佐久穂町で開催された「死の体験旅行」に参加をしてきました。
僧侶である浦上哲也さんが開催している体験型講座で、もともとは海外のホスピス(終末医療施設)でおこなわれたのが始まりだそうです。
今後体験旅行に参加される方の妨げにならないよう、詳細な内容の説明は省きますが、死に向かって、自分が現在抱えている大切なものを一つひとつ喪失していく過程を疑似体験する、というようなものでした。
それは、予想していた以上に切実な体験で、手のひらから砂がこぼれ落ちるように、自分が拠り所としていた人や記憶が失われていくような感覚を覚えました。
終わった後、その体験を共有するために、他の参加者の人に話し始めようとした時、僕は涙があふれて泣くことを止められず、ほとんど言葉らしい言葉を発することができませんでした。
と、同時に、今まだ生きていることと、失ったと思われたものがまだ失われてはいないことのありがたさを噛みしめました。
僕は、とりわけ信心深いわけでもない、スピリチュアルとは縁遠い人間ですが、それでもこの日ばかりは、自分が死に向かうときに辿るであろう心境と、自分がいなくなった後の世界のことを強く想像して、新しく生まれ直したような気持ちになりました。
メメント・モリ(死を想え)とは言われますが、平穏な日常の中に暮らしながら死を想像することは、とても難しいことだと思います。
だから、本当に生きるためには、意図的に、真剣に死を想像するための場に身を投じることが必要なのだと思います。
佐久穂町「カレー屋ヒゲめがね」の豊田陽介さんが毎年、浦上さんを佐久穂町にお招きして、この「死の体験旅行」を開催している動機は、自分が得たものを他の人にもおすそ分けしたいという「恩送り」(ペイ・フォワード)の気持ちからだそうです。
僕も、その恩送りの一端に加わって、今回の感想をここに共有させていただきます。
もしご興味と機会があれば、浦上さんが各地で開催している「死の体験旅行」にどこかで参加をしてみてください。
浦上さんが住職を勤めるお寺がある横浜では、毎月開催されているようです。
浦上さん、豊田さん、今回は本当にありがとうございました。