フラッタ・リンツ・ライフ


フラッタ・リンツ・ライフ(森博嗣/中央公論新社)

この、「スカイ・クロラ」シリーズの文章と世界観は、ほんとうに心地良い。

これほどに魅力を感じるのは、余計なものを削ぎ落として、表現したいと思うもの以外の一切を必要としていない、ミニマムな形式美のせいなのだと思う。

「スカイ・クロラ」の中では名前しか登場しなかった人物が、この「フラッタリンツ・ライフ」では主人公として作品の中心になる。

「スカイ・クロラ」の主人公であるカンナミとは、同じ、パイロットという共通点はあっても、異なる個性と価値観を持って空を飛び、戦争に加わっている。

この、作品ごとに切り替わる主観の違いというのは、「スカイ・クロラ」シリーズの奥行きを更に深めている大きな要素だ。

それぞれに似た嗜好とバックグラウンドを持ちながら、それぞれ別の視点で世界を見ている。

この作品には、ストーリーは、ほとんど有って無いようなものだ。

その証拠に、シリーズ内の作品ごとに時系列はバラバラだけれど、どのような順番で読んだとしても、まるで支障はない。

どの時点を取り出しても、同じように永遠に続く毎日の一部分を切り取ったというだけで、出来事の時間にも順序にも、大した意味はないからだ。

ストーリーがないのなら何があるのかというと、その瞬間瞬間を描写した単語があるのみだと言っていいと思う。

この作品はもう、最初から最後までが、一つの長大な詩なのだ。

名言

これからも、ずっとこのままなのだろうか。
そうではない。彼女は年をとる。
そして、僕はといえば、きっといつかそのうち墜ちるだろう。
だから、
いつまでもこれが続くことなんてありえない。(p.23)

仲間内でクサナギ・サーカスと呼ばれている飛び方がある。失速を利用した急転回とターンの組合せで、失速に加えて連射による反動で後方落下したのちトルク・コントロールのみで即座に体勢を立て直す。傍から見ていると、なにかのトラブルだと勘違いするだろう。僕は一度だけ、それを見たことがある。だから、実際を知っているのだ。草薙が他人にそれを詳細に説明することはない。僕は自分で試したことがあるけれど、全然うまくいかなかった。なにか足りないものがあるのだと思う。うまくいかない場合には、とても危険なので、実戦では試したくない。おそらく、あらかじめ機体の重量バランスを崩しておく必要があるだろう。たとえば、後ろをやや重くしておくとか。そのターンのためだけにだ。もし、草薙が引退するようなことがあるなら、その技法についてだけは絶対にきいてみたい。(p.43)

「話さなければならないわね」彼女は呟くように言った。
僕はコーヒーに口をつけて、ただ黙っていた。僕は聞かなければならない、とは感じなかった。きっと、彼女には大事なことでも、僕には大した問題ではない。他人や、それとも人間全体にとって大事なことでも、たぶん、僕にはあまり関係がない。そういうことがとても多いのだ。きっと、今回もそれだろう。(p.154)

愛情がないことが、寂しいことで、それはとても辛いことだと教えられたけれど、何故そんなに愛されない状況を恐れるのだろうか。愛に満たされたことがない人でも、それを恐れている。言葉だけで信じてしまって。(p.186)

偉い人のスピーチの言葉は、いつも綺麗で、愛情に満ち溢れている。正義が花束になって差し出される。花束が好きな奴は、受け取れば良い。花束をお互いに送り合って、誇らしげに持ち歩けば良いだろう。けれども、そんな花束は飛行機には乗せられない。空に上がるには、単なるウェイトだ。(p.269)