荒野(桜庭一樹/文藝春秋)
本の帯に「直木賞受賞第一作」と書いてあった。最初、これの意味がどういうことかわからなかった。「直木賞受賞作」ではないが、「直木賞受賞後の第一作」ということらしい。
直木賞受賞作である「私の男」とは、まったく作風も文体も違う。だから、この帯が目についてこの本を手に取った人は、きっと期待していたものと違うものだったという感想を持つだろうと思う。これはこれで、まったく別の系統の作品だ。
少年少女向けという層を想定して書いたもののようで、少女マンガをそのまま小説化したような、さわやかな空気感だと思った。だから、文章はかなり平易なのだけれど、著者の他の作品から考えると、ターゲットに合わせてわざと易しく文章を変えているのだろうと思う。鎌倉の一軒家を舞台にしているというところもいい。
主人公の、中学生~高校生の時代の話しなので、ちょっと感情移入しにくいところがあったのだけれど、きっと、学生時代にリアルタイムに読んだとしたら、はるかにその世界に入っていきやすかったのだろうと思う。昔のことを思い出して、そういえばそんな感じだったかもなあ、、という気持ちになる。
「大人が想像で作り出した中学生の話し」ではなく「中学生の目線になって書いた中学生の話し」という雰囲気の作品だった。
【名言】
この世には、ハングリー・アートと呼ばれる仕事があるんだ。この本にはジャズがそれだと書いてある。あと、ボクシングとか。ジャズは孤独な道だからさ。この世の大事なものを犠牲にしなきゃ、その場所には立てない。ジャズの神様はエゴイスティックなんだ。幸福で、満足して、それでジャズをやろうったって無理な話さ。小説もきっと、ハングリー・アートなんだよ。あの人はきっと、恋愛小説を書き続けるために、あんな、蜻蛉みたいな男になったんだ。あれは人間じゃない。言葉に憑かれた生霊さ。女って餌を食っては書き、書いては食うんだ。きっと、死ぬまでやめないんだ。(p.137)
まわりの女たちを、見てみなさい。大人という生き物は、そうそう、ときめいたりしないものなんだよ。そうして、そうなってからのほうが、人生は長い。(p.267)
前に立つ阿木くんも黙っている。その足元からじわじわと、怒りのような、妄念のような、暗く湿った空気が漂ってきて、荒野に近づいてくる気がする。パパをめぐる女たちにも似た、なにか。甘さはない。あたたかさも。ただ暗く、冷えた感情。(p.294)
荒野は自分がべつに傷つかないことに気づく。おんなのこころ、はとても薄情で、愛していない男の言葉なんかで傷つかないのだ。(p.346)
どう見ても、奥さんに逃げられ中の人には見えない、天性の明るさ。興味のなさ。小説を書いていないときのパパは、まっさらに空っぽで、にこにこしていても、なーんにも考えていないように見える。荒野は一緒に歩きながら落ちつかなくって、この人はパパだけれど、いつだってなにかの抜け殻みたいだ、と首をかしげる。(p.478)