『国宝』稀有な才能の歌舞伎役者二人が同じ時代に出現する残酷さ


『国宝』上下巻(吉田修一/朝日新聞出版)

長崎の任侠一家に生まれながら、歌舞伎の女形になるために生まれてきたような資質と天性の美貌を持った主人公、喜久雄。
ヤクザと梨園はさまざまな面で共通項があり、古く長い伝統を持つ、一般社会とは違ったルールで動く世界だ。
この設定で吉田修一が長編の大河小説を書いたというだけで、もう間違いなく面白いだろうと読み始めた。期待を裏切らない面白さだった。

喜久雄と同じ歳で、歌舞伎の名門「丹波屋」の血をひいて生まれた、やはり並外れた才能を持つ俊介との対比も素晴らしい。
同じ時代に、稀有な才能が二人同時に出現するというのは、お互いをライバルとして切磋琢磨することで遥かな高みに登っていける一方で、残酷なまでに冷徹に敗者を生み出すということでもある。
「なぜ神は、自分と同じ時代に彼を遣わせたのか」と呪いたくもなるだろう。

一度表舞台から姿を消したと思われた俊介が、10年以上もの空白期間を経て発見され、また歌舞伎の世界へと復活する場面が熱い。
歌舞伎の名門の跡取りとして生まれたぼんぼんのお坊ちゃんの俊介に足りなかったものを、補って余りあるほどの辛酸を舐める経験したことで、凄みのあるほどの深みが芸に表れる。

舞台役者は、人生経験がそのまま表現の幅につながるというのは、本当のことなのだろう。そうであれば、一流の役者の人生が平穏無事なはずはない。
喜久雄も俊介にも、並の人間の何倍も密度の濃い、波乱続きの運命が待ち構えている。そして、歌舞伎は、本人一人だけで成立するものではなく、妻や親や子といった血縁関係者や、利害関係者すべてを巻き込む総力戦でもある。
自分の芸を極めることと引き換えに、周りの人間が不幸になっていく様子を何度も繰り返し見続けていれば、役者というものの業の深さに苦悩するのも無理はないだろう。

喜久雄や俊介はもちろん、彼らと浅からぬ縁でつながり、長い年月を共にした人々はみんな、人間らしい弱さも持ちながら、覚悟の決まった清々しい人たちだ。
そんな、歌舞伎を生業とする周囲の人々すべての、青春の日から老年までの一生を描いているのだから、それはもう怒涛のような迫力に圧倒されて、読んだ後にはしみじみと残る感慨があった。
ハミ出しものだった徳次が、中国大陸に渡って一旗揚げて、起業を成功させるというのは、ジョジョのスピードワゴンの生涯と重なるものがある。

歌舞伎の演目のことは詳しく知らないで読んだけれど、小説の中に登場する演目については、それぞれ簡単な解説がされているので、勉強になる。
詳しい歌舞伎ファンの人が読んだら、何倍も楽しめるんだろうと思う。
Audible版では、尾上菊之助の朗読で、これが、本物の謡で読み上げられていて、とても素晴らしい。人物を演じ分ける技巧といい、これがプロの技かと感心する。Audibleで聴く小説として一番オススメ。

名言

立花家の困窮を、半二郎は薄々感づいていたようであります。その流れからの部屋子の話だったところもございましょう。ただ、知らぬのは無邪気に暮らす喜久雄ばかりでありますが、このときの大人たちの無言の庇護こそが、この数年後、一部の評論家たちから「生来の芸品がある」と評される喜久雄の踊りに結びつくのでございます。「貧乏には品がある。しかし貧乏臭さには品がない」とは、とある稀代の女流作家の言葉ですが、このときのマツの懸命な庇護により、喜久雄はまさに役者の命ともいうべきその品を授けられたのでございます。(第4章 p.126)

