雪沼とその周辺(堀江敏幸/新潮社)
独特な小説だった。
派手なところはなく、わかりやすい起承転結もない、淡々とした物語ばかりの短編集だけれど、これは、この筆者じゃないと作り出せない雰囲気に違いないと思う。
言うなれば、スピッツの歌みたいなもので、現実の世界と紙一重のところで重なり合うか合わないかという微妙な感覚を、とても見事に表現している。
「雪沼」という地名自体が架空のもので、この世界全体が、作者に作り出した虚構なのだけれども、それにもかかわらず、日本のどこかに必ずありそうな懐かしい感じをうける。
とても感覚的な小説のために、ぴったりハマる人とそうでない人に大きく分かれるだろうと思うので、万人に勧められる小説ではないのだけれど、心休まるものをじっくりと読みたい気分の時にはぴったりの、アンビエント音楽のような作品だと思う。
【名言】
「朝いちばん」とは大げさな業界用語で、実際にはその日の昼までというほどの意味だ。しかし田辺さんはその言葉をあえて額面どおりに解釈し、朝いちばんでと納期を指定されたら、雨が降ろうが風が吹こうが、万難を排して朝いちばんで届けてきた。赤の他人から信用されるには、そういう真っ正直なやり方をつらぬくほかない、というのが田辺さんの信条だった。「河岸段丘」(p.75)
特別なことはなにもしない。料理も魚の飼育もおなじだ、なにがよくてなにが悪いのだか、自分でもわからないのである。「ピラニア」(p.168)