私の遺言(佐藤愛子/新潮社)
タイトルにもかかわらず、著者ご本人はまだ健在なのだけれど、死ぬ前にどうしても伝えておきたかったこと、という意味で書き記した本であるらしい。
北海道に家を建ててから突然身の回りに起こった、不思議な心霊現象との20年間にわたる闘いを綴った戦記といっていいような内容だ。
その闘いは本当に壮絶の一言で、映画に出てくるポルターガイストのようなレベルじゃなく、それよりも何倍も激しく家の中を掻きまわしたり、ソファーの中に電話機を隠したり、集まって宴会をしたりするという。
それが、どこの場所に行ってもついてまわって、夜毎に姿をあらわすというのだから、それは想像するだに恐ろしい、「ベルセルク」のガッツが味わったような終わることのない苦悩と、長い夜が訪れるたび必死に孤軍奮闘していたということなのだ。
並外れて強力な憑依を受けて、壮絶な経験をしたのが、熟練の作家であったことによって、状況が緻密に表現されていて、その凄まじさが客観的によく理解できる。
そして、その個人的な体験から獲得した世界観によって、日本全体に起こっている社会の変化についても、憂慮して、その根本の原因となっているものを、著者なりに考察している。
これは、正真正銘、佐藤愛子という人でなければ書けない本だと思うし、よくぞここまで書き遺してくれたものだと思う。
そう考えると、作家である佐藤愛子氏がこのような体験をして、記録を著したというのも、そのような役割を与えられていたということなのかもしれない。
【名言】
当節は人に迷惑をかけたくないために、「コロッと逝きたい」と願う人が多いが、病床で苦しみ、死について考え、生への執着を捨てて受け容れる準備期間があった方がいい。いくらかでも自分を浄化して死んだ方が、あの世に行ってからがらくだ、私はそう考えるようになった。(p.37)
大西氏の生涯は「選ばれた人」の生涯だといえよう。そもそも三歳の時に茜神社の隣りに住む大西家へ養子に行ったことで、その宿命が動きはじめた。なぜ選ばれたかということになると、それは人智の及ぶところではない。とにかく大西氏は「選ばれた」のだ。私が一人で佐藤一族の因縁浄化をしなければならない宿命を与えられたように。(p.120)
もう何年も私は孤独な戦場に、まさに孤軍奮闘という趣で身を晒してきた。この私を守護する存在があるとは、夢にも知らなかった。そんなことなどある筈がないと思っていた。二十歳までの人並以上の幸せと帳尻を合わせるためのように、乗り越えなければならない困苦が次々にやって来、その都度、私は力をふり絞ってそれを乗り越えてきた。それを自分でなし遂げてきたと自負していた。
だが今、アイヌの霊の憤怒を浴びながら、私はさまよう荒野を蔽う厚い雲間から、私に向かって落ちている一筋の日の光があったことを知ったのだった。(p.164)
それはもしかしたら私に与えられた宿命、「使命」ではないかと私は思い始めたのだ。七転八倒しながら通過してきたもろもろのわけのわからぬ現象は、単に私を罰するためだけに起こされたものではなく、それを人々に伝える役割を与えられたための苦しみではないのか。その役割を果たすためには、これらの経験が必要である。何があっても逃げずに、試行錯誤しながら徹頭徹尾経験し尽くすことによって、いつか目的地に辿りつく。そして与えられた使命を果たし、私は漸く許されるのであろうか。(p.217)
日本の最も古い古典として読んでいただけの「古事記」が、神話としてだけでなく俄かに現実の色あいをもって立ち上がって来た。私は呆然となった。私の頭に浮かんだことは、宇宙生成の順序がこのように秩序正しく伝えられているということをどう理解すればいいのか、という驚きと困惑だった。(p.226)
私は思う。悪霊にとり憑かれたこと、それが彼の罪だろうか?
「心の空洞」を作ったこと、無機質な人間になったこと、それが彼の罪だろうか?と。(p.266)