「なあ、喜久雄さん、祇園のお茶屋で遊んだの、今日が初めてどっしゃろ?」
市駒の顔が火に染まっております。
「そやで」
「じゃあ、うち、決めたわ」
「決めたて、何をや?」
「うち、喜久雄さんにするわ」
「俺にするて、何?」
「そやから、喜久雄さんにうちの人生賭けるってことや。なんや知らん。直感や」
「賭けるて、さっき会うたばかりやで」
一方的な物言いに、ただ慌てる喜久雄でありますが、市駒はもう思いの丈をぶつけたように清々しておりまして、
「こんなもん、時間かけてもしかたおへんわ。一か八かや。うちの芸妓人生、あんたはんに賭けるわ」
とつぜんとはいえ、祇園の芸妓からあなたに人生を賭けると言われて嬉しくない男がいるわけもなく、喜久雄も満更ではございません。
「それ、本気で言うてんの?」
「…女に二言はあらしまへん。そやから、喜久雄さん、あんた絶対に人気役者になってな。あんたならなれるわ。うち、そういう直感、当たんねん。そしたら、奥さんに、なんて厚かましいことは言わしまへんから、二号さんか三号さんを予約や。ええやろ?」(第4章 p.130)

「俊ぼん、どこまで行くねん」
立ち止まったまま振り返りもしませんので、喜久雄が恐る恐る声をかけますと、とつぜん振り返りました俊介が、
「泥棒と一緒やないか!人ん家に入り込んで、一番大切なもん盗みくさって!このコソ泥!」
と、いきなり殴りかかって来たのでございます。
慌てた喜久雄も咄嗟に応戦しますが、互いに胸ぐらを掴み合い、握りしめた拳をその喉に押しつけているうちに、俊介の手から急に力が抜けまして、
「てな感じで、怒ったりしたほうがおもろいんやろうけどな」
と、苦笑いでございます。
「俊ぼん…」
「まあ、しゃーないわ。これが誰か他のやつの評価やったら、『アホか。どこに目ついとんねん!』て、文句の一つも言うんやけど、『実の息子より部屋子のほうが芸が上手い!」言うのが、あの天下の二代目花井半二郎なら、もう諦めるしかないわ」(第6章 p.200)

「俊ぼん、怒らんで聞いてくれるか?」
「なんや?急に」
「俺な、今、一番欲しいの、俊ぼんの血ぃやわ。俊ぼんの血ぃコップに入れてガブガブ飲みたいわ」
俊介の耳に先ほどの陰口が蘇ります。自分の体中の血管に流れているはずの、その丹波屋の血が、まるで水のように透明で、なんとも味気ないものに感じられるのでございます。(第6章 p.209)

「アンタが送ってくれたお金でこっちに小さな借家を見つけたとよ。あの家での女中も辞めて、近いうちに魚市場の近くで小料理屋でも出そうかと思うとる。アンタはお母さんの心配なんかせず、もっともっと大きな役者になってくれんね。送ってくれた着物ば着て、アンタのスポーツカーに乗ってお母さんが乗りつけるのは東京の歌舞伎座たい。あの歌舞伎座で、アンタが主役ば張るときたい。そんときはあの世の千代子さんからも褒めてもらえるやろ。褒めてもらうどころか、そんときはうちのほうが千代子さんに自慢するさ」
言葉通り、その後、権五郎が建てたあの屋敷を出たマツは、魚市場の近くに新鮮な魚を扱う割烹料理屋「喜久」を開店させたのでございます。(第7章 p.221)

