14歳からの社会学


14歳からの社会学(宮台真司/世界文化社)

これは、タイトルでは社会学となっているけれども、一般的に言われている意味での社会学よりもずっと広い範囲の話しで、宮台氏の思想や考え方の全体を、非常にわかりやすい言葉で一冊の中にまとめた本だった。
「14歳から」とはタイトルにあるものの、14歳でこの内容を理解出来るとしたら、相当に早熟な人なんじゃないかと思う。中学生向けとしてレベルを落としているというような雰囲気はまったくなく、そのターゲットはものすごく広いはずだ。
この本が面白いのは、著者自身の経験談から説明をしている話しがとても多いところだ。特に、東南アジアでの、自分が世界の前では小さな点にすぎないという気持ちになった経験を元に、自分たちは<社会>と<世界>の両方に住んでいるということを語った部分はとても共感を感じた。
宮台氏の評論や著書からは時々、目からウロコが落ちるような発見を与えられるけれど、言葉のいいまわしや引用がやたらと難しいのが難点で、何を言いたいのかわからないことも多い。でも、この本は、これ以上ないくらいに易しい文章で説明されていて、しかも、内容としては手を抜かずに真剣に語っている。本当に、著者の気合が伝わってくる本気さで、この一冊の中に含まれているメッセージの密度はかなり濃い。
【名言】
民主制を否定するんじゃなく、うまく機能させるために、みんなで決めるんじゃなくて「エリート」が3つくらいにルールの選択肢をあらかじめしぼって、大衆に聞く。さもないと失敗をくり返しているうちに死んでしまう。(p.51)
ドイツに限らず、イギリスでもフランスでも、エリートに任せて尊敬する文化がある。逆にいえば、エリートになれないことを引け目に感じない文化がある。社会学では、これを「階級社会」という。日本で「階級」というと悪いイメージだけど、社会学ではそうは考えない。(p.52)
昔は先輩のツテとかで偶然に就職した。いまは何十社も比べて就職する。学生は「自分にピッタリの仕事があるんじゃないか」と思いこみやすい。だから実際に就職できても迷いが消えない。「本当はもっとピッタリの仕事があったんじゃないか」と。1章で「選ぶ能力」の大切さをいったけど、ここでも同じ問題が出てくる。「選ぶ能力」がとぼしい学生は、選択肢が増えたところで幸せになれない。
社会のことも、自分のことも、ロクに知らない学生が、「もっと自分に合った仕事がほかにあるんじゃないか」みたく永久にさまよい続ける。「もっと自分に合った女の子がほかにいるんじゃないか」と永久にさまようのと同じことで、正直いって下らない。(p.109)
ぼくが、就職活動をひかえた学生に、いつもいっていることがある。それは「自己実現できる仕事があるという考えを捨てろ、そんな期待を持てば持つほどがっかりする。そうじゃなく、どんな仕事をするんでも『自分流』にこだわることだけ考えろ」ということだ。
あるいは「これさえあれば十分」という考え方をしろということだ。自分は何があれば幸せな人間なのか、そのためにどんな生活ができればいいのかをはっきりさせ、「それにはこのくらいのお金と時間があれば十分」というふうに考えて、割り切って仕事を探す。(p.112)
小室直樹も廣松渉も信じられないほどの知識の持ち主だ。そしてその信じられないほどの知識量が、人格の中にきちんと構造化されている。彼らはひと言もしゃべらなくても、圧倒的なオーラがあった。
彼らの知識ひとつひとつは、問題じゃない。書かれた書物をもふくめた「たたずまい」を見ていると、突如「この人は絶対スゴイ」としびれる瞬間が訪れる。それが訪れてからは、「その人だったら世界をどう見るのか」をひたすらシミュレーションするだけだ。(p.136)
ぼくが先に若死にしてしまったら、妻はどうなるのだろう。でも、そんなに心配はいらないかもしれない。妻はぼくよりも20歳も若い。たぶん新しい出会いが待っているだろう。それは、ぼくが死ななければあり得ない出会いだ。
それでいいんじゃないか。君たちの中にだって、そんなふうにして生まれた人がいるはずだ。実は、死を受け入れないということは、自分の存在を受け入れないということだ。自分の存在だけ受け入れて、死だけを受け入れないというのは、身勝手じゃないか。(p.154)
ぼくらにとっての死。それは<社会>の中で死ぬことでもあれば、<世界>の中で死ぬことでもある。<社会>の中では「承認」が問題になる。<世界>の中では「承認」どころかアリンコみたいな存在だ。「承認」を気にしている自分など、とてもとても小さい。(p.160)
ここで大切なのは、カントの発想では、「内なる光」は感情ではなく、感情にあらがう「意思」にこそ宿るということだ。「知・情・意」でいうと、日本人は「情」に人間らしさを求めがちだけど、カントは違う。あくまで「意」が人間的なものの中心だ、と考える。(p.190)