賭ける魂


賭ける魂(植島啓司/講談社)

世界中のカジノを巡り、ギャンブルをやり続けてきた著者の、回想録的エッセイ集。その一方で、東大卒の大学教授という肩書きもあるというのが風変わりだけれど、そちらの姿についてはほとんど触れられていない。
国によるカジノ文化の違いや、ゲームごとのハウスエッジ(胴元の取り分)の違いについての考察は、特にタメになった。ハウスエッジは、アメリカ式ルーレット(「0」と「00」がある)では5.56%、ヨーロッパ式では2.78%、バカラは1.17%、ブラックジャックは賭け方によって0.5%まで下がるのだという。
必勝法だの技術的なことを説明しているわけではなく、ただひたすらに、競馬場やカジノでの心構えといったような、精神的なテーマについて語っているという点で、修養書のような趣がある。独自のこだわりが非常に多い人だというのが伝わってきて、その哲学にはなるほどと納得がいくものも多い。
筆者自身の遍歴だけではなく、ロジェ・カイヨワやヘミングウェイなど、古今東西の様々な人物が語っている、ギャンブルに関する人生観が随所に引用されているのは面白かった。
【名言】
何かを信じても勝てるとは限らないが、何かを信じないで賭ける人間はほぼ100%負けてしまうのである。ギャンブルでは、とにかく何かを信じて突き進むと、自分でも想像外のことがいくらでも起こりうるのだ。(p.43)
芹沢博文も、阿佐田哲也もそうだったのだが、この世でもっとも大事なことは「どれだけ正体不明のままいられるか」ということである。それは、ギャンブルでも、格闘技でも、実生活でも同じこと、相手にこちらの手の内がわかられるほどマズイことはない。それゆえ居所不明というのも大切で、こちら側からはいつでも連絡はつけられるが、相手側からは絶対につかまらない、というのがベスト。そして、相手がこちらの正体を知った時には、すでに一撃で倒しているというのが理想的なのだ。(p.70)
オランダのアムステルダムの市営カジノは運河沿いにあって、ひっそりとしたたたずまい。当時は入場料6ギルダー(約450円)だった。いまならユーロだが、ただ、当時はこのギルダーとかいう貨幣単位がまた金銭感覚を麻痺させるわけで、いったい途中いくら勝っているのか全然わからなくなっていく。「ファイナル・ファンタジー」の通貨ギル(G)をも連想させるため、どうしてもゲームをやっている感覚にもなる。(p.99)