愛と幻想のファシズム〈上〉〈下〉 (村上龍/講談社)
【コメント】
民主主義の日本の中に、もし一人のカリスマがあらわれて専制的に政治を支配しようとしたらどうなるか。サバイバル術のエキスパートである鈴原冬ニは、政治結社「狩猟社」を立ち上げて、ブレーンとなる人材を集め、マスコミによる宣伝を巧みに使って圧倒的な民衆の支持を得ていく。
ヒトラーやムッソリーニの出現する背景としてあったような世界恐慌や経済の衰退が起こったとしたら、そこに民衆の待望するカリスマさえ現れれば、ナチスと似たファシズムが日本にも起こる可能性はある。
この本が出たのは1987年。そのバブル期の中で、バブル崩壊後の日本の姿を冷静に見通した作品を書いているというのはすごい。ここで描かれている日本は、これから先の将来にこそ現実になるかもしれない。
これほどスケールの大きいフィクションにも関わらず、リアリティを失っていないというのは、そのベースとなっている、人間を「動物の一種として」考察した世界観に説得力があるからだと思う。
映画以上の臨場感と爽快感がある小説。
【名言】
猿は本来ならば増えすぎて滅ぶのだが、ポピュレーション調節に三つのことが作用した。一つは病気だ。猿ほど多くの病気にかかる動物はいない。二つ目は、子殺しだ。新しいリーダーが、以前のリーダーの赤ん坊を殺すのだ。三つ目は、殺し合いだ。人間は猿から進化したのだから、強者の条件はそれだけで充分なのだ。すなわち、子供の頃殺されずに済んだという運、病気に打ち勝つからだ、殺し合いに生き残る力、その三つがないものは弱者なのだ。(p.213)
グリズリーは地面から足が離れることがないのだ。二本足で立ち上がり歩行する必要も、全身の毛を失う必要も、無期限の発情の必要も、種内で殺し合う必要もない。家族も社会も国家もいらない。それは完璧に科学的だと俺は思う。宇宙のすべてに対して何ら疑問を持たないグリズリーはどれほどすごい宗教家よりも完璧な存在なのだ。(p.353)
基本的には僕は平均的な日本人だ。目の前で親兄弟が外国の軍隊に殺されるのを見たわけじゃないし、そういう先祖もいない、母や姉や恋人が混血児を産んだというわけでもない、要するに侵略を受けていない、数千年の歴史があるのに、武力占領や混血の体験がないなんて国は他にはないからね、天皇制を含めたすべての日本的問題はそこに帰結するんだ。(p.481)