吉原御免状(隆慶一郎/新潮社)
隆慶一郎氏のデビュー作であるけれども、とてもこれが初作品とは思えないぐらいの文章と構成の見事さ。作者はこの時、既に61歳だったというのがスゴい。
宮本武蔵の直弟子である松永誠一郎が主人公で、「一夢庵風流記」(「花の慶次」の原作)と共通する、カッコよさがある。
吉原という土地がどのようないきさつで成立したかという謎がメインのテーマとなっていて、作者が独自に展開する仮説がベースになっている。
これが、「明智光秀は、実は生き延びて天海僧正として家康に仕えた」というような、かなり突拍子もないストーリーなのだけれど、かなり裏づけもしっかりとしていて、フィクションとして切り捨てることが出来ないリアリティーがある。
登場人物も、「八百比丘尼」や「裏柳生」など、戦国時代末期の個性豊かなオールスター勢ぞろいのような賑やかがある。後の「影武者徳川家康」につながるような、奇想天外なエピソードもあり、かなり贅を尽くしたエンターテイメント大作というべき作品と思う。
【名言】
「誠さまは慣れていなんす」と禿の一人がいったが、これは間違いだ。水づかいの確かさは剣士の心得の一つなのである。水を使って、ぽたぽたたらすのは心に隙があるからだ。行住坐臥、隙のないことを心がける剣士の立居振舞は、自然に無駄がなく、端正で確かなものになる。(p.267)
人が死ぬと、必ず枕元にたてられたしきみの一本花をもって、熊野詣をすると云います。だからこそ、生きている人が熊野詣をすると、途中でよく死んだ親族や知り人に会うのです。熊野の黒い森の経が、死出の山路と交叉しているあたりでね。(p.298)
江戸の中で、これほどの自治が許されているのは寺院しかない。そして寺院と吉原に共通していることはただ一つ、無縁ということだ。無縁とは俗世間や、そこにいる一切の身内、親族、友人と完全に縁を絶つことを云う。(p.495)