川と萌絵のやりとり部分が面白い作品だった。 それと、巻頭に引用されている鈴木大拙の「禅」の概念や、日本のアシンメトリーな美意識などが物語の中に織り交ぜられているのが良い。 今作は、理系ミステリーというよりも、工学系＋芸術系の色合いが濃かった。 【名言】 教育には水が流れるような上下関係がある。しかし、学問にはそれがない。学問にあるのは、高さではない。到達できない、極めることのできない、寂しさの無限の広がりのようなものが、ただあるだけだ。学問には、教育という不躾な言葉とはまるで無関係な静寂さが必要であり、障害物のない広い見通しが不可欠なのである。小学校、中学校と同じように、大学校と呼ばない理由は、そのためであろう。(p.80) なかなか愉快な時間ではなかったか・・。 一人暮らしの単調さが自分らしいと信じていた。ソフィスティケイトとは正反対の洗練がある、と考えた。けれど、この世に生きていれば、複雑さと詭弁から逃れることは不可能だ。単純さは、学問の中にしかない。 クリスマスなんて言葉は、もう十年以上意識したことがなかったけれど、悪くはない、と少し思う。 それは、きっと、綺麗な絵のついたカレンダみたいなものだ。彼のリビングの壁には、数字だけのカレンダがピンで止めてある。犀川は、無駄な絵のついたカレンダが嫌いだった。貰いもののカレンダは、半分もの面積が好きでもない絵や写真に占領されているものばかりだ。気に入っても、気に入らなくても、毎月替わるという自主性のなさ。嫌いな絵なら見たくはない。好きな絵ならずっと飾れば良い。それが自然ではないか。ようするに、カレンダと一緒になっている不自由さが気に入らないのである。(p.169) 犀川はサンドイッチとコーヒーをもう一杯、追加で注文した。少し高かったが、これで夕飯にしてしまおうと思ったのだ。犀川にとって食事のコンセプトは、エネルギィ補給であって、空中給油みたいな形態が理想である。その場で短時間、それに勝るものはない。ただ、食事中に読む本がなかったのが少し残念だった。(p.252) 「角松の三本の竹はね、長さが七対五対三なんだ」犀川は歩きながら言った。 「七五三ですね？」萌絵がそちらを見ながら言う。 「日本の美は、だいたいその七五三のバランスだ。シンメトリィではない。バランスを崩すところに美がある。もっと崇高なバランスがある」 「たとえば？」 「そうだね・・、法隆寺の伽藍配置、それに漢字の森という字もだいたい、三つの木の大きさが七五三だね。東西南北という文字だって、左右対称を全部、微妙に崩している・・。最初からまったく非対称というのでは駄目なんだ。その微小な破壊行為が、より完璧な美を造形するんだよ」(p.269) 「なりたいものになれない人はいない」と犀川助教授はいつも言っている。「なれないのは、真剣に望んでいないだけのことだ。自分で諦めてしまっているからなんだよ。人間、真剣に望めば、実現しないことはない」(p.298) 「法隆寺の壁画の消失が、東洋美術史上、どれくらい大きな損失だったのか、多くの日本人は気がついていないかもしれない」犀川は煙を吐き出した。「イスタンブールのハギア・ソフィアとか、ローマのヴァチカン、システィーナが爆破されたくらいかな。いや、もっとか・・」(p.535) 約二万日の人生の記述なんて、CD一枚をいっぱいにすることさえできない。それに、記述しても、記述しなくても、何も変わりはない。(p.546) 「リーブル」の読書日記]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062647990/aeaea07-22/ref=nosim/" name="封印再度"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41kSxUuZkeL._SL160_.jpg" /><br />
封印再度(森博嗣/講談社)</a></p>
<p>このシリーズは、どれもタイトルが凝っていて面白いけれど、「封印再度」という題も見事だし、さらに副題に「WHO INSIDE」とつけたセンスもスゴい。<br />
殺人事件の謎解きには、言葉遊び的な部分があって、このシリーズでは論理を重視したトリックを期待していたので、その点、どうも納得がいかない。<br />
「天地の瓢」「無我の匣」のほうのトリックは素晴らしい仕掛けで納得。</p>
<p>この巻は、本編のストーリー部分よりも、今回に限っては萌絵が一枚上手をいく、犀川と萌絵のやりとり部分が面白い作品だった。<br />
それと、巻頭に引用されている鈴木大拙の「禅」の概念や、日本のアシンメトリーな美意識などが物語の中に織り交ぜられているのが良い。<br />
今作は、理系ミステリーというよりも、工学系＋芸術系の色合いが濃かった。</p>
<p>【名言】<br />
