スカイ・クロラ(森博嗣/中央公論新社)
読み始めた最初は、この、妙に淡々とした文章になかなか慣れず、退屈だと思っていたけれど、独特な文体に馴染んでくるに従って、これはかなり詩的で面白い、と感じるようになってきた。戦争を描くのに、ここまで徹底的に善悪の感情を排除して、無機的に表現したというのは芸術的だと思う。
誰かが憎いわけでも、何かを守るためでもなく、それが仕事だからという理由で戦闘機に乗り、敵機を墜とす。ただそれだけだと、何とも味気ない話しになるのだけれど、主人公のパイロットたちは彼らなりの思考方法で、自分自身の存在意義について常に意識をしている。
物語の時代背景とか、舞台設定はよくわからなかったのだけれど、そんなところはまったく気にならない。もともとそういう細かい説明は省かれていて、この作品はひたすらに、「一介の飛行機乗り」である主人公の目を通して見える世界だけが描かれている。
森博嗣という人が本当に書きたかったのは、ミステリーよりも、こういう小説のほうだったんじゃないかという気がした。
各章の扉には、サリンジャーの小説からの引用が挿入されている。
サリンジャーの原文を読んだことがないので、元がどんな文章なのか知らないのだけれど、そういえば、この「スカイ・クロラ」という小説の、妙に力の抜けた雰囲気は、サリンジャーの小説にかなり似ていると思った。
この作品は、映画化されて、2008年8月2日から公開されるらしい。
この作品を映画化するというのは、かなり難しいことだっただろうと思う。いったいどのような映像になっているのか?映画化がこれほど期待出来る作品は久しぶりだ。
【名言】
途中で、火を吹いている方の一機が湖面に墜ちるのが見えた。脱出はなかったようだ。可哀相に、という言葉は思いつく。けれどたぶん、僕はそうは思っていない。(p.48)
ところで・・僕はどうして、そんなことを知りたいのだろう?
単なる退屈凌ぎなのか・・。きっと、そうだと思った。
仕事も女も、友人も生活も、飛行機もエンジンも、生きている間にする行為は何もかもすべて、退屈凌ぎなのだ。
死ぬまで、なんとか、凌ぐしかない。どうしても、それができない者は、諦めて死ぬしかないのだ。(p.122)
特に、誰かのために戦っているわけじゃない。国のためでもないし、まして特定の人々のためでもない。僕は賃金をもらっている。それに、僕たちにはこの仕事が向いているのだ。それは自分でもよくわかる。逆に僕には、普通の人が、僕たちをどう思っているのかが、本当のところ理解できない。(p.168)
「たとえば、将来の計画は?」
「計画って?」
「いつまで生きるつもり?」
「考えてない」
「どうして、考えない?」
「考えてもしかたがない。どうせ、いつか、誰かに撃たれて死ぬんだし。それは僕には想像もできない」
「でも、君の人生なんだよ」
「そうかな・・」僕は肩を竦める。「それ、よくそういうふうに言うけれど、僕の人生なの?これって」
「じゃあ、誰の人生?」
「誰の人生でもないんじゃないかな」
「うーん、まあ、そういう宗教もあるけど」草薙は何度も小さく頷いた。(p.185)
雲の上に出てしまえば、天候など無関係。だから、上がるときはひたすら地球の本能に逆らって、とにかく上がっていけば憂鬱からは逃れられる。ところが、天使になれなかった僕たちは、最後は地上に戻らなくてはならないのだ。高度が下がるとともに地面の憂鬱がぶり返すことになる。人間はそんな湿っぽい地面に張りついて、惨めに生きている存在なのだ。(p.203)
誰でも最初に出会ったときには、その相手が自分の将来にどれくらい関わる人物なのか判断がつかない。ただ、予感だけをピンでとめるしかない。(p.211)
僕は、いったい、何を望んでいるだろう?人生のための楽しみか?それとも、余裕だろうか?わからない。
ただ・・、理解、でないことは確かだ。人に理解されることほど、ぬるぬるして、気色の悪いことはない。僕はそれが嫌いだ。できるだけそれを拒絶して、これまで生きてきた。それは、たぶん・・、草薙も同じだろう。土岐野だって、同じだ。そういうタイプが、飛行機乗りには向いている。理解されたくない、という気持ちが、空へ高く上らせる力となる。いつ墜ちても良い。いつ死んでも良い。抵抗があっては、飛べないのだ。(p.289)
もし僕が殺さなかったら、彼女は自分で自分を殺しただろう。それでは、あまりにも孤独だ。(p.326)
【名描写】
飛行シーンの描写の臨場感が好きだ。専門用語が多くて、あまり意味はわからないのだけれど、たとえば次のようなセリフは、しびれる。
「黒豹のスカイリィ・J2が、キシヌマ機の下から上がってきて、もう少しのところで、キシヌマ機の後ろにつく、というところで突然半ロールした。こう、上を向いて、何かのトラブルかと思ったくらい。ところが、そこで、ストール・ターンをして、後ろから援護しようとしていたクマタケ機をやり過ごすと、スナップっぽい前転をして、こう、斜め上から被さるみたいに、至近距離で撃った(p.238)」