「…アンタ、辞退してえな」
そんな幸子にとつぜん見据えられ、思わず俯いた喜久雄に、
「…なあ、辞退してえな。それくらいの恩を返してもらうくらいのことはしたで。なあ、俊ぼんのためや。アンタも俊ぼんが憎いわけやないんやろ?アンタにはまだいろんなものが待ってるかもしれんやないの。でも、俊ぼんには…」
思わず漏れそうになった嗚咽を幸子が奥歯を噛んで堪えます。
「女将さん…。よう分かりました。もう、そんなに苦しまんでええですわ。…辞退します。旦那はんにも、ちゃんとそう言いますわ」
(中略)
「ほんまに意地汚いわ…」
顔を上げますと、晴れ空にその鋏の音を探すような幸子の横顔でございます。
「…役者なんて、ほんま、意地汚い生き物やわ。うちの旦那はん、もうあんな体やで。アンタに手ぇ引いてもらわんと、舞台にも出られへんねんで。それやのに、それでも『白虎』になりたいんやと。我が子の人生を踏み潰しても『花井白虎』になって舞台に立ちたいんやと。ほんま呆れるわ。アンタもアンタや。俊ぼんのもん、平気で奪うて。汚いわ。…それに俊ぼんも俊ぼんや。ずっと自分が中心やったのが、そこに立てんようになったからて逃げんのかいな。負けも認めんで逃げるいうところが意地汚いわ」
「ほんなら…」
一向に幸子が動きませんので、喜久雄が出て行こうといたしますと、
「ちょっと待ちーな」
幸子が呼び止めます。
「…アンタ、こっちに戻ってきたらええわ。部屋もそのままにしてあるし、別々に暮らしとったら、なんやかんや面倒やし」
「面倒て?」
「アンタな、襲名て、おお仕事なんやで。それもいっぺんに二人や。別々に暮らしとったら連絡一つするのも面倒や。ニ階ならトントンて階段上がれば済むんやから」
「でも、女将さん…」
「もう腹くくるわ。うちは意地汚い役者の女房で、母親で、お師匠はんや。こうなったら、もうどんな泥水でも飲んだるわ」(第7章 p.239)

こういうとき、つくづく歌舞伎役者というのはその家族も含めてのことだと幸子は感じます。舞台に立つのは役者一人ですが、たとえばジャングルを生き抜く獣の一家のようなものでして、総元締めである三友のような興行会社や劇場、贔屓筋に観客やマスコミなど、外敵にも味方にもなる相手から家族全員で身を守り合い、戦い、生き抜いていかなければならないのでございます。
いわゆる梨園とは唐の時代にあった宮廷音楽家の養成所の名ではありますが、実はそのように優雅なものではなく、傍目には歌舞伎役者の家族というのはどこも仲良さそうに見えるようでございますが、それはまさにジャングルの獣の一家と同じで、仲が良いのではなく、この生き死にがかかった世界を、一丸となって生き抜いていかなければならないからでございましょう。(第7章 p.246)

「わても、そう長うない。そやから喜久雄に伝えておかんならんことがあんねん。でもな、それがどうしてもうまいこと伝えられへん」
喜久雄を見ているつもりの白虎の目が、背後の壁に逸れているのが、喜久雄には悲しくてなりません。
「旦那はん、なんでんねん、急に」
喜久雄はまた舞台に連れて行こうとでもするように、その両手を握ります。
「おまえに一つだけ言うときたいのはな、どんなことがあっても、おまえは芸で勝負するんや。ええか?どんなに悔しい思いしても芸で勝負や。ほんまもんの芸は刀や鉄砲より強いねん。おまえはおまえの芸で、いつか仇とったるんや、ええか?約束できるか?」
このとき喜久雄の頭に浮かんでいたのは、したり顔で役を奪った鶴若たちの姿でございました。(第8章 p.266)

「なあ、徳ちゃん、さっきふと思うたんやけどな…」
隣に腰かけました徳次も一服つければ、横に立つ柳に夏の夜風でございます。
「…俊ぼんやったら、さっき踊ったんやないやろか?」
「俊ぼんが、あの場で?」
驚く徳次をよそに、喜久雄には確信があるようで、
「なんや、そう思うねん」
「俊ぼんは、そんなに気ぃ弱ないで」
「そんなん知ってるわ。そういう意味やなくて、自信て言うんやろか」
「自信?」
「俺なんか、一本の木やねん」
「一本の木?」
「せや。ただの一本の木やから、木を馬鹿にされたら悔しゅうなんねん。でも、自分が山やったら、木ぃ一本、馬鹿にされたところで気にもせんやろ。俺なんか、こうやって三代目継いだところで、まだまだ一本の木やねん。でも、俊ぼんみたいに生まれたときから丹波屋背負うてるんは、やっぱり山やねん。て、思たらな、あんな下品な田舎者の酔狂なんて、俊盆やったら気にもせんで、ちょろちょろて踊るふりでもしたんやないやろか思てな」(第9章 p.295)

