タイタンの妖女


タイタンの妖女(カート・ヴォネガット・ジュニア/早川書房)

この小説は、一人の人間を無作為に選んで、神の視点からその生涯というものを追い続けた物語なのだと思った。
「タイタンの妖女」というタイトルの意味はよくわからなかったのだけれど、ギリシャ神話的なスケールと荒唐無稽さがあるので、そういう繋がりかもしれない。
主人公のマラカイ・コンスタントは、これといって大きな特徴のない、平均的な一人の人間だ。それが、全知全能的な存在の気まぐれによって、理不尽な目に遭ったり、まったく横暴としかいえないほどの弄ばれかたをする。
そして舞台は、地球→火星→水星→タイタン、と移ってゆき、だんだんと、この男が背負わされている宿命と役割がはっきりとしてくる。
今西錦司氏の進化論によれば、人間というものを眺めた時、一人一人の間には、個性といえるほどの違いは存在しないのだという。多少の個体差はあるにしろ、少し高い空の上から見てみれば、まったく区別がつかないレベルのギャップでしかない。
神から見れば、どの人間を相手にしようが大した差はなく、天災は単なる天災であって、そこには理由も目的もない、人は、あらゆる現象に意味を求めたがるけれど、実際には、ただの偶然や気まぐれという以上の意味はないのかもしれない。
このマラカイ・コンスタントは、誰でもない匿名のNobodyであって、つまり読者自身の姿でもある。彼を、人類の代表として見立てて、運命(神の戯れ)に対してどう立ち向かっていくべきかということを、見届ける物語なのだ。読んでいる最中は、その試練は随分とひどいものだと思ったけれど、それだけに、旅路の末に訪れる最後の結末は、とても感動的だった。
【名言】
まるでだれかかなにかが死人どうぜんみたいなこのわしに地球をひとりじめさせたがっとるみたいだった。これがどういうわけかを教えてくれるような信号がいまにあるだろうとわしはいつも目を光らしとったがそんな信号はなにもない。ただどんどんどんどん金持ちになっていくだけだ。
そのあとでおまえの母さんがあの浜辺でとったおまえの写真を送ってくれた。わしは写真の中からおまえがわしを見る目つきを見てひょっとしたらこれだけの金の山はこの子のために積まれたものかもしれんぞと思った。わしはなんのことかさっぱりわけがわからんで死んでいくがこの子はいつかとつぜんにそのわけをはっきりさとる人間になるかもしれんぞと思った。(p.128)
アンク、このおつむのイカれたばかやろう、おれはおまえが大好きだ。おまえはほんとにたいしたやつさ。もし、おまえの小さな家族といっしょになれたら、宇宙船を一隻かっぱらって、どこか平和で美しい土地へ飛んでいくんだぜ。生きていくためにヒョウロク玉を飲まなくてもすむようなところへな。ストーニイもいっしょに連れていけ。そしてむこうで落ち着いたら、だれがどういうわけですべての物事を動かしているのか、すべてを作ったのかを、おまえたちみんなでたっぷりとひまを使って考えるんだ。(p.186)
乗務員が手をくだせる制御装置は、船室の中央シャフトにある二つの押しボタンだけだった。その一つには『オン』、もう一つには『オフ』と記されていた。『オン』のボタンは、火星からの飛行を開始するだけのものである。『オフ』のボタンは、どこにもつながっていない。それは火星の精神衛生の専門家たちの要請によってつけ加えられたもので、この専門家たちの意見によると、人間は自分が停められると思っている機械のほうを、つねに好むものなのである。(p.239)
彼ら(ハーモニウム)は二つのメッセージしか持っていない。最初のメッセージは第二のそれに大対する自動的応答で、第二のそれは最初のそれに対する自動的応答である。
最初のそれは、「ボクハココニイル、ココニイル、ココニイル」
第二のそれは、「キミガソコニイテヨカッタ、ヨカッタ、ヨカッタ」(p.265)
「わたしは死にかけてはいない」とラムファードはいった。「ただ、この太陽系から去っていこうとしているだけだ。いや、それすらもしていない。壮大な、時間を超越した、時間等曲率漏斗ふうの見かたからすれば、わたしはつねにここにいることになる。わたしは、これまで存在したあらゆる場所に、これからも存在しつづけるだろう。(p.419)
「だれにとってもいちばん不幸なことがあるとしたら」と彼女はいった。「それはだれにもなにごとにも利用されないことである」
この考えが彼女の緊張をほぐした。彼女はラムファードの古ぼけた曲面椅子に横たわり、背すじの寒くなるほど美しい土星の環、ラムファードの虹、を見上げた。
「わたしを利用してくれてありがとう」と彼女はコンスタントにいった。「たとえ、わたしが利用されたがらなかったにしても」(p.441)
「きょう、連れ合いが亡くなったんだ」とコンスタント。
「気の毒に」とサロ。「『なにかわたしにできることは?』と聞くべきところだろうね。しかし、むかしスキップが教えてくれたのによると、それは英語の中でいちばん厭ったらしい、愚劣な表現だそうだ」
コンスタントは両手を揉み合わせた。彼がタイタンで失ったただひとりの伴侶は、彼の左手にとっての右手のような伴侶だったのだ。「淋しいよ」と彼はいった。
「きみたちはとうとう愛しあうことができたんだね」とサロ。
「たった一地球年前のことだった」とコンスタント。「おれたちはそれだけ長いあいだかかってやっと気づいたんだよ。人生の目的は、どこのだれがそれを操っているにしろ、手近にいて愛されるのを待っているだれかを愛することだ、と」(p.445)