愛国殺人

愛国殺人 (ハヤカワ文庫 AC)
愛国殺人(アガサ・クリスティー/早川書房)

非常にまっとうな、王道を行くミステリーだった。もはや、ミステリーというジャンルには収まらない、ドラマに重点が置かれた芸術品という気がする。
謎ときのトリックの奇抜さで勝負するのではなく、純粋に物語としての構成と、人物設定の念入りさを高度に組み合わせて、見事なまでのクオリティーを達成している作品だった。
犯人を途中で予測するのは、それほど難しくないかもしれない。しかし、この本の醍醐味は、謎解きではなく、一体どういう動機で人が殺されたのか、というところだ。
もともとの原題は「One,Two,Buckle My Shoe」だったけれども、日本語版では「愛国殺人」になっている。これは、非常によく出来たタイトルだったと思った。原題は、マザーグースの寓話から取ったもので、これは日本人には馴染みが薄いために、この「愛国殺人」というタイトルにしたのだろう。
優れた物語というのは、善と悪、白と黒にはっきりと分かれないものだと思う。完全な善も完全な悪もなく、それぞれの登場人物がそれぞれの事情を抱えて、その関連の中で時に利害関係が発生し、時に誰かが誰かを殺してしまうことがある。
そういう物語を読んだ後には、すっきりとしない気持ちも残る。それがしかし、この作品のようによく練られた末のものであれば、心地良い余韻として響くものなのだと思った。
【名言】
私はまったく妙な男です。すなわち、私は方法と順序と論理を尊びます。そして、私は理論を弁護するために、事実を曲解するのは嫌いです。その点が、まあ普通でないところとでもいうのでしょうかね。(p.231)
「まあこういいましょう。彼女がどこにいるかはわかりました、と」
「それじゃ、あの人は亡くなったの?」
「そうは申しあげません」
「じゃ生きてるのね」
「どちらとも申しあげませんでした」
「そう、彼女は死んでるか生きてるかどちらかでしょ、そうじゃなくて?」
「実際は、そんなに単純なものではありません」
「あなたは物事をむずかしくするのがお好きのようね!」
「私はよくそういわれますよ」
(p.290)