城の崎にて(志賀直哉/新潮社)
志賀直哉が、生涯で長編を一本しか書いていないというのは知らなかった。「暗夜行路」以外はすべて短編ばかりであり、それも、数年間筆をとらなかった時期も何度かある、寡作の人なのだという。
短編を読むと、気性として、長編よりも短編向きの作家なのだろうという気がする。全体の構成をしっかりと組み立てて、登場人物の設定を綿密に考えて書いているような感じはまったくなくて、いきなり前触れなく、日常生活のど真ん中の一場面から始まったりする。
その中の些細な出来事に注目をして、そこからとてもシンプルで本質的な出来事を取り出して、さらっとまとめて終了になる。もし、現代に志賀直哉が生きていれば、ブログとの出会いは、とても相性のいい組み合わせになったに違いないだろうと思う。
表題作の「城の崎にて」と「小僧の神様」も良かったけれど、それ以上に良いと思ったのは、「雨蛙」と「冬の往来」だった。この二つの短編は、高尚な理性から発する思考実験のようなものではなく、もっとドロドロとした、感情的な部分から湧き上がる、どうしようもない遣る瀬なさが、その短い話しの中に表れていると思った。
【名言】
自分は飛んだ事をしたと思った。虫を殺す事をよくする自分であるが、その気が全くないのに殺して了ったのは自分に妙な嫌な気をさした。素より自分の仕た事ではあったが如何にも偶然だった。イモリにとっては全く不意な死であった。自分は暫く其処に踞んでいた。イモリと自分だけになったような心持がしてイモリの身に自分がなってその心持を感じた。可哀想に想うと同時に、生き物の淋しさを一緒に感じた。自分は偶然に死ななかった。イモリは偶然に死んだ。自分は淋しい気持ちになって、漸く足元の見える路を温泉宿の方に帰って来た。(p.36)「城の崎にて」
「あの時帰して了えば石は仕舞まで、厭な女中で俺達の頭に残るところだったし、先方でも同様、厭な主人だと生涯想うところだった。両方とも今とその時と人間は別に変わりはしないが、何しろ関係が充分でないと、いい人同士でもお互いに悪く思うし、それが充分だといい加減悪い人間でも憎めなくなる」(p.129)「流行感冒」
間もなく二人は自分達の町へ帰って来た。それは昨日のままの静かな、つつましやかな町だった。いや、賛次郎には僅数時間前に出たばかりの町だったが、それが如何にも久しく見ない所だったように彼には思われた。(p.203)「雨蛙」
「これが僕に何を意味するか--万事休す。今更母親の方と結婚したいとは云い出せないじゃあないか。僕は姉のこの一言で見事崖から突き落とされた。岸本が妊娠を聴いて突き落とされたように一ト思いに突き落とされた。しかも前は胎児、今度は同じ人が雪子さんとなって僕を突き落とした。先ず因縁とでも云いたいところだ」(p.244)「冬の往来」
女には彼の妻では疾の昔失われた新鮮な果物の味があった。それから子供の息吹と同じ匂いのする息吹があった。北国の海で捕れる蟹の鋏の中の肉があった。これらが総て官能的な魅力だけだという点、下等な感じもするが、所謂放蕩を超え、絶えず惹かれる気持を感じている以上、彼は猶且つ恋愛と思うより仕方なかった。そして彼はその内に美しさを感じ、醜い事をも醜いとは感じなかった。(p.272)「痴情」