ペルセポリス


ペルセポリス(全2巻)(マルジャン・サトラピ/バジリコ)

普段、アメリカやヨーロッパの文化については、映画で知ることも多いし、日本に輸入されたものも多いので馴染みが深いけれど、それ以外の地域の国については、あまりよくわからないことばかりだ。
特に、旅行先として訪れる機会も少ない中東のこととなると、それは時々テレビで報道される情報だけに限定されることになる。
この、「ペルセポリス」は、イラン人の著者がマンガの形式をとって、10歳から、イランを離れる25歳までの生活を著した自叙伝だ。ジャーナリズムや教科書的な観点からでなく、徹底的に「一人のイラン人から見た、個人的なイラン」を描いている点が素晴らしい。
絵は、白黒のコントラストが強い、版画のようなかなり独特なタッチで、その点はちょっと馴染みにくく、読むのに時間がかかった。
この本を読んで初めて知ったことはとても多いのだけれど、公の場での服装や言動の制限の厳しさは、想像をはるかに超えていた。ほとんど常に戦争があり、内乱があり、投獄の不安にさらされ、死がとても身近にある国で子供時代を過ごすという体験の過酷さが、よく伝わってくる作品だった。
ずっとイランだけで過ごしていたとしたら、こういう本を出版することもなかったに違いないのだけれど、著者は幸い、自由で進歩的な家庭に生まれ育ったので、オーストリアやフランスに一人で生活する経験を持ち、祖国を離れることで、自分自身の思いをストレートに伝えるメディアを持つことが出来た。
著者の感覚が、一般的なイラン人よりもずっと行動的で尖っているということがあり、イランの多数派の感じ方とは違うので、客観性はあまりないと思うのだけれど、新聞では決して書かれない視点からのイランの描写は、かなり新鮮だった。
【名言】
ヨーロッパ旅行を思い出すわ。イランのパスポートを出せば大歓迎だった。昔はイランも金持ちだったから・・今じゃイラン人だとわかると、隅から隅まで調べられる。まるでみんなテロリストだと言わんばかり。(2巻)
恥に面と向かうより、命を落とすほうがましだと思った。ひとかどの人間になれなかった恥ずかしさ、私のためにあれだけ犠牲を払ってくれたのに、両親が誇れるような人間ではない恥ずかしさ、くだらないニヒリストになってしまった恥ずかしさ・・。(2巻)
薬の効果が切れると、また自分の苦しみを意識した。私の不幸はこの一言に尽きる。「私は無だ」。私はイランでは西洋人であり、西洋ではイラン人だった。何のアイデンティティーもない。どうして生きているのかも、もうわからなかった。(2巻)
未来の義理の父として、君に3つの頼みがある。1つ。君も知っての通り、この国では女性側の「離婚請求権」は任意のものだ。女性がこの権利を得られるのは、結婚証明書にサインする時、夫がこの権利を認めた場合だけだ。娘にこの権利を認めてもらいたい。(2巻)