私塾のすすめ(齋藤孝・梅田望夫/筑摩書房)
自分は、齋藤さんの本も、梅田さんの本も、ほとんどの本が好きだ。考え方や価値観が、自分にとって、とてもしっくりくる、ということなのだと思う。その二人が対談をしている本なのだから、これは面白くないわけがない。
二人が対談をすることで、その両者の考え方の違いも見えてくる。梅田さんが、一部の「やる気のある人」をさらに引き上げることにモチベーションを感じているのに対して、齋藤さんは、全体のレベルの底上げをするということにやりがいを感じている、というところなど。
こういう、互いが違う考えを持っている部分のやりとりというのは、それぞれが持っている価値観のルーツが鮮明に見えてきて、とても興味深い。これは、自身の考えに明確なポリシーを持っていないと語れないことであるし、対談であるからこそ浮かび上がってくる面白さなのだと思う。
特に、齋藤さんからは、かなり激しい発言が多く出ていて、普段の論理的な語り口からすれば意外な感じだった。一人で本を執筆した場合は、きっとこういう部分は表面に出てこないはずで、それぞれが個別に本を出した場合より、素の本音の部分がはっきりと表われていると思った。
この本のメインテーマとなっている「私塾」という概念についても、とても共感が持てる提言だった。「私塾」の可能性について論じながらも、二人の活動分野が異なり、梅田さんはネット領域、齋藤さんは非ネット領域を専門にしているというポジションの違いも面白い。かなりやる気が出るメッセージが満載の本だった。
【名言】
「自分探し」という言葉には以前から違和感があります。僕は、「自分がやりたいこと
」を模索していた時期はありますが、「自分」を探したことは全くないです。自分はここにいるのだから、自分を探しにいくことはないですよ。僕は常に、自分とは仲がいいです。自分のことは好きだし、自己肯定できるし、自分が敵になる状況というのは、どんなに悲惨な状況でもありえません。(齋藤)(p.29)
オープンソースのプロジェクトでも、リーダーが没頭しているものではないとうまくいかないのです。その情熱にみんな引き寄せられてくる。(梅田)(p.45)
よく、「言葉の端々にでる」といいますが、Eメールでも、いろいろな人から仕事の依頼がきますが、そのメールの文章を見ただけで、相当のことがわかる。その人の経験値もわかるし、人間関係のクセもなんとなくわかる。(齋藤)
ブログだともっとわかります。履歴書を見るよりも、その人のブログを見たほうが人物がよくわかります。(梅田)(p.53)
今の時代は、話し言葉のようでないと多くの人にはなかなか伝わっていかない。話し言葉ぐらいが丁度いいという実感をもっています。密度の高い書き言葉で通じる層は、若い人全体の1、2割くらいではないかと思います。(齋藤)(p.73)
梅田さんは、メンタル・タフネスがありますね。いきなりの言いがかりを面白いと思えるというのは。僕は、気性はふだんはおだやかなんだけど、根に激しいものがあります。こちらを安く値踏みしてちょっかい出してくる人に対して、攻撃をし返してしまいかねない。(齋藤)(p.93)
ある時、ふと思ったのですが、死ぬときにきっと「『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝氏死す」みたいな書かれかたをするのだろうな、と。何十冊、何百冊と本を出してきたけれど、結局そんなもんなんだな、納得がいかない、何十年も難しいことを考えてきたのに結局そこか、と最初は思いました。でもだんだん、人が世の中に定着させられるものは限られていて、そういうのは運命みたいなものだと思うようになりました。(齋藤)(p.105)
目を外に転じれば、オープンソースの世界では、お金をもらわなくても、朝から晩まで仕事ををしている人がいます。そういう環境ができたからです。だから僕は、大組織にせよ、組織以外での仕事にせよ、自分とぴったりあったことでない限り、絶対に競争力が出ない時代になってきていると思います。朝起きてすぐに、自分を取り巻く仕事のコミュニティと何かをやりとりすることを面白いと思える人でなければ、生き残れない。これが幸せな仕事人生になるのか、不幸なのかは一概に言えないのだけれど、いま、過渡状態で起きていることというのは、そういうことだと思う。(梅田)(p.145)
大抵の領域では、もうほかの誰かがすでにやってしまっているということがあります。ここまでやっちゃうのか、という人がけっこういる。そういう意味で厳しい時代です。厳しいからこそ、簡単ではないけれども、自分の志向性にぴったり合った場所を探して移っていかないといけない。(梅田)(p.148)
ソーシャルブックシェルフ「リーブル」の読書日記