教育には水が流れるような上下関係がある。しかし、学問にはそれがない。学問にあるのは、高さではない。到達できない、極めることのできない、寂しさの無限の広がりのようなものが、ただあるだけだ。学問には、教育という不躾な言葉とはまるで無関係な静寂さが必要であり、障害物のない広い見通しが不可欠なのである。小学校、中学校と同じように、大学校と呼ばない理由は、そのためであろう。(p.80)</p>
<p>なかなか愉快な時間ではなかったか・・。<br />
一人暮らしの単調さが自分らしいと信じていた。ソフィスティケイトとは正反対の洗練がある、と考えた。けれど、この世に生きていれば、複雑さと詭弁から逃れることは不可能だ。単純さは、学問の中にしかない。<br />
クリスマスなんて言葉は、もう十年以上意識したことがなかったけれど、悪くはない、と少し思う。<br />
それは、きっと、綺麗な絵のついたカレンダみたいなものだ。彼のリビングの壁には、数字だけのカレンダがピンで止めてある。犀川は、無駄な絵のついたカレンダが嫌いだった。貰いもののカレンダは、半分もの面積が好きでもない絵や写真に占領されているものばかりだ。気に入っても、気に入らなくても、毎月替わるという自主性のなさ。嫌いな絵なら見たくはない。好きな絵ならずっと飾れば良い。それが自然ではないか。ようするに、カレンダと一緒になっている不自由さが気に入らないのである。(p.169)</p>
<p>犀川はサンドイッチとコーヒーをもう一杯、追加で注文した。少し高かったが、これで夕飯にしてしまおうと思ったのだ。犀川にとって食事のコンセプトは、エネルギィ補給であって、空中給油みたいな形態が理想である。その場で短時間、それに勝るものはない。ただ、食事中に読む本がなかったのが少し残念だった。(p.252)</p>
<p>「角松の三本の竹はね、長さが七対五対三なんだ」犀川は歩きながら言った。<br />
「七五三ですね？」萌絵がそちらを見ながら言う。<br />
「日本の美は、だいたいその七五三のバランスだ。シンメトリィではない。バランスを崩すところに美がある。もっと崇高なバランスがある」<br />
「たとえば？」<br />
「そうだね・・、法隆寺の伽藍配置、それに漢字の森という字もだいたい、三つの木の大きさが七五三だね。東西南北という文字だって、左右対称を全部、微妙に崩している・・。最初からまったく非対称というのでは駄目なんだ。その微小な破壊行為が、より完璧な美を造形するんだよ」(p.269)</p>
<p>「なりたいものになれない人はいない」と犀川助教授はいつも言っている。「なれないのは、真剣に望んでいないだけのことだ。自分で諦めてしまっているからなんだよ。人間、真剣に望めば、実現しないことはない」(p.298)</p>
<p>「法隆寺の壁画の消失が、東洋美術史上、どれくらい大きな損失だったのか、多くの日本人は気がついていないかもしれない」犀川は煙を吐き出した。「イスタンブールのハギア・ソフィアとか、ローマのヴァチカン、システィーナが爆破されたくらいかな。いや、もっとか・・」(p.535)</p>
<p>約二万日の人生の記述なんて、CD一枚をいっぱいにすることさえできない。それに、記述しても、記述しなくても、何も変わりはない。(p.546)</p>
<p><a href="http://www.libru.jp/detail9065.htm">「リーブル」の読書日記</a></p>
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		<title>1269日 詩的私的ジャック</title>
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		<pubDate>Sat, 18 Feb 2012 15:00:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[詩的私的ジャック(森博嗣/講談社) トリックの緻密さには感心をしたけれど、動機の部分がいまいち理解しがたいために、読後の納得感はちょっと少ない。 途中、いろいろ犯人を想像しながら読んだけれど、これは想像の範疇を超えていた。 篠崎と犀川が対話する部分が、一番面白かった。 「英語で言える？」という、簡潔にして高度な意味を含んだ質問の素晴らしさ。「質問をする場合、一般に、質問者側のレベルが問われる」という犀川自身の言葉を実証するような質問だと思う。 「二人は、数字の11よりも接近した。」など、好きな表現があちこちにあった。 【名言】 「俺、建築家になりたかったんだけど・・もう、これで、無理ですね」結城が白い歯を見せた。 「無理じゃないさ。僕だって、今からロック歌手になれるかもしれない」犀川が真面目な顔で言う。「人間、なりたいものには、なれるものだよ」 「先生も音楽やるんですか？」 「いや、全然・・。聴くこともあまりないね。でも、可能性がないわけではない。将棋指しになるよりは簡単だろう？」