もっとも美しい数学 ゲーム理論


もっとも美しい数学 ゲーム理論(トム・ジーグフリード/文藝春秋)

「ゲーム理論」というのは、ものすごく魅力的な学問だと思う。
優れた学問というのは必ず、机上だけの理論に終わらず、現実世界の問題を考える上でとても便利なツールになる。その意味で、これほどに様々な事象に適用出来る、面白いセオリーはめったにないだろう。
ゲーム理論は、それが発表された当時は、現実的な問題にあてはめるには向かない内容と思われていたものが、その後、年を追うごとに重要性が再認識されていって、今や、生物学や経済学、社会学など様々な分野で必要不可欠な存在にまでなっている。
そうなるまでの間に、フォン・ノイマンや、ジョン・ナッシュなど、数々の偉大な数学者が、ゲーム理論の魅力にとりつかれて飛躍的な革命を起こしてきたというドラマチックさも面白い。
もし、人間の行動をある程度の精度で予測することが出来れば、それは経済にも政治にも大きな手助けになる。しかし、お互いに利害関係にあるような二人の行動を予測することは、かなり難しい。
それが三人、四人と増えていくと、もうとても予測不可能なぐらいの難しさになる。ゲーム理論というものの面白さは、その人数が膨大になれば、逆に、簡単に予測が出来る、としたところだ。人間一人一人の行動は予想がつかないけれども、ある程度の人数が集まった後の行動というのは統計的に予想が出来る。
この本の中で特に面白かったのは、「神経経済学」という新しい学問分野についての説明だった。
人間にとっての価値は「貨幣」の交換によって表されるというのが経済学での考え方だけれども、すべての人間がお金だけを求めて行動しているわけではない。
この、神経経済学では、ドーパミンという神経内の快楽物質を、生物全般に共通する通貨とすることで、より広い範囲の人間の行動を説明するのだという。こういう、共通貨幣さえ定義出来れば、「進化」や「戦争」など、世の中の多くの事象はゲーム理論が分析する対象となりえる。
もう一つ、面白かったのは、「均衡点は普通、混合戦略になる」ということで、このことは、これほど多様な生物や、色々な性格の人々がこの世に存在する理由を、とても見事に説明していた。
この本は、現在までのゲーム理論の発展や歴史をとても詳細に、しかも関わった人物について物語的に楽しく紹介をしている。ゲーム理論について、ここまで興味を惹く形で書かれた本は他にないのではないかと思う。難しい数式もまったく出てこなくて、非常にわかりやすく、素晴らしい解説書だった。
【名言】
ゲーム理論は、すべての科学の統一言語になる可能性がある。ゲーム理論は、すでに社会科学を制覇して、生物学にまで入り込んでいる。そして今や、数人の先駆者たちの成果から見て、物理学とも強力に結びつこうとしているようなのだ。(p.17)
「知的な」設計に基づいて作れるものは、せいぜい人間にも簡単に理解できるありきたりで単純なシステムに限られる。科学者たちが途方に暮れるような複雑なシステム、たとえば体や脳や社会といったものは、ただ設計どおりに作られたのではなく、細胞や人間など、己のために動くエージェントが相互に作用しあうことによって生まれてきた。そして、このような競争による相互作用を扱う学問はといえば、ゲーム理論ということになる。(p.19)
19世紀後半に発表されたダーウィンの「種の起源」は、世界を科学的に理解し要約した三部作の、最後の一冊といえるかもしれない。17世紀には、ニュートンが物理世界を手なずけ、18世紀にはスミスが経済学を体系化し、19世紀にはチャールズ・ダーウィンが生物界を体系化した。スミスがニュートンの足跡をたどったように、ダーウィンはスミスの足跡をたどった。(p.48)
進化は、あらゆる生命が参加するゲームなのだ。すべての動物が、そして植物も、さらにはバクテリアも、このゲームに参加している。生命体に、理性や推論の力があると考える必要はない。彼らの戦略は、彼らの性質や傾向の総和にすぎないのだから。低い木になるのと高い木になるのと、どちらがよい戦略か。ひじょうにスピードの出る四本脚歩行と、ゆっくりしているがきびきびとした二本脚とでは、どちらがよい戦略か?動物たちが戦略を選んでいるのではなく、それぞれの動物自体が、戦略そのものなのだ。(p.128)
見物する側にまわるほうが生き残る上で有利なのは一目瞭然だ。戦うよりも見物しているほうが、殺される可能性は低い。とはいえ、戦いの危険を避けるだけなら、別に見物する必要はない。できる限り戦いの場から遠ざかればすむことだ。それならなぜ見物するのか。ゲーム理論を使うと、ごく自然にその答えが得られる。やがていつの日か、どうしても戦わざるをえなくなったとして、そのときに、相手の戦歴を知っているほうが役に立つのだ。(p.133)
ジャングルでは評判がものをいう。観客のいる前で鳩のようにふるまってしまえば、次の戦いで相手が攻撃的に出ることは必至だ。一方、自分は残忍な鷹だということをみんなに見せつけておけば、次の相手は、こちらの姿を見ただけで一目散、ということになる。というわけで、見物人がいるからこそ暴力がエスカレートする。しかも、明日戦うことになるかもしれない見物人にとっては、今日暴力を見ておいたほうが有利になる。いいかえれば、見物という個人にとってはプラスになる行為、リスクの高い衝突を避けるのに役立つ行為が、逆に社会全体を、リスクの高い衝突が増える方向に推し進めていくことになるのだ。(p.135)
実際、脳は効用を、金ではなくドーパミンで測っているらしい。(p.157)
「人間の行動は・・実は決して食い違うことがない。たとえどれほど気まぐれに見えようと、普遍的な秩序に従う膨大なシステムの一部をなしているのだ」(ヘンリー・トーマス・バックル)(p.202)
ネットワークに新たなノードが加わってネットワークが成長する場合、新たなリンクはでたらめに形作られるわけではない、と考えた。むしろ新しいノードはすべて、すでにたくさんのリンクを持っているノードとつながりたがる。いいかえれば、富めるものはますます富む。そうやって成長した結果、ひじょうに豊かなハブを持つスケールフリーなネットワークが生まれるのだ。(p.248)
脳の力に限界があって、参加しなければならないゲームがたくさんある場合には、純粋かつ理想的なゲーム理論に基づいてどのような選択肢が望ましいかを算出するよりも、一般的な行動の指針を適用するほうが「合理的な」行動となる。(p.282)
量子力学とゲームには、少なくとも確率分布という明らかな類似点がある。ゲームにおける混合戦略にも、量子力学における現実の重なり合いにも、確率が絡んでいるのだ。どうやら生命と物理学はすっかり混じり合っているらしい。(p.307)
ソーシャルブックシェルフ「リーブル」の読書日記