遠い太鼓


遠い太鼓(村上春樹/講談社)

村上春樹氏がギリシャ・イタリアに定住して小説を書いていた時期に書き留めていたという文章をまとめたもの。エッセイというほどきっちりと整理されている感じではないし、旅行記というには、あまりに普段の生活の記録という部分が多いので、なんとなく、手帳に書かれたメモを読んでいるような気分になる。
小説とはまた、まったく違った調子で、楽しく読ませるユーモアや毒舌がたくさん含まれていて良い。やっぱり、すごい観察力だと思うし、その表現の仕方も見事なものだと思う。
冬、オフシーズンのギリシャの島々の様子など、観光ガイドブックや雑誌では決して掲載されないような描写があったり、外国の体験記としても面白いのだけれど、それよりずっと面白いと思ったのは、「小説を書く」ということについての思想やポリシーが、ところどころに表れている部分だった。特に、「午前三時五十分の小さな死」という章は、とても良かった。
この文章が書かれたのは、「ノルウェイの森」の執筆に専念していた前後の時期で、小説を書くという作業の前や、最中にどういう心構えになるのか、そこにはやはり独自の哲学があって、その、メイキングともいえる過程をかいま見ることが出来るというのは、読んでいてとても興味深い内容だった。
【名言】
僕はこう思っていた。40歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくことなのだ、と。そして、その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできない。試してはみたけれどやはり気に入らないので、もう一度以前の状態に復帰します、ということはできない。それは前にしか進まない歯車なのだ。僕は漠然とそう感じていた。(p.16)
歳を取ることはそれほど怖くなかった。歳を取ることは僕の責任ではない。誰だって歳は取る。それは仕方のないことだ。僕が怖かったのは、あるひとつの時期に達成されるべき何かが達成さないままに終わってしまうことだった。それは仕方のないことではない。(p.16)
「君らどこから来たかね?」とイッツ・オーライトのおじさんが訊く。
「イーマステ・アポ・ティン・ヤポニカ(僕らは日本から参りました)」と僕は白水社・エクスプレス現代ギリシャ語・荒木英世著の22ページにある用例通りに答える。
するとおじさんは「ヨコハマ・ムロラン・センダイ・コーベ」と無表情に列挙し、<さて下の句は?>という風にじっと僕の顔を見る。
「ははは、よく知ってますね」とかなんとか僕は答える。一般的に言って、ギリシャ人が日本について知っていることの殆どは港と会社の名前だけである。だからおじさんの台詞に下の句をつけるとすれば「ソニーにカシオ、ヤマハ・セイコー・ダットサン」となるはずである。(p.106)
エーゲ海はグアムやハワイのような常夏常春の島ではない。大抵の日本人はエーゲ海の島は赤道近くにあると思っているみたいだが、地理的にいえばミコノス島と東京はほぼ同じ緯度上に存在している。要するに、誰がなんと言おうが思おうが、冬はやはり寒いのだ。(p.160)
この文章を今あらためて読みかえしてみると、その当時自分の心が少なからず凍りついていたことがわかる。書いた時にはそんなことには気づかなかったのだけれど。
文章というのは多かれ少なかれそういうものだと思う。書いている時にはそれがあまりにも自然であり当然であるので(何故なら原則的に我々はその折々の自らの心の動きにぴたりと寄り添って文章を書くわけだから)、自分の書いた文章の温度や色やトーンをその場で客観的に見定めることが往々にしてできないものなのだ。
でも、僕は思うのだけれど、心は時にどうしようもないほど凍りつくものなのだ。特に小説を書いているときには。(p.186)
毎日小説を書き続けるのは辛かった。ときどき自分の骨を削り、筋肉を食いつぶしているような気さえした(それほど大層な小説ではないじゃないかとおっしゃるかもしれない。でも書く方にしてみればそれが実感なのだ)。それでも書かないでいるのはもっと辛かった。文章を書くことは難しい。でも、文章の方は書かれることを求めている。そういうときにいちばん大事なものは集中力である。その世界に自分を放り込むための集中力、そしてその集中力をできるだけ長く持続させる力である。そうすれば、ある時点でその辛さはふっと克服できる。それから自分を信じること。自分にはこれをきちんと完成させる力があるんだと信じること。(p.209)
長い小説を書くというのは、僕にとっては非常に特殊な行為であると言っていいと思う。どのような意味あいにおいても、それを日常的な行為と呼ぶことはできない。それは、たとえて言うならば、深い森の中にひとりぼっちで入りこんでいくようなものだ。地図も持たず、磁石もなく、食料さえ持たずに。樹木は壁のごとく密生し、巨大な枝が重なり合って空を被い隠す。そこにどのような動物が生息しているかも僕にはわからない。
だから長い小説を書いているとき、僕はいつも頭のどこかで死について考えている。(p.242)
すごく不思議なことなのだけれど、小説が10万部売れているときには、僕は多くの人に愛され、好まれ、支持されているように感じていた。でも『ノルウエイの森』を百何十万部も売ったことで、僕は自分がひどく孤独になったように感じた。そして自分が多くの人々に憎まれ嫌われているように感じた。どうしてだろう。表面的には何もかもがうまく行っているように見えたが、実際にはそれは僕にとっては精神的にいちばんきつい時期だった。いくつか嫌なこと、つまらないこともあったし、それでずいぶん気持ちも冷えこんでしまった。今になってふりかえってみればわかるのだけれど、結局のところ僕はそういう立場に立つことに向いていなかったのだろう。そういう性格でもないし、おそらくそういう器でもなかった。(p.402)
もしこの本を読んで、長い旅行に出てみたい、この著者がその目でいろんなものを見たように、自分は自分の目でいろんなものを見てみたいと思われた方がおられたとしたら、それは著者にとっては大きな喜びです。旅行というのはだいたいにおいて疲れるものです。でも疲れることによって初めて身につく知識もあるのです。くたびれることによって初めて得ることのできる喜びもあるのです。これが僕が旅行を続けることによって得た真実です。(p.569)