（p.37） 質問をする場合、一般に、質問者側のレベルが問われることを、彼女は犀川から何度も聞かされていた。下手な質問はできない。（p.193） 花が枯れても、人は泣かない。花はまた咲くからか。いや、人間だってまた生まれる。 失われるのは、躰ではない。死んだ者の記憶だ。 だが、記憶でさえ電子的に保存することができる。再生できないのは、人間の思考だ。思考だけが今の技術では再現できない。（p.302） 「言葉はね、言い方や、言い回しじゃない」犀川は萌絵に言った。「内容はちゃんと伝えないとね。それが、言葉の役目だから」（p.307） 萌絵は犀川に近づく。二人は、数字の11よりも接近した。（p.362） 「どうして、そんなに私のことがわかるの？」萌絵は目を開けた。「そんなに、わかるなら、どうして・・？」 「君が言わないからだよ」犀川は、両サイドのウィンドウを下げる。「相手の思考を楽観的に期待している状況・・、これを、甘えている、というんだ。いいかい、気持ちなんて伝わらない。伝えたいものは、言葉で言いなさい。それが、どんなに難しくても、それ以外に方法はない」（p.365） 何も考えていない自分を認識する。時間だけが過ぎていく自分、すなわち、犀川という名前のない自分である。（p.374） 「どうして？理由は何ですか？何かもう決まっていることがあるのですか？」 「さあ・・、どうしてかな・・」犀川は答に困った。「わからないし、何も決まってないよ。でも、僕は自分の人生にシナリオは書きたくないし。そう・・、君と結婚する可能性だってあるかもしれないね。今からロックスターになったり、将棋指しになる可能性よりは、確率は幾分高いだろう。これくらいの曖昧さで良いかな？」 「駄目よ、そんなのぉ！」 「将来を決めてしまうなんて、恐ろしいじゃないか。そんな恐いことはしたくない」犀川が言う。「台風の進路だって、扇形に広がっているだろう？人間の進路はもっと広角だ」（p.460）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062647060/aeaea07-22/ref=nosim/" name="詩的私的ジャック"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41koNhrAf1L._SL160_.jpg" /><br />
詩的私的ジャック(森博嗣/講談社)</a></p>
<p>トリックの緻密さには感心をしたけれど、動機の部分がいまいち理解しがたいために、読後の納得感はちょっと少ない。<br />
途中、いろいろ犯人を想像しながら読んだけれど、これは想像の範疇を超えていた。</p>
<p>篠崎と犀川が対話する部分が、一番面白かった。<br />
「英語で言える？」という、簡潔にして高度な意味を含んだ質問の素晴らしさ。「質問をする場合、一般に、質問者側のレベルが問われる」という犀川自身の言葉を実証するような質問だと思う。<br />
「二人は、数字の11よりも接近した。」など、好きな表現があちこちにあった。</p>
<p>【名言】<br />
「俺、建築家になりたかったんだけど・・もう、これで、無理ですね」結城が白い歯を見せた。<br />
「無理じゃないさ。僕だって、今からロック歌手になれるかもしれない」犀川が真面目な顔で言う。「人間、なりたいものには、なれるものだよ」<br />
「先生も音楽やるんですか？」<br />
「いや、全然・・。聴くこともあまりないね。でも、可能性がないわけではない。将棋指しになるよりは簡単だろう？」（p.37）</p>
<p>質問をする場合、一般に、質問者側のレベルが問われることを、彼女は犀川から何度も聞かされていた。下手な質問はできない。（p.193）</p>
<p>花が枯れても、人は泣かない。花はまた咲くからか。いや、人間だってまた生まれる。<br />
失われるのは、躰ではない。死んだ者の記憶だ。<br />
だが、記憶でさえ電子的に保存することができる。再生できないのは、人間の思考だ。思考だけが今の技術では再現できない。（p.302）</p>
<p>「言葉はね、言い方や、言い回しじゃない」犀川は萌絵に言った。「内容はちゃんと伝えないとね。それが、言葉の役目だから」（p.307）</p>
<p>萌絵は犀川に近づく。二人は、数字の11よりも接近した。（p.362）</p>
<p>「どうして、そんなに私のことがわかるの？」萌絵は目を開けた。「そんなに、わかるなら、どうして・・？」<br />
「君が言わないからだよ」犀川は、両サイドのウィンドウを下げる。「相手の思考を楽観的に期待している状況・・、これを、甘えている、というんだ。いいかい、気持ちなんて伝わらない。伝えたいものは、言葉で言いなさい。それが、どんなに難しくても、それ以外に方法はない」（p.365）</p>
<p>何も考えていない自分を認識する。時間だけが過ぎていく自分、すなわち、犀川という名前のない自分である。（p.374）</p>
