薔薇の名前


薔薇の名前 上下巻(ウンベルトエーコ/東京創元社)

1327年のイタリアの修道院を舞台にした物語という時点で、まず痺れる。
ローマ教皇と、神聖ローマ帝国皇帝が対立するなんていう出来事は、これまで、世界史の教科書の中でしか知らなかったことで、ほとんどファンタジーの世界のような感覚だったけれども、それがいきなり、リアルタイムな事件として物語の中に登場するというのは、かなり衝撃的なことだった。
舞台となっている修道院自体がとても謎めいて陰鬱な場所であるし、時代背景としても、ルネサンス以前の、異端審問やペストが蔓延する、中世の闇を体現したような時期で、こんなにも妖しい魅力に満ちた物語の舞台はなかなか他にないだろうと思う。
この本は、大学時代、図書館学の授業の中で取り上げられたことがあって、それでよく覚えている。その当時は、何故この作品が授業で扱われたのかよくわからなかったけれど、今読み返してみると、この作品の中では修道院の奥深くに隠された「文書館」というものがとても重要なキーワードとして登場していたことに気がついた。
これが、ただの文書館ではなく、塔の螺旋階段を登った最上階の密室に、迷宮のような構造を持って用意された、ごく限られた者のみが入室を許される密室なのだというところが、またミステリアスだ。
中世以前、書物は、本を読み書き出来る一部の特権階級のものであって、それは主に、写本をおこなう修道院が独占していた。知識こそが権力の象徴である、こういう時代では、書物をめぐって事件が起こったということも、実際に多々あったのだろうと思う。
この作品を本当に理解するには、キリスト教の深い知識だけではなく、ラテン語や、中世の政治状況や、修道院の規則など、色々なことを知る必要があるのだろうけれども、それがわからなければ理解出来ない話しというわけではなく、基本的にはウィリアム(ホームズ役)とアドソ(ワトソン役)の二人が謎解きに挑戦をする、基本的な推理小説の形をとっているので、単純にその部分だけを見ても面白い。
その構成は、ものすごく緻密で、細かすぎるまでのロジックと仕掛けに満ちていて、読み終えるまでにとても骨が折れたけれども、壮大な世界観に圧倒される大作だった。
【名言】
「すると文書館長とその補佐のニ名を除いては、誰もあの建物の最上階へは足を踏み入れてはならないとおっしゃるのですね・・」
僧院長が微笑んだ。「誰にも許されませんし、誰にもなしえません。たとえ望んでも、果たせないでしょう。文書館はそれが内蔵する真理にも似た計り知れない深淵によって、またそれが保管する虚偽にも似た巧妙な企みによって、独力でみずからを守ってきたのです。精神界の迷宮であると同時に、現実の迷宮でもあるのです。たとえ入れても、二度と出ては来られますまい。」(上巻p.65)
「偉大だからこそ、変わってもいるのだ。正常に見える人間は卑小な輩にすぎない。ウベルティーノは自分の手で火刑にした異端者にもなれたであろうし、聖なるローマ教会の枢機卿にもなれたであろう。どちらの背徳にも限りなく近づいていたから。ウベルティーノと話していると、地獄というものは裏側から見た天国に過ぎないような気がしてくる」(上巻p.110)
「学問とは、単に為さねばならぬことや、為しうることだけを知ろうとするのでなく、為しうるであろうことも、為してはならないことも、時には知ることなのだ。だからこそ、今日も、ガラス細工僧に向かって、わたしは言った。学者は自分が発見した秘密を、他人に悪用させまいとして、何らかの方法で隠さねばならなくなる。だが、その秘密は、暴かれねばならない。この文書館には、どうやら、わたしの見るところ、まだいろいろな秘密が隠されている」(上巻p.160)
「何と美しいのだろう、あなたは、何と美しいのだろう」私はつぶやいてしまった。「あなたの髪はギレアドの山を駆けくだる山羊の群れみたいだ、あなたの唇は紅の糸みたいだ、あなたの頬は柘榴の実、そしてあなたの首は千の盾を懸けたダヴィデの塔のようだ」そして私は、茫然として、われとわが身にたずねた。いったい何者なのだろうか、この娘は?暁の光のように、照る月のように、光り輝く太陽のように、<旗ヲ掲ゲタ恐ルベキ軍勢ノヨウニ>、忽然と、私の目の前に現れたりして。(上巻p.395)
しかし、もしかしたら、私が年老いたせいかもしれない。若き日に起こったことを、何もかも、罪深いものまで、善きものや美しきものであった、と感じてしまうのは。それよりもむしろ、私は自分の思いを、近づきつつある死にこそ、向けるべきであろう。なぜなら若いころには、死のことなど少しも思わずに、激しく犯した罪にばかり心の底から涙を流していたから。(上巻p.403)
そのときまで書物はみな、人間のことであれ神のことであれ、書物の外にある事柄について語るものとばかり思っていた。それがいまや、書物は書物について語る場合の珍しくないことが、それどころか書物同士で語り合っているみたいなことが、私にもわかった。このような反省の光を当ててみると、文書館はいっそう巨きな不安の塊りのように見えた。どうやらそこは、何百年もの長きにわたって、ひそかな囁きの場であり、羊皮紙と羊皮紙が交わしてきたかすかな対話の場であり、文書館は一種の生き物であり、人間の精神では律しきれない力の巣窟であって、多数の精神によって編み出されてきた秘密の宝庫であり、それらを生み出した者たちや媒介した者たちの死を乗り越えて、生き延びてきた、まさに秘密の宝庫なのであった。(下巻p.52)
「美しいからあれを見つめていたとすれば、そしてあの美しさに取り乱していたとすれば、そしてあの娘を見ていて欲望を覚えたとすれば、それこそはあの娘が魔女である証拠だ。気をつけるのだぞ、息子よ・・肉体の美しさは皮膚の上に留まる。もしもあの皮膚の下にあるものが見透かせれば、ボイオーティアの山猫に対して起こったのと同じように、女の本来の姿には身の毛もよだつ思いがするであろう。あの上辺のやさしさは、すべて、粘膜と血液によって、分泌液と胆汁によって、成り立っているのだ。あの鼻孔のうちに、喉の奥に、腹の底に潜んでいるものにまで、思いが至れば、汚物ばかりが出てくるであろう。そしてもしもおまえが、指の先ででも粘液や糞尿に触れるのが嫌だと思うならば、どうして糞尿の入った袋を抱きしめたくなったりするであろうか?」(下巻p.124)
「一場の夢は一巻の書物なのだ、そして書物の多くは夢にほかならない」(下巻p.289)
「反キリストがすぐそこまで迫って来ている。もはや、いかなる叡智も、これに太刀打ち出来ないであろう。そればかりか、その顔まで、今夜のわたしたちは見てしまったのだからな。哲学への憎悪に歪んだ、あの顔のなかに、わたしは生まれて初めて反キリストの面影を見た。それは、彼の到来を預言した者たちが言うように、ユダの一族から来た者でもなければ、遠い国からやってきた者でもない。反キリストは、ほかならぬ敬虔の念から、神もしくは真実への過多な愛から生れてくるのだ。あたかも、聖者から異端者が出たり、見者から魔性の人が出るように。(下巻p.370)
写字室のなかは冷えきっていて、親指が痛む。この手記を残そうとはしているが、誰のためになるのかわからないし、何をめぐって書いているのかも、私にはもうわからない。<過ギニシ薔薇ハタダ名前ノミ、虚シキソノ名ガ今ニ残レリ>。(下巻p.383)