二進法の犬(花村萬月/光文社)
家庭教師が、ヤクザの組長の娘を受け持ってしまったことをきっかけに、その世界にしだいに入り込み、すさまじい博打や抗争に巻き込まれていくという、なんだか悪夢のような話し。しかし、小説でしかあり得ない面白さが、この物語にはある。
主人公の鷲津兵輔は、インテリで何事も理詰めで考えるけれども、ヤクザの組長、乾十郎は「白か黒か」の二進法で、感覚的にすっぱりと物事を断じる。その二人の生まれや思想はまったく異なっているのだけれど、それが徐々に混じり合って共感につながってゆく。
何事もなかった日常生活から、じわじわとヤクザの非日常の世界に引きずりこまれていく様子がとてもスリルがある。話しは長いけれど、途中まったく飽きさせないだけのテーマと内容が充分に詰まっている物語だった。
人は言葉を遣う動物である。言葉とはそれが放たれた瞬間から抽象を獲得する力をもつ。抽象を獲得すればこそ、他者とのコミュニケーションの道具たりえる。しかし、だからこそ自縄自縛に陥り、自らを空しくする。喋れば喋るほど本質から遠ざかり、単なる抽象の羅列に堕落する。口の達者な奴という言葉が褒め言葉でないのは、こういうことからきているのだ。(p.333)
生きること、死ぬこと。完全な博打ですよ。みんな、明確な裏づけもないまま、明日も生きていることに賭けて、あれこれお物事を運んでいるようですけどね。(p.429)
でもね、先生。いいですか。どうせ、死ぬんです。まちがいなく、死ぬ。そして、ほんとうの充足は、死と引き換えです。やはり、生きること、死ぬこと。この確率二分の一が、いちばんの博打ですよ。(p.441)
わかりやすいほうが、楽でいい。でも、飽きるよ。真剣に絵画を見詰めていくと、あるときリアリズム絵画にはどこにも実体がないことに気づくわけだ。もちろん優れた画家のリアリズムは、画家の才能ゆえに、あっさりとリアリズムを超越してしまったりもするが、とりあえず話しをわかりやすくするために、リアリズム絵画は自然と世界を模写しただけのちゃちな複写にすぎないと規定しよう。つまり、なにも描かれていないんだよ。(p.994)