<p>「どうして？理由は何ですか？何かもう決まっていることがあるのですか？」<br />
「さあ・・、どうしてかな・・」犀川は答に困った。「わからないし、何も決まってないよ。でも、僕は自分の人生にシナリオは書きたくないし。そう・・、君と結婚する可能性だってあるかもしれないね。今からロックスターになったり、将棋指しになる可能性よりは、確率は幾分高いだろう。これくらいの曖昧さで良いかな？」<br />
「駄目よ、そんなのぉ！」<br />
「将来を決めてしまうなんて、恐ろしいじゃないか。そんな恐いことはしたくない」犀川が言う。「台風の進路だって、扇形に広がっているだろう？人間の進路はもっと広角だ」（p.460）</p>
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		<title>1268日 笑わない数学者</title>
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		<pubDate>Sat, 11 Feb 2012 15:00:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>suisho</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[笑わない数学者(森博嗣/講談社) シリーズ中でも、この作品はとくに面白かった。 ミステリー仕立てではあるのだけれど、それは導入にすぎず、本当の謎と主題は、ミステリーの部分よりも更に奥深くに隠されている。 中心となっているテーマは認識論の話しで、「人間は、定義をすることによって世界を作っている。定義をしなければ何も存在しないのと同じ」といった内容だった。 この話題をめぐる、犀川と天王寺博士の対話もよかったし、犀川が萩原刑事に対して尋ねた「何故、鏡に映った像は、左右は逆になるのに上下は逆にならないか」という問いに対する説明もとても面白かった。 この小説の副題は「MATHEMATICAL GOODBYE」で、実際には、この副題こそが大きな意味を持っているのだと、後から気付かされる。 まだ理解しきれなかった部分はいろいろと残っているのだけれど、かなり完成度の高い構成だったと思う。 【名言】 「一番、下品な格言って知ってる？」 「働かざるもの食うべからず、ですね？」萌絵は即答する。 「そうだ」犀川はにっこりと頷いた。彼は機嫌が良さそうだ。「いやらしい、卑屈な言葉だよね・・僕の一番嫌いな言葉だ。もともとは、もっと高尚な意味だったんだよ」 「え？どんな？」 「一日作(な)さざれば、一日食(くら)わず」 「それ、同じじゃありませんか？」 「違うね。これも集合論だ。ド・モルガンの法則かな」(p.30) 「人類の文明は僅かに数千年だ。史上最大のトリックとは何かな？」 博士の問いに、誰も答えない。 「これで、今夜はお別れだ。また、明晩、会おう」スピーカから声が響く。 人類史上最大のトリック・・？ （それは、人々に神がいると信じさせたことだ） と犀川は思った。（p.86） 「ふうん。理想的な父親じゃないか」犀川は感想を述べた。 もし、教育というものが概念として存在するとすれば、たぶん、片山基生が和樹に与えたものが、それだろう、と犀川は理解したので、理想的だと表現したのである。人間は自分の生き様を見せること以外に、他人に教えることなど、何もないのだ。（p.193） 「私は、妻を三十年前に亡くしたが、当時の私は、妻に好かれたかった。それが、私の最も弱い意志だった。人に好かれたいと思う感情が、通常、その人間の内部の思考領域を限定する。その感情こそが自由を奪うのだ。私が望む意思は、もっと強く自由なもの。それは、自分自身の中の無限。思考の無限だ。妻が死んで三十年間、私は、もう一度人生を楽しんだ。この地下室の私の八つの部屋が、今は私の内部であり、私以外の人間は、外側に閉じ込められている。私だけが自由だ」（p.218） 「鏡に映った像は、左右が反対になりますね。どうして、上下や前後は逆にならないで、左右だけ入れ替わるのか、刑事さん、答えられますか？」 「い、いや・・」萩原は先生に当てられた学生のように慌てた。「それはですね、つまり、その・・いや、確かに、そういえば・・、どうしてですか？」 「定義の問題です。左右だけが、定義が絶対的でないからです。上下の定義は地と地面、あるいは、人間なら頭と足で定義されます。前後も、顔と背中で定義できます。では、左右はどうでしょう？左右の定義は、上下と前後が定まったときに初めて決まるのです。人間の体型が左右対称ですし、歩いたりするときも横には動きません。上下と前後の定義が独立していて、絶対的なものであるのに対して、左と右の定義は相対的です。この定義のために、鏡で左と右が入れ替わるんですよ」 「待ってください・・」刑事が片手を挙げて言う。「鏡の映像に・・、そんな、人間の考えた定義が関係するのですか？あれは物理現象であって、人間の言葉には関係がないと思いますが・・」 「いいえ、我々は、ものを定義して、それを基準に観察するんですよ。」（p.434）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062646145/aeaea07-22/ref=nosim/" name="笑わない数学者"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41I9KZg3u9L._SL160_.jpg" /><br />