「俊ぼん…」
声を漏らした喜久雄、そのまま言葉を詰まらせておりますと、
「喜久ちゃん…、ほんまにいろいろおおきに。お父ちゃんのこと、お母ちゃんのこと、ほんまに世話になったんやろな。ほんまにいろいろおおきに」
俊介もまた言葉を詰まらせます。
またふつふつとこの十年のさまざまな思いが喜久雄の胸を熱くいたします、苦しい気持ちながらも、こうやって礼を言う俊介に、何か言葉をかけてあげなければと思うのですが、浮かんでくるどんな言葉も今の気持ちには足りません。(第10章 p.340)

万菊と並び立った俊介の美しさ、扇子をくわえるそのしどけなさ、また広げた懐紙を手鏡に見立てて髪を整えるその色香、何もかもが、十年まえに同じ演目で共演した俊介とは明らかに違っております。
「俊ぼん…」
思わず覗き窓に額を押し付け、息を呑んだ喜久雄の、その思いが客席へも伝わったのか、客席は歓声から一転、水を打ったようになり、緊張感がその場を支配します。
そして紛れもなくこの凄まじい緊張感の源泉は俊介であり、とてつもなく危険な何かが、そこで踊っているのがひしひしと伝わってくるのでございます。(第11章 p.24)

この古書店で専門で扱っておりましたがのが偶然にも、能、狂言、歌舞伎、文楽から邦楽、舞踊に至る芸能専門書だったのでありました。
この時期、勤務先でも家でも、とにかく俊介はこの店にある本を読み漁っておりました。専門外の春江にはちんぷんかんぷんな内容でも、舐めるように読んでいる俊介の顔は充実感に満ちており、
「なんや、不思議な感覚やねん。子供のころにもろうてたパズルのピースが一つ一つ、パチパチ嵌まっていく感じやわ」
要するに、物心ついたときから耳にしていた歌舞伎の話が、ほぐれ、繋がり、全体像が見えてくるような感覚だったのでございましょう。(第12章 p.62)

最愛の子を腕のなかで失った俊介の悲しみよいうはまさに筆舌に尽くし難く、その絶望は丹波屋の坊ちゃんとして何不自由なく育った自分と比べ、こんな安アパートの薄い布団に寝かされて、冷たい雨のなかで息絶えた豊生の不憫さに向かうらしく、
「俺が丹波屋で堪えとったら、この子はいろんな人にかしずかれ、幸せな人生を送れてたはずや。いや、幸せな人生が送れへんでも、もっと…、もっとマシな死に方だけはできたはずなんや」
(中略)
「豊生はきっと、あの小さな命かけて、俺を本物の役者にしようとしてくれたんやな」
これは後年、旅役者となった俊介がたびたび口にするようになる言葉でありますが、この境地にたどり着くまでには、豊生を失ったあと数年におよぶ荒みきった生活が待っているのでございます。(第12章 p.71)

「喜久ちゃん、もうあかん…。悔しいけど、ここまでや」
そんなことない。
そう言ってやりたいのでございます。ただ、目のまえにいるのは、膝から下の両脚をなくす舞台役者でございます。
そのときなぜか浮かんできましたのは、ほぼ盲目となった先代白虎の両手を取り、楽屋から舞台まで連れ立って歩いていた日々のこと。ああそうか、あれは旦那が息子の俊介に見せるつもりで、代わりに自分に見せてくれた役者の意地だったのだと思い至るのでございます。
「俊ぼん、旦那さんはな、最後の最後まで舞台に立ってたよ」
喜久雄はただそう伝えたのでございます。(第16章 p.212)

「ここ最近ずっと、なんかこう探してるものが見つからねえっつうか、無理に他のことしてても、それが気になって仕方がねえっていうか」
「なんだ、その探してるものって」
「ほんとに、なんなんだろうねえ」
「え?自分で何探してるか分かってねえのかよ」
「景色は景色なんだけどね」
「景色?」
「そう、景色。…そりゃあ、きれいな景色でさ。この世のものとは思えねえんだ。あれを舞台でやりてえなって。あんなかで踊れたら、俺はもう役者やめたっていいなって」(第19章 p.289)

