ベルリンから北に40分ほど進む。途中の大通り沿いには、共産主義時代の特徴的な建物が並ぶ。
ザクセンハウゼン強制収容所に到着。
入口のビジターセンターの本屋には関連書籍が並ぶ。
今回、日本人のガイドさんに案内をしていただいた。
壁にある全体図を見ながら、概要の説明を聞く。
ザクセンハウゼンは、はっきりわかる特徴的な三角形をしている。これは、中央の監視等から全体を監視しやすい設計にしたためだという。
外側をまわって、正面入口へと向かう。
途中に見えた建物は、収容所の職員用の官舎だった場所。今は、警察犬の養成所として利用をしているという。
正面の門から中に入る。
戦後80年の看板。
中央の監視塔。
門に付けられた「ARBEIT MACHT FREI」の文字。
監視塔の時計は、よく見ると本物ではなく、描かれたもの。時間は、この収容所が解放された時間を示しているのだという。
とてもひろびろとしている。当時にはたくさん並んでいた建物も、今は保全をしている一部をのぞいて、無くなってしまっている。
収容されていた人々が広場に整列している写真。
当時の造りを再現したバラック。
ガイドさんからの説明の時間。
収容者たちが身につけていた標章には、細かく意味があり、分類されている。
書類上に細かく残されたパーソナルデータ。とにかく詳細に管理をしているのがわかる。
貴重品だった飯盒に、貸し借りの記録が掘り込まれている。
共通の浴場。
バラック小屋に並んだベッド。一つの列に5〜6人が寝ていたという。
独房棟。
分厚い扉で仕切られている。
当時の様子が再現されている。
この房に収容されていた人についての説明。
高圧電流が流されていた鉄条網。
かつて建物があった場所はわかるけれど、跡にはなにも残っていない。
銃殺をおこなうために作られた場所。
この行き止まりの場所で執行された。
あちこちに点在している小さい監視塔。
2階からの眺め。
収容者たちは、サイズの合わない靴を履かされて、いろいろな試験のデータの採集にも使われていたという。
こちらも、当時の様子を再現して再建された建物。
医療棟では、人体実験がおこなわれていたという。
地下には、遺体を置くためのスペース。
慰安婦として働かされていた建物は、跡地だけが残っている。
人もあまり多くなく、静かな場所だった。t
このザクセンハウゼン収容所の跡地は、当時の建物そのものを詳しく残すというよりも、記憶を風化させないためや、慰霊のためにあるという意味合いが強い場所だと感じた。
かなり当時の様子をそのままに残しているポーランドのアウシュビッツ収容所に比べると、ドイツ国内の戦争関連の施設は、そういうメモリアルな場所が多い気がする。