神の神経学

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(村本治/新生出版)

「神」は人間の脳が作り出したものだと考えて、脳の機能から、宗教の成り立ちを考えた本。
瀬名秀明氏の「BRAIN VALLEY」は、まさにこの、「脳によって作り出される神」をテーマにした小説だったけれども、それをより詳細に、医学的に検討をおこなった内容になっている。
アルツハイマーの患者の人は、症状が進むと、自分と自分以外との区別がつかなくなってしまうという。それは病気の症状ではあるのだけれども、宗教的な見地からすると、その状態というのは「無我」や「空」の境地と同じような状態になる。
宗教の熱心な信者には、必ず何らかの、個人的な宗教体験がともなう。
幻覚を見たり、神の声が聞こえたりした時には、それが一種の啓示のように思えるけれども、それは単に脳の一部が変性していたり、機能していないというだけのことなのかもしれない。
てんかん症状を持つ人が「神がかり」的な言動をおこったという記録は昔から多く、それは、脳の中でてんかんをひき起こす部位と、神を感じる部位が一致しているからであるという。
神を脳の機能が作り出したものと考える、かなり実もフタもない分析の仕方なので、たとえば純粋なキリスト教信者からすれば、冒涜とも見えるだろう。そのため著者は、慎重に、脳機能から宗教を考えることは、宗教を否定することではなく、一つ先の段階に進めるためのことなのだと説明をしている。
確かに、それまでの文化をくつがえすような大きな宗教の発生は、この2000年以上の間起こっていない出来事なので、科学的な見地から世界観を揺るがす大発見があれば、そこから新たな宗教が生まれる可能性は十分にあると思う。


【名言】
宗教固有の完成を伴った体験こそは、歴史上一環して宗教の根底にある、本質的なものと考えられる。もちろん宗教はこの根本的基盤から発達して、様々な側面を持つ人間の社会活動となっている。しかし、その起源を理解し、その本質とメカニズムを理解するには、この宗教固有の体験を理解することが不可欠なのである。このような体験を基盤に持たない限り、宗教団体は結局、本質的には政党や組合と同じく、観念や理念と行動目標を共有する単なる人間の集まりに過ぎなくなるであろう。こうした人間の集団活動と宗教とを本質的に分けるのは、この基盤にある超自然的な宗教体験ということができるであろう。(p.79)
ドイツの精神医学者で哲学者でもあったカール・ヤスパースはその著書「歴史の起源と目標」の中で紀元前800年から紀元前200年前後を「軸の時代」と呼び、世界の大宗教の基礎がこの時代に各地で成立したことに注目している。何故このような時代が世界の各地で一斉に出てきたのか。これを最も合理的に説明できるのが、脳の進化に伴う必要な神経回路の発達であろう。人類の脳がこの「軸の時代」と呼ばれる頃に、世界的に一定の認知機能にまで発達したために、ギリシャ、エジプト、イスラエル、メソポタミア、インド、中国などで、一斉に宗教や哲学が成熟した体系を整えることが出来たのであろう。(p.157)
日本の代表的哲学者、西田幾多郎は宗教の起源を、人が根本的に持つ「我々の自己がその相対的にして有限なることを覚知すると共に、絶対無限の力に合一して之に由りて永遠の生命を得んと欲するの要求」のあらわれとしている。(p.175)
一般に現代人が宗教より科学に惹かれる傾向があることは、二十世紀の目まぐるしい科学の発達の中ですでに経験されている。しかし、宗教が科学で説明された後に道徳的退廃の世の中が来ると恐れるのは、根拠のない恐怖にすぎないと私は考える。宗教が科学によって完全に説明された時、われわれは改めて宗教がなぜ人間の進化と共に存在し、宗教の何が人間にとって必要なものなのかを明らかにするであろう。その時、「内なる神」は「外なる神」の支配から脱出できるだろう。その時、宗教と道徳は荒廃するのでなく、逆に新たな、より人間を中心とした宗教と倫理が提示されるであろう。(p.245)