笑わない数学者(森博嗣/講談社)</a></p>
<p>シリーズ中でも、この作品はとくに面白かった。<br />
ミステリー仕立てではあるのだけれど、それは導入にすぎず、本当の謎と主題は、ミステリーの部分よりも更に奥深くに隠されている。</p>
<p>中心となっているテーマは認識論の話しで、「人間は、定義をすることによって世界を作っている。定義をしなければ何も存在しないのと同じ」といった内容だった。<br />
この話題をめぐる、犀川と天王寺博士の対話もよかったし、犀川が萩原刑事に対して尋ねた「何故、鏡に映った像は、左右は逆になるのに上下は逆にならないか」という問いに対する説明もとても面白かった。</p>
<p>この小説の副題は「MATHEMATICAL GOODBYE」で、実際には、この副題こそが大きな意味を持っているのだと、後から気付かされる。<br />
まだ理解しきれなかった部分はいろいろと残っているのだけれど、かなり完成度の高い構成だったと思う。</p>
<p>【名言】<br />
「一番、下品な格言って知ってる？」<br />
「働かざるもの食うべからず、ですね？」萌絵は即答する。<br />
「そうだ」犀川はにっこりと頷いた。彼は機嫌が良さそうだ。「いやらしい、卑屈な言葉だよね・・僕の一番嫌いな言葉だ。もともとは、もっと高尚な意味だったんだよ」<br />
「え？どんな？」<br />
「一日作(な)さざれば、一日食(くら)わず」<br />
「それ、同じじゃありませんか？」<br />
「違うね。これも集合論だ。ド・モルガンの法則かな」(p.30)</p>
<p>「人類の文明は僅かに数千年だ。史上最大のトリックとは何かな？」<br />
博士の問いに、誰も答えない。<br />
「これで、今夜はお別れだ。また、明晩、会おう」スピーカから声が響く。<br />
人類史上最大のトリック・・？<br />
（それは、人々に神がいると信じさせたことだ）<br />
と犀川は思った。（p.86）</p>
<p>「ふうん。理想的な父親じゃないか」犀川は感想を述べた。<br />
もし、教育というものが概念として存在するとすれば、たぶん、片山基生が和樹に与えたものが、それだろう、と犀川は理解したので、理想的だと表現したのである。人間は自分の生き様を見せること以外に、他人に教えることなど、何もないのだ。（p.193）</p>
<p>「私は、妻を三十年前に亡くしたが、当時の私は、妻に好かれたかった。それが、私の最も弱い意志だった。人に好かれたいと思う感情が、通常、その人間の内部の思考領域を限定する。その感情こそが自由を奪うのだ。私が望む意思は、もっと強く自由なもの。それは、自分自身の中の無限。思考の無限だ。妻が死んで三十年間、私は、もう一度人生を楽しんだ。この地下室の私の八つの部屋が、今は私の内部であり、私以外の人間は、外側に閉じ込められている。私だけが自由だ」（p.218）</p>
<p>「鏡に映った像は、左右が反対になりますね。どうして、上下や前後は逆にならないで、左右だけ入れ替わるのか、刑事さん、答えられますか？」<br />
「い、いや・・」萩原は先生に当てられた学生のように慌てた。「それはですね、つまり、その・・いや、確かに、そういえば・・、どうしてですか？」<br />
「定義の問題です。左右だけが、定義が絶対的でないからです。上下の定義は地と地面、あるいは、人間なら頭と足で定義されます。前後も、顔と背中で定義できます。では、左右はどうでしょう？左右の定義は、上下と前後が定まったときに初めて決まるのです。人間の体型が左右対称ですし、歩いたりするときも横には動きません。上下と前後の定義が独立していて、絶対的なものであるのに対して、左と右の定義は相対的です。この定義のために、鏡で左と右が入れ替わるんですよ」<br />
「待ってください・・」刑事が片手を挙げて言う。「鏡の映像に・・、そんな、人間の考えた定義が関係するのですか？あれは物理現象であって、人間の言葉には関係がないと思いますが・・」<br />
「いいえ、我々は、ものを定義して、それを基準に観察するんですよ。」（p.434）</p>
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