「嫌や!来んといて!これ以上、近寄らんといて!なんで?なあ、なんでなん?なんんで、私らばっかり酷い目に遭わなならへんの?なんでお父ちゃんばっかりエエ目みんの?お父ちゃんがエエ目みるたんびに、私ら不幸になるやんか!誰か不幸になるやんか!もう嫌や!もうこれ以上は嫌や!なあ、お父ちゃん、お願いや。私から喜重を取らんといて!なあ、もうええやんか…」
自分を睨みつける綾乃の瞳の奥に、忘れ去っていた一つの風景が浮かんできたのはそのときでありました。
ああ、この子はずっと俺を憎んでいたのだ。そして俺はそれを知っていながら、ずっと気づかぬふりをしてきたのだ。
ある夜、まだ小学二年生だった綾乃と近所の銭湯に行った帰り、白川の畔の小さな稲荷神社に寄りまして、二人並んで手を合わせたときでございます。
「お父ちゃん、神さまにぎょうさんお願いごとするんやなあ」
と、喜久雄のやけに長い参拝に、横で綾乃が笑いますので、
「お父ちゃん、今、神様と話してたんとちゃうねん。悪魔と取引してたんや」
「ここ、悪魔いんの?」
「ああ、いるで」
「その悪魔と、なんの取引したん?」
「『歌舞伎を上手うならして下さい』て頼んだわ。『日本一の歌舞伎役者にして下さい』て。『その代わり、他のもんはなんもいりませんから』て」
その瞬間、綾乃の目からすっと色が抜けました。
「…悪魔はん、…なんて?」
「『分かった』言わはった。取引成立や」
あの帰り道、喜久雄は手を引いていたはずの綾乃の顔を、一度たりとも見ておりません。いや、実際には見たのでしょう。そこに浮かんでいた悲しみを感じとった記憶もあるのでございます。しかし喜久雄は見て見ぬふりをした。愛する娘の思いより、子供じみた悪魔との取引を守ろうとしたのでございます。
両手を広げたままの綾乃の背後で、集中治療室のドアが開いたのはそのときでした。すがりつくような綾乃に、若い担当医が、喜重の命に別状はなく、肩に残る熱傷も時間をかければ移植手術等で目立たなくなるだろうという話をするのを、喜久雄は離れたところで聞いておりました。横の鏡に映るのは、悪魔のような、半分白塗りした男の顔でございました。(第19章 p.298)

「なあ、役者をやめられる役者なんているのかねえ」
役者が仕事であるならば、いったいどこに性根を入れ替えられる人間などいるでありましょうか。
「やめたいんですか?」
彰子が静かに問いかけたのは目のまえにいる喜久雄ではなく、鏡に映った阿古屋にございます。
「いや、その逆だな。やめたくねえんだ。でもよ、それでもいつかは幕が下ろされるだろ。それが怖くて怖くて仕方ねえんだよ。だから…」
「だから?」
椅子から立ち上がろうとする喜久雄の腕を、思わず彰子が掴めば、
「…いや、だからよ、いつまでも舞台に立っていてえんだよ。幕を下ろさないでほしいんだ」(第20章 p.332)

「俺な、逃げるんちゃう。…本物の役者になりたいねん」
北新地のアパートの外、仕事帰りの春江を待っていた懐かしき俊介の顔でございます。
…俊ちゃん、見てるか?あんたが大好きやった喜久ちゃんは、とうとうこんなすごい役者になったで。きっとあんたがそっちから応援してくれたんやろな?あんたは甘ちゃんのボンボンやけど、そういう大きな心持ってたもんな。…長崎から出てきたうちらのこと、一番大切にしてくれたんがあんたやったもんな。…俊ちゃん、会いたいわ。あんたに、会いとうて堪らんわ。(第